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二十一、死線

――キィ..ン...


 覚悟していた衝撃がいつまでたっても襲ってこない。

 代わりに聞こえたのは、斧が、刀に弾かれたために生じた金属音。

 代わりに見えたのは、ここにはいるはずのない人物の背。


「御無事…ではないようですが、生きておられて何よりです、斎藤殿。いや、今となっては義久殿とお呼びしたほうがよろしいのでしょうか」

「……!」


 義久は、これが現実だとは、にわかには信じられなかった。しかし。


「そこまで驚かれなくとも。少々遅れてしまいましたが、助太刀に参りました」

「何故…貴殿がここに……笹野政幸殿…」


 話をしている間にも、義久の肩から胸にかけて斬り裂かれた傷口からはとめどなく血が滴り落ちていく。


「…話は後にしましょう。義久殿はどうかそのまま動かず、待っていて下さい」


 義久は、衣の袖を破ると、傷口にきつく巻き付ける。


「問題ない。まだ戦える」

「…貴方は私の大切な妹の大切なお方。私にとっては義弟です。無理をさせて失うわけには参りません」


 義久は薄く笑うと、こともなげに言い返す。


「俺は死なない。そう、約束した。それに、こいつを一人で討つのはなかなか骨が折れるはずだ」


 政幸は、軽くため息をつくと苦笑した。


「そう言うだろうと思ってました。頑固な方だと聞いていましたから。…まったく、似合いの夫婦というわけですか」

「……聞いていただと?」

「まぁ、とにかく今は」


 政幸は刃先を赤田へと向ける。


「私は東雲が同盟国次期当主、笹野政幸。赤田玄介殿、いざ尋常に、勝負と参りましょうか」


 思わぬ人物の登場と、自分の斧が弾かれたことに驚き、赤田は暫く呆然としていたが、政幸の呼び掛けにより漸く我に返った。


「飛んで火に入る夏の虫とはこのことだ!まさか、目当ての国の次期当主が現れようとは!貴殿を倒せば我の目的は全て達せられるのだ!」


 政幸はといえば、相変わらず穏やかな表情で平然としている。


「残念ながら、私はこんなところで討たれるわけにはいかないのです。国のためにも、それから葵のためにも」


 言うなり政幸は、一気に赤田との距離をつめた。

 そのあまりの速さに義久でさえ目を見張る。

 あっという間に自分の間合いに踏み込まれた赤田は、焦っていた。

 何だ、この速さは。この眼光は。争いを好まぬ小国ではなかったのか。

 今や赤田は、秀之の駿刃から逃れるための算段を、必死で探し始めていた。


「貴方の考えていることは大方予想できます」


 対する政幸は確実に急所を突きながら、涼しい顔で話し始める。


「争いを好まぬ小国。故に我らは刀もろくに振るえぬ腑抜けだと、そう考えておられたのでしょう」


 完璧に図星だった赤田は更に焦る。


「確かに、私は争いを好みません。しかし、好まぬものを避けられるほど、現実は甘くはありません。仮にも私は次期当主。無能な主に、一体誰がついて行くでしょう。…私は、強くあらねばならぬのです」


 義久には、そんな政幸と葵が重なって見えた。

 その強い意志を秘めた瞳、折れることのない芯。

 やはり、この男は、彼女の兄だ。

 そんな場違いなことを考えていた、正にそのとき。


「…その程度の腕で、我が倒せるか!!」


 赤田の顔には不気味なほど赤みがさしており、目は鬼のように血走っていた。

 まずい。

 瞬時にそう判じた義久はすぐに加勢に入る。

 二対一、一見分があるように思われるが、赤田はただでさえかなりの巨漢。

 平素からその怪力、打たれ強さは諸国に恐れられている。その図体は、大抵の斬撃を無効にしてしまう。どうすれば。

 朦朧とする意識の中、必死で良策を探していると、いつの間にか政幸が隣に立ち並んでいた。


「義久殿」


 息を切らした政幸が目に映る。


「共に、右側から崩しましょう」

「…やはり、それしかないか」


 一人一人の攻撃が通じないのなら、共に一箇所を攻めるより他はない。

 しかし、何故、右側を狙うのか。

 義久は、それとなく赤田の右半身に視線をやった。

 そして、驚く。

 赤田の胸から腹にかけて衣に朱い血が滲んでいた。

 義久は、無意識のうちに返した一撃を思い出す。

 まさか、あの一撃が最後の活路となるとは。


「…承知した」


 政幸が素早く切り込み相手の隙を作る。

 義久は刀を握る手に力を込めた。

 もう、意識も長くは持つまい。既に刀を握っている感覚すら、残ってはいない。果たして、この手で刃を突き立てることなどできるのだろうか。

 そんな弱気な考えに、自らに刀を立ててしまいたい衝動に駆られる。

 こんな迷いはいらない。必要ない。ただ、前だけを見ろ。全力を込めるだけだ。


 そのとき、ついに、赤田が体勢を崩した。

 義久は、大きく一歩を踏み出す。背中の引きつる感覚と、腕の軋む感覚だけが、唯一のものだった。

 そして、気づいたとき、眼前には、仰向けに倒れる赤田の姿があった。


 気の抜けた義久は、視界が揺れるのを感じた。そのまま、体の力が抜けていく。

 しかし、地に倒れることはなかった。


「おっと、大丈夫…そうではありませんね。もう少し堪えられますか?今、軍医のもとまで連れていきます」

「…すまない……」

「何を言っておられるのですか。水臭い」


 義久が返事をしようとした瞬間、辺りに、赤田の笑い声が響き渡った。


「ハハハハ…!…無駄なこと!」

「何…?」

「貴殿らは何一つ守れやしない」

「…それはどういう意味で?」


 赤田はなお、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら続けた。


「吉田の軍勢が桜の君を迎えるため、東雲城へと向かっている。城主不在、兵による警備も手薄なあの城が落ちるのは時間の問題だ!」


 義久は信じられないといった顔をする。


「吉田氏は、父の代からの同盟国だ。そんな馬鹿な話が」


 そのとき、政幸の部下の一人がよろめきながら走ってきた。


「政幸様!!霜田秀之殿率いる軍勢が、一名たりとも欠けることなく赤田の軍勢を破ったとのこと!」


 義久は家臣、それから兵の無事を聞き、肩の力が抜けていくのを感じた。

 しかし、それも束の間のことだった。


「また、吉田に不審な動きあり!昨日城中の兵を東雲へ向け、発たせたとのこと!」

「……!」

「…これは、のんびりしてられませんね、義久殿」

「…あぁ」

「義久殿の手当てが終わり次第、ここを発つ。皆に伝えてくれ」

「はっ」


 義久は手負いの自分を恨んだ。手当ての間も気ばかりが急く。遠のいては寄せる意識が、更に苛立ちを加速させる。

 そしてとうとう、彼は軍医を押しのけ、立ち上がった。


「義久様、なりません!」

「手当てなど必要ない。俺は先に行く」

「義久様!」

「馬をここへ持て」


 騒ぎを聞きつけた秀之が駆けつけたときには既に、義久の姿はほとんど見えないほどになっていた。

 辺りに滴り落ちた血の量に、秀之の顔が青ざめる。


「義久様…!」


 震える手を握りしめる秀之の背を、同じく駆けつけた政幸が押す。


「霜田殿、追いますよ」


 疲弊しているはずの兵までも、既に彼の後を追い始めた者すらある。

 秀之は、最悪の想像を振り払い、ただちに馬に跨った。


 

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