第三十話 「やっぱりバレてた」
領主館・二階の回廊。
月明かりが窓から差し込み、アデリアの銀金色の髪を淡く照らしている。
祭りの余韻の喧騒がかすかに遠くに聞こえるだけで、館内はすっかり静まり返っていた。アデリアは自分の部屋に向かい、廊下の角を曲がった。……と。
「アデリア!」
真正面に、腕を組んで壁に寄りかかっていた兄の姿。レオナルド・ターヴァ。
逞しい肩幅に、いつもの豪快な笑顔は影も形もなく、眉間に深い皺を寄せ、まるで獲物を見据える猛獣のようだった。
「に、兄さま……?どうしたの、そんなところで」
「どうしたの、じゃねぇだろ」
一歩踏み出す。床板が鳴る。
「お前、あの皇帝とさっきまで何を話してた?」
「え……?」
アデリアの頬が、ぱっと朱に染まる。
「べ、別に……ただ、領地の政策について、少し……」
「少し、じゃねぇ!!」
レオナルドは両手を広げて、まるで妹を包み込むように立ちはだかった。
「俺は見たんだぞ!祭りの片付けの後、薬草庫で二人きりになって……しかも、陛下が妙に真剣な顔して何か言ってたろ!」
「そ、それは……」
「しかもお前、顔赤くしてたじゃねぇか!」
「ち、違うの!あれは祭りの熱気で……!」
「熱気で赤くなる場所が違う!!」
兄の声が館内に響き渡る。廊下の奥から、ミレイユと数人の家臣がひょこっと顔を出しひそひそ話す。
「……やっぱりバレてた」
「領主様の妹センサー、恐ろしい……」
レオナルドは妹の肩に両手を置き、真剣そのものの目で覗き込む。
「いいかアデリア。あの皇帝は確かに立派な男だ。俺も嫌いじゃねぇ。だがな、お前を利用するような男なら、たとえ皇帝だろうが俺はぶっ飛ばす」
「ぶ、ぶっ飛ばすって……!」
「大陸最強の帝国騎士団だろうが知ったことか!妹を悲しませたら許さねぇ!」
その迫力に、アデリアは思わず後ずさる。
「……兄さま、私は泣いてなんかないわ」
「まだ泣いてないだけだろ!これから泣かされたらどうする!」
「だから大丈夫だってば!陛下はそんな人じゃ……」
言いかけて、アデリアははっと口を押さえた。レオナルドの目が、ぎらりと光る。
「ほう……『陛下はそんな人じゃない』か」
「ち、違う!そういう意味じゃ……!」
「もう完全にその気じゃねぇか!!」
兄の絶叫が夜の領主館に木霊した。奥からミレイユが駆け寄ってきて、興奮気味に囁く。
「姫様!もう隠さなくてもいいんですよ!私たち全員わかってますから!」
「わ、わかってるって何を!?」
「両想い確定です!陛下のあの眼差し、あれはもう完全に恋する男の目でした!」
家臣たちも一斉に頷く。
「俺も見た。あの皇帝陛下、姫様を見る目が甘すぎる」
「片想いじゃなくて両想いになるの、時間の問題ですね」
「結婚式の準備、始めますか?」
アデリアは真っ赤になって手を振り回す。
「み、みんなまで!?まだそういうのじゃないのに!」
レオナルドは深くため息をつくと、妹の頭をぽんと撫でた。
「……まぁ、お前が幸せならそれでいい。でもな、もし少しでも嫌な思いをしたら、すぐに俺に言え。皇帝だろうが何だろうが、まとめてぶん殴ってやる」
その優しさに、アデリアはくすりと笑った。
「……ありがとう、兄さま」
月明かりの中、兄は照れ臭そうに鼻を掻き、妹は頬を赤く染めたまま、胸の奥に灯る小さな温もりを、そっと抱きしめるようにして、部屋へと戻っていった。
この夜、誰もが確信した。聖姫と冷徹皇帝の恋は、もう誰にも止められない、と。




