第五十九話 「構いません」
ローデン王国、王都。かつては白亜の宮殿が誇らしげに聳えていた王城も、今は半ば荒廃していた。
石畳にはひびが入り、庭園は雑草に埋もれ、謁見の間には埃と沈黙だけが重く溜まっている。
玉座に座るのは、もうユリウス・ローデンではない。
そこに腰掛けていたのは、わずか二十三歳の若者――王弟クレイン・ローデンだった。蒼白な顔で、しかし決して目を伏せずに、彼は玉座に座っていた。
「……これで、いいのですね」
低い声で呟く。玉座の足元には、退位したユリウスが膝をついている。
かつての王冠は外され、髪は乱れ、目は虚ろだった。
「兄上……いえ、ユリウス殿下。あなたが犯した罪は、王家そのものの威信を地に落としました。しかし、それ以上に――」
クレインは一度言葉を切り、深く息を吸った。
「あなたは、あの方の価値を見誤った。この国を真に支えていたのは、アデリア・ターヴァ様だった。それを……私たち全員が、否定した」
静かな声だったが、謁見の間に響き渡った。重臣たちは誰も口を開かない。
正妃ラウラの席は空いたままだ。彼女は数日前から姿を消し、国外逃亡を図っているとして現在指名手配されている。
クレインはゆっくりと立ち上がる。
「私は今日より、新王として即位いたします。そして――アデリア・ターヴァ様に、正式に謝罪の使者を送ります」
重臣の一人が慌てて進み出る。
「しかし殿下……もはや彼女は帝国の皇后に――」
「構いません」
クレインは静かに首を振った。
「謝罪は、返事を求めるものではない。私たちが犯した過ちを、ただ伝えるだけです」
その夜。
新王クレインは自ら筆を取り、一通の手紙を書いた───
アデリア様、あなたを王宮から追放した日を、私は一生忘れません。
あの時、私は何も知らなかった。
あなたが去られた後、国は崩れました。
私はあなたの残した資料を握りしめながら、ただ震えているしかない愚か者でした。
疫病、飢饉、魔物の襲撃。
すべて、あなたがいた頃は起こらなかったことです。私は今になって、やっと理解しました。
あなたは王妃ではなく、王そのものでした。
私たちは、その王を自らの手で捨てた。もう二度と、あなたをお呼びすることはできません。
あなたが選ばれた新しい場所――帝国と、聖帝陛下の傍で、どうか幸せでいてください。私たちは、あなたが残してくださった光を、必死に守り続けます。それが、せめてもの償いです。ローデン王国新王 クレイン・ローデン
───手紙を封じ、クレインは静かに目を閉じた。
「……ありがとうございました、アデリア様」
その声は、誰にも届かないまま、荒廃した王城の闇に溶けていった。もう、彼女が戻ることはない。
けれど、それでいい。彼女が選んだ未来が、輝かしいものであるように。
クレインは立ち上がり、窓の外を見た。遠く、帝国の方向に今、本物の王妃がいる。
彼は静かに微笑み、玉座へと戻った。これから始まるのは、償いの日々だ。
だが、それでもいい。彼女が笑っているなら、それで。




