第十三話「私にできることなら、全部やる」
夕暮れの領主館、屋上テラス。
風が少し冷たくなってきた初秋の空に、茜色がゆっくりと広がっている。
アデリアは手すりに肘をつき、見慣れた自分の領地を見下ろしていた。
遠くの畑では、子どもたちが今日も
「聖姫さま!」
と叫びながら走り回っている。
どこかの家の煙突からは、夕食の匂いが立ちのぼる。
「……本当に、ここにいてもいいんだ」
小さな呟きが、風に乗って消えた。背後で重い扉が開く音。
「妹よ」
レオナルドだった。いつもの豪快な笑顔は封印し、珍しく真剣な顔で兄は隣に並んだ。
大きな手でアデリアの肩をそっと包むように置く。
「……王都でのことは、全部聞いた」
アデリアは小さく首を振った。
「もういいの。終わったことだから」
「終わってねえよ」
レオナルドの声が低く震える。
「あのクソ王と側妃という女が、お前をどれだけ傷つけたか……俺は兄貴として、領主として、許せねえ」
アデリアは苦笑いしながら、兄の大きな手を自分の肩からそっと外した。
「兄さま。私はもう泣かないって決めたの。泣く時間があったら、ここでできることをしたい」
その瞳は、確かに王都にいた頃より澄んで、強く光っていた。
レオナルドはしばらく妹を見つめ、ふっと息を吐く。
「……相変わらず、お前は強すぎる」
そして、真っ直ぐに視線を合わせる。
「頼む。アデリア。このターヴァ領を、もう一度、世界で一番幸せな場所にしてくれ」
「え……?」
「俺は領主だ。剣を振るのは得意だが、薬も、農政も、人の心を癒すのも、全部お前の方が上手い。民はもう、お前を“聖姫”と呼んで、明日を生きる理由にしてる」
レオナルドは片膝をつき、まるで騎士が主に忠誠を誓うように、妹の手を取った。
「だから、どうか力を貸してくれ。俺たちの、たった一人の希望になってくれ」
アデリアは瞬きを繰り返し、頬が熱くなるのを感じた。王都では、どれだけ尽くしても「余計なこと」と笑われた。
けれどここでは、彼女の知識も、優しさも、すべてが“必要”だと言ってくれる。風が二人の髪を揺らした。アデリアは静かに微笑み、兄の手を強く握り返した。
「ええ、もちろん。約束するわ。私にできることなら、全部やる」
その瞬間、遠くの村から子どもたちの歓声が聞こえてきた。
「聖姫さまが笑ったー!」
「明日もきっと良い日になるよ!」
レオナルドが照れ臭そうに笑い、アデリアもつられて笑った。夕陽が二人を優しく包み込む。アデリアはもう、誰にも縛られない。
誰にも否定されない。ここが、彼女の本当の居場所だと、心の底から理解した。
アデリアの本当の物語は、ここから始まる。




