第七話「聖姫様がお戻りになられた」
長い旅の果て、馬車がようやくターヴァ領の境界石を越えたのは、午後遅くのことだった。窓の外は、懐かしくも見慣れた風景だった。
なだらかな丘陵、青々と茂る薬草畑、そして遠くに見える古い石造りの城壁。
アデリアはぼんやりとその景色を眺めながら、胸の奥にあった重い塊が、少しずつ溶けていくのを感じていた。
(……帰ってきた)
たったそれだけのことに、涙がにじみそうになる。王都を出てから三週間。
「……アデリア様、もうすぐ領主館です」
馬車の御者台から、年配の御者が控えめに声をかけてきた。アデリアは小さく頷き、カーテンを少し開けた。……その瞬間だった。
「…………え?」
視界に飛び込んきた光景に、彼女は思わず声を漏らした。道の両側に、人、人、人。老若男女、数百人はいるだろうか。
みんながこちらを向いて、じっと、じっと、息を詰めたように立ち尽くしている。そして、馬車が近づくにつれて。
「…………聖姫様だ」
「本当に……お帰りになった……!」
誰かが呟いた声が、火種のように広がっていく。次の瞬間。
「アデリア様ぁぁぁっ!!」
「聖姫様がお戻りになられたぁぁぁ!!」
「ありがとうございます……!ありがとうございます……!!」
爆発した。老人たちが膝を折り、子どもたちが手を合わせ、若い母親たちが赤子を抱いたまま地面に額を擦りつける。
まるで神が降臨したかのような、狂気にも似た歓喜の渦。馬車はゆっくりとしか進めなくなった。
道を埋め尽くす人波が、まるで壁のように立ちはだかっている。
「ちょ、ちょっと待って……!みんな、危ないわ!」
アデリアは慌てて窓から身を乗り出した。すると、最前列にいた白髪の老人が涙を流しながら叫んだ。
「聖姫様……!お帰りなさいませ……!我らの、希望の光が……!」
その声に呼応するように、数百の声が重なる。
「お帰りなさいませ!!」
「ずっとお待ちしておりました!!」
「ターヴァの聖姫様ぁぁぁ!!」
アデリアは、言葉を失った。ただ呆然と、涙で歪む人々の顔を見つめ返すことしかできなかった。
(どうして……?私が……こんなに?)
王都では誰一人、振り向いてくれなかった。
「無能な王妃」
「飾り物の姫」
と蔑まれた日々。なのにここでは。
彼女はまだ知らない。自分がこの地に残した“奇跡”が、いかに深く、人々の心と命を救ってきたかを。
そして、自分が“聖姫”と呼ばれ、半ば信仰の対象となっていることを。馬車は、人々の涙と祈りに包まれながら、ゆっくりと、ゆっくりと領主館へと進んでいった。
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