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離縁王妃アデリアは故郷で聖姫と崇められています ~冤罪で捨てられた王妃、地元に戻ったら領民に愛され「聖姫」と呼ばれていました~  作者: 猫燕


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第二十話 「なんだ、あの女は」

 夏の陽射しが柔らかく降り注ぐ、ターヴァ領の中央市場。

 石畳の道を埋め尽くす人波は、どこまでも明るかった。


「今年はアデリア様のおかげで麦が三割増しだ!」

「薬草畑の収穫も過去最高だってよ!」

「ほら見てみろ、あれが聖姫様のお守りだ!子どもたちが描いたんだ!」


 小さな木製の屋台には、銀金色の髪をした少女の絵が描かれた粗末な、けれど丁寧に編まれたお守りが山積みになっていた。

 子どもたちが自慢げにそれを見せびらかし、母親たちは笑いながら


「もう売り物にならないわね」


 と肩をすくめる。

 カリオンは、黒い外套のフードを深く被ったまま、馬をゆっくりと進めた。側近のシオンと諜報長ルーファスが左右に控えている。

 三人とも、帝国の紋章は一切外し、旅装の剣士という体裁だ。


「……これが、あの“奇跡の領地”か」


 カリオンは低い声で呟いた。報告書には確かに書いてあった。


「ローデン元王妃アデリア・ターヴァの施策により、領地は急激に繁栄」

「民衆の忠誠心は異常とも言えるほど高い」


 だが、数字と文字では伝えきれなかったものがある。それは、どこからともなく漂ってくる、幸福の匂いだった。

 子どもたちの笑い声。

 商人たちの威勢のいい呼び声。

 通りすがりの老婆が、隣の子どもに干し柿を分けてやる素朴な仕草。

 すべてが、まるで時間がゆっくりと流れているような、穏やかな空気。


「……王国が追放した女が、こんな世界を作ったというのか」


 カリオンは無意識に拳を握りしめた。彼はこれまで、数えきれないほどの都市を見てきた。

 繁栄する首都もあれば、飢餓に喘ぐ辺境もある。

 だが、ここまで“民が心から笑っている”場所は、帝国のどこにもなかった。シオンが小声で囁く。


「陛下……あれをご覧ください」


 視線の先――市場の片隅に、小さな広場があった。

 そこでは、白い簡素な上衣にエプロンをかけた銀金色の髪の女性が、農夫たちに囲まれていた。

 アデリアだ。彼女は膝を折り、怪我をしたらしい老農夫の足を診ている。


「大丈夫、浅い傷よ。三日もすれば治るわ」

「でも聖姫様……こんな汚い足を……」

「汚くなんかない。あなたが畑を耕してくださった足でしょう?」


 アデリアは微笑み、自分の上着の裾で、老農夫の足の泥をそっと拭った。その仕草に、周囲の農夫たちが一斉に頭を下げた。


「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……!」


 カリオンは息を呑んだ。

 今はそうでないとしても王族だった者が、民の前に膝をつく。

 しかも、まるで当然のように。彼の知る“高貴な者”は、誰もそんなことはしない。

 自分も含めて。

 威厳を振りかざさず、ただ真剣に、等しく手を差し伸べる。しかも、その手から零れる光は、明らかに高位の治癒魔法だ。(王国の報告書には、こうは書いてなかった)

「元王妃は控えめで大人しく、政治には疎い」

「側妃に毒を盛ろうとした腹黒い女」

「追放されて当然の人物」

 ――すべてが、嘘だった。カリオンは無意識に拳を握りしめた。この女性は、王族である前に、ただの“人”として、民と向き合っている。威圧も、気取りも、見返りを求める様子も、一切ない。

 けれど、その存在そのものが、圧倒的な尊厳を放っている。


「……なんだ、あの女は」


 初めて、胸の奥に熱いものが灯った。それは、敬意だった。と、同時に得体の知れない焦燥。(この人を、王国は捨てた?あの王たちは、目をどこにつけていた?)

 シオンが苦笑交じりに呟く。


「……陛下、顔に出てますよ」


 カリオンは慌てて表情を引き締めた。だが、遅かった。遠くで、アデリアがふと顔を上げた。

 淡い青の瞳が、こちらをまっすぐに見つめる。一瞬の静寂。彼女は小さく微笑み、軽く会釈した。まるで、


「お疲れ様です」


 とでも言いたげな、自然な挨拶。

 カリオンは、なぜか鼓動が跳ねた。

 ただの視察のはずだった。

 ただの“人材評価”のはずだった。なのに、妙に惹かれている気がした。

 市場の喧騒が遠のく。カリオンは、フードの下で静かに唇を開いた。


「予定を変更する。今、彼女と話がしてみたい」


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