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水の亡国  作者:
第三項: 水晶の都
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三: 戦士 クレスランス inハイロリア

皆を笑顔に。






――いにしえのハイロリア  北の大門


 頭上を飛ぶ影は、ゆるりと旋回して再び遠ざかった。

 その姿は”水”に覆われた空にあって、見惚れるような雄大さを有している。

 眼下に広がるは、白きいにしえの都。城と街とを繋ぐ橋。

 緩やかにアーチを描く橋の下には、吸い込まれそうな深い谷。まばらに茂る緑が遠目にも美しい。

 薄靄がたなびく光景は、それだけならば鑑賞していたくなるものだ。

 だが男は揺らぐ熱波に顔を顰めながら、ゆるりと後ろを振り返る。視線を受けた女は肩を竦め、処置なしといった風に首を振った。



 灰色の煉瓦を積み上げて出来た見張り台。その真下は、紅蓮の業火に燃え滾っている。

 橋を越え、まさに鎖の始まりへと向かおうとしていた二人は、ドラゴンの急襲に見舞われていた。

 降り注いだ炎は一瞬にして付近を(かまど)に変え、ランスたちは進退極まる事態へと押しやられている。

 二人は見張り台下の細い塔部分に身を隠し、空を舞う炎の獣が去るのを待っていた。

「去るわけないじゃない。明らかに殺しに来てるわよ」

 ランスの心中を読んだ黒外套の女は、スカートを翻して”水”を呼び出す。女の両手から氷の剣が生まれ、熱波を押し返す冷気が刃から放たれた。ランスは気付かれないよう感嘆の息をつく。





 元は出稼ぎの兵士であったランスは、故郷が戦火にまかれたのを切っ掛けに旅に出た。

 方々で起こる戦に反抗した旅である。行く先々で人々を助けてきたランスは、いつしか人助けそのものに生きがいを見出すようになっていった。魔物を排し人命を救い、向けられる笑顔は、何物にも代えがたい糧と感じるようになったのだ。

 そうして生きてきた男は、蘇った亡国の噂を聞く。



 実際に見た水の亡国は、噂よりも更に巨大な塊であった。

 美しく光を反射する、だが中を一切映さない水の檻だ。初めは何処かに入口がないかを探したが、入口らしきものは何処にも見つからない。仕方なく籠手越しに”水”へ触れ――『光』を見た一瞬後、ランスは檻の中へと移動していたのだった。





 紅蓮の炎に飲まれそうになっていた女を見つけたのは、それからしばらくしてのことだ。

 南の都市壁を抜け、鎖を目指して歩いていたランスは、恐ろしい咆哮と羽音を聞いた。空を見上げた彼の目に映ったのは、巨大なドラゴンと風に舞う女の姿。

 常の人助けの習性で彼女を助けたランスは、以後この魔法使いと行動を共にしている。



 魔法とは、無から有を作りだす災禍の業だ。

 そう市井では唱えられているが、ランスは戦士としての経験、またこれまでの旅の記憶から、魔法とはかなり有用なものだと認識している。旅で何度か世話になった魔法使いは、皆恐るべき力の持ち主であった。

 魔法の起動にはいくらか時間がかかるようだが、そもそも魔法使いは真っ向勝負を挑んで来ない。不意打ちを得意とする彼らは、かなりの確率で一撃で敵を倒す。仮に失敗したとしても、その後の手もちゃんと用意してあるのだ。

 同じだけ不意打ちに弱いという欠点はあるものの、戦闘が可能な魔法使いは防御を自分に施している。それだけ魔法は圧倒的な力を有するもので、間違っても災禍の業などではない。ランスはそう思っている。





 魔法使いを名乗る女は剣を大上段に構え、燃え広がる炎に向かって振り下ろした。氷の軌跡が真っ直ぐ奔り、炎を打ち消す。

 これまでランスが見てきた魔法使いの中で、彼女の力は中の上ほどだと思われた。

 

 魔法起動の時間は早い。目を閉じたかと思うとすぐ魔法準備の態勢に入る。

 使う魔法の種類は少ない。それも火や風、水などの自然系に限られ、放出の仕方も捻りに欠ける。

 戦闘への態度は豪胆だ。経験は乏しいように見えるものの、怯む様子は一切なかった。





 総合的に見て、彼女は共に戦うに足る相手である。

 女の作った道を見下ろし、ランスは力強く頷く。

「私たち二人だけでドラゴンを退けるのは難しいだろう。見た所、ドラゴンは私たちを鎖に近付けたくないようだが…」

「鎖の守護者、といった感じかしら。なんにせよ、待っているだけじゃジリ貧ね。…こうしましょう。私があのドラゴンの相手をするわ。勿論、邪魔をする程度だけど。その間に貴方は鎖を解放して頂戴」

 ランスは目を剥いて女を見下ろす。女は美しい顔に獰猛な笑みを浮かべ、静かにドラゴン(障害物)を見据えていた。

「無茶を言うな、ヴィー殿。一噴きで丸焦げにされてしまうぞ。むしろ私が囮に…」

「防御手段の無い貴方が相手するよりましでしょ。ほら、さっさと行く! 貴方が早く仕事をすればするほど、私の生存率は上がるのよ」

 こんなとこで死んでたまるものですか。女はそう吐き捨て、見張り台をずんずん登っていった。

「…相変わらずな方だ」

 見張り台の頂上に翻る外套を見て、紅の戦士は城へ続く橋を疾走する。恐れたような炎のブレスは放たれず、無事に大門の真下まで辿り着いた。ちらりと後ろを仰ぎ見れば、魔法使いが何重にも氷の壁を展開し、炎の猛攻を防いでいるのが見えた。

 心配だが、そんなことをしている場合ではない。ランスは大門に向き直り、重い鉄の扉に両手をかける。全体重を乗せて扉に力を込めると、細い光の筋が門の間から漏れた。

 

 淡い灰色の光が、ランスの視界を一瞬塞ぐ。

 頭を振って、すぐに前を見――ランスは、つかの間その光景に魅入った。





 数十メートル四方の、広い空間。

 正方形に広がる空間は、褪せた灰色の石で出来ている。都と違い損傷の少ないその場所は、見る者に瀟洒な印象を与えた。

 城へ攻め込む者を出迎えるための空間だったのだろう。左右に弓兵を配するためのバルコニーに似た発射台が設けられている。向かい側には城庭へ続く門への階段があったが、門は薄靄に包まれたようにはっきりしなかった。

 その空間の中央から、巨大な鉄の鎖が生えている。

 淡灰色に光る鎖は、床の数センチ上から突然現れたように伸び、上空の王城へと繋がっていた。薄く光に覆われた鎖は大層幽玄としており、淡灰色の光粒がはらはらとこぼれている。

 それら現実を逸した景色を背に、ひとりの老人が鎖の前に立っていた。







――いにしえのハイロリア  広間


 かの亡国の廃王は、剣の名手であったという。



「…どなただろうか?」

 一見頓珍漢なランスの問いに、しかし老人は大きく笑った。

 金糸で飾った白い上衣を纏った老人は、白石で出来た細長い剣を掲げ、静かにランスに向かって一歩を踏み出す。

 たったそれだけの動作だが、その威圧は、ランスに腰の剣を抜かせるに充分だった。

 愛用の長剣を握り締め、じりじりと老人から距離をとる。



 炎を吐く、空の覇者たるドラゴン。

 彼をして鎖の守護者だと考えたが、それはどうやら間違いのようだった。



 白剣を構えたまま動かない、老齢の男。

 見れば見るほど文献で読んだ廃王にそっくりだが、目の前の老人は不思議と穏やかな気配を漂わせていた。

 よくよく見てみれば、老人の身体は目を(すが)めて見たようにはっきりしない。曖昧な笑みを浮かべた彼は、灰色の光を輪郭に伝わせ、ランスを試すように見据えている。

 老人が掲げた剣は――かの有名な長剣、『水を制し者(ウンディーネ)』に違いなかった。



 亡国アクリアルに代々継承される、深淵詠みの聖者から賜ったという剣。

 水の祝福を受けているという剣は、常に王の傍にあり、王国が斃れるその時も、廃王の手の中にあったという。

 流水を思わせる美しい剣を見つめ、ランスは密かに冷や汗を流した。

――本当に、廃王クレトスなのか。

 そうだとしたら、ランスは既に窮地にいることになる。

 クレトスの名声は高く、今でも千年に一度の逸材と言われるほどだ。

 ランスとて長年鍛錬を積んできた自負があるが、クレトスに敵うほどかと言われれば、そうではない。





 凄まじい咆哮に、一瞬気をとられる。

 はっとして老人に意識を戻すが、不意を打ってくる様子はなかった。

 ランスはちらと背後を窺う。彼を信じて時間稼ぎをする女の姿は、ここからは見えない。

――皆を笑顔に。

 かつて自分が願ったことだ。そして実践し続けようと、常に心掛けてきたこと。

 ならば今その誓いを破る理由はない。

「…お手合わせ願う」

 踏み込みと同時に剣を抜き、ランスは”廃王”へと挑んだ。







――ハイロリア  王の影


 老人の動きは、予想に違わず俊敏なものだった。

 斬撃こそ大かぶりだが、こちらの攻撃が全く当たらないほどの回避力だ。

 ランスは幾度目かの空振りを経ると、距離をとって老人を睨んだ。

――埒があかない。

 今のところはお互い無傷で、いたちごっこのような斬り合いを重ねているのみ。だが老人の余裕の微笑みからして、体力が先に尽きるのはこちらだろう。人間を基準に考えてはいけない。

 しばらく隙を窺っていると、老人はおもむろに剣を斜めに掲げた。

 怪訝に思って構えていると、振り被った白い剣から鋭く尖った水が放たれる。

「は、反則だ!」

 泣き言をいいつつ転がって避けると、再び剣が斜めに掲げられるのが見えた。

 どうやら老人はさっさと体力を削る戦法に出たらしい。続け様に二、三度水の刃を放つ。ランスの脇ぎりぎりを通った水の刃は、紙を切り裂くかのような自然さで地面を削った。

「こちらは長距離攻撃がないんだぞ!」

 愚痴を垂れつつ、せっせと避ける。亡国を訪れた際は盾を持っていたのだが、魔法使いを助ける際に捨ててしまった。あれだけでこの水を防げるとは思えないが、多少はましになっただろうに、と過去の自分を殴り付けたい気持ちになる。





 四度水を放った所で剣を戻した老人は、再び重い斬撃をランスへと浴びせた。

 静かに踏み込んだかと思うと一気に歩み寄り、叩き付けるように迫る斬撃は、少し気を抜けば容赦なく戦士の身体を両断するだろう。

 白剣を長剣で防いだランスは、力を込めて剣を押しやり、蹴りを放って牽制する。老人は苦もなく蹴りを避け、後方に跳躍した。

 間髪入れずに投げナイフを投擲するが、白剣があっさりナイフの軌道を逸らす。

「うわー」

 白く流水のような剣を持つ、揺るぎない威風。

 迫りくる窮地にしかし、彼は戦いの高揚に笑みを浮かべた。

 応えるように掲げられる老人の剣に、戦士としての精神がランスを突き動かす。

 そうして再び放たれる水を避け――四度後に再び老人が剣を戻すのを見、小さく目を瞠った。

――罠か?

 慎重に見極めたくなるが、いよいよ激しくなる背後の咆哮に、迷ってもいられないと思い直す。

 斬撃を剣で弾き、後転して距離を稼いだランスは、投げナイフで老人を誘導する。水の刃を放つように。





 きっかり四回。

 その数だけ刃が放たれたことを確認したランスは――じりじりと詰めていた距離を一気に縮め、滑るように老人へと斬りかかった。

 老人の目が、一瞬大きく見開かれる。

 水による攻撃から、剣による攻撃に移す隙を逃さず、両手で握った柄を思い切り振り被る。

 避け損なった老人の右手から、灰色の飛沫があがった。

「まずは一太刀」

 息つく間を与えず、今度は胴体を狙って長剣を薙ぐ。

 利き腕を斬られ、老人の防御はおぼつかない。だが情けをかけるわけもなく、白剣を弾き飛ばし――ランスの長剣は、勢いよく老人の胴を両断した。

 その瞬間。

 老人の身体は灰色の靄へと(ほど)け、ランスの視界を覆ったのである。





 宙に浮かぶ王城は、時が止まったように身動ぎせず、まるで安らかな死にも似た穏やかさに沈んでいる。

 その静謐を守る鎖のひとつが今、音も無く砕け散るのだ。はじまりを告げるように。





 老人の灰色の残滓を剣で払い、見えた先には、鎖が淡灰色の光粒へと崩れる光景があった。

 永らく王城を縛り続けた鎖は消え去り、後にはまっさらな広間と、白き剣(ウンディーネ)だけが残った。

 灰色の光に包まれた白剣を見、しばしどうすべきか逡巡する。

 その背に、疲れ切った女の声がかけられた。

「…遅いわよ。死んだら化けて出てやるところだったわ」

「ヴィー殿!」

 よろよろと門をくぐる女の姿を見、ランスは飛び上がった。ドラゴンは、と聞く間もなく、魔法使いはつかつかとランスに歩み寄る。

「ついさっき急にドラゴンがどっかに行ったのよ。何事かと思ったけど…多分、あんたが鎖を解放したからね」

 女の黒い外套は、あちこちが焼け焦げぼろぼろになってしまっている。ランスの戦闘が長引いたせいだろう。申し訳なさそうなランスの視線を避け、女はふいと顔を背けた。

「怪我は?」

「ある程度自分で治したわ。しかし、私も上達したわね。防戦一方とはいえ、あのドラゴンを相手取って…」

 誇るように頬を紅潮させる女の目はしかし、街の方へと向けられる。

 その視線を追って、ランスはあんぐりと口を開いた。

「…なんだあれ」

 それは、どちらの言葉だったか。





 枯れ果て、寂れた姿を晒すだけだった噴水に、一滴のしずくが落ちた。

 しずくは乾いた石に落ち、何もないはずの地面に、透明な波紋を広げる。

 艶やかな光沢を放つ透明な”水”が――千年の時を埋めるように、噴水を満たすように、豊かに溢れていく。

 ”水”は周囲の石や空気をも潤し、その空間だけは、かつての白雪の都が蘇るようだった。

 溢れた”水”は川となるのではなく、細い鎖を作り上げて広場を覆っていく。

 豊かな噴水を中心に抱く、小さな水の城。

 清浄な空気を放つその場所は、亡国への挑戦者を待つように、ゆるりゆるりと鎖を広げていった。




 慌てて都へと戻った二人を出迎えたのは、清冽な水の城と、その中央に佇むひとりの女。

 薄い水色のドレスを纏った、楚々とした出で立ちの女である。同じく淡い水色の目は神秘的な光を湛え、二人を見つめた。

『ようこそ。お待ちしておりました、”水”を砕く者よ』

 女の水に似た透明な表情が、優しい笑みへと綻んだ。


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