005
そして、私は牢獄に入れられてすぐに、月明かりに照らされる処刑塔に移された。
あまりにも早い処刑宣告に牢獄の管理者は驚いていたけれど、本物の聖女の命令だ。誰も逆らいはしなかった。
私を移送する神殿騎士達の目からは昨日までの熱狂が失われ、代わりに私を見る目に宿すその感情は軽蔑と困惑だけ。
―――まるで、昔を再現しているようだ。
あっちの世界でステージに立っていた時もそうだった。
ツンと勝ち気な性格に、異国の血が強く出たはっきりとした顔立ち、そして少しだけ低い声音。
そのキャラクター性は他の同業者とは差別化され、強調され、そして事務所の強引なまでの売り方によって爆発的な人気が出た。
けれどもあまりに加速度的に増える私への人気は、誰もの予想を裏切る形でその増加を止めた。
――私を愛してると叫んだファンの一人のストーカー行為が度を越して、ついに私の付き人の一人だった女性に私の連絡先を渡すように脅し、それに応じなかった彼女をナイフで刺し殺すという事件が起きてしまったのだ。
その事件にショックを受けて、私は暫くの間アイドルの「キリエ・ティーナ」としてステージの上に立つ事を止めて家に籠るようになった。
「佐藤桐英」はこんな状況でもキリエを演じ続けられる程に胆力のある人間ではなく、ただの女の子だったのだ。
けれど事件の関係者が全て取材不可能となれば、事件に興味を抱いた人達はやり場のない好奇心をどこにぶつけるのだろうか。
完璧なアイドルの仮面を被った少女が居ないスキャンダルの舞台を、どう盛り上げるんだろうか。
――私のキャラクター性こそがこの事件を誘因したのだとマスコミは書き立てた。
どうにかキリエの仮面を被って舞い戻ったステージ上では誹謗中傷、公演妨害、果ては被害者女性の家族に恨まれてナイフを突き付けられるという事件まで起きた。
それが悲しくて、悔しくて、怖くて、何度も何度も泣きながら夜を明かした。
どんなに“キリエ”という偶像を一時好んでくれたとしても、一瞬で評価は真逆に陥る。
一方的に愛を与えられ、同じ分だけ憎しみと軽蔑も与えられた。
私が受け入れられるのは、強気で勝ち気で完璧なキリエ・ティーナを演じている時だけ。
臆病で気弱な本物の佐藤桐英は、それがたった一瞬であっても誰にも必要とされていなかったのだ。
だからなんだろう。
ニセモノとしてしか必要とされない私は、どこまで行っても自分を偽ってしか生きられない。
明日決行されるだろう処刑でもニセモノとして死ぬ。
アイドルのキリエ、聖女のキリエ。
思い返せばどちらもニセモノでしかなく、けれど、どちらも沢山の人の人生を狂わせた。
本物でない事は、唯それだけで罪深い。
溜息を吐きながら壁にもたれ掛って目を瞑ると、里菜や神官長と笑いあった日々が脳裏に過った。
誰よりも大事にしてあげたいと思っていたのに、私が誰よりも傷つけてしまったのをあの神官長は苦々しい表情で天国から見ているだろう。
結論を出したのは里菜だけれど、彼女が弱っている時に唆してわざと私の演説を見せ、言葉巧みに不和へと誘導した人間が居る。
里菜は良くも悪くも慎重な人間で、けれど決して頭は悪くない。
私の主張はその語りは変えても軸は何一つ変わっていない事には気づいていたはずだ。
元々納得していた里菜に聖戦の現実を見せただけでは、あんな風に真っ向から私に立ち向かってくるはずはない。
……多くの真実に嘘を混ぜて彼女に囁いた人間が居たんだ。
一体いつから私が偽者の聖女だと見抜かれていたのかは分からないけれど、私達の関係性がほんの少しだけ希薄になった瞬間を狙ってした事なんだろう。
私が彼女の耳に吹き込まれた「真実」を訂正出来くなった瞬間を。
そして、里菜本人の手で私を裁かせた。
ごめんね、神官長。
私は里菜を守り切れず、更には傷付けてしまった。
きっと、里菜は全てを優しく守る良い聖女として立つだろう。
けれど今迄私が経験してきた事を考えれば、これから彼女が歩く道は辛い事の方が多いに違いない。
彼女を傷付け、苦しめた私にはそれを薙ぎ払う事は出来ない――願わくば、どうか彼女の周りに彼女を支えてくれる人が居る事を。
神様、神官長、どうかお願い。
あの子はたった一人の聖女なのだから、あの子を愛していると言うのなら。
そう願う様に天に居るという神様に届くようにと目を伏せた瞬間、鉄格子越しに射し込んだ月光は人影に遮られた。
思わず跳ね起きると、人影はその姿を見せ、静かにするようにとジェスチャーで伝えてきた。
「誰……?」
呟いた声はあまりに小さく、男の耳には届かなかったのだろう。
音を抑えるように、けれども速やかに鉄格子に寄ると、鍵を開ける仕草を見せた。
処刑をするなら夜が明けてからだろうとばかり思っていたのに、とぼんやりと考えていると、男は低く抑えた声で私に話しかけた。
「聖女様、こちらに馬を用意してあります。逃げましょう」
「……貴方は」
「先程のご無礼、どうぞお許しください。リナ様を盾にされれば我等に抗う術はございません」
鉄格子を挟んで、男はゆっくりと頭を下げた。
聖女リィーナの警護を行ってくれていた神殿騎士の一人だった。
ぽかん、と口を開けて、
「里菜は、無事?」
最初に口を突いて出たのはそんな言葉だった。
何故私を逃がそうとするのかとか、何故神殿騎士がこんな場所に居るのかという疑問も、湧いては来なかったのだ。
盾にされれば、という男の言葉が指すのは彼女を利用しようとした人間がすぐ近くに居たと言う事だ。
「ご無事です。神殿騎士は命を懸けて聖女様をお守りします……それに、彼等も聖女様を傷つけるような愚は犯さないでしょう」
「……そう。そっか」
鍵を開けようと手を動かし続ける男をちらりと見遣ってから、私はほんの少しだけ溜息を吐いた。
口調が聖女のそれどころかキリエですらなくなっているのを感じながらも、もう取り繕わなくてもいいだろうとそのまま話し続けた。
「逃げないよ。貴方もそんな事をしたら罰せられるから、もう戻って」
冷たさを意識して発された言葉に、男はほんの少し驚いたように顔を上げた。
このまま此処にいれば処刑される事は分かり切っているのにどうして、と。
「私は聖女の偽者だから私を護る必要なんてない。聖女リィーナなんて最初から居なかったんだよ」
神官長の言ったとおりだった。
神殿騎士は必ず聖女を護る。
その職務に忠実な様は見事だけれど、それを偽者である私にまで向けてしまうのはあまりにも可哀そうだ。
聖女を護って付いた傷は名誉だろうけれど、偽者まで護る必要はない。
「この処刑はリナ様の御意志によるものではありません」
「……それでも」
聖女が命じたのは私の捕縛まで。
それ以降の処刑命令は聖女の名を騙ってのものだと男は言った。
その言葉に里菜に対して抱いていた罪悪感で沈んでいた心が救われる――里菜に私を殺させるような事にならずに済んだ、と。
それでも。
「私は皆を幸せから遠ざけて、死地に追いやって、それでも自分は安全な場所で笑ってる魔女だから」
私を魔女と表現した里菜の言は、確かにその通りだ。
多くの人を欺きながらその人生を崩壊させた。
何の力も無いのに本物を騙って、信頼を得て、自分一人だけ傷つかない場所から聖戦を指示する魔女。
私は、そんな私を断罪して欲しかった。
するりと私の罪が口を突いて出たのは、誰かにお前は最低な人間だからと言われたかったのかもしれない。
此処まで来てまだ生きたいと思ってしまう私を叱ってほしかったのかもしれない。
「この世界に来る前だってね、同じような事をして何人もの人生を狂わせた。彼らに罪を犯させて、私は一人新しく人生をやり直そうだなんて考えてた」
誰かを笑顔に出来る仕事だと思って精一杯働いたけれど、それ以上に誰かを悲しませた。
あの加害者だって、被害者の女の人だって、被害者の家族だって、全て私が原因で人生を狂わせたのだ。
それを見ないフリをして、私は悪くないと目を瞑って新しい道を選んだ事が罪だったんだろう。
私だけ人生を仕切りなおそうだなんて身勝手だ。
「だから、勝手に拉致してきておいて偽者だから殺されるなんて不条理だって思ってた。私の人生を返してって。だから死にたくなくて里菜を言いくるめて、私は聖女のフリをしたの。でも、私のせいで」
多くの人間の人生を狂わせて、里菜を傷つけて。
だから。
だから、私なんて死んでしまえば良かったんだ―――。
涙が頬を伝って音も立てずに地面を濡らしたけれど、きっと男からは見えていないだろう。
こんな卑怯で卑屈な人間は聖女リィーナなんかじゃない。
私が演じていたあの聖女はどこまでも高潔な人間だった。
たとえどんなに犠牲が出ても自分の信念は絶対に曲げず、誰にも迷いを見せず、人を導く人間だった。
聖女リィーナを助けようと思ったこの男も、きっと本当の私を見て軽蔑し、嫌悪するだろう。
それでも良い。早くこの場から去ってくれれば良い。
もう誰一人私のせいで死んでほしくなんてない。
けれど、男は鉄格子の合間から手を伸ばし、私の手に重ねた。
ゆるゆると視線を上げると、男の目は私の臆病な心を射抜くように見据えた。
その目に私がよく知る色はない。
侮蔑も、怒りも、憎悪もそこにはない。
「貴女様の過去にあった事は私には知りえません。けれど、現在の貴女様は“聖女”に守られ、幻想の平和に腐っていた我々に現実を見せてくれた」
――本当は、自分の力じゃないのに聖女として振る舞うのは怖かった。
――誰かが自分のせいで死ぬのはずっと怖かった。
「結界が弱まる未来を、また恐怖と諦観の念に襲われる未来を、どこか遠くの出来事であると考えて目を閉じていたのです」
でも、役立たずと罵られて自分が殺されるのはもっと怖かった。
まだまだ生きていたくて、勝ち気で肝が座ってて、何をやらせても完璧な聖女を演じ続けた。
今度こそ上手く出来ると信じていた。
それが「キリエ・ティーナ」のキャラクターでしかなく、同じ事を繰り返してるだけだとどこかで気づきながらもただ只管演じる事しか出来なかった。
「護る為に戦え、生きる為に戦え、と貴女様が口にした時。この国は生まれ変わりました」
いつ誰に、そんな偽物の自分を否定されるか分からないのが怖かった。
そんな自分のエゴを見抜かれ、拒絶されるのが怖かった。
無理やり連れてこられたからといってこの国の全ての人を恨んでいた訳ではなかったけれど、どこか他人事だった。
そうやって他人なのだと、異世界の人間なのだと割り切らなくては、死地にに追いやる罪悪感で潰れてしまいそうだった。
私を信じてくれる彼等に、私は只の一度だって心を預けた事はなかった。
「我々は死ぬ為に生きる事を止めたのです。生きる為に、戦って死ぬのです」
……やっと理解した。
私の罪は、聖女の皮を被って人を騙した事だけじゃない。
彼らと共に戦おうとしなかった事だ。
昔も、今も、ニセモノの私でいる事の安易さに逃げて本当の私でぶつかる事をしなかったのが罪なのだ。
だって、こんなにも、ニセモノを通して無理やりにでも本当に伝えたかった事は伝わっていたのに、彼らの心の底からの応えを避けていたんだ。
頬を伝う涙が、乾いた石床を濡らした。
「我々に……いえ、我等と次代の聖女たるリナ様に未来を与えようと一人で奔走していた貴女は、間違いなく聖女様です。貴女がご自分を要らないと仰るのなら、我等に御身をくださいませんか。共に未来を描いていただけませんか」
たとえ神に愛された存在ではなくとも、私は貴女と共に未来を描きたい、とたどたどしくも目を逸らさずに告げる男の目に嘘は無かった。
そして、私に対する幻想も熱狂もそこには存在しなかった。
ただの泣いている私しか映してなかった。
あの頃も、今も、誰かが笑顔になってくれるのが嬉しかった。
誰かの支えになれる事が嬉しかった。
だからこそ誰かの元気を作り出したくてステージ上で歌って踊っていたんだった。
この世界に来てからだってそうだ。
あの子の周りに笑顔が溢れる世界にしたかった。
たった一人で震えてる、佐藤桐英によく似た臆病で泣き虫な女の子―――同じ世界で噂された全てを知っているだろうに、私を前にして嫌悪でもなく侮蔑でもなく、ただ隣りで幸せそうに笑ってくれたあの子が心の底から安心して笑顔になれる世界にしたかった。
私の心を救ってくれた、たった一人の友達が幸せになれる世界に。
「……貴女が必要なのです」
沈黙したまま何も応えずにいた私に、困ったようにもう一度だけ呟いた男の声に耐えきれず、次々と涙が頬を伝う。
里菜が笑える世界を創りたいの、としゃくり上げながら伝えると、男は静かに微笑んで私の腕を引いた。
まるで、神様みたいに暖かな手だった。