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十九、道中

――出立より二日後。


 現在義久らは規則正しい馬の動きに合わせ、上下に揺られながら、山道を駆けている。目指すは、矢之原しのはらの地。


「義久様、この調子ならば、今日明日には矢之原(しのはら)に着けそうです」

「そうか」


 此度の戦の目的は、侵略ではなく、ただ、守り通すことだけ。敵軍に自分の領地を侵される前に、その進行を阻まなくてはならない。

 故に、国境付近、もしくは国境より外側で、敵軍を退ける必要がある。


 敵軍の進行状況を確認させてみたところ、自軍のほうがより早く国境に辿り着けると踏んだ。

 そこで、義久らは、父の代からの同盟国、隣国の吉田氏の領地で敵軍を迎え討つことにした。

 既に吉田氏には書状で了承を得ており、戦場には、敵軍が橋を渡った後、必ず通らなければならない矢之原が選ばれた。


 吉田氏はまた、共に挙兵しようと申し出たが、それは義久が断った。

 代々吉田家は、戦を好まず、中立的立場を貫いてきた国である。その立場を此度の戦のために失わせてしまうのは、少々気の咎める話だった。

 吉田氏にこれ以上迷惑をかけてはならない、と義久は密かに心に決めていた。

 彼らには、父の代から度々世話になっており、義久の幼き頃には、足繁く通い来て、何かしらの施しをし続けてくれていたのだと聞いている。

 そんな同盟国に、これ以上の負担を強いるわけにはいかない。

 とにかく、此度の戦では、何人たりとも傷つけてはならないのだ。



――――……



 山を抜けると村に出た。

 確か、この村は国の外れに位置していたはずだ。予定していたより幾分早く進んでいることを確認し、義久は内心胸をなで下ろす。


 その村では、人々が鍬を振るい、次の田植に備えて田起こしをしていた。

 皆生きるのに一生懸命なのが、傍目に見ても明らかで、義久は僅かに眉を寄せる。隣国は吉田の領地であるとはいえ、国境沿いの村々の苦労は想像に難くない。

 それでも何故か、人々は生き生きと田を耕している。

 子供達でさえ、はしゃぎながらもきちんと手伝いをしていた。


「義久様」


 急に後ろから声をかけられ、義久はゆっくりと秀之と視線を合わせる。


「これが貴方様の誠に背負っておられるものです。この者達の明日は、貴方様にかかっています」


 これまでも、国を治めているという自覚はあった。幼き頃はその重責から逃げ出したいと、何度も願った程だ。

 しかし、その認識していた「国」は地図で見るようなただの空虚な「形」に過ぎなかったのだ。


 国とは、単なる土地ではない。

 その地に住む民、植物、総ての生きとし生けるものを指す言葉だった。


「そんなことにも、これまで気づかなかったのだ。領主失格だ」

「そんなことはありませんよ」


 いつになく真剣な表情の秀之が、義久をじっと見つめている。


「貴方様はこの国をここまで豊かにしたのですから。恐れながら、これからは私共も、共に背負って参ります」


 そのとき、一人の民が、兵のかかげている旗の紋に気づいた。


「あ、ありゃあ…!えれぇこった…!おい!おめぇら!領主様がいらっしゃるぞ…!」


 その声に反応し、農民達は次々と鍬を放り出し、地にひれ伏す。あれだけ賑わっていた村が、一瞬のうちに静まり返ってしまった。

 そんな張り詰めた空気の中、一人の少年が義久のもとへ歩いて来た。

 誰もが息を飲み、兵達はその子供を止めにかかろうとする。

 しかし、義久は兵に下がるように命じた。


「良い。黙っておけ」


 義久は自ら馬を降り、その子のほうへと歩みを進める。

 彼は、義久と向かい合うと、きちんと一礼をした。


「何か用か?」

「これを…」


 そう言って子供が差し出したのは、黄色く色づいた菜の花だった。


「これは?」

「この近くに沢山咲いてる所があって…いつか、斎藤様に会えたらお礼が言いたかったから」

「俺に…?」

「うん。おっとうとおっかあが言うんだ。この国が平和で、僕達がこうやって暮らしていられるのは、斎藤様のおかげなんだって。僕も、そう思うから」

「良太!!」


 そのとき血相を変えて走って来たのは、恐らくこの少年、良太の母親だろう。


「申し訳ございません!とんだ御無礼を!どうか、どうかお許しを!」


 母親は、なんとか許してもらおうと、懸命に謝罪の言葉を述べる。


「いや、頭を上げてくれ」

「え……?」


 母親は、目に涙を浮かべたままぽかんとしている。


「良太、でいいのか?」

「うん。良太だよ」

「そうか。良太からこの花をもらったのだが、正直俺はこれを受け取る資格を持っていない」

「資格…ですか…?」

「あぁ。だが、これからは、もっとましな政が出来るよう尽力しようと思う」


 母親は、少しの間考えると、口を開いた。


「恐れながら、私達は、これ以上のものは望みません。田と畑、それから家と家族、それだけあれば十分でございます。ですので、私どもは貴方様に感謝しているのです」


 義久は、思う。

 大切なこの国の、この地の民の、大切なものまで、守り通そう、と。


「約束する。お前達の大切なものは、決して失わせはしない」


 母親は、目を細めると、幸せそうに言葉を紡いだ。


「勿体無きお言葉でございます」



――――……



 あのまま村に留まっていては、人々がまともに働けないため、義久らは早々に引きあげた。

 そして今現在、彼らは川辺で一時の休憩をとっている。

 義久は、別れ際に良太にかけられた言葉を思い返していた。


――斎藤様、僕も頑張って、いつか、斎藤様みたいに強くなりたいな。


「義久様は、幼子に好かれやすいのですかね?」


 後ろから笑いながらやって来た秀之は、義久の隣に座した。


「違う」


 義久はぶっきらぼうに返すと、紅色の握り飯を口に運んだ。


「良いではありませんか。好かれぬよりは、少なくとも。いずれは貴方様と奥方様の間にも…」

「何を言う」

「これは、大変失礼しました」


 秀之は素直に謝り、自らも、紅色の握り飯を口に運んだ。


「これは美味ですね」

「あぁ、そうだな」

「奥方様が作られたのですか?」

「女中がそう言っていた。あいつならこんなものも作りかねない」

「確かに、不思議なお方ですからね」


 義久は常々気になっていたことを、思い切って尋ねることにした。


「秀之、この梅の木を植えたのは、お前か?」


 秀之は少々驚いたようだが、誤魔化しようがないことを悟ると正直に話した。


「はい、私です」


 義久は、満足げに笑う。


「やはりな」

「いつから気づいておられたのですか?」

「最初にあの木を見つけたときだな」

「最初からじゃないですか」


 やはり、この方には敵わない、と秀之は苦笑する。


「心配するな」

「はい…?」

「笹野家との同盟は絶対だ。何時でも迎えに行ってやれ」


 秀之は目を見開く。

 まさか、そこまで見抜かれていたとは。


「…そろそろ発つか」

「そうですね」


 二人が立ち上がると、兵達も身支度を始めた。


「出来ることなら、なんとか今夜中に矢之原にたどり着き、夜営を張りたいものだが」

「少し急げば、あるいは」

「そうか、急ぐぞ」


 地を蹴り、砂を舞い上げて、目指す先は、戦場。

 目指す先は、確かな平和な世。



 

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