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芝桜の恋

 春の柔らかな空気が辺りに満ち満ちた、此処、東雲城。

 賑やかな子供の笑声が(こだま)するこの城は、戦国の世とは思えぬ程の、穏やかな雰囲気に包まれていた。


「今日も変わらず、穏やかなる日和でございますね、お鶴」

「はい、誠に…奥方様」


 二人は縁側に腰掛け、庭先で駆け回る幼き姫君を、微笑ましげに見守っている。


「奥方様の御入籍に、櫻様の御生誕、此処東雲の地は、年を追う毎に明るい色に染まってきております」

「誠にございますか」


 照れているのか、葵は少し伏し目がちになってしまった。


「…それは、義久様の外交術あればこそ。あのお方の御蔭で、世は漸く泰平へと向かっているのでございます。…櫻には、この平和な世で、沢山の幸せを感じて生きてほしいと…それが、私と義久様の願いでございます」


 そう言うと、葵はまた無邪気な我が子に視線を戻した。


「奥方様、この平和な世を喜んでいるのは、何も貴女様のみにはございません。すくなくとも、この城の者は皆、各々の生活に希望を抱いております」


 お鶴もまた、桜吹雪の中を駆け回る櫻に視線を移して、目を細めた。


「…ですが、」


 意味深に言葉を切ったお鶴に、葵は急いで視線を合わせる。


「…何でしょうか?」


 すると、お鶴は楽しそうに微笑んで、後に続く言葉を発した。


「皆が皆、幸福である、というわけでは、ございません」


 葵は、お鶴の指す言葉の意味を、測りかねた。

 確かに、これだけの人々が住まう東雲城だ。

 中には今の生活に満足出来ぬ者もいるだろう。

 しかし、それを今ここで指摘するお鶴の心情が、察せられないのだ。


「それは…そのような方も、中にはいらっしゃるのかも知れませぬが…」


 お鶴は一体何を言いたいのだろうか、と葵は訝しげに眉根ひそめた。

 その様子が可笑しかったのが、お鶴はくすくすと笑い出す。


「かように悩まれずとも。ただ、ほんの少し、奥方様の御協力さえありますれば、幸いとなる方々も中にはいらっしゃるのでございます」


 葵は、漸く合点がいった。つまり、お鶴は何らかの協力を求めていたのだ。


「それならそうと、早く言ってくださいませ!喜んでお手伝い致します」


 お鶴はにっこりと微笑むと、襖に向かって声をかけた。


「だそうですよ、小春さん。どうぞお入りくださいませ」

「は、はい!失礼致します…」


 控えめに入室したのは、まだ年若き、櫻の生け花の師範役、小春であった。



――時を同じくして。


「だそうですよ、成直(なりただ)殿。どうぞお入り下さい」

「失礼致します」


 東雲城城主の部屋の、豪奢な障子が静かに開かれた。


(それがし)の如き下賎の者が、殿の室の敷居を跨ぐこと、どうか、お許しください」


 現れたのは、精悍な顔つきの青年であった。

 歳の頃は、義久より幾分若いはずなのだが、その纏う空気によって、実よりも遥かに大人びて見えた。


「遠慮は無用だ。いつまでそこに突っ立っている。早く入れ」


 義久からの信頼も篤いようだ。

 彼は、この城きっての武者である。

 知にも長けるが、驚くべきはその武功。しかし、それを(おご)る気配は微塵も見せない。

 身分は、さほど高くはないのだが、実力だけで言えば、城中で五本の指には入るだろう。


「お前程の者が俺に助けを求めるとは、一体何があったのだ?」


 義久の疑問は、当然と言えた。

 これまで、成直が義久に、仕事以外の話を持ち込んだことはなかったからだ。

 釈然としない表情の義久とは対称的に、予め成直から相談を受けていた霜田秀之は、微笑みながら、先を促した。


「成直殿、ここまで来てしまったのですから、そろそろ諦めてお話しくださいますか?」


 成直は一度低く頭を下げると、義久の目に視線を合わせて話を始めた。


「…某には、想い人がおり申します」


 一瞬、義久は己の耳を疑った。

 いや、彼も年若い青年であるからしてそのようなことがあったとしても、別段可笑しいことはない。

 しかしそれを自分の主に告げるというのは、一体どういうことなのだろう。

 それも、これまで一度も浮いた話などなかった、この青年がだ。


「それで、それがどうしたというのだ?」


 好奇心、というよりは、心配、といった気色で義久は続きを促した。


「はい。しかし、某には、彼女に如何様に接すれば良いものか、皆目見当がつかぬのです」


 つまり、そういった経験が乏しい故に、相手にどのように接すれば良いのかわからぬということか。


「霜田様に相談奉りましたところ、そういったことは殿に、と」


 義久は、秀之を睨んだ。

 何ということを勝手に引き受けてくれたのだと、ささやかな反抗を示す。


「秀之」

「はい」

「何故、俺なのだ」


 秀之は落ち着いている。


「義久様も、随分御苦労なさっていたではありませんか」


 事もなげにそう言った。

 義久は、短く喉で笑うと成直に向き直った。


「奴の言う通り、俺もそういったことには疎い。適切な助言は出来ぬやも知れぬが」

「…殿より直々の御助言が頂けるのなら、これ以上のものはございませぬ」

「そうか」


 秀之を許すわけにはいかないが、この若者には何の罪もない。

 義久は立ち上がり、呆然としている成直の眼前に腰をおろした。


「殿!恐れ多い!」


 成直が後ろに下がろうとすると、義久はそれを制した。


「…他の者に聞かれるやも知れぬではないか」


 どうやら、義久はこの話を城の者達に聞かれたくはないらしい。

 成直も諦めた様子で、大人しくそれに従う。

 義久は視線を畳に落とし暫く思案した後、その口を開いた。


「俺には女子の心情など全く理解できぬが、葵の考えならば多少は心得ている」

「奥方様の?」

「あぁ。あやつに接するときは、真っ直ぐでなければならぬ」


 成直は、眉を寄せて難しい顔をしてみせた。


「真っ直ぐ…」


 義久は薄く微笑むと、続きを話し始めた。


「小細工を用いる必要はない。…思うことを感ずるままに伝えれば、互いの間に下手な誤解も生まれぬ」


 余談だが、成直を含む城中の殆どの者は、義久と葵の「下手な誤解」の数々を知っている。

 そのため、体験者である義久からそのように言われると、大いに説得力があった。


「要するに、正直に想いを告げよ、と」

「それが、何よりだ」


 成直は暫くの間、きつく目を閉じ、何やら考えこんでいた。

 そして突然、がばっと平伏した。


「殿、霜田様、感謝の口上を述べたくとも、某の如き一武将では満足な言の葉を見つけることすらかないませぬ。然るに、その言動で示させて頂たく存じます。それでは、失礼致します!」


 そして、慌ただしく退室してしまった。

 義久は呆然としたが、数瞬後、堰をきったように笑い出した。


「若いな」

「私からすれば、義久様もまだ十分お若いのですが」


 二人はかの若き武将の行く末を、微笑ましげに見守りながらも、密かに案じていたのであった。


「上手くゆけば良いのだが」

「大丈夫ですよ、きっと」


 開け放たれたままの障子を、秀之が、静かに閉めた。



――――……



「奥方様はあのようにおっしゃっておられたけれど、本当なのかしら…」


 小春は葵の話を聞き終え、自室へと通じる廊下を静かに歩いていた。

 若き奥方の微笑がちらつく。


「奥方様といい、お鶴様といい、この城の方々はなんてお優しいのでしょう…」


 まさか、あそこまで親身になってもらえるとは思ってもみなかったのだ。

 小春は、恋をしていた。

 それも、身分違いの恋というものを。

 元々、小春は百姓の娘であった。

 家は貧しく、小春も両親を助けるために幼い頃からあらゆる所に出稼ぎに出ていた。

 そのうちの一つで危うい目に遭い、そこをさる方に助けられ、現在はこの城で働いている。

 そして、その小春の想い人というのは、その、命の恩人でもある、真っ直ぐな瞳の青年であった。


「あれは…」


 庭の中央にある池の縁に、その人影が見えた。

 こちら側に背を向けてうなだれており、一見すると池の中を覗きこんでいるかのようだ。


 小春は、声を掛けるべきかどうか迷った。しかし先の葵の助言に背中を押され、静かに庭へと降りて行くことにする。


「うなだれておられるということは、何か良からぬことがあったのでしょうか…なんとかお力になれれば良いのだけれど…」


 小春が池の方へと近づいて行っても、一向にその人物がそれに気づく気配はない。

 その上、何やら池に向かってぶつぶつと独り言を呟いているようだ。

 邪魔をしては悪いかと躊躇われたが、ここまで来てしまったのだから、と小春はそっと口を開いた。


「あの…成直様…?」


 かなり控え目に声を掛けたつもりだったのだが、成直は大袈裟ともとれる程の勢いで飛び上がった。


「こ、小春殿…!」


 成直の目は宙を泳いでおり、心持ち頬には赤みがさしている。


「あの…廊下から成直様のお姿を拝見して…その…お加減が悪いのですか…?」


 成直は間が悪そうに目を逸らした。


「いや…別段そのようなことは…」


 そのとき、先程の義久の助言が脳裏をよぎった。


 ――真っ直ぐでなければならぬ。


 成直は小春を正面から見据えた。

 その、強い光を燈した真剣な瞳に、小春は釘付けになる。


「…少し、練習をしていたのだ」


 不思議そうに小首を傾げる小春であったが、そのあまりに真摯な瞳に、吸い込まれる。


「某は…貴女が愛おしいのだ、小春殿」

「…え…?」


 全ての思考が、停止した。


「そ、そのような世迷いごとを…」


 数瞬後、やっとその言葉を理解した小春が、涙を流しながら呟いた。


「私は、百姓の娘でございます…」

「関係ない」


 小春が、涙に濡れた瞳を見開く。


「関係ないのだ。某は、確かに貴女に惚れ申した。それが全てなのだ」


 成直の瞳は、小春を真っ直ぐに捉えたまま、放さない。


「本当に、私でよろしいのですか?」

「小春殿、どうかこれからは、いつ何時も某の隣で微笑んでいてほしい。貴女でなければならぬのだ」


 初めて言葉を交わしたときから、ずっと温め続けてきた気持ちを、今、やっと吐き出せた。

 どのような結果になろうとも、決して後悔することはない。

 すると、小春が、嗚咽に紛れた声を出した。


「…私も…ずっとお慕い申しておりました…」


 無意識のうちに、成直は、泣きじゃくる小春を抱きしめていた。

 それ以上何を言うわけでもなく、ただ、優しくその腕に力を込める。

 暖かい春風が、そっと二人を撫でていった。



 ――後日、二人の婚姻報告の席で、義久、葵の両名は、顔を見合わせ意味ありげに微笑んだ。



 

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