第五十四話 「嘘だろ」
帝国北方都市ヴェルディア・中央病院。
建物全体が震えた。天井が軋み、窓がびりびりと共鳴する。
光が壁を突き抜け、屋根を突き抜け、大きくうねり、暴れ狂う。
「な、何が起きている……!?」
「光が……光が生きている!」
患者、看護師、見舞いの家族たち、誰もが息を呑んでそれを見上げた。
うねりの中心でアデリアは両手を広げたまま、床に膝をつき肩で息をしていた。
「…………っ」
アデリアの唇が震える。
覚醒した聖女の血が、抑え込まれていた数百年分の“癒し”を一気に解放しようとしている。光がさらに膨らみ、彼女を中心に渦を巻き、天井を突き抜けて夜空へと昇っていく。
「ぎゃっ!」
近くにいた衛兵や看護師たちが悲鳴を上げて吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「う……っ!」
全身を灼くような熱。
血管を灼き、骨を軋ませ、意識を白く染めるほどの奔流。“力の噴出”が止まらない。
制御できなければ、治療どころかこの場にいるすべての命を焼き尽くしてしまう。
アデリアは必死に歯を食いしばった。
(だめ……!抑えなきゃ……!)
だが、力は止まらない。むしろ加速する。
光はもはや巨大な暴風となって病棟全体を包み始めた、そのとき。
ぴょん。小さな白い影が、渦の中心に飛び込んできた。聖獣ノア。
仔狐ほどの体が、光の奔流をものともせずアデリアの胸に飛びつき、両手でぎゅっと彼女の頬を挟むようにして、額をぴたりとくっつけた。瞬間。
「――――っ!!」
アデリアの体内に、別の“流れ”が生まれた。ノアの小さな体から、澄んだ水のような魔力が逆流してくる。
それは彼女の暴走する奔流を絡め取り、優しく、しかし確実に“道”を作っていく。
(……落ち着いて、アデリア)
ノアの声が、頭の中に直接響いた。
(この力は、誰かを傷つけるためにあるんじゃない。みんなを救うためにあるんだよ。だから……信じて)
アデリアは涙をこぼしながら、震える唇を動かした。
「……信じる……」
その瞬間。彼女の胸の奥にあった“力への恐怖”が、静かに溶けていった。
光が収束する。力の大渦は、まるで彼女に従うように穏やかな波へと変わり、病棟に満ちていた患者たち一人一人へと、優しく降り注いだ。
「う……あ……」
最初に声を出したのは、死に瀕していた老婦人だった。熱に焼かれ、意識を失っていたはずの瞳が、ゆっくりと開く。
「……痛く、ない……?」
隣のベッドの少年が、がばりと上半身を起こした。
「熱が……消えた!?」
「嘘だろ……俺、もう死ぬと思ってたのに……!」
隔離病棟中に充満していた苦痛の呻きが、ぴたりと止んだ。
病室中に、奇跡の声が重なっていく。
アデリアは膝をついたまま、息を荒げていた。全身から力が抜け、汗が滴り落ちる。
だが、胸の奥にあった“制御できない恐怖”は、もうどこにもなかった。
代わりにあったのは、確かな手応え。
まるで長い間忘れていた“自分の一部”を、ようやく取り戻したような、深い、深い安心感だった。
ノアが彼女の肩に乗って、ふわりと尻尾を振った。
(よくやったね、アデリア。これでこそ“聖女”だよ)
アデリアは力なく笑って、震える手でノアの頭を撫でた。
「……ありがとう、ノア」
光はまだ静かに病棟を包んでいる。外では、空に広がった光を見上げて、人々がひれ伏し、祈り、涙していた。
「聖女降臨……っ!」
「光が……天から降ってきた……!」
アデリアはゆっくりと立ち上がる。
一滴の涙を零しながら微笑んでいた。
「……みんな、無事でよかった」
足元がふらついても、もう怖くはなかった。
これからは、この力が誰かを傷つけるのではなく、誰かを救うためにあると、彼女は確かに知っていたから。




