第五十二話 「心当たりがあるのか?」
エヴェルド帝国北方・ヴェルディア地方。
雪混じりの風が吹きすさぶ季節、原因不明の熱病が突然町を襲った。
最初は「ただの冬の風邪だろう」と軽く見られていた。
だが三日で数十人、十日で百人を超える患者が発生し、治癒院はたちまち溢れた。
「薬が効かない……!」
「熱が下がるどころか、魔力が乱れて暴走している患者まで出ている!」
「帝国中央の医療団が来るまで持つかどうか……」
悲痛な報告が次々と首都へ届いていた。
アデリアがその報を聞いたのは、ちょうどターヴァ領でカリオンと穏やかな午後を過ごしていた時だった。
「北方で疫病?」
アデリアは書簡を読み終えるなり、顔から血の気が引いた。
「……これ、普通の病気じゃないわ」
彼女は指先で紙を強く握りしめ、瞳を細めた。
「患者の魔力が内側から焼き尽くされるような症状……私、似た記録を以前に読んだことがある。たしか……『魔力干渉症』。でも、治療法は――」
カリオンが静かに尋ねる。
「君に心当たりがあるのか?」
アデリアは一度だけ深く息を吸い、決意を込めて答えた。
「あります。でも、確かめるためには現地に行かないと」
「危険だ」
カリオンは即座に首を横に振った。
「原因も治療法も不明の病だ。君まで倒れたら――」
「だからこそ、行かなくちゃいけない」
アデリアは彼の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。その淡い青の瞳に、かつての“控えめな王妃”の面影はもうどこにもなかった。
「行かなくちゃいけないんです」
静かな、しかし揺るぎない声。
カリオンは数瞬、言葉を失った。やがて、彼は苦笑交じりに息を吐き、額に手を当てる。
「……まったく、君には敵わないな」
そして、決断した。
「分かった。だが、条件がある」
彼は背後の侍従に目配せし、即座に命令を下した。
「近衛騎士団の第三小隊を全部連れて行け。医療団の護衛と指揮は俺が直接執る」
アデリアが目を丸くする。
「陛下がご自身で……?」
「当たり前だ」
カリオンは当然のように言い放った。
「君を危険な場所に一人で行かせるわけがないだろう」
その金の瞳に宿る光は、皇帝としての威厳と、ただ一人の男としての覚悟が混じり合っていた。
アデリアは小さく息を呑み、頬を赤く染めて目を伏せた。
「……ありがとうございます」
そのときだった。肩の上で丸くなっていた小さな白い聖獣ノアが、ぴくりと耳を震わせた。
白い仔狐の姿の小さな体がかすかに光を帯び、紫の瞳を細め、突然アデリアの肩から飛び降りる。
「ノア?」
ノアは振り返らない。
小さな体を低くし、尻尾をピンと立てて、疾走し始めた。
「待って!」
アデリアは咄嗟にその後を追った。広場を抜け、領主館の外へ。
ノアは迷いなく、まるで道を知っているかのように走り続ける。




