第六十一話 「こんなの嘘」
かつてローデン王国の国王だった男、ユリウス・ローデン。
退位後の彼は、王宮の片隅にある小さな離宮に移され、表舞台から完全に姿を消していた。
窓の外には、かつて自分が治めていた王都の喧騒が遠く聞こえるだけだ。
部屋の中には、かつてのような華やかな調度品は何一つ無い。
質素な木の椅子に腰掛け、彼は膝の上に置いた一枚の羊皮紙を、何度も何度も眺めていた。
『前国王ユリウス・ローデンに対する裁定書』
そこに書かれていたのは、
・国力低下の責任
・ラウラ・ヴァンスへの過度な偏愛、国庫流用黙認
・アデリア・ターヴァの不当な離縁及び追放
そして最後の一文。
『以上の罪により、王族の身分を剥奪し、一般市民として余生を送ることを命ずる』
ユリウスは震える手で紙を握りしめた。
「……俺は、間違っていた」
掠れた声が、誰もいない部屋に落ちる。
彼の脳裏に、あの朝の光景がよみがえる。
アデリアが静かに礼を取り、「王国の永い安寧をお祈りいたします、陛下」と告げた瞬間。
あのとき、彼女の瞳に浮かんでいたのは怒りでも悲しみでもなく、ただの諦観と、それ以上に深い安堵だった。
それを理解できたのは、すべてを失った今になってからだった。
一方、同じ頃。
王国の外れの港町ヴァレンヌ。潮と腐臭が混じった風が吹き抜ける裏通り。
かつて華やかに王宮を闊歩していたラウラ・ヴァンスは、粗末な旅装に身を包み、必死に逃亡を図っていた。
「離して!離しなさいって言ってるでしょう!」
ラウラは、かつては豪華な絹のドレスを纏っていた細い腕を、衛兵にがっちり掴まれながら喚いていた。
化粧は崩れ、髪は海風と汗でべったりと額に張りついている。頬は憔悴でやつれ、かつての可憐さはどこにも残っていない。
「私は王妃よ!ローデン王国の王妃ラウラ・ヴァンス!こんな扱い、許されると思ってるの!?」
衛兵の一人が冷たく吐き捨てる。
「元、王妃だ。指名手配書には『詐欺・国庫横領・先代王妃アデリア・ターヴァ殿下への冤罪・暗殺謀議』と書いてある」
ラウラの顔が引き攣る。
「違う!全部あの女が悪い!アデリアが!あいつさえいなければ私が王妃で――」
「黙れ」
衛兵の鋭く重い肘がラウラの腹にめり込む。
彼女は「ひぐっ!」と情けない声を漏らし、地面に膝をついた。
「どうして……どうして私がこんな目に!」
彼女は叫んだ。
「ラウラ・ヴァンス。貴様を王国からの指名手配犯として拘束する」
「触らないでっ!」
衛兵の手を弾き、ラウラは全力で駆け出す。
裏路地を抜け表通りに出たその時、彼女の視界に街の掲示板が飛び込む──
『聖帝カリオン・エヴェルドと聖后アデリア・ターヴァのご成婚を祝し、大陸全土がお祭り騒ぎ!』
巨大な絵柄付きの布告。
そこには、銀金色の髪を風になびかせて微笑むアデリアと、彼女を優しく見つめる黒髪の皇帝が描かれていた。
ラウラは激突するようにして布告に近づき、指を突き立てて叫んだ。
「嘘よ!こんなの嘘!あんな女が皇后!?私が!私がっ……!!」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、彼女は布告を引き裂こうとする。
爪が剥がれ血が滴り、布告の上に赤い染みが広がる。
群衆から失笑と冷たい視線が降り注ぐ。
「あの女って、昔王宮にいた側妃だろ?」
「国を滅ぼしかけた張本人じゃねえか」
「みっともない。あんなに落ちぶれてたのね」
ラウラは地面に座り込み、両手で顔を覆って喚き続けた。
「アデリア!!呪ってやる!くそ女!偽善女!!」
その声は、潮風に虚しくかき消されていった。
衛兵達がラウラをぐるりと取り囲む。




