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十二、平和

 桜の花を、愛しげに眺める少女がいた。

 その儚げな姿はさながら人の命のようだ、と考えたとき、少女は桜を、更に愛しく思った。


 その少女は、争いを好まなかった。

 例えつかの間の平穏だとしても、皆で穏やかに過ごしていたかった。

 その平穏を信じていたいと、願った。


 人々には限りある儚い命を、愛する人々とともに、幸福に生きてほしかった。


 ただ、平和に暮らしていたかった。


 尊く輝く命の火を、少女はひたすらに愛した。



――――……



 舞い散る花弁を、悲しげに見つめる少女がいた。

 まるで人の命が散っているようだ、と考えたとき、少女の視界は涙で歪んだ。


 その少女は、戦を憎んだ。

 戦に負ければ、何もかもを奪われる。

 戦に勝ち、何かを手に入れたと思っても、結局はそれ以上のものを、失っているのだ。


 それに気づかぬのも、哀しくて。

 例えそれに気がついて取り戻そうともがいても、もう何一つ戻っては来ない。

 何もかもを失って、ようやく失くしたものの重みを知るのだ。


 儚く散りゆく命の火を、誰も気に等留めはしない。


 戦に散った幾多の人々の命など、誰の記憶にも遺らない。



――――……



 少女には、分からない。

 何故、人々は争うのか。

 何時、この乱世は終結するのだろうか。

 そしていつの日か、つかの間の、偽りの平穏ではない、真の『平和な世』が訪れるのだろうか。


「それは、難しい問題だな…」


 兄、政幸が元服した頃、葵はこのような問いを投げかけてみたことがあった。


「それでは、何故兄上や父上は戦われるのですか?」


 政幸は可愛い妹の頭を撫でながら、正直に答えた。


「葵や母上、それからこの城の者、この国の民、全てを守るためだよ」

「兄上は私達を守るために戦われるのですか」


 幼い葵の目に、涙が滲んだ。


「私だけではないよ。父上も、兵達も、皆だ」

「父上も…?」


 葵は目を丸くする。


「あのお厳しい父上が…」


 政幸は笑いながら、それでも真剣に話を続ける。


「そう、父上もだ。父上が何故お前を戦に出さないか、解るか?」

「それは…私が嫁入り前の…」

「父上からそう言われたのか?」

「…はい」


 政幸は更に笑みを深くして続けた。


「葵は本当に強くなったと思う。だが、女子と私たちでは生まれ持っての力にどうしても差が生じてしまうんだ」


 葵は首を傾げる。


「つまり、葵には戦場で討ち死になんて惨い死に方をして欲しくはないんだよ。勿論、私も同じ思いだ」


 政幸はそっと両手で葵の小さな手を包む。


「それに、その綺麗な両手を血に染めて欲しくはない」

「…ですが……」

「もし私達が戦にでなければこの城は落とされ、多くの者たちの命が奪われてしまう」

「それではまるで!兄上達が」

「私達は、好んで己から大切なものを守ろうとしているんだ。守るべきものを持てて私は幸せだ」


 葵は、溢れる涙を懸命に拭う。


「私は、もし…兄上が、父上が、皆が…!戻って来なかったらと思うと…戦なんて…!」

「葵」


 兄の静かな声に、葵は顔を上げた。


「何故戦が起こるのか、何時真の平和な世が訪れるのか」


 葵は静かに政幸を見つめる。


「この乱世に生まれた者達は皆己の誇りや、理想をかけて戦っている。利己的な野望のために戦う者もいるが、そのような者はすぐに滅ぶ」

「兄上も…?」

「あぁ。私の理想は泰平の世だ。皆で穏やかに暮らしたいだろう?」

「……はい…」

「理想があるなら、行動しなければならない。私も戦は好まないが、この戦いの果てに、平和な世があることを信じたい」

「…私はそれでも、戦は嫌いです。……でももし、兄上や父上、皆が、必ず帰って来ると約束してくださるなら…」


 政幸は困った様に笑いながら、また葵の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「葵は本当に泣き虫だな」

「兄上…!」

「大丈夫だよ。私達は絶対に生きて帰って来る。約束だ。だから、私達が留守の間は、この城を頼んだよ」


 そういえば、戦前に、兄上が泣いたり、苦しんだりしている姿を見たことがない。

 辛いのは兄上のはずなのに、いつも笑いながら頭を撫でてくれていた。

 兄上や父上、それから戦場に出ていた全ての兵は、私どものために、戦い、傷ついてきた。

 それでも、皆、不平や不満はもらさなかったし、何より戦へ出ることを拒まなかった。


 一体、何故。


 何故、哀しいはずの人々が、笑いながら戦場へと向かうのだろうか。


「私の判断は…本当に間違ってはいないのでしょうか…」


 静かな自室で、遠い記憶を辿りながら、葵は静かに呟く。

 これ以上、あのような哀しき人々を増やしてしまって本当に良いのだろうか。

 自ら戦うことを選び、戦に赴くことが、果たしてこの国のためになるのだろうか。

 戦を、止めるべきなのではないだろうか。

 戦場で、全ての命を救うことなど不可能だ。

 味方の兵を助けようと思えば敵兵を傷つけなければならない。

 しかし敵兵にも等しく命はあり、愛しき人の無事を祈り待ち続けている家族や友人、恋人がいるのだ。


「私は…人を…斬れるのでしょうか…」


 出来ることなら、そんなことはしたくない。

 正直なところ、躊躇なく人を斬れる自信などない。

 そう考えていくと、ますます解らなくなってしまう。


「義久様の掲げる理想とは一体何なのでしょうか…」


 まだ春の甘さを残した冷たい夜風がそっと吹き込み、葵の袂を静かに揺らした。


 

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