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004

その日、演説を終えて離宮に帰ろうとした時に事件は起きた。


「何のつもりですか」


自分を取り囲んで剣を向けているのは明らかに神殿騎士たちだった。

柱の陰から出てきた騎士達だけでなく、先程まで私の後ろに付いて警護してくれていた騎士達までもが剣を構えている。

いつも自分の周りを警護してくれている彼らが、自分に剣を向けている。

――これは非常事態だ。

私は聖女の法衣のゆったりとした飾り袖を払うと、毅然と見えるように背筋を伸ばした。


これが聖女に対するものであるなら、早く里菜を避難させなければならない。

ここで少しでも剣が私の肌を傷つけようものなら、直ぐにでも私が偽者の聖女である事が知れて、本物の聖女探しが行われてしまうだろう。

兎に角此処を無傷で切り抜けて、里菜を保護しなければならない。


だって彼女は私と違って替えの効かない存在だ。

もしも里菜に危害が加えられそうになったとしても、神力が働けば反射的に結界が張られるから身体に傷は付かない。

でも、繊細な子だからきっと裏切られた事にショックを受ける事だろう。

恩人の死に加え、自分に対する恨み、裏切り。

そんな黒いものは全部全部私の中に隠してみせよう。

私が彼女を守らなければ。

そこまで考えると、聖女としての仮面で、私をぐるりと取り囲む騎士達の目を一つ一つ見回すように睨みつけた。


「お答えなさい。貴方たちは聖女に剣を向けて、何の利を得ようというのです」


そう低い声で問うと、神殿騎士達は一瞬だけざわめいた。

まだ彼等の中に戸惑いの念がある事を見て取ると、私は神殿の者は皆聖女の味方です、と言って死んでいったあの神官長の事をほんの少しだけ思い出した。


――聖女の味方であるならば、どうか里菜を傷つけないでいて欲しい。


今ならまだ間に合うから。

けれど、私が彼等の混乱にもう一声を問いかけ、神殿騎士としての役割を説教しようとしたところで、聞きなれた高い声がそれを遮った。


「利を得てるのはキリエさんの方じゃないですか」


数を増やし続ける神殿騎士達に遅れ、柱の陰から最後に現れたのは、淡い桜色と白で彩られた聖女の法衣を纏った里菜だった。

いつもの神官見習いの白い服ではなく、私のそれと全く同じデザインの聖女の法衣。

肩までの髪をきっちりと纏め上げ、敵を見るように吊り上げられた黒い瞳を私に向けていた。


「里菜!?っ、早く逃げなさい!」

「……逃げなきゃいけないのは、キリエさんですよ」


逃がさないけど、と続けた里菜が手を挙げると、騎士達は無言で私に向ける剣先を構えなおした。

騎士の目に浮かぶのは、軽蔑、憎悪、困惑といった色合い。

ぐるりと私を取り囲むそれらを、私は昔に何度も見ていた――。

ぞくり、とした嫌な予感が背筋を駆け上る。


「里菜……?これは、」

「キリエ・ティーナ。貴女を、聖女を騙った罪で捕縛します」


里菜がその問いかけに口を開くよりも早く、見知った神殿騎士が目を逸らしながらそう告げた。

騙った、捕縛、という言葉までで、自分に向けられた言葉なのだと悟り、愕然とした。

私が表向きの聖女で里菜が本物の聖女だという事実は、私たち二人と亡くなった神官長しか知らない。

私の名前を知っているのはその三人だけだったはずだ。

聖女の法衣、神殿騎士の目、罪状、里菜の言葉。

里菜が自分の意思で私を捕縛すると決めたのだ――!


「この前、ある人にキリエさんの演説に連れて行って貰ったんです」


愕然として言葉を紡げずにいる私の目を見据えて、里菜は静かに語り始めた。

以前一度だけ聞いたきり私の演説は長い事聞いていなかったけれど、久しぶりにある人に誘われて観に行ったのだと。

その人は神官長の事で沈んでいる里菜を心配して、好意で希望の星である聖女リィーナの【輝かしい功績】を教える為に街に連れ出してくれたのだと。

そこで、私の人々の心を聖戦に向ける演説を聞いたのだと。

そこまで言って、里菜は一度だけ言葉を切って泣き笑いを浮かべた。


「キリエさん。聖女として聖戦を指揮するの、楽しかったですか?」


はらはらと涙を流す瞳は、憎悪で煌めいていた。

いつもの優しく臆病な面影はどこにも見えず、たった一人でも立ち向かってやると言わんばかりに決意を込めた表情でこちらを睨みつける。

その瞳が、記憶の底にある誰かの瞳と被る。

本物の聖女を痛ましげに見、そしてニセモノに対して蔑むような目を向ける彼等の瞳が、いつかの私を思い出させる。


「キリエさん言いましたよね、この国の人達が幸せになれるようにしたいって。その為の聖戦だって。……なのに、どうして?」

「どうしてって」


一体何を聞かれているのか分からずに呆然と鸚鵡返しに問うと、里菜は自嘲気味な笑みを口元に浮かべ、掌で涙を拭った。


「もう先代の聖女さんが護ってた範囲まで国土は回復してるって、神殿の外の事を殆ど知らない私でも知ってます。これ以上に戦い続けて一体何になるって言うんですか?」


里菜の言う通り、国土自体は先代聖女の頃の領域まで回復している。

今いる国民を養うだけなら、この国土で十分とは言えないまでも、どうにか食糧の確保は行えるだろう。

けれど将来的な事を考えるならこれだけじゃ足りない。

今でこそ活力が足りないけれど、もう少し未来に対する希望を皆が共有出来るようになれば、きっと子供の数も増えるだろう。

今のままでは未来に生まれてくるだろう彼等を支える事は難しかった。


「……未来を創る為には今のままじゃ到底足りないって、言ったはずよ」


それは、私が聖戦を訴え始めた時から里菜にはきちんと説明していたはずだ。

戦わなければ未来は創れない。それは里菜も知っているはずだ。

そう続けようとしたところで、里菜は耐え切れない、といった風に激高して叫んだ。


「未来の為に、今生きている人をどれだけ犠牲にしたか分かっているんですか!!」


轟、と風が吹き荒れる――神力が吹き荒れたのだろう。

その場に立つ誰もが、肩で息をする里菜を見つめたまま動けなくなった。

聖女には及ばずとも多少の神力を有する神殿騎士達は、吹き荒れる神力にあてられたのか顔が蒼くなっている。

誰かを傷つけるような神力ではなかったけれど、それが悲痛な叫びを孕んでいるのだけは、この世界の人間ではない私にすら分かった。


「あの人が教えてくれるまで私は何も知らなかった!でもキリエさんなら聖戦を始める前と死者数は変わってない、ううん、それ以上に沢山の人が戦場で亡くなってるって、キリエさんなら知ってましたよね!?」


結界の不安定さが原因で人が魔獣に襲われて死ぬ事は無くなった。

――だって、稀代の聖女が強力な結界を張ったから。

けれど、魔獣を狩る為に死に行く人は倍増した。

――だって、結界の外で聖戦は行われているから。


「………」

「ねえ、知っていたんでしょう!?答えてよ!!」

「聖女様、どうかお気を静めてください。結界の方に影響が……」


私に詰め寄ろうと一歩踏み出した桜色の聖女を、神殿騎士の一人が止めようとしたけれど、聖女はその手を振り払って声を荒らげ続ける。

その目元に再び浮かんだ涙が、怒りが、憎悪が、私の心の奥にある後悔を呼び起こす。

私がやった事が、誰かの人生を狂わせる。

それは前の世界で痛い程学んで、何度も泣いて心に刻み付けたはずの後悔だ。


「ねえ、キリエさん。貴女の演説で何人が死んだと思う?貴女が此処で笑ってる間に、此処で生きいきと演説をしている間に、一体何人が傷付いて死んでいったと思う?」


私は偽者の聖女だ。

出来る事と言えば、里菜の神力を騙って誰かの意気を高揚させることぐらい。

けれど、それが未来を創る手立てになると信じていた。

私にしか出来ない事だと信じていた。

だからこそ誰にも涙なんて見せなかったし、完璧に聖女を演じ切る事だけを目指してきた。


「その人たちの事だって、私なら全部守り切れた!なのにっ……キリエさんは、どれだけの人を私の手の届く範囲から遠ざけたと思う?」


里菜は本物の聖女だ。

人前に出る事こそ苦手だけれど、誰もの命を救ってあげられる。

それが今を生きる人全てを救う事に繋がる事は誰だって分かる。

それこそ里菜にしか出来ない事だ。

だからこそ私は里菜を護りたいと思って、少しでもその負担を軽くしてあげたいと思っていた。


「本当だったら私が全部全部全部全部守れたのに!何の力も無いくせに、皆を煽って死なせてるだけの貴女に未来を語って欲しくない!」


でも。

攻め入る事を考えなければ、里菜の神力なら今生きる民全てを守り切れた事だろう。

聖戦さえ考えなければ、結界内に居る誰もがその人生を魔獣に脅かされる事はなかっただろう。

貧しくとも安定した毎日が送れていたはずだ。

穏やかで命の危機を感じる事のない毎日を送れていたはずだ。

そう。

結界が張り替わった今でも、以前と変わらない数の人が死んでいる理由は――――。



「貴女は聖女なんかじゃない!魔女よ!」



全部、私が、戦場に駆り立てたせいだ。

里菜が向けた指が、目を逸らしてきた罪を突き付けているかのようだった。



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