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水の亡国  作者:
第四項: 王女の庭園
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四: 聖職者 ユスティーファ in リリアナ・ガーデン

私の名前はユスティーファ。かの聖女ユスティールの名にちなんだ、まこと貴き名です。





 仄かに朧火(おぼろび)揺れる、静かなる常闇の森。

 狂気を内に秘めた森には、王女の愛した庭園がある。

 神殿のような造りであり、とりどりの花々を揃えた庭園は、まるでこの世ならざる楽園のようだ。

 だが大陸中の戦火を見て回り、幾人もの傷を癒してきた王女の居住としては、いささか狂気じみて見えた。

 彼女は自らの癒しを、その庭園に求めたのだ。







――王女の庭 朧火の森


 色鮮やかな森には、深い闇が降りていた。

 様々な草花が茂り、神樹が存在する森は、奥の庭園から楕円に広がる形となっている。

 金髪の女は生い茂る葉を払いのけ、小さく溜息をついた。

 白に近い金髪に、淡い朱鷺(とき)色の目の美しい女である。結わないまま垂らした髪と濃青の聖職衣が良く合い、右手に持った青い杖が神秘的な雰囲気を増していた。ゆったりとした作りの聖職衣は、動きやすいようあちこち切り込みが入っており、(そで)(たもと)が出来るほどゆるやか。下も大きめの作りだが、足首をきゅっと絞ってある。女の立ち姿は、高位の聖職者のそれだ。彼女は周りを見渡し、大きな目を細めた。

 人形のように精緻な美貌だが、女の表情は険しい。

『…紡ぎし糸や、探し人はまだか』

 可憐な声に応えるように、女を中心として透明な波紋が広がる。波はしばらくして音も無く消え、森の静けさが戻った。

「…反応がありませんか。余程離れてしまったと見える…」

 女は気を取り直すように頭を振ると、後ろを振り返った。主と通った森の入口は、もう視界の彼方。彼女の主の性格からすると、はぐれても先に進んでしまうだろう。

 そう考え、女は森を奥へ向かって歩き出す。ひんやりとした空気漂う森の中は、虫の音ひとつ聞こえず、時折ほのかに輝く小さな光が宙を舞った。

 今は闇に隠されているが、ここには多くの薬草が咲いているはずだ。王城と橋で繋がれた大地に広がる、静謐たる朧火(おぼろび)の森。この緑豊かな森が守るのは、王女リリアーヌの愛した庭園、リリアナ・ガーデンである。





 廃王クレトスの掌中の珠、リリアーヌ王女。

 クレトスは長年子宝に恵まれず、やっと生まれたのがリリアーヌ王女だったという。花のかんばせは民にも愛され、聖法に通じた王女は、有望な次期王として大切に育てられた。

 その王女が日々を過ごした場所が、遠くに見える空中庭園。その建物は空を覆うほど大きく、まるで天空に建つ城のように思えるほどだ。

 後世になってもリリアーヌ王女の名は高く、どの歴史書を読んでも悪評は見当たらない。騎士と共に各地を巡った彼女は、戦で傷付いた人々を癒して回り、聖女と持て囃され崇められたらしい。

 だがその最期は酷く悲惨なものである。幾度目かの旅を終えた後、王女は日の大半を過ごす空中庭園に戻ると、密かに命を絶った。自害したのだ。

 彼女の死の真相はようとして知れない。

 しかし、ユスティーファは思う。娘の死が廃王の狂気を進めたのかもしれないと。





 その王女の庭へ行こうと言い出したのは、他でもないユスティーファの主だった。

 ユスティーファは光の国オンドーラ出身の、聖者アンドラステに仕える聖職者である。彼女は聖女ユスティールの血を汲む名家の生まれであり、先祖返りと言われるほど能力の高い娘であった。そのため幼少の頃から聖職者になるべく鍛えられ、十歳の頃にアンドラステに引き合わされたのだ。

『お前が生涯仕えることになる貴い御方だ、ユスティーファ』

 その時の衝撃を、ユスティーファは今でも覚えている。

 彼女より少し年上くらいの少年は、見惚れるような輝きを持っていた。明るい金の髪は金糸のようで、全てを見通すような目は母なる海の深い青。その神聖な空気は聖者特有のもの、と知った時は、大いに納得したものだ。




 その時から彼女は優秀な従者たるべく努力しているのだが、中々どうして一筋縄ではいかない。アンドラステは奔放な性格で、こうと決めたら梃子でも動かない頑固さを持つ、ある種従者としてやりがいのある人物だったのだ。

 その性質は水の城で休んでいた時も、遺憾なく発揮された。

「リリアナ・ガーデンへ行こう」

 雇っていた傭兵と別れ、これからの方針を話し合っていた時のことだ。

 世界を旅し、人を助け徳を積む聖者として、アンドラステは様々な聖法を習得している。それはユスティーファも同じで、彼らはオンドーラの光の使いと称されることもあった。



 聖法は人を助けるためのもので、魔に対して以外の戦闘には向いていない。だから聖職者たちはみな武技を習得している。それはユスティーファ達も同じだが、彼女は主を守る従者として極力戦いを避けたかった。

 だからユスティーファはアンドラステへと忠言したのだ。「ヴォルナスタへ行きましょう」と。





「王族の霊廟、ヴォルナスタには数多の悪霊が跋扈(ばっこ)すると聞きます。わたくしたちの聖法で癒して差し上げねば。それに、霊廟ならば、聖法と相性が良いはず…」

「うーん…」

「主よ、どうかお聞き下され。残る鎖の候補地は空中庭園、霊廟、王立図書館、儀式場でございます。この中で敵の種類が予測でき、かつ容易そうな場所は霊廟でございましょう。お願いですから、この従者の言葉を…」

「リリアナ・ガーデンに行こう」

 何も聞いていなかったような主の言葉で、二人はリリアナ・ガーデンを目指すことになった。



 王城のある陸と橋で繋げられた大地。ハイロリアとは陸続きのその場所は、深い森に覆われていた。

 目的の場所は、都からでも確認出来る。その庭園はそれ程大きなもので、屋上からおぼろに光る鎖が伸びているのが見えた。

「アンドラステ様、何故空中庭園へ行こうと? わたくしは薦めませんぞ、嫌な予感がします」

「だいじょうぶだよ、いざとなったら守ってあげるから」

 稚気を含ませた笑みに、ユスティーファは頬を赤くする。だがすぐに勢いを取り戻すと、女はくどくど忠告を始めた。

「守るのは従者の役目にございます、主よ。いざとなれば命でも何でも差し出す所存。御身はまこと貴き御方なのですから。ですから、無茶だけはお止め下さい」

「はいはい」

「聞いておるのですか!」

 アンドラステが従者の話を無視するのは、今に始まったことではない。ユスティーファは半ば諦めつつ、迷いなく歩く背を追いかけた。

 間もなく、主の自由な足取りにより、二人ははぐれた。





 それからずっと、ユスティーファは主を探している。

 交わした契約によって、主の気配を辿ってみたが、痕跡は途中で途絶えてしまった。思ったより遠くにいるらしい。

 朧火の森の中は道が整備されておらず、迷路のように入り組んでいる。ユスティーファは内心の苛立ちを抑えつつ先を急いだ。幸い宙を舞う蛍のような光が周囲を照らしているため、視界は悪くない。森の名の由来ともなったこの光は、まさにリリアーヌ王女の性質を表わしている。王女が深淵から見出した己の性質は『光』。王女の死後森には蛍火のような光が降るようになり、人々は王女を(しの)んで朧火の森と呼ぶようになったらしい。

 ふと、ユスティーファはたたらを踏んだ。足元を見て顔を顰める。一本の蔓が、足に絡みついていた。

「ついに出ましたか…」

 蔓は生きているかのように蠢き、ユスティーファを地中へ引きずり込もうとしていた。聖女とも言われた王女の森。そこも例外なく、王の狂気に呑まれているようだ。

『邪悪を消し去りましょう』

 目を閉じ、深淵に祈る。



 聖職者とは、なべて『生まれ落ちる際、深淵を垣間視てしまった者たち』の総称だ。

 魔法使いらと違う点は、生まれた後深淵に落ち戻ったのではなく、生まれる時に何かの手違いで目を開いてしまい、深淵を『視てしまった』点である。

 故に聖職者たちは、“水”を使うことが出来ない。

 だが、深淵を訪れ、理解することは出来る。

 ユスティーファはふわりと宙に浮かびながら、遠くで揺らぐ水櫃の水面を見た。




『憐憫を以って、救済とする。一を指す針は貴方の罪を赦しましょう』

 玲瓏とした呟きを、すぐ傍の木に向ける。呟きは音となり、力となり、大気をびんと震わした。右手の杖を地面と水平に掲げると、杖の全身に不可思議な紋章が現れる。美しき聖なる刻印。

 聖職者の女を中心に、静謐たる空気が広がっていく。

 特異な空気を受け、木は突然萎れ始めた。『対魔領域』の内に取り込まれた魔の木は、その身の悪性を祓われ、ただの木へと戻ったのだ。

 ユスティーファは淡い朱鷺色の目を開き、再び歩き出した。




 『慈悲』の性質による対魔は聖法の初歩。術者の想像力により顕現の仕方は様々だが、おおむね現象として起こるのが魔法との違いだ。

 聖法とは、水櫃に満ちる種々の性質を解釈し、魔の業の反証として顕現させた奇跡の業である。解析にはかつての魔法の残滓が使われ、体系化されてきた。

 そして最も大きな違いは、右手に携えた杖。

 聖法は道具なしには発動できない。ユスティーファが使うのは杖。この青い杖はその昔聖女ユスティールが使用していた杖であり、鍛冶職人として名を馳せた灰色のユトが鍛えた杖だという。

 聖具は特殊な場所――たとえばハイロリア――にある材木や石を用いて作られたもので、その名の通り聖なる力が宿っている。その力を“水”の代わりとし、聖職者は聖法をふるうのだ。

“水”は禁忌の業だ。触れてはならない箱。それを悪用する者がいるために、世界から争いは無くならない。

 水の城にいた黒外套の女を思い出し、ユスティーファは秀麗な眉を上げる。彼女は魔法を憎んでいた。

 形あるものを生み出す魔の業。魔法とはそういうもので、争いしか起こさない。

 それに――。ユスティーファはハイロリアの荒廃を思い出し、溜息をついた。

 アクリアルの崩壊は、魔女が原因なのだ。








――朧火の森 中央


 仄かな光に照らし出される、瑞々しい葉たち。そのひとつひとつを観察しながら、ユスティーファは感嘆の息を吐いた。

 かの王女は薬士としても優れた腕を持っていたという。そのため彼女が指示して整えさせた森には、良い薬に使える薬草や花が多く生えていた。

「三日月の霊草、宵闇の雪花…。それに、星屑の地走り草まで! ここは薬屋にとって天国のような場所ではありませんか」

 地を走るように伸びる、金色に光る葉へにじり寄り、ユスティーファは半ば叫ぶように声を上げた。



 三日月の霊草とは、三日月の晩にだけ見つかるという薬草の名だ。葉は蒼く透き通るようにほの光り、近くを通る者に鈴を鳴らしたような音を聞かせる。

 冬の時期にだけ咲き、宵の間だけ花を開くのは宵闇の雪花。花からとれる蜜は万病を治す薬となり、宵の闇を吸った花びらは強力な毒にもなるという。

 そして、星屑の地走り草。『光』の性質を含むこの草は、実は古い図鑑にしか載っていない、幻の草であった。




「まさかこんな所で見つけられるとは。……す、少し持って帰っても良いだろうか?」

 白皙の頬を紅潮させ、ユスティーファは薬草を前にあたふたと忙しなく立ったりしゃがんだりする。薬の研究もしている彼女にとっては、願ってもみない貴重な代物だった。

 百面相を繰り返していると、吹き出すような笑い声が聞こえる。いつの間にか斜め前に人が立っている。

 思わず杖を構えるが、なんのことはない、水の城でも見かけた男だ。

「いや失礼、あまりにも面白い顔をしていたから」

 近くの木に寄りかかる男――簡素なシャツの上に麦穂色のマントを羽織った、(とび)色の髪の男だ――は甘やかな蜂蜜色の目を細め、ゆったりと微笑んだ。

 ユスティーファは眦を吊り上げ、低く唸るように呟く。

「……最近の男は、初対面の女を笑うよう躾けられているのか? 流行にはどうも疎くてな」

「や、謝るよ。この通りだ。…私は、ラフォンテーン。ただの旅人だ」

「…………ユスティーファだ。見ての通り、聖職者をしている」

 名乗られたら名乗り返さない訳にもいかず、ユスティーファは渋々答える。ラフォンテーンは笑みを保ったまま頷くと、ユスティーファの傍らの草を指差した。

「星屑の地走り草。気になるのかい?」

「当たり前です。伝説を目の前にして、その、静かでいられるはずがない」

 だからさっきの百面相も仕方ないのだと、暗にそう言うとラフォンテーンは再び笑い声を立てる。ユスティーファが怒りの声を上げようとすると、彼はポケットから小さな瓶を取り出した。花の紋様が描かれた瓶の中には、とろりとした黄金の液体が入っている。

「星屑の地走り草から抽出した成分で作った液だ。どんな呪いでも払う効果がある。君にあげよう」

「は」

 ユスティーファは目を真ん丸にし、ぽかんと瓶を見つめた。

 ラフォンテーンはユスティーファの手に瓶を握らせ、「じゃあ」と踵を返す。その背を呆然と見送り、森の闇に溶けて消えた所で、ユスティーファはようやく手の中の瓶を見下ろした。

「……」

 胸中に、驚愕がじわじわと込み上げてくる。

 思わず叫び出しそうになるが――それを防ぐように、獣の形をした大きな影がユスティーファに覆い被さった。

「……」

 ユスティーファは無言で振り返る。果たして、白く鋭い牙を剥き出しにした大きな灰色の猫が、背を低くしてユスティーファを狙っていた。

「…『針は二の文字を指す!』」

 挑むように両手を広げ、女は叫ぶ。半透明の揺らぎが現れ、猫の動きが一瞬止まる。



 


 ユスティーファが習得した聖法は十二。それらを時計に見立て、針が進むごとに複雑な聖法となるよう配置している。一時は『小さな魔を払う』、二時は『近くの魔の動きを阻害する』といった風に。

 懐から素早く短剣を取り出した女は、化け猫の顔目がけてふるった。続いて前足に突き刺そうとして――激しい炎の輝きが、遠くから飛来する。ユスティーファは慌てて転がり距離をとった。

 炎はあっという間に猫を飲み込み、地面にのたうち回らせた。遅れてやって来た黒いスカートの女は、小さなモノクルを指で押し上げ口の端を歪める。端正な顔立ちが炎の明かりにゆらゆらと浮かび上がった。

「聖職者様が、ざまぁないこと。お礼は?」

「魔法使い如きが、大きな口を。お前の助けなど借りずとも、化け猫ぐらい倒せたわ」

「どうだか。…あんた、胡散臭い顔の男見なかった? 珍しい金に近い目をしてるわ。一緒に来たんだけど」

 さっきの男じゃ、と一瞬思いかけるが、心の中で首を振る。魔を使う者などと、親しく口を聞いてはならない。

 ユスティーファは無表情を装い、「知らぬわ」とそっけなく言った。

「ふーん…あんたも、あの金きら頭の男は? 別行動? まさかはぐれたんじゃ」

「足らぬ頭で間違った推測をするでないわ。我が主には主の目的があるだけのこと」

 魔法使いはしばらく釈然としない顔をしていたが、埒があかないことを悟ると「そ、じゃあね」スカートを翻し去っていく。

 


 息を詰めていたユスティーファは、魔法使いの背が見えなくなるまで待ち、ほっと目を閉じた。

 実はユスティーファは魔法を使う者と話をしたことがない。幼い頃から従者として生き、魔女狩りをする聖職者とは異なる役割を負っていたためだ。

「早くアンドラステ様を探さねばなりません…」

 ユスティーファは杖を持ち直し、巨大な庭園を仰ぎ見た。



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