第三十一話 「近いうちに」
翌日のターヴァ領は、朝日が眩しく輝いていた。
広場が収穫祭の後片付けで賑やかな中、帝国の黒い馬車が静かに領主館の前に停まる。
カリオンは最後の挨拶を済ませ、甲冑の上に羽織った深藍のマントを翻して馬車に近づいた。
背後では、レオナルドが腕を組み、ミレイユが目を真ん丸にしてこちらを見ている。
アデリアは館の石段の上に立ち、いつもの穏やかな笑顔で一礼した。
「陛下、この度は本当にありがとうございました。領民たちも、帝国のお客様がこんなに楽しんでくださったと、大変喜んでおります」
カリオンは足を止め、振り返る。金色の瞳が、朝陽を受けて燃えるように光った。
「……私こそ、感謝している」
短く、しかし確かに。その一言に、アデリアは少しだけ目を伏せた。
「また来る。近いうちに」
カリオンはもう一度、はっきりと言った。
「君に学びたいことは、まだ山ほどあるから」
アデリアは瞬きをして、頬が熱くなるのを自覚しながらも、静かに答える。
「……お待ちしております。いつでも、ターヴァ領は陛下を歓迎いたします」
カリオンは小さく頷き、馬車に乗り込んだ。扉が閉まる寸前、彼は窓から身を乗り出して、最後の一言を落とした。
「約束だ、アデリア」
馬車がゆっくりと動き出す。
蹄の音が遠ざかっていく。アデリアは石段の上に立ち尽くしたまま、胸に手を当てる。
なぜか、心臓が早鐘のように鳴っている。
(陛下の言葉……あんなふうに言われたの、初めて)
風が銀金色の髪を揺らし、彼女は無意識に微笑んだ。
馬車の中。カーテンを軽く閉め、カリオンは背もたれに深く沈み込んだ。静寂の中で、彼は初めて、自分の胸の奥に渦巻く感情を真正面から見つめた。熱い。
苦しいほどに、熱い。
「……私は、彼女に惹かれている」
声に出して呟いた瞬間、確信に変わった。政治でも、策略でもない。
ただ一人の女性として、アデリア・ターヴァに、心を奪われた。
馬車の揺れに身を任せながら、カリオンは静かに目を閉じた。
(次に会うときは、もう逃げない)
冷徹と呼ばれた皇帝の胸奥で、誰にも見せたことのない熱が、確実に燃え始めていた。
眩しい太陽が漆黒の馬車を輝かせ、街道を照らす。
ターヴァ領と帝国を結ぶ道の上で、二人の新たな物語が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。




