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第四十九話 「まだ出ない」

 月明かりが薬草畑を銀色に染めていた。

 アデリアは白い外套を羽織っただけの姿で、一人畑の小道を歩いていた。

 昼間の刺客騒ぎで領主館は騒然とし、兄もミレイユも、彼女を休ませようと必死だった。

 けれど、頭が冴えて、どうしても眠れなかった。指先に触れるローズマリーの葉が、かすかに香る。


「……私は、どうすればいいの?」


 小さな呟きが、夜風に溶けていく。今日、カリオンは傷を負った。

 自分のせいで。あの瞬間、彼が背後から抱きすくめ、剣を弾いたとき、アデリアは確かに聞いた。


「大丈夫だ。君は私が守る」


 震えるほど真剣な、熱を帯びた声。あれは、政治的な言葉ではなかった。

 帝国の利益のためでも、皇帝としての義務でもなかった。ただ、一人の男が、一人の女を守ろうとしただけだった。


「……そんなの、ずるい」


 アデリアは立ち止まり、胸を押さえた。鼓動が、痛いほど速い。

 王宮にいた頃、誰かにこんなふうに必要とされたことなんて、一度だってなかった。

 ユリウスは彼女を「飾り」としてしか見ておらず、側妃ラウラは敵意を剝き出しにし、貴族たちは嘲笑の対象にした。

 けれどここには、兄がいて、ミレイユがいて、領民がいて、そして今、カリオンがいる。


「でも……」


 唇を噛む。もし彼の求婚を受けたら。

 もし帝国の皇后になる道を選んだら。

 ターヴァ領はどうなる?この畑も、孤児院も、薬草工房も、毎日顔を合わせてくれる領民たちも。


「私は……この子たちを、置いていけるの?」


 膝を抱えてしゃがみ込む。銀金色の髪が地面にこぼれ、月光を受けて白く輝いた。離縁された朝、馬車の中で流した涙を思い出す。

 あのとき初めて感じた「自由」という言葉。

 でも今は、自由よりもっと大切なものが、ここにある。


「……私には、資格なんてない」


 声が震える。


「皇帝陛下の隣に立てるような立派な人じゃない。ただの、地方領の娘で……」


 そのときだった。ふわり、と小さな白い影が、彼女の膝の上に乗った。聖獣ノアだった。


「……ノア」


 仔狐のような姿の聖獣は、紫色の瞳でじっとアデリアを見つめると、前足で彼女の頬をそっと叩いた。まるで「泣くな」と言っているみたいに。アデリアは苦笑いをこぼし、ノアを抱きしめた。


「……あなたまで、私を叱るの?」


 ノアは小さく鼻を鳴らし、アデリアの胸に頭をすり寄せる。温かい。誰かに、こんなに必要とされている。

 誰かを、こんなに大切に思っている。それが、今の自分なんだ。アデリアはゆっくりと立ち上がった。月が、彼女の横顔を優しく照らす。


「……答えは、まだ出ない」


 けれど、胸の奥にあった重い塊が、ほんの少しだけ、軽くなった気がした。

 遠く、領主館の窓に灯りがともっている。

 アデリアは静かに夜の薬草畑を、ゆっくりと歩き始めた。

 その背中を、月と聖獣だけが、優しく見守っていた。


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