第三十三話 「もう作れないんです」
王都・中央治癒院、長廊下。
朝の陽射しが差し込むはずの窓も、今は厚い布で覆われていた。
空気は重く、薬の匂いと吐息と、どこかまとわりつく腐臭が混じり合っている。
「次!次の患者を!」
治癒師たちの叫びが、いつもより甲高く響く。
ベッドはすでに足りず、廊下にまで藁が敷かれ、そこに患者が横たわっていた。
高熱でうなされ、皮膚に赤黒い斑点が浮かび、喉の奥から血混じりの咳が漏れる。
「くそっ、また増えた……昨日より三十人以上だ」
年若い治癒師が、額の汗を手の甲で拭いながら呟いた。
隣に立つ先輩の治癒師は、唇を噛んで俯いている。
「……アデリア様がいらしたら、こんなことには……」
小さな、掠れた声だった。
けれど、それを聞いた周囲の者たちが一瞬、動きを止めた。アデリア・ターヴァ。
三ヶ月前、王宮から“毒を盛った罪”で追放された元王妃。彼女がいた頃、この治癒院はいつも静かだった。薬は足り、患者は少なく、治癒師たちは笑顔で働いていた。
彼女が自ら調合した「ハーバ薬」は、熱病を三日で鎮め、咳を一晩で止めた。
在庫は山のようにあり、しかも安価だった。
王都の外れの貧民街にまで、特価で回っていた。けれど今、倉庫は空っぽだ。
「代わりの薬は……もう作れないんです」
先輩治癒師が、力なく首を振る。
「配合表は残ってるけど……あの通りに作っても何故か効果が出ない。アデリア様はいつも“勘で”最後の微調整をされていたって……誰も、その“勘”を真似できない」
若い治癒師は拳を握りしめた。
「なんで……なんであんな人を追放したんだ……!」
その声は、廊下の奥まで響いた。患者の一人が、熱に浮かされた目でこちらを見上げる。
「……王妃様……王妃様は、どこ……?」
掠れた声で繰り返す。
「アデリア王妃様が……戻ってきてくれれば……俺たち……助かるのに……」
誰も答えられない。治癒院の外、街の広場では、すでに噂が広がっていた。
「前王妃を追い出したから、神様の怒りが下ったんだ」
「側妃様が毒を盛られたって言ってたけど……あれ、嘘だったんじゃないのか?」
「王様は……王様は何をしてるんだ!」
怒りと不安と、後悔の声が、少しずつ、確実に王宮へと向かって集まり始めていた。
中央治癒院の屋上。一人、風に吹かれている老治癒師がいた。かつてアデリアに直接指導を受けた、古株の男だ。彼は空を見上げて、ぼそりと呟いた。
「……アデリア様。あなたがいた頃は、こんな空気じゃなかった」
風が、答えの代わりに、病人のうめき声を運んできた。




