第一話「……何かあったのね」
朝の静寂と不穏な気配王妃宮の東棟、最も朝日が早く差し込む部屋。
まだ夜明け前の薄闇の中、アデリアはすでに起きていた。
銀金色の長い髪をざっと束ね、白い寝衣の上に薄手のローブを羽織っただけの姿で、彼女は薬草をすり鉢で丁寧に潰している。
かすかな苦味と甘い香りが、静かな寝室に広がっていく。
「ふぅ……これで、今日の会議に間に合うかしら」
小さな声で呟きながら、彼女は羊皮紙に走り書きした資料をもう一度確認する。
・新設する孤児院の運営費試算
・南部地方で流行している熱病への対処薬の配合表
・明年用の穀物品種改良案
・魔物対策結界の維持費削減案
どれも王妃としての“嗜み”を超えた、専門家レベルの内容だった。
けれど、この王宮では誰もそれを「王妃らしい仕事」とは呼ばない。
「暇つぶし」
「気まぐれ」
「見栄っ張り」
と、陰で嘲笑われるだけだ。
アデリアは苦笑いを浮かべてすり鉢を置き、窓に目線を向ける。
「明るくなってきた……もうすぐ朝食の時間ね」
そう思った瞬間、ドン、ドン、ドン!
乱暴なノックの音が寝室の扉を震わせた。
「王妃様!お目覚めでしょうか!」
聞き慣れない、どこか怯えた侍女の声。
普段なら担当の侍女か、あるいは年長の侍女長が控えめに声をかける時間帯だ。アデリアの眉がわずかに寄る。
「……何、どうしたの?まだ早いわ」
扉が勢いよく開かれ、若い侍女が顔を真っ青にして飛び込んできた。
「ひ、王妃様……!陛下がお呼びです!すぐに、すぐに謁見室へ……!」
「陛下が?」
アデリアは瞬きを繰り返す。
ユリウス国王がわざわざ自分を呼ぶことなど、ここ数年ほとんどなかった。
朝の謁見など、なおさらだ。
しかも、側近の貴族たちも全員揃っている、と言う。
「……何かあったのね」
静かに呟きながら、アデリアは立ち上がった。
胸の奥で、小さな、しかし確かな胸騒ぎが鳴り始めていた。まだ誰も知らない。
この朝が、彼女の人生を完全に変える朝になることなど。彼女自身さえも、まだ気づいていない。
これから受ける宣告が、どれほど残酷で、どれほど救いになるのかを。
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