第四十二話 「彼女は王妃ではない」
大広間は凍りついていた。
ターヴァ領の領主館に集まった領民が、息を呑んで同じ一点を見つめている。
そこに立つのは、黒と金の皇帝礼装を纏ったカリオン・エヴェルド。
彼の背後には、帝国最強と謳われる騎士団が一列に並び、剣の柄に手を置いて静かに威圧を放っていた。
対する王国使者は、顔面蒼白で整列したまま震えている。
「ア、アデリア王妃の身柄を返せ!」
使者の声は裏返り、終わりが震えていた。
「元王妃とはいえ、王国が危機に瀕している今、彼女には義務がある!即刻、王都へ戻ってもらう!」
その言葉に、領民たちの怒りが一斉に爆発した。
「ふざけるな!」
「今さら何様だ!」
「いい加減にしろ!」
子供を抱いた母親までが叫び、老人が杖を地面に叩きつける。
だが、次の瞬間。カリオンが一歩だけ前に出た。
それだけで、広場の空気が音を立てて引き締まった。静寂が落ちる。
彼はゆっくりと、しかし確実に使者の前に歩み寄り、冷たく、どこまでも澄んだ金の瞳で相手を見据えた。
「彼女は王妃ではない」
低く、氷のような声。
「離縁された、と書面で明記されている以上、アデリア・ターヴァは王国とは何の関係もない一介の民だ」
使者が慌てて口を開く。
「し、しかし!彼女は我が国の」
「黙れ」
一言で、完全に塞がれた。カリオンは右手を軽く上げる。
その手に握られていたのは、一枚の羊皮紙。
「ここに国王ユリウスの署名と印璽がある。『アデリア・ターヴァとの婚姻を解消し、王妃の地位を剥奪する』と、明確に記されている」
彼は羊皮紙を風に軽く揺らし、使者の目の前でゆっくりと広げてみせた。
「この書面が有効である以上、彼女の自由は、彼女自身にのみ属する」
声は静かだった。しかし、その一語一語が刃のように鋭く、使者の胸に突き刺さっていく。
「個人の意思を無視して身柄を拘束するなど、それは誘拐だ。国際法上、明確な犯罪行為である」
使者は後ずさり、尻もちをついた。
「で、ですが……!」
「もう言葉は要らん」
カリオンは静かに、しかし絶対の威圧を込めて告げた。
「これ以上の無礼を働くなら、こちらもそれ相応の対応をさせてもらう」
背後の騎士たちが、一斉に剣を半分抜いた。キィン、という金属音が広場に響き渡る。
使者は完全に言葉を失い、ただ震えるだけだった。
カリオンは振り返り、アデリアの方へ、ほんの一瞬だけ、優しい眼差しを向けた。その視線に、アデリアは胸の奥が熱くなるのを感じた。彼は再び前を向き、静かに言い放った。
「帰れ。そして国王に伝えろ」
短く、冷たく、そして決して揺るがぬ声で。
「アデリア・ターヴァは、もう誰のものでもない。これからは、彼女が選ぶ未来を、私が守る」




