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ミーアが、テーブルに紅茶を淹れたティーカップを置いた。
トゥアキス特有の少しフルーティーな茶葉の香りが湯気とともに立つ。
「私が先に口をつけましょう。」
アヴィの目の前でティーカップに口を付けて、毒味をして見せた。
(アヴィに信用してもらわないと…)
(この部屋に来て私を王女と知ったなら、噂と私を結びつけるはず。)
リラがティーカップをソーサーに戻して、一呼吸おいてから勧める。
「よろしければ、どうぞ。」
リラが勧めると、アヴィは全く躊躇せずにティーカップに口を付けた。
それを見て、リラの口元が自然に綻んだ。
(嬉しいわ…私がひどい噂のある王女だと知っても、私を信用してくれているんだわ…)
リラはそう思うと目が潤みそうになるが、気持ちを立て直した。
アヴィがティーカップをソーサーに戻して、リラの方を向く。
「甘い香りが鼻孔をくすぐりますね、疲れている時は特に欲しくなりそうですね。美味しいです。」
お茶を淹れたミーアが嬉しそうな顔をした。
「ふふっ…御気に召したなら、お持ち帰りになりませんか?」
「リラ王女殿下をですか?」
アヴィの色付き眼鏡の奥の瞳が笑っていた。
「な……なにを無礼な」
ミーアが面白いぐらいに顔を真っ赤にして、アヴィの冗談に腹を立てた。
「ミーア、およしなさい。冗談に決まってるでしょう。ミーアは、お持ち帰り用に茶葉を準備してあげて。」
ミーアが納得いかない顔で台所へ行った。
リラはミーアの姿が見えなくなってから口を開いた。
「実は、ここだけの話なのだけど……あの、アヴィを信用して話します。」
リラがアヴィの方を見ると目が合った。
アヴィは目を離さすことなく、リラをずっと見ていた。
リラは若干気まずさを感じながら、話しを続けた。
「アヴィが、どれくらい知っているのかわからないから、わたくしの話す内容で知らないことがあったらその都度言ってちょうだい。」
「わたくし、ノアール王子から形だけの愛人として引き取ると言われているの。」
「そのことで、ノアール王子がトゥアキスと交渉するような口振りだったけど、その場合トゥアキスはグラッセン王妃が交渉事に当たるでしょう。わたくし、ブラオ国王がノアール王子に交渉を任せるとは思えません。」
「この婚約がブラオ王国に非があって成立しない場合、トゥアキスはかなりの賠償請求を求めるでしょう。」
「ブラオ国王が、自国の不利になる状態で交渉をするとは思えません。」
「もし、ブラオ国王がノアール王子の願いを聞き届けるら…わたくしに何らかの罪を着せた上で婚約破棄に持ち込み賠償請求をするか、もしくはローザさまを暗殺するか…なにかしらの手を打ってくるはずです。」
静かに聞いていたアヴィが口を開いた。
「良い読みをなさいますね。その通りですよ。」
「失礼、続きを。」
(アヴィって、私より内情に詳しい?アーベント王太子の腹心だったりするのかしら。)
(だとしたら、信じて大丈夫なの……でも、アヴィを信じて裏切られたら……私諦めがつくわ。)
黙り込んだリラを心配そうな表情でアヴィが見詰めた。
リラが仕切り直した。
「先ほど、使用人たちの前で頼りない恥ずかしい姿をさらしてしまいましたが、ここでのわたくしの立場がお分かりになったかと思います。」
「それで、わたくし双方にとって不利益が出ない方法を考えたのです。わたくしがノアール王子殿下とローザさまの仲に嫉妬して、逃亡したことにすれば両国とも今まで通りではないかと。」
「ブラオ王国は、ローザさまという存在がある以上こちらを責めにくいでしょうし、トゥアキスも政略結婚なのにローザさまを許容できない駄目な王女ということで痛み分けになるでしょう。」
アヴィが感心したような顔をした。
「なかなかいい筋書きですが、実行するのは難しいでしょうね。」
「なぜかしら?」
アヴィはリラが王女だと知ってからは態度を改めている。
リラはそれを当たり前だと思いながらも、急な態度の変化が寂しくて胸が裂けそうになるのを堪えた。
(もう、あの甘やかなやり取りは永遠にこないわね。)
「あなたが、ノアール王子殿下の寵姫を虐げているという噂が、城内に出始めてきています。」
(アヴィはやはりいろいろ知ってるんだわ。)
「私、個人的にお会いしたことないのに…」
「そうでしょうね。ノアール王子がライア王太子の刺客からずっと守っていらっしゃるからね。」
(ローザも狙われていたのね、そうよねブラオ王国からしたら婚約の邪魔だものね。)
「え……ブラオ国王ではなく、ライア王太子からの刺客ですの?」
アヴィが、リラの前髪の奥の瞳を強い視線で覗いた。
「ライア王太子は、トゥアキスのホワイトローズの娘を狙っておられる。」
「トゥアキスの第一王女のことだと兼ねてより噂があるが……」
ミーアがリラの後ろで、息を呑んだ。
「ノアールがローザと婚姻することで、自分がリラ王女の相手に変更されることを懸念しているんです。」
「確実にノアールにリラ王女と婚姻してもらうためにローザが邪魔なのでしょう。婚約、婚姻となれば当然顔つなぎもできるでしょうからね。」
「そして、ここ最近ライア王太子がこの件に関してブラオ国王と方向性を揃えたようですね。」
「最近の噂は、あなたがローザを毒殺しようとしているというものです。」
アヴィが椅子に深く腰掛けてゆったりと座り直した。
「ノアール王子があなたではなく、どうしてもローザと婚姻したいと陛下に言ったのでしょう。」
「ノアール王子があまりに頑なので、ライア王太子もローザの暗殺を諦めて陛下の筋書きに乗ったんだと思います。」
アヴィが眉を顰めた。
「ノアール王子が、あなたのことを悪く言ったりしないので、使用人があなたに負の感情を向けていると報告を受けたけど、今日まで半信半疑で気付くのが遅れましたよ。」
アヴィが自分の行動を悔いていた。
(なぜ、アヴィがそんなことを気にするの?」
「あなたを愛人にという馬鹿げた話は、陛下からまだ保留にされているので、ローザともまだ婚姻の話が進まないようですね。」
(それで使用人が私を邪魔もの扱いして攻撃してきたのね。つながったわ。)
「今から、逃げましょう!リラさま。」
「髪の色をもとに戻せば…いえ、もっと違う色にしてしまえば見つからずに脱出できます!」
ミーアが涙目で、宝石の入った袋を抱えてきた。
「ミーア、落ち着いて。」
「リラ王女殿下、髪の色は元々そのブラウンではないのですか?」
アヴィが食い付いてきた。
リラはブラウンのレンズの奥にあるアヴィの瞳が光った気がした。




