002
実は、この国に召喚された時、広間には自分以外にもう一人召喚された子が居た。
自信満々で立つ私の斜め後ろに、明らかに日本人な女の子が床にぺたりと座って。
薄桃色のくたびれた部屋着に身を包み、眼を完全に隠す程に前髪で顔を隠し、怯えたように震えている彼女と、青色の重厚なドレスに身を包んでメイクも髪のセットも完璧にされた私を見比べて……人々はすぐさま私を聖女と断定してしまったのだ。
衣装さん達が調整に調整を重ねてくれたドレスを身にまとった上に、メイクさん達が死ぬ気で施してくれた顔だったのだからさもありなん。
かく言う私も彼女をスタッフの一人か何かだろうと認識しており、あまりにも恥ずかしい勘違い演技をしている間に、うっかり彼女のその後の行方を見逃してしまっていたのである。
* * *
玉座の間を下がった後、兵士達により乱暴に何処かの部屋に監禁された。
内装こそ豪奢な物であったがその実窓も無く、音を聞いただけだから確実な事は言えないが、ドアは外から三重以上の施錠。
国を救え、と言いながらもこの待遇ならば、私は人身御供にでもされる予定なのかもしれないと私は思っていた。
一体ここは何処の国なのだろうか。
言葉は日本語で間違いないようだけれど、服装やら人種やら人に迷いなく刃を向けてくる辺りとか、平和な日本国ではないような気がする。
もし日本国内であるのならば速攻で警察に駆け込んでやるのだけれど、此処の人達とは話が通じる気が全くしないから警察の人達も凄く苦労するかもしれない。
そうだ。そもそも聖女、という言葉にファンタジーのように祈りを捧げるだけの存在を想像したけど、歴史を見れば聖女には供物の意味の場合だって多々あるではないか。
もしかしたら聖女という役割は、生贄……的な……。
あの場を切り抜ける為にはああ言うしかなかったのだが、安請け合いした事に今更ながらに不安を感じた。
生きて行けたらそれだけで幸せだが、最悪でも苦しまずに死ねる役柄であって欲しい。
そんな事を考えていると、突如ガチャガチャとドアが鳴って、私の心臓は跳ね上がった。
どこかに逃げるか隠れるかしなくては、と思って浮いた腰は、現れた人達の折り重なった声に引き留められた。
「此の度の非礼、大変申し訳ありませんでした。聖女様!どうか愚かなる我等を見捨てずに導いてくださいませ」
ドアの向こうから現れた老人たちは、青褪めた表情でそう謝ったのだ。
さっきまでの随分な対応との落差にぽかんとしている私に、彼等は私の身柄は王族管轄より、神殿管轄に移されたのだと言った。
王族管轄から神殿管轄へ。
一体何の事だろうと首を傾げていると、最初に食事をしていた場所にもう一度戻るのですと丁寧な口調で説明された。
王族の管轄で身柄を預かられてしまうと、聖女である私は政治的に利用される可能性が高く、神殿側が聖女を護る事は難しくなってしまうのだと老人は口々に言った。
王族の元で庇護される事になれば王様の家臣の扱いとなり、その要求は何であれ呑みこまなければならないのだと。
そこまで聞いたところで先程の王様とやらの全身を舐める目つきを思い出して、私はすぐさま神殿に行く事を了承した。
神殿管轄になるからといって無事に解放してくれるとは到底思えなかったけれど、少なくとも彼等は私を傷つけようとした事はなかったからだ。
神官達に囲まれながら先導されるままに移動する途中、王宮の廊下の端で嘲るような表情を浮かべた少年とすれ違った。
今となってはその顔立ちがどのようなものであったかはよく覚えていないけれど、年齢の割りに合わず、昏く、硬い瞳だったのが印象的だったのだけは覚えている。
確かに子供があんな顔をするくらいなのだから王様の領域である王宮は魔窟なのかもしれない、とちらりと思った。
* * *
多くの観衆が私が入った聖堂の周りを囲っている様子を窓越しに見ていると、皆が貴女様の来訪を歓迎しているのです、と神官長と名乗る老人はにこやかに言った。
聖女襲名の義は聖堂に籠って結界を補強し直す事で完了するらしく、私は神官長と二人、このこじんまりとしながらも美しい小さな教会のような場所に放り込まれていた
でも急に聖女と言われたって私には何をしたら良いのか全く分からない。
そもそも聖女とはもしや生贄の隠語ではないのかと恐る恐る尋ねると、神官長は驚いて瞬きをして、それから改めて王様の非礼を詫びてくれた。
神官長は、聖女は聖言を歌う事で結界を張る事が出来るのだと言った。
どんな設定だ、と思わなくもなかったけれど、ただ単に歌えば良いだけならそれ程難しくも無い要求だった。
聖言集というものを見せながら色々と説明されたが、とどのつまり聖女はこれ全てを覚える必要があるとの事だ。
辞書のような厚みを持ったそれについうんざりした表情を見せると、神官長とやらは笑って今日は初めてだから本を見ながら歌ってくれて良いと言った。
さあどうぞ、と、とても歴史を感じるような装丁の楽譜を手渡してくれたけれど――自分の知っている方法で記されてはいなかった。
私はただの元アイドルであって、音楽を専攻に学んだ経験はない。
あまりマニアックな楽譜を持って来られても音程が取れる訳がなかった。
それを伝えると困ったような顔をしてから、ならば旋律に合わせて適当に歌ってください、と言われた。
……その聖女の歌とやらはそんなに緩いものなのだろうか。
そんな適当に歌っていたら結界とやらは張り直せないのではないだろうか、という疑問はすぐに別の形で現れる事となった。
早速聖女としての力を開示してくれと言われ、その方法を老齢の神官長が私に口伝した時に問題は発覚したのだ。
先導する旋律に合わせて滑らかに音を口ずさみ、聖言を載せて歌う。
初見の歌としてはまずまずの出来に思われたが、曲が進むにつれ神官長の表情が困惑に歪み、ついにその手が楽器から離れた。
「誠に理解しがたい事ですが――貴女は聖女様ではありません」
聖女としての加護の力が発現する発現しない以前に、神力が私の中に存在しないのだと言った。
神官長は間違いなく聖女の召喚に成功したはずなのに、と蒼褪めた表情で言った。
けれど現に此処には私一人しか拉致されてきた人間は居ない。
これは一体どういう事だ。
っていうか私、人違いで拉致されたのだろうか。
念のために「聖女」ではない私の扱いはどうなるのかと、今にも倒れそうな顔をした神官長に聞くと、聖女を騙った罪で処刑されるだろう、と真顔で言った。
待ってほしい。
もしかしたら「聖女の力」とやらをどっかにぶつけて落としてきてしまったのかもしれない。
拉致された直後の事を思い出そうと必死に記憶を漁って、漁って、漁って。
―――そしてようやく、自分の傍にピンク色の部屋着を着た少女が転がっていたのを思い出したのだ。
大慌てで神官長と共に召喚場所に居たはずのもう一人の少女を探し出すと、城の一角の空き部屋で眠っていたのを侵入者として処分される直前のところであった。
誰からも放置されていた為仕方なく空き部屋を見つけて籠城していたら、不審者であるとして衛兵に捕まってしまったのだとか。
とにかく、私にとってもその子にとっても間一髪だった。
彼女は私の従者だ、と衛兵に主張して無理矢理聖堂に連れ込むと、泣きじゃくる彼女は腰が抜けたように座り込んだ。
神官長に穏やかに、しかし根気強く促されてその子が聖女としての力を発現すると、後は話が纏まるのも早かったように思える。
彼女が口伝されたばかりの歌をたどたどしく歌うと、一瞬だけ胸の奥から光が溢れ出た。
音程は安定していないし掠れた歌声だったけれど、私が歌った時とはまるで違う反応だった。
――私に見えたのはその一瞬だけだったが、その閃光は瞬時に国中を駆け巡り新たな聖女の誕生を告げた。
その不思議な光を見て、ようやく私はこの世界が自分の知っている世界ではない事を何となく受け入れた。
理屈ではなく、何となくここは本当に異世界なのだと思ったのだ。
「異世界」から来た為か私にはよく分からなかったのだが、神官長に言わせると、その子は今までに無い程の資質を見せたそうだ。
そんな素晴らしい彼女をうっとりと見たあと、先刻素晴らしい程に見事な演技を見せつけていた私を、神官長はじとりとした目で見据えた。
言いたい事はよく分かります。
でもちょっと言わせてもらいたい。
確かに悪乗りした私に非はあるけれど、同じ陣の中に居た人間を見落としていたのは何処の誰だ、と。
あんなにも堂々と自らを騙る人間が居るとは思いもよらなかったのだと溜息を吐いて、そして小さな声で神官長は、貴方の方が聖女であれば、と呟いた。
聖女という存在に求められる資質が先程の不思議な力だという事は分かったけれど、それに加えてある程度の度胸というものがなければこの世界は生きていけないのだろうという事もまた、私はこの騒がしい一日を通して気付いてしまっていた。
その点、その、こう言っては本当に申し訳ないのだけれど―――本物の聖女である彼女は人前に立つ事は向いているようには見えないし、そもそも明らかに人見知りする子だったのだ。
なんというか、神官長と私に挟まれてびくびくしている様子は、まるでウサギのようなか弱さだった。
まるっきり喰われる側の存在だった。
昨今は破滅思想が国に流行っており、どうせ世界が終わるのなら享楽的にという風潮にあるのだという。
それは、何も民の間で流行っているばかりではない―――貴族や、王族までもその考えに侵されているという。
自らの胸から溢れ出た光に困惑し、ひたすらに泣き続けているこの子では、陰謀渦巻く王宮や神殿の事情に立ち向かうなど出来はしないだろう。
更に言うなら、先程「聖女」は王様と謁見を済ましてしまっているし、多くの関係者が「聖女」降臨の儀を目撃してしまっている。
今更これが間違いでしたなんて言ったらあの王様が何と言うか。
それに、二人を異世界に戻してあげる事は王様や民が認めないだろう。
そう哀れみながら困惑したように考え込む神官長は、このままだと二人とも自滅するか処刑されてしまいかねない、と呟いた。
ちらり、と私を横目で見やって。
……言外に要求を突きつけ、私自らそれを選ばざるえない状況を作り上げるその表情は本当にわざとらしかった。
役立たずな私は同郷の人間として本物の聖女を叱咤激励し支えるか……もしくは、そういう事だ。
あの自称王様と同じく、この男も大層嫌な奴だったのだ。
半眼で神官長を睨むと、特に貴女には選択権は無いでしょうねと微笑んだ。
まあ、兎にも角にも神殿の外から聞こえるざわめきが、いつここに踏み込んで来るとも分からない。
急がなくてはならなかった。
まずは取り敢えず恐怖で困惑している彼女を落ち着かせる為に、同郷で同じ境遇の人間が目の前にいる事を認識させなければならない。
信じてもらえるかどうかは分からないけれど、その上でじっくりと交渉しよう。
ひたすらめそめそと泣く少女に目線を合わせる為に膝を付くと、少女は伸びきった前髪の奥でびっくりしたようにぱちぱちと目を見開いた。
「え……あ、あの……キリエ・ティーナ様ですか!?」
やってて良かった、アイドル活動。
一発で認知してもらえるとは流石に思っていなかったけど。
名乗らずとも私を同郷の人間だと悟ると、少女はうわああああと、か細い声で叫びながらおろおろと所在なさげに首を振った。
「初めまして、私はキリエ・ティーナ。本名は佐藤桐英よ」
「わああああ!わ、私、神谷里菜って言います!あの、あくしゅ、握手してください!」
警戒されないように微笑みながら手を差し出すと、自分の手を部屋着にごしごしとなすり付けてから触れるか触れないかの微妙な強さで握手をされた。
それじゃ握手にならないから、と此方から握ると何事かを叫びながら顔を真っ赤に染めた。
何だ、この子。可愛い。
「さっきは助けに行くのが遅くなってごめんなさい。私にも何が何だか分からなくって……」
思い出せなかったのだけが理由ではない。
これは本当だ。
そう言って謝罪すると、里菜と名乗る少女はぶんぶんと首を振って感謝の言葉を口にし続けた。
騒ぐ私達を見てほんの少しだけ首を傾げていた神官長は、お二人はお知り合い、もしくは主従の関係かと聞いてきた。
そうではないと答えようとすると、里菜は興奮したように私が「アイドル」だった事、自身は私の「ファン」だった事、グッズも沢山持っている事、CDは複数枚買いをして特典を集めていた事などをまくしたてた。
……異世界に来てまで自分のファンだと名乗る人に会う事となるとは、流石に思いもよらなかった。
興奮したように頬を紅潮させる里菜と表情が一気に固まって蒼褪めた私を見比べて、神官長はよく分かりませんが、そうでしたか、と一言だけ言ってその話を切り上げてくれた。
「さて、それでは説明をさせて頂いても宜しいでしょうか」
「ええ。私も一度状況を整理したいところですので」
「え……は、はい。お願いします……?」
神官長は朗朗とした声でこの国が晒されている状況、そして聖女を召喚するに至った経緯を口にした。
曰く、この国は存亡の危機に瀕している。
曰く、この国は結界が無ければ直ぐにでも魔獣が攻めてきて崩壊する。
曰く、聖女は聖言を歌って結界を張る役目がある。
曰く、聖女は聖国の象徴である。
先程里菜に歌ってもらった事で判明したのだが、どうやらキリエは本物の聖女である里菜を召喚する際に巻き込まれただけのただの人間であるらしい事。
つまり、里菜こそがこの国を救う聖女様である。
この国の守護者であり、御旗であると。
そこまで聞いたところで、神谷里菜は顔を蒼褪めさせて後退した。
それはそうだろう。
先程まで剣を向けられて生きるか死ぬかの目に遭わされていたのに、ここに来て急にこの国を救ってくださいと言ってくるのだ。
人間に対して躊躇いもなく刃物を向けてくる人達の前に立って、御旗にならなければいけないだなんてそんなの恐怖でしかない。
オロオロとしたように首を振ると、さっきまでの興奮子を微塵も感じさせないような様子で、里菜は私の影に隠れて小さな声で主張した。
「その、あの、私……ただの引きこもりだし、人前に立つなんて……。それに……それに、キリエさんの方が聖女様らしい、です」
「そりゃ私は場数踏んでる自信あるけれど」
そりゃあ人前に立った回数は数知れないけれど、そんなものはある程度慣れだろう。
人前で堂々と意見を言えるようになれば、怯える事も心が挫ける事も回数は減る。
まあ私の場合、堂々とし過ぎた結果、聖女と間違えられてしまったなんていう恥ずかしい事態を招いてしまったが。
「……私なんか、ブスだし鈍臭いし馬鹿だし引き籠りだし、きっと何かの間違いですよ…」
そう言ってしくしくと泣き始めてしまった里菜を見て、神官長は大きなため息を吐いた。
これではどうしようもありませんね、と。
いや待ってそこで諦めないで。
彼女が立派に聖女として先程の人は間違いでした、私が聖女です、でも先程の人は殺さないでください、と王様に取り成してくれなければ私は間違いなく殺されてしまう。
彼女の性格的にそれが難しいであろう事は何となく分かった。難しいよりかは無理と言った方が適切だろう。
でも、それでも私はまだ死にたくない!
「なら、私が表向きの聖女を演じるから。貴女は部屋に篭って祈るだけでも良いの!そうすれば私も殺されなくて済むから!」
泣き続ける里菜の手を取ると、必死の形相で此方の事情と提案をまくし立てた。
対外的な事は全て私が対処する、神谷里菜は神殿にて結界を張るだけで良い、貴女は私が守る、と。
つまり私が「聖女」の役を演じる、と。
パニックを起こしていた自称引きこもりの少女は、涙目でこくこくと頷いてこの提案に飛びついた。
彼女もまたこの世界は肝が太くなければ生き抜けない世界だと気づいていたから、私の提案に飛びつく以外の方法はなかったのだ。
だってこの世界で頼れるのは、信じられるのは、同じ境遇の人間だけだった。
それで良いかと里菜を背に隠しながら問うと、神官長は申し訳なさそうに髭をなでながら頷き、もう一度だけ謝罪した。