第一章 すべてが変わった日
俺の名前は宮本祐介。16歳で、神山高校の生徒だ。もし今の俺を誰かが見たら、おそらくこう言うだろう。すべてを持っているタイプの人間だと。成績は良く、スポーツもそれなりにできて、そして自分でも驚いているが、学校内である程度の人気もある.
だが、その俺は……最初から存在していたわけじゃない.
もしすべてが変わった瞬間を挙げるとするなら、迷わず一人の名前を出すだろう。鈴木凛。あるいは、友達からはスズと呼ばれている。
彼女は生徒会の一員で、小学生の頃から常に首席を取り続けている。そして、部屋に入るだけで周囲の声が自然と小さくなるような存在感を持っている。真面目だが親しみやすく、頭が良く……そして、とても美しい.
そして……俺の彼女でもある。
歩くたびに優雅に揺れる。そして灰色の瞳は、すべてを見ているかのようでありながら、その内側は決して読み取ることができないほど静かだ。体つきは華奢で、ほとんど壊れてしまいそうなほど繊細だ……それでも、常に人々の注目の中心にいた.
子どもの頃からずっとだ.
そして、ここで問題になるのは俺の方だ.
彼女が最初から自分一人で輝いていた存在だったのに対して、俺はその正反対だった。——彼女が、それを変えることを決めるまでは。
俺たちは一緒に育った。隣同士の家に住んでいて、親同士も大学時代からの知り合いだった。遊びも、沈黙も、日常も共有してきた……その距離は、時間が経つにつれて他人には説明しにくいものになっていった.
俺たちの友情は強かった。とても強かった。だから、異性を意識し始めたとき……避けられないことが起きた.
互いを見つめて……もうただの友達ではいられなくなった.
そうして中学を終える頃、俺たちは付き合い始めた。そして——そこから、すべてが変わり始めた。
「もう少し今風のものを試したらいいのに」と彼女は言いながら、まるで自分のもののように俺のクローゼットを見ていた.
「その髪型、似合ってないよ」
「本気になれば、もっと良くなれるのに」
最初は、それをただの助言だと思っていた。だがその後……必要なもののように感じるようになった.
凛は俺の服を選び、髪型を提案し、どう見えるべきかを示していった。もともと俺はだらしなく、どこかボヘミアンなスタイルだったが、それは彼女の世界にはもはや居場所がないように感じられた.
だが、気にしなかった。
彼女だったからだ。
一番俺のことを気にかけてくれる人だったからだ。そして……彼女にふさわしい存在でいたかったからだ。
だが、まだ何かがあった。この新しい俺にどうしても合わないものが.
ギターだ。
それ以前の俺にとって、それは単なる趣味ではなかった。本当に自分のものだと感じられる、唯一のものだった。
何時間も弾き続け、指が痛くなるまで、皮膚が硬くなってマメになるまで練習した。そのマメさえも、前に進んでいる証のように感じていた.
目標ははっきりしていた。大好きなバンドのギタリストと同じ、ギブソンSG500を手に入れること。そのために働き、貯金し、時間を犠牲にしてきた……すべてはその夢のためだった.
だが——彼女が口にした。
「その楽器、下手だよ」
その瞬間ははっきり覚えている.
声は強くもなく、残酷でもなかった。ただ……自然だった。
まるで、当たり前のことを言っているかのように.
「やめた方がいいよ。本当に得意なことを探した方がいい。それに……その手のマメ、あまり良くないし」
何かが壊れた。一気にではなく。
はっきりとした音もなく.
ただ静かに、ひびが入るように.
それまで……彼女はそれが好きだと思っていた。俺が彼女のために弾いていた曲も、意味があると思っていた.
だが、凛がそう言うなら……それが正しいのだろう.
……そうだろう?
その夜、俺はギターケースを手に屋根裏へ上がった.
「おい、祐介……それで何をするつもりだ?」と父が尋ねた.
「別に……ここに置いておくだけだよ。もっと大事なことに集中して、本当に得意なことをやるべきだと思って」
短い沈黙があった。
「お前、あの楽器が下手だったことなんてないぞ」
答えなかった。
なぜなら……もう決めていたからだ。
ギターをそこに置いた。
見える場所に.
いつか戻るつもりでいるように、自分を騙すために.
だが——その日は来なかった.
時間は流れた。
俺は別人のようになった.
勉強は良くなり、バスケットボールも始め、意外にもそれが得意だった.
服装も、話し方も、動き方も変えた.
凛の隣にいても違和感のない人間になった.
そしてしばらくの間……幸せだった。
少なくとも、そう思っていた.
だが、変化というものは突然やってくるものではない。滑り込むように、染み込むように、気づかぬうちに居座る.
"
凛は遠くなっていた。最初は物理的な意味ではなかった。
だが、近づこうとするたびに……どこか別の場所にいるようだった.
「今日は会議があるの」
「生徒会で残らなきゃいけないの」
「ごめん、無理」
言い訳。
いつも同じ。
俺が自分の予定を後回しにしても……彼女はいなかった.
「くそ……三浦明……」
何度もそう思った.
生徒会長。
すべての原因だと……少なくともそう思いたかった.
「ケンに相談するべきか……」
その名前は、ほとんど無意識に出てきた。ケン。昔の友人。
この変化が始まる前の俺を知っている存在。凛の前の俺を。
ギターをやめる前の俺を.
だがその関係も……少しずつすり減っていた。
すべてがそうであるように.
すべてがそうだったように。
一度は、生徒会に入ることさえ考えたことがあった。助けるためじゃない。
本当は、そうじゃない。
ただ、自分が失いつつあると感じていた何かを取り戻すために。だが、彼女にそれをやめてほしいとは言えなかった。
そんな人間にはなれなかった。
それが彼女の未来にとって大切なことだったから。
そして……彼女はずっと完璧だったから。
俺は……ただ、彼女に追いつこうとしていただけの存在だった。
それでも……
彼女の視線は、もう以前と同じではなかった。
そしてそれは……どんな拒絶よりも痛かった。
夜は、どんどん長くなっていった。
より静かに。
より重く。
俺はスマホの画面を見つめながら、いつも同じような返事を待っていた。
「好きだって分かってるでしょ」
「変なこと考えないで」
「ただ疲れてるだけ」
正しい言葉。
空っぽで……遠い。
まるで、もう俺に向けられたものじゃないみたいに。
それでも——
5月9日、彼女の誕生日。俺は……何かをしようと決めた。すべてが変わっていないことを示すために。俺がまだ大切な存在であることを。そして……俺たちがまだ俺たちであることを.
長い間貯めていた金を取り出した。本来は別の目的があった金。夢のための金。結局買わなかったギターのための金だ。それを——迷わず使った。
街の中心にある宝石loggingで、月の形をしたペンダントを選んだ.
凛は……俺にとってずっとそういう存在だったからだ.
美しく、遠く、触れることができない。冷たく……それでも輝いている。
自分の光ではなくても、それでも周囲すべてを照らす光.
その小さなものを手の中で握りしめたとき——
なぜか、その瞬間には説明できなかったが……
何かに別れを告げているような気がした.
……
そして——彼女の誕生日当日.
その朝、いつも以上に身だしなみに気を使った.ボウルカットの髪型を丁寧に整えながら、凛がそれをどれだけ気に入っていたかを思い出していた。俺を見て、少しでも笑ってくれたら……そう思った.
準備を終えようとしていたとき、スマホが震えた。凛からのメッセージだった。
一瞬、胸に小さな期待が生まれた。もしかしたら……昔みたいに一緒に登校できるかもしれない.
だが、それを開いた瞬間——その感情はすぐに消えた。
まるで最初から分かっていたかのように、その言い訳を読んだ。朝早くから行かなければならないこと、クラブの予算に関する会議で一日中生徒会にいなければならないこと.
ため息をついた。
初めてではなかった。それでも……痛かった。
指が画面の上で止まった。返事をしようとしていた。どうして事前に言ってくれなかったのか、もっと早く準備して一緒に行けたのに……そう伝えようとした.
だが、やめた。
今日は彼女の誕生日だ.
自分勝手な不満で大切な日を台無しにしたくなかった。そもそも、彼女自身のものですらない責任のために時間を削っているのだから.
だからスマホをしまい、家を出た.
その日……胸に妙な重さを抱えたまま始まった.
スマホを取り出し、いつものプレイリストを開いて、有線イヤホンをつけた。——そう、やっぱりヴィンテージの方がいい。
音楽が流れ始め、歩きながら世界から切り離される.
だが、それでも頭は晴れなかった。考えていたのは彼女のこと。
何をすればいいのか.
どうすれば、この日を意味のあるものにできるのか.
プレゼントを受け取って笑う彼女を想像した。一緒に食事をして、手をつないで帰る姿を想像した。途中で立ち止まり、見つめ合い……キスをする。
そしてもしかしたら——
すべてがうまくいけば……
もしその瞬間が来たなら……
ついに、その一線を越えることができるかもしれない.
……まあ、普通はこう思うだろう。
幼なじみと一年以上付き合っていて……まだ童貞なのか?と.
答えは短く言えば——そうだ。
長く言えば……少し複雑だ。
キスはしている。しない方がおかしいくらいだ。それに、もっと親密な時間も共有してきた……だが、その先には進んでいない.
半年ほど前、一度だけ踏み出そうとしたことがある.
慎重にやった。ちゃんとした形にしたかった。特別なものにしたかった。
だが、彼女の迷いに気づいたとき——やめた.
臆病だったわけではない.
……少なくとも、自分ではそう思っている.
ただ、彼女の初めてを不安なものにしたくなかった.それは彼女にとっても……俺にとっても同じだった.
その後、もう一度その話をしたとき、凛ははっきりと言った.
「待った方がいいと思う。まだ学生だし……軽率なことになるかもしれない。あなたと同じことになるのは……望んでないでしょ」
何を指しているのか、すぐに分かった.
俺の生い立ちのことだ。
両親は17歳のときに俺を授かった。学生だった。未熟で、何も確かなものはなかった。
周囲からの圧力は……激しかった。
中絶を勧められた。何度も。責められ、否定され、指をさされた。
だが、二人は拒んだ。
その結果……家族から見放された。不名誉だと。
それでも……前に進んだ。
"
そのおかげで父は働き、学び、前に進むことができた.
学業を終え、良い仕事に就き、ゼロから人生を築いた.
家族を作った。
俺の家族を.
その話を知っているからこそ……凛の気持ちは理解できた。彼女の不安も。
だから、もうその話はしなかった.
その代わりに——俺は別のことをした。
学んだ。調べた。準備した。
……情けない話かもしれない。
だが、ちゃんとした形にしたかった.
なぜなら時に、緊張はすべてを台無しにしてしまうからだ.
コンドームのつけ方ひとつ間違えるだけでも.
それは——絶対に許されないミスだった.
それでも——
その日、俺の頭は混乱していた。
考えすぎていた.
期待しすぎていた.
すべてが、多すぎた。
だから——気づかなかった。
角。
高い壁。
音楽で聞こえなかった音.
自転車。
衝撃。
すべては一瞬だった。
気づけば地面に倒れていた。大した怪我ではなかったが、イヤホンとスマホが空中に飛ばされていた.
……
起き上がろうとする前に、手が差し出された.
細く、綺麗な手。
一瞬、動きが止まる.
そして顔を上げた。
その瞬間——
世界が静まり返ったように感じた.
金髪。
青い瞳……まるで海のように深い。
どこか気だるく、少し反抗的な雰囲気。ポニーテールにピアス.
ギャルを思わせるスタイル.
綺麗だった。
あまりにも。
ほんの一瞬、見つめてしまった。必要以上に。
だがすぐに我に返る.
制服に気づいた。神山高校のものだった。同じ学校だ。
それなのに……見たことがない。
(転校生か……いや、多分一年か)
「大丈夫?……ねえ、大丈夫?」
声で現実に引き戻された.
まだ手を差し出している.
「うん……ごめん、ちょっと考え事してて」
その手を取る。
そしてその瞬間——気づいた。
指先の感触。
……マメ。
視線を戻し、彼女をよく見る.
そして気づく。
胸を横切る黒いストラップ.
背中のケース.
形とサイズ。
間違いない。
「……ギター……?」
思わず口に出た.
彼女は地面に落ちたものを拾いながら言った.
「えっと……うん、ギターやってるけど、これは普通のギターじゃ——」
途中で止まった。
声が途切れた。
彼女の手には……俺のスマホがあった。
彼女の手には……俺のスマホがあった。
「へえ……君……本当にこういう音楽聴くんだ?」
そう言いながら顔を上げ、純粋な驚きをその瞳に浮かべて俺にスマホを返してきた.
「うん、その……」
一瞬、言葉が詰まる.
俺は自分の音楽の趣味を恥じたことなんてなかった。一度も。凛や学校の連中にとってそれが時代遅れの騒音にしか聞こえなかったとしても、俺にとっては違った.
ハードロックも、ヘヴィメタルも——それはただの音楽じゃない。
俺の一部だった。
「古い音楽だって思うかもしれないけど……でも、好きなんだ。そのバンドも。あとハードロックとか、ヘヴィメタルも」
一瞬、沈黙があった。
そして——
「え、すごいじゃん!!」
予想外の勢いでそう言われ、思わず目を見開いた.
彼女の目は輝いていた。本当に輝いていた。
「見た目はカタログに出てきそうな優等生なのに……めっちゃいい音楽のセンスしてるじゃん」
思わず瞬きをする.
「カタログって……?」
「ほら、いるじゃん。雑誌からそのまま出てきたみたいな高校生。全部完璧で、“かっこいい”感じのやつ」
少しだけ眉をひそめてから、彼女を上から下まで見た.
「どう受け取ればいいのか分からないな……ギター背負ったギャルに言われても」
「ちょ、ちょっと!?」
すぐに頬を膨らませて抗議してくる.
「別にギャルってわけじゃないし!私はミュージシャン……ロッカーなの!」
思わず小さく笑ってしまった.
「悪いけど、カタログ男にはギター持ったギャルにしか見えない」
「へえ、そうなんだ?」
挑発するような光がその目に宿る.
「じゃあさ、“ただのギャル”がこれ背負ってると思う?」
そう言うと、素早くケースを外して開いた.
そして——見えた瞬間。
世界が、また止まった.
「……ギブソン・レスポール……」
思わず呟く.
目の奥が熱くなるのを感じた.
彼女はにやりと笑い、うなずいた.
そして同時に——
“¡¡¡SPASH!!!”
俺たちの声が重なった.
一瞬、お互いを見つめる.
そして次の瞬間——
二人同時に笑い出した.
自然な笑いだった.
軽くて、心地よくて……どこか懐かしい。
こんなふうに、誰かと音楽の話で笑ったのは——いつ以来だろうか。
「ねえ」
少し落ち着いた後、彼女が言った.
「そういえば……まだ自己紹介してなかったね」
姿勢を正し、ケースを背負い直す.
そして、軽く頭を下げた。
その笑顔は——なぜか、妙に素直だった。
「藤本愛。神山高校一年」
「宮本祐介。二年だ」
「へえ……先輩じゃん」
少しだけ楽しそうに言う.
「じゃあ……何かあったら頼っていい?」
「まあ、そのくらいならな」
そう答えたとき——
「愛でいいよ」
小さな声で言われた.
「え?」
「名前。愛って呼んで」
少し驚いた。
普通、そこまで距離を詰めてくるのは珍しい.
「……分かった。愛」
口に出してみると、どこか不思議な感じがした.
「じゃあ俺のことも祐介でいい」
少し間を置いて、付け加える.
「……先輩でもいいけど」
彼女は少し視線を逸らし、わずかに頬を赤らめた.
「じゃあ……ユウって呼んでいい?」
思わず笑ってしまう。
でも今度は——嫌な笑いじゃなかった.
温かいものだった.
「いいよ。気に入った」
そう言って、少しだけ笑った.
そして——
気づかないうちに.
藤本愛は、俺の人生に入り込んできた.
そして、その瞬間から——
すべてが、また動き出した。
そのまま、俺たちは並んで学校へ向かった.
バンドの話、ギターの話、音楽の話——
気づけば、ずっと話していた.
そして何より不思議だったのは——
楽しかったことだ。
……
学校に着いて、最初の休み時間.
スマホを取り出し、LINEを開いた。
凛にメッセージを送る.
今日の午後、予定があるか.
誕生日だから、少しでも会えないか.
待つ。
一分。
二分。
三分。
返事が来た。
そして——
あの感覚が戻ってきた.
「今日は生徒会で忙しい。以上」
一度読む。
もう一度読む.
そして三度目。
いつもと同じだった.
距離。
壁。
ため息が出る。
だが——
今回は違った.
何かが、決まった.
……
放課後。
荷物をまとめ、プレゼントを手に取る.
考えるより先に、足が動いていた.
生徒会室へ向かう.
彼女が来ないなら——
俺が行く。
会いたかった。
少しだけでもいい。
確認したかった.
すべてが、まだ変わっていないと.
職員室の近くまで来たとき——
一人の男子が出てきた.
背が高く、長い髪をまとめ、ピアスをしている.
どこか気だるく、反抗的な雰囲気.
すぐに分かった。
三井健太。
昔、一緒に音楽をやっていた友達だ。
「おい……ケン」
少し声を上げる.
振り返る。
「お、ユウじゃん」
軽く笑う。
「最近どうした?もう俺らみたいな一般人とは遊べない身分か?」
思わず苦笑する.
「バカ言うなよ。お前はずっと友達だろ」
「へえ……そうかよ」
少し皮肉っぽく返される.
「でもさ、“鉄の女”と付き合い始めてから、お前完全にそっち行ったよな。音楽もやめたし、話もしなくなったし」
胸に刺さる。
思った以上に。
「別にサッチャーじゃないだろ……」
視線を逸らしながら言う.
「まあ……音楽は少し離れただけだ。今は勉強とか、スポーツとか……ちゃんとやるべきことやってる」
少し間を置いて、無理に笑う.
「それに、お前よりは音楽のセンスあるしな」
「言うじゃん」
ケンが笑う。
そして——
俺の手元に視線を落とす.
「それ……鉄の女へのプレゼントか?」
「……ああ」
「今日誕生日だもんな」
一瞬の沈黙。
「で?なんでここにいる?」
「会いに来た」
「は?」
眉をひそめる。
「生徒会室に」
その言葉に——
空気が変わった.
「……なんで?」
「なんでって……」
違和感。
「予算会議だろ?」
沈黙。
重い沈黙。
「ユウ……」
ゆっくり口を開く.
「何の話してる?」
背中が冷える.
「今日、朝も昼も放課後も会議あるって……凛が」
ケンが、じっと俺を見る.
「……そんなのないぞ」
一言。
それだけで——
世界が、止まった.
「基本的に会議は授業中か昼だけだ。会長が決めた。負担減らすために」
……
何も言えなかった.
頭が真っ白になる.
次の瞬間——
走っていた。
生徒会室へ。
後ろでケンが何か叫んでいた.
でも聞こえない。
止まれない。
考えたくない。
ただ——確かめたかった。
……
扉を開ける。
勢いよく。
——誰もいない。
静寂。
重い、静寂。
数歩進む。
周りを見る.
そして——気づく。
机の上。
二つのティーカップ.
まだ温かい。
さっきまで、誰かがいたみたいに.
胸が締め付けられる.
「……ケン」
声が、やけに低い。
「教えてくれ」
聞きたくなかった.
でも——
聞いた。
「凛と会長……どういう関係だ?」
ケンが黙る。
「ユウ……それは——」
「教えろ」
振り向かない。
ただ、待つ。
ため息。
「……特別見てるわけじゃないけど」
一拍。
「仲はいい」
沈黙。
重い。
「……かなりな」
そして最後に.
「お前以外で、あんな風に笑ってるの見たの……会長だけだ」
……
何かが——消えた。
痛みじゃない。
怒りでもない。
ただ——空っぽだった。
「ユウ……悪い。考えすぎかもしれないし——ラーメンでも行くか?奢るし」
「いや、いい」
遮る。
声が、自分のものじゃない.
「正直に言ってくれてありがとな。それに……久しぶりに会えたしな」
少しだけ笑う。
「変なことで台無しにしたくない」
「でも——」
「ありがとう」
それ以上は聞かなかった.
背を向けて——歩き出した.
家に着くと、俺は普段通りに振る舞った。挨拶をして。部屋に上がり。ドアを閉めて。ベッドに座った。そして……そのまま後ろに倒れた。天井を見つめながら。
考えていた。ただ……考えていた。
三つのことが、ゆっくりと繋がり始めた。まるで、ずっとそこにあったピースが……今になってはまっていくように.
一つ目。凛の距離。あの変化、あの冷たさ。それは……ちょうど俺との関係を進めることを拒んだ頃に始まっていた。そして、まさに同じ時期に……彼女は生徒会に入った。
二つ目。嘘。あのいわゆる会議、言い訳。いつも同じ。いつも……俺を避けるためのもの。
そして三つ目。ケンの言葉。
「お前以外で……あんな風に笑ってるのを見たのは、あいつだけだ」
……
その結論には辿り着きたくなかった。本当に、そう思いたくなかった。だが……二足す二は……いつだって四になる。
そして今回は……例外じゃなかった.
隣に住んでいた幼なじみ。親友。初恋の相手。俺の彼女が……浮気していた。




