第二十二話 「君は、誰よりも」
午後の陽射しが、穏やかにターヴァ領を照らしていた。
アデリアは先導するように歩きながら、静かに説明を続ける。
「こちらが新しく整備した灌漑用水路と魔導ポンプでございます。従来の水車に比べ、維持費が三分の一、揚水量は一・五倍になりました」
水路沿いに並ぶ小さな魔導装置は、銀色の管と青い魔石が組み合わさった、簡素だが洗練された設計だった。
水は勢いよく流れ、畑の土はしっとりと潤っている。カリオンは無言で近づき、装置の構造をじっと見つめた後、指先で管を軽く叩く。
「……魔石の共振を抑えるための緩衝材が三重にしてあるな。設計者は相当な現場経験があるようだ」
アデリアは驚いたように瞬きをした。
「ええ、私が……実際に畑で試行錯誤しながら作ったものでして」
カリオンが、初めてはっきりと驚愕の色を浮かべた。
「君が?」
「はい。王妃時代は暇を見つけては工房に籠もっておりましたから」
その一言に、背後に控えていた帝国の文官ヴァレンティナが小さく
「ほぅ……!」
と声を漏らした。
彼女はすでに目を輝かせ、メモ帳に何かを猛烈な勢いで書き始めている。
次に一行が立ち寄ったのは、広々とした食糧倉庫だった。
「こちらでは収穫から三年は腐らない保存法を用いております。温度と湿度を魔道具で一定に保ち、かつ空気循環を……」
アデリアが扉を開けた瞬間、涼しい空気と共に、整然と積まれた穀物袋が視界に広がった。
壁には乾燥剤の魔道具が規則正しく埋め込まれ、床には防虫用の結界陣が淡く光っている。ヴァレンティナが、今度こそ声を上げた。
「こ、これは……帝国中央倉庫の十倍の効率ではありませんか!?陛下!これは凄い事ですよ!」
「落ち着け、ヴァレンティナ」
カリオンは苦笑しながらも、視線は倉庫の隅から隅までを這っている。
最後に案内されたのは、孤児院だった。木造の新しい建物には、花壇があり、子どもたちが笑いながら駆け回っている。
「アデリアお姉ちゃーん!」
「おかえりなさいって言ったら、お菓子くれるって言ってたよね!」
子どもたちが一斉に飛びついてくる。アデリアは自然に膝を折り、子どもたちと目線を合わせて笑った。
「ええ、今日は特別に蜂蜜パンよ。みんなでおやつの時間にしましょう」
小さな女の子が、アデリアのスカートをぎゅっと掴んで上目遣いに尋ねる。
「ねえ、お姉ちゃん、今日は館に帰らないで、ここにいてくれる?」
その一言に、場の空気がふっと静まった。アデリアは優しく、でも少し切なげに微笑んだ。
「……今日はね、みんなと一緒にいられるわ」
子どもたちは歓声を上げて飛び跳ねる。
その光景を、カリオンは少し離れた場所から静かに見つめていた。銀金色の髪に、子どもたちがじゃれつく。
彼女は王族の気品を保ちながら、まるで母親のように自然に笑っている。
カリオンはゆっくりと息を吐いた。そして、一歩前に進み出た。
「アデリア・ターヴァ」
突然の呼びかけに、アデリアが振り返る。カリオンは真っ直ぐに彼女を見つめ、静かだが確かな声で告げた。
「君はこの領地を、奇跡の場所に変えた。そして今、俺は確信した」
短い沈黙。子どもたちでさえ息を呑んで、二人の間に漂う空気を感じ取っている。カリオンは、まるで誓うように言った。
「君は、誰よりも“王”に相応しい」
アデリアは目を丸くして、言葉を失った。
風が通り抜け、孤児院の花壇の花が小さく揺れる。
陽射しの中、銀金色の髪が柔らかく揺れた。
それは、まだ始まったばかりの物語の、決定的な一頁だった。




