Series-5「悪夢の始まり」
昼間の日差しが嘘のように、今は爽やかな風が吹いている
街は静まり返り、この時間帯にしては道も比較的空いている
もうすぐ夜が町を包み込もうかというときに、俺たちは目的地に到着した
「ちわーす」
「おー来たか、直ったぜ、お前のS15」
工場の前で腕組みして待っていたマツさんの後ろには、小気味良くアイドリングするブルーのS15があった
「原因は何だったんすかね」
俺は開いていたボンネットの中で静かに踊るSRエンジンを覗き込む
「おそらくインジェクターだと思う、高回転回したとか、大きな負荷がかかったせいで調子を崩したんだろう」
「でもなんでアイドルだけだったんすかね」
ボンネットダンパーではない、ボンネットステーとでもいうのだろうか、そいつを外して、ボンネットを閉めつつ、俺は素人丸出しの質問をする
「吹く量が少ないからな、水道の蛇口で考えればわかる、多少水漏れとかしてても、全開まで開いていればそんなに変わらない、ところが、チョロチョロ出すような時だと、漏れる方のが多くて、うまく水が出なくなる、それといっしょさ」
俺は右側、マツさんが左側のボンピンを閉める
「なるほど」
「それよりお前、由衣ちゃん怒らせたのか?」
マツさんが後ろに視線を送る
振り返れば、由衣は16のフェンダーに腰掛け、何かを考え込むように虚空を見つめていた
「なんか様子が変なんですよね、今日もさっきまで海に居たんすけど・・・」
「海!?良いなお前ら、青春の夏だな!でも青春の夏って矛盾してるな、春の夏ってどっちなんだ?」
何を言ってるんだこの人は・・・
「とにかく、このまま乗って帰っていいっすよね、S15」
「ん、ああ、いいよ」
俺はマツさんから鍵を受け取り、車に乗り込む
「おーい由衣、そろそろ行くぞー」
俺が声をかけると、由衣ははっとしたように顔を上げると、俺の方に走り寄ってきた
「ね、お茶しない?」
「いいけど」
「じゃ、No.3まで競争ねっ」
そう言って、由衣は16に飛び乗り、来た道を戻って行った
「ちょ、ちょっと待てよ」
俺も慌ててギアを入れ後を追う
エンジン掛かってるのにスターター回したなんてまさかそんなこと・・・
横寺峠の入り口のところに、小さな喫茶店がある
名前は「珈琲喫茶No.3」
24時間営業なので、この辺の走り屋の溜まり場になっている
何故No.3なのかと言えば、マスター曰く「一位だと常に勝ち続けなければならないし、二位だとやっぱり打倒一位を目指したいじゃないですか、それならいっそ三位ぐらいの方が案外気楽だったりするんですよ」とのことだった
車を止め、店へと向かう
本当に小さな店だから、駐車場もお世辞程度にしか無い
にもかかわらず、いつも必ずマスターの愛車である深緑のカプチが止まっている
最悪峠を少し上れば、駐車場はある、俺はそういう時は大体路駐だけど
扉を開くと、小さな鈴が鳴る
それに気付いた人影が、グラスを拭く手を止めた
「いらっしゃいませ」
この人が、この店のマスターその人だ
きっちりと分けられた白髪と蝶ネクタイがトレードマークで、フィリピンの血が入っているらしく、丸々と太っている
純日本人では、こういう風船のような太り方はしない
性格も、その外見を裏切らない、おっとりとしたものだ
奥さんが亡くなってからは、この店をマスターひとりで切り盛りしている
「お連れ様がお待ちですよ」
そういって、マスタ-は窓際の席を指差した
「ははは、了解です」
結局、スタートで不協和音を鳴らしていた俺が先に出た16に追い付ける筈もなく、勝負はあっけなく着いた
俺はナラシの為にわざとゆっくり走っていただけだもん
敗者の訪問に気付いた由衣は、読んでいた湾岸MIDNIGHTの4巻から顔を上げた
この喫茶店には、湾岸MIDNIGHTやシャコタン☆ブギ、頭文字Dなどの走り屋漫画が所狭しと並べられている
欧風でいつもゆったりとしたジャズが流れているお洒落な店内には少々不釣合いで、コレジャナイ感がある
かといって、似合う漫画を俺は知らないけど
「ご注文は、何になさいますか?」
何にするったって、そんなものは確定事項だ
「じゃ、いつものカフェオレで」
俺、実は割と甘党
「かしこまりました」
マスターは棚からカップを取り出し、コーヒーを淹れ始めた
椅子を引き、俺は由依の向かいに腰掛ける
さっきから由依はコーヒーカップをじっと見つめている
甘さ当社比2倍の俺専用コーヒーが運ばれてきても、反応はない
いつもだったらここで「よくこんな甘いの飲むよねー」なんて言うのに
「どうしたんだ由依、悩んでることがあるなら話してみろって、俺じゃ力になれないかもしれないけど、誰かに話すだけでも違うっていうし・・・」
俺が言うと、由依は前髪を梳きながら、ゆっくりと顔を上げた
「うん、実は・・・さ」
予想もしていなかった答えが返ってきた
俺は足りない情報を得ようと、質問を返した
「いつ知らされたんだよ」
「昨日」
「出発は」
「夏休みの終わりには・・・あっちの生活に慣れるまで、時間かかるだろうし」
「お前だけ残るってことはできないのかよ」
「うん、それも考えたの、私とお母さんだけ今の家に残ることも・・・」
続きを言いかけて、由依は言葉を詰まらせた
「だったら何で!?」
「でも、家族が離ればなれになるのは、やっぱり不安・・・国内ならまだいいけど・・・さすがに海外となると・・・」
由依は、父親の転勤に合わせて、引っ越すそうだ、アメリカに
この夏いっぱいで、由依が居なくなる
その受け止めがたい事実に、俺はそれ以上、何も言えずにいた
そんな時、窓の外に聞き慣れた排気音が聞こえた
排気音は峠を上って行き、消えた
しばらくして喫茶店の扉の小さな鈴が鳴る
俺は座ったまま振り向く
「わりぃなもも姉、車止めるとこ無かったろ」
「別に良いって、元々上に止めるつもりだったし」
「そっか、俺たちはもう少ししたら行くから」
「わかった、また後でな」
そう言って、もも姉は店を後にした
「アキラ、このことは、みんなにはまだ黙っててくれないかな」
「ああ、それは構わないけど、最後まで隠したままって訳にはいかねーぞ?」
「うん、それは分かってる、時が来れば、きちんと話すつもり」
「ならいいんだけどよ・・・」
その後、俺と由依はしばらく話し合った後、歩いて峠を上った
喫茶店から駐車場までは歩ける距離だ
駐車場に着くと、既に多くの走り屋が集まっていた
その中に未来とキャシーの姿を見つけた
「あーたん!」
「よっ、他の奴らは?」
「和輝さんと萌さんは、車を取りに行ったので遅れます、服部さん達は・・・」
未来がそう言いかけると、数台の車が峠を上ってきた
「どうやら来たようだな」
「ですね」
先頭は見覚えのあるイエローのS2、服部だ
2台目は初めて見るな、ガンメタの32GT-Rだ
2台は駐車場に入ると、並んで止められるところを探し、車を止めた
32から降りてきたのは岩田だった
丁度その時、これまた見覚えのある白い32と、ショッキングピンクの180SXが上ってきた
兄貴と
「やっほー!お兄ちゃーん」
萌だ
いつもの場所に32を止めると、兄貴が降りてきた
「よっ、アキラ」
「うっす、あれ、GT-R顔にしたのか?」
「まぁな、Rルックバンパーって奴だ」
「前のエアロの方が格好良かったな」
「吉野家の駐車場で割っちまったんだよぉ」
「最近は直すより買った方が安いからなー」
なんて話をしていると、近付いてきたのは服部と岩田だ
「おぉ、和輝さんR乗ってんだ、岩田と仲間じゃーん!」
兄貴は小声で「Rだってよ」と笑った
「正確にはコイツはタイプMだけどな、R顔にしてからよく間違えられるんだが、コイツはFRさ」
兄貴が違いを説明するが、それ以前に同じ車種に乗ってれば皆仲間なのか・・・
「GT-RにFRなんてあるんすか、へぇー知らなかったなー」
「ちげーって、GT-Rとスカイラインは別の車よォ、タイプMは、スカの最上級グレードだ」
岩田がさらに補足する
「流石Rに乗ってるだけあって、その辺は詳しいな」
「でも何でわざわざFRなんだァ?」
「そりゃお前、FRにしかできない走りを売りにしてっからだろ」
「なるほど、つまり速さよりパフォーマンスって訳かョ」
「いやいやいや、走り屋たる者、速さを求めない訳ないだろ、一応俺はこの峠のレコードホルダーだ」
兄貴が言うと、岩田は口元を緩ませる
「この峠もレベルが知れてんなァ、ドリフトスタイルで頭張れる程とは」
「んだと!」
俺は話に割って入ろうとしたが、兄貴に止められた
「言っておくが、そこいらのガキのドリフトとは訳が違うぞ、俺のは、グリップより速いドリフトだ」
「いやいや、それはありえねェ、グリップこそ最速のスタイルだ」
「論より証拠だ、一本走ろう」
「望むところよ、後で泣いても知りませんぜ」
「上等だよ」
2人共、言葉の端々にエッジが立ってますよ・・・
峠の入り口に、2台の32が並ぶ
「勝負はヒルクライム一本勝負、対向車は来ないから安心してくれ」
兄貴は車から降りると、岩田に一通りルールを説明し、再び32に乗り込んだ
「大丈夫か兄貴」
歩道にいた俺は、32のルーフに手を置き、運転席を覗き込む
「大丈夫だって、俺がFRを選ぶ理由は前に話したろ」
「そうだけど・・・」
「あん時は小難しい理論を並べたが、正直なとこ、俺はただR乗りって奴が、嫌いなんだよ」
「・・・それで納得したわ」
「だろ」
「カウント始めるぜぃ」
いよいよバトルが始まった
GOサインと共に2台ほぼ同時に飛び出す
スタートでシクっているようではお話にならない
「あんなこと言ってっけど、ホントはRが高くて買えなかっただけなんじゃないすかー」
スターターをやった服部が話しかけてくる、いちいちウザい野郎だ
「それはないだろ、新車ならいざ知らず、Rもスカも中古車市場なんて大差ないだろ、それに兄貴は、数あるGT-Rの中からわざわざタイプMを探した程だしな」
「でもなんでスカイラインなんすかねー、S2000やシルビアで良いじゃないっすか」
「多分俺がS15に乗ってっからだよ、兄貴なんだから、どうしても格上の車が良かったんだろ」
「面倒くさい人っすね」
「て言うか大体、お前が間違えなければこんなことにはなー」
「ハハ、確かに、でも見てみたくないすか、同じFR使いとして、グリップより速いドリフトを」
見たいか見たくないかと聞かれたら、見たい、めちゃくちゃ気になる
「よし、服部、着いて来いよ」
俺は歩いて峠を下る
服部も後を追う
「どこ行くんすか、ツレションすか」
「バカ、違げーって、追うのさ、2台を」
喫茶店に着くと、俺たちはS15に乗り込み、峠の入り口へ向かう
「シンデレラ城のミステリーツアー、出発!」
「言ってろ」