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離縁王妃アデリアは故郷で聖姫と崇められています ~冤罪で捨てられた王妃、地元に戻ったら領民に愛され「聖姫」と呼ばれていました~  作者: 猫燕


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第三十六話 「なぜこんな数が」

 王国北端、森林地帯。

 深い霧が立ち込める早朝、血の臭いが風に乗って流れてきた。


「……撤退だ!撤退しろぉっ!」


 騎士団副団長ガレンの叫びが、凍りついた空気を裂く。残った兵はわずか三十ほど。

 出立した時は二百を超えていたはずの王国正規軍が、今や半数以上を失い、傷ついた馬を引きずりながら、森の出口へと這うように逃げてきた。霧の奥から、鈍い地響きとともに現れたのは、

 漆黒の巨体を持つ「黒角魔狼」の群れだった。本来なら、森の奥にしか生息しないはずの大型魔物。

 それが、まるで何かに追われるように、国境線を越えて王国領に雪崩れ込んでいる。


「なぜ……なぜこんな数がいっぺんに……!」


 若い兵が震える声で呟く。誰も答えられない。

 答えを知っている者など、もはやこの場にはいない。答えは、たった一人の女性が王宮からいなくなったことにある。

 アデリア・ターヴァが、毎月のように更新していた「魔物分布図」と「結界維持計画」を、誰も引き継げなかったからだ。

 彼女がいた頃は、魔物の動きは異常なまでに正確に把握され、結界石の魔力補充も、予算の優先順位も、すべて彼女の手で完璧に管理されていた。

 それがなくなった途端、結界は途切れ、魔物は雪崩れ込み、王国は気づいた時にはもう手遅れだった。ガレンは血まみれの剣を地面に突き立て、荒い息を吐いた。


「王都へ……急使を……!これ以上は持たん……!」


 だが、振り向いた先で、急使を務めるはずだった若い騎士が、黒狼の牙に喉を裂かれ、馬ごと倒れるところだった。


「……もう、間に合わない」


 ガレンは天を見上げ、目を閉じた。霧の向こうから、さらに深い咆哮が響いてくる。その音は、まるで王国そのものに牙を剥く、遠く、しかし確実な終焉の鐘のように聞こえた。

 同じ頃、王都の玉座の間では、ユリウス国王が苛立たしげに片手を振って、血相を変えた伝令官の報告を遮った。


「なんだと?たかが魔物ごときで騒ぐな!騎士団がいるだろう。結界などアデリアがいなくても、誰かがやればいい!」


 伝令官は唇を噛み、膝をついたまま震えた。


「……騎士団は、すでに壊滅寸前でございます」

「なんだと?」

「副団長ガレンより、最後の伝言です。『王妃殿下がいた頃は、こんなことには……』とのこと……」


 ユリウスの顔が、初めて青ざめた。だが、次の瞬間、彼は声を荒げた。


「黙れ!あの女がいなくとも、王国は回る!回らぬなら、お前たちが無能なだけだ!」


 玉座の間は凍りついた。

 誰もが、同じことを思っていた。回らなくなったのは、王妃を失った瞬間からだった、と。

 そして、誰もが、まだ口に出せなかった。もう、本当に手遅れかもしれない、と。

 霧の向こうで、黒狼の群れが再び咆哮を上げた。それは、王国が失ったものを、これ以上ないほど残酷な形で、教えてくれる音だった。


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