第十一話「姫様は昔から」
夜が更け、領主館はすっかり静まり返っていた。
蝋燭の火も消え、廊下の松明だけがゆらゆらと橙色の影を落としている。
アデリアの部屋は館の最奥、かつて幼い頃に使っていた部屋だ。
旅の疲れと、昼間の涙と歓迎で、彼女は久しぶりに深い眠りに落ちていた。
銀金色の髪が枕に広がり、薄い寝衣の肩が小さく上下している。月明かりがカーテンの隙間から差し込み、彼女の睫毛に淡い銀の光を乗せていた。
そのとき、かすかな、鈴のような音がした。
ちりん……ちりん……アデリアは微かに眉を寄せたものの、目を覚ますには至らない。
窓の鍵はかかっていなかった。
昼間、ミレイユが
「姫様は昔から窓を開けて寝るのがお好きでしたよね」
と笑って開け放ったままだったから。
風もないのに、カーテンがふわりと揺れた。そして、小さな白い影が、窓枠にちょこんと乗った。
仔狐ほどの大きさ。だが、普通の狐ではない。全身の毛が月光を浴びて淡く輝き、尾はふわりと九つに分かれている。瞳は深い紫水晶の色で、まるで人の心を見透かすような光を宿していた。
聖獣ノア。
それは、静かに床に降り立つと、四本の足音を立てずにアデリアの枕元まで歩み寄った。そして、そっと、彼女の頬に鼻先を寄せた。
「……ん……」
アデリアが小さく身じろぎする。ノアは満足したように目を細め、彼女の腕の上で丸くなった。温かく、まるで小さな湯たんぽのように、ふわりとした熱が伝わってくる。
アデリアはまだ夢うつつの中で、ぼんやりと手を動かした。
「……あったかい……」
無意識に、ノアの背中を撫でる。
ノアは喉をごろごろ鳴らし、ますます小さく丸くなる。
聖獣だけが知っている。この娘が、まだ幼い頃に森で出会い、薬草を分けてくれた少女だったことを。そして、彼女の体内に眠る“光”が、どれほど大きなものかを。
(もうすぐだよ、アデリア)
ノアは紫の瞳を細め、静かに念話を送った。
(あなたは、ただの人間じゃない。この国を、いや、世界を癒す存在になる)
アデリアは答えず、ただ穏やかな寝息を立てている。
ノアは彼女の髪に鼻を埋め、満足げに目を閉じた。月明かりが、二人(一人と一匹)を優しく包み込む。明日は、また新しい朝が来る。そして、この領地に、再び“奇跡”が始まる。誰もが待ち望んでいた、聖姫の帰還の本当の意味を、知る日が。




