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第五十七話 「覚悟してほしい」

 王都ローデンの大聖堂前広場は、まるで死の色に染まっていた。

 疫病に倒れた人々が担架ごと運び込まれ、地面に横たえられる。

 泣き叫ぶ家族、祈りを捧げる司祭たち、力尽きてうなだれる騎士。

 空気は熱と腐臭と絶望で重く淀み、誰もが「もう終わりだ」と呟いていた。

 その中心に、アデリアは立っていた。白い外套を羽織っただけの簡素な姿。

 銀金色の髪は旅の埃で少し乱れ、淡い青の瞳は静かに、しかし揺るぎなく前を見据えている。


「……始めましょう」


 小さな声で告げると、彼女はゆっくりと膝をついた。

 両手を広げ、地面に触れる。瞬間。白い光が、彼女の身体から溢れ出した。最初は小さな灯火のように。

 それがまたたく間に広がり、広場全体を柔らかく包み込む。


「な、なんだ……?」

「光が……暖かい……」


 患者たちの苦悶のうめきが、次第に驚きの声に変わっていく。光は傷ついた身体を洗うように這い、熱を冷まし、腫れた喉を癒し、腐りかけた肺を清めていく。

 担架の上で死にかけていた老人が、ゆっくりと目を開けた。


「息が……楽に……」


 隣で看病していた娘が、信じられないという顔で母の頬に触れる。


「熱が……引いてる……!」


 光は止まらない。広場から通りへ、通りから路地へ、王都全体へと波のように広がっていく。聖堂の鐘が、誰ともなく鳴り始めた。最初は一回。

 それが二回、三回と続き、やがて王都中の鐘が一斉に鳴り響く。まるで「奇跡が起こった」と告げるように。アデリアは立ち上がり、ゆっくりと顔を上げた。


「……これで、皆さんの苦しみは終わります」


 静かな、しかし誰の耳にも届く声。その瞬間。広場にいた数千の民が、一斉に膝をついた。


「聖女様……!」

「伝説の先代王妃様……!」

「あの方こそ、我らの光……!」


 涙が、歓喜の叫びが、祈りが、広場を埋め尽くす。

 アデリアは静かに目を閉じた。

(王国もユリウスも王宮での日々も関係ない……私は……自分の気持ちに従うだけ。自分で選んで、ここに立った。だから、これは私の答え)

 彼女はゆっくりと目を開け、微笑んだ。

 その微笑みは、かつて王宮で誰にも見せなかった、本当の意味で自由な笑顔だった。

 背後で、カリオンが静かに歩み寄る。

 彼は何も言わない。

 ただ、彼女の肩にそっと、力の放出で吹き飛んだ外套をかけて誰にも見せない優しさで、彼女の手を握りしめた。

 遠くで、一人の男が、震える唇で、誰にも聞こえない声で呟いていた。


「……アデリア……すまなかった……」


 落ち窪んだ力の無い瞳、痩せこけた頬、ひどくやつれた体躯。

 かつての高慢な姿など見る影も無く変貌したユリウスだった。

 だが、その謝罪はもう、彼女には届かない。


 ☆


 夜の王宮、バルコニーの片隅。

 アデリアは石の手すりに両手を置き、遠くに見える王都の灯りを眺めていた。


「この眺め……懐かしい」


 白いドレスの裾が風に揺れ、銀金色の髪が月光を受けて淡く輝く。

 背後で、静かな足音。


「……こんなところで、一人か」


 カリオンの声だった。振り返らなくてもわかる。

 あの低く、少し掠れた、でも決して冷たくない声。アデリアは小さく微笑んで、答える。


「少し、風に当たりたかっただけです」


 カリオンは無言で彼女の隣に立ち、同じ景色を見た。しばらく、二人だけの沈黙が流れる。やがて、彼がぽつりと呟いた。


「……覚悟してほしい」


 アデリアが首を傾げると、カリオンは真っ直ぐに彼女を見つめ返した。金色の瞳に、揺るぎない光が宿っている。


「あなたを手放す気は、もう本当にない」


 風が一瞬強く吹いた。アデリアの髪が舞い、頬にかかる。カリオンはそっとそれを指で払い、静かに続けた。


「帝国の未来も、俺の未来も、全部あなたに預けたい。それでもしあなたが望むなら、俺は一生かけて証明する。あなたが選んだ道を、誰よりも強く支えるってことを」


 アデリアは息を呑んだ。胸の奥が、熱くて、苦しくて、でもどこか救われるような痛みで満たされる。


「……私、まだ怖いんです」


 小さな声で告げると、カリオンは首を横に振った。


「構わない。怖がってもいい。迷ってもいい。ただ、そばにいてほしい。それだけでいい」


 アデリアは目を伏せ、やがて、ゆっくりと顔を上げた。月明かりの下、彼女は確かに微笑んだ。はっきりと。


「はい、よろしくお願いします」


 その一言に、カリオンの表情が崩れる。

 驚きと、喜びと、抑えきれない想いが全部混じって。

 彼は一歩近づき、でも触れる寸前で止まった。代わりに、静かに、深く、頭を下げた。


「……ありがとう」


 風が止み、星が瞬いた。二人の間に、もう何の影もない。

 そして、彼女が選んだ未来が、今、始まる。


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