第四十八話「当然だ」
ターヴァ領主館の一室。
薬草の香りが濃く漂う一室は、灯りも控えめに落とされていた。
アデリアはカリオンが横たわる簡易ベッドの傍らに膝をつき、震える手で右腕の包帯を締め直していた。
刺客の短剣がかすめた傷は深くはなかったが、血はまだ止まりきっていない。
帝国随行の治癒師が応急処置を終えた後も、彼女はここを離れようとしなかった。
「……本当に、ごめんなさい」
掠れた声が、静かな部屋に落ちる。
「私が、あのときとっさに動ければ……陛下がこんな傷を負うことなど……」
涙が頬を伝い、包帯の上にぽたりと落ちた。カリオンは黙ってそれを見つめていた。
金色の瞳に、揺らぐ灯りが映る。
いつもは氷のように冷たいその瞳が、今だけは熱を孕んでいた。
「……アデリア」
低く、掠れた声で名前を呼ぶ。
彼女がびくりと肩を震わせて顔を上げた瞬間、カリオンは右手を伸ばして、そっとその頬に触れた。指先に伝わる熱と、涙の湿り気。
「怖かったか?」
アデリアは首を横に振る。
でもすぐに俯いて、小さく頷いた。
「……怖かったです。陛下が、私のために血を流すなんて……思ってもみませんでした」
カリオンはゆっくりと身を起こす。
傷口が疼いたはずなのに、眉一つ動かさない。
「当然だ」
短く、しかし絶対の声音で告げる。
「君を守るのは当然だ。……いや、違う」
彼は一度言葉を切り、深く息を吸った。
まるで長い間閉ざしていた扉を、今ようやく開けるように。
「俺はもう、隠せない」
金色の瞳が、まっすぐにアデリアを捉える。
「君を失うことが、どれほど恐ろしいか。今日、敵の矢が君の喉元に届く寸前、どれだけ肝を冷やしたか。……俺は、君を失ったら生きていけない」
アデリアの瞳が大きく見開かれる。
「陛下……?」
「好きだ、アデリア」
はっきりとした、迷いのない声。
「最初はただの興味だった。次に敬意に変わり、やがて必要になった。だが今は違う。俺は、君という女を、心の底から愛している」
静寂が落ちる。
薬草の香りだけが、二人の間に漂う。アデリアは息を詰め、震える唇を噛んだ。
涙がまた零れて、カリオンの指を濡らす。
「……どうして、私なんかに……」
「他に理由なんてない」
カリオンは微笑んだ。
それは、彼が皇帝として誰にも見せたことのない、ただの男の笑みだった。
「君がアデリアだからだ。それだけで十分だ」
彼はゆっくりと額を寄せ、彼女の額に自分の額をそっと重ねた。
「だから、もう泣くな。俺はここにいる。君を、生涯守るために」
風が窓を鳴らし、部屋の中だけが、二人だけの世界になっていた。




