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リラがパンの詰まった袋を受け取ろうとゲーライトの方へ手を伸ばす。
「重いので、滞在中の客室まで運びましょう。」
ゲーライトがリラのそぶりを見て先回りして言った。
「ゲーライトは軍でも上層部の人間よね。」
リラが自分の滞在している部屋を知っているゲーライトをそう推測する。
「そうですね。」
リラはゲーライトに話し掛けながら、食堂に隣接した台所の使用人の専用出入り口から居館に入っていった。
客室メイドとすれ違うたびに、口をつぐんでボンネットを目深にかぶってやり過ごす。
しかし、ゲーライトは身なりが良かったのでリラは使用人に見えていた。
二人はリラの滞在する客室に着いた。
リラが扉をノックをする。
ゲーライトが、扉横のワゴンを二度見した。
ワゴンには水の入ったピッチャーと、具無しの湯気も立ってないスープが置いてあるだけだった。
鍵が開く音がして扉が開く。
ミーアがお怒りモードで顔を出した。
「心配掛けてごめんね、ミーア。」
ミーアが恨めしそうに、リラを見る。
「もう、この間から寿命が10年は縮んでます。」
ミーアが怒って、扉を顔一つ分しか開けてくれない。
「ミーア、もう少し扉を開けて。」
「ほら、昼食も届いているみたいよ。」
「この間お腹を下したでしょう!もう絶対に食べたくないです。」
そう言いながら、感情が高ぶってミーアが勢いよく扉を開けた。
「きゃあああ!」
ミーアが、リラの隣のゲーライトを見て悲鳴を上げた。
「ちょっと、しーっ」
「リラさま、いくらノアール王子殿下に全く相手にされてないと言ってもこれは不味いでしょう。」
ミーアが周りを見て声を抑える。
「シュタットから城までパンを持ってくれたのよ、身元は確かよ。」
「ブラオ王国の軍部の方よ。」
ゲーライトがミーアにも丁寧に頭を下げた。
「軍部所属のゲーライトです。」
ゲーライトの丁寧な振る舞いにミーアの警戒心が和らいだ。
「リラさま付きの侍女でミーア・ニートリヒ・シュティールと申します。」
リラはゲーライトに部屋に上がるよう勧めて、ミーアにお茶を出すよう指示する。
「お茶を差し上げて、ミーア。」
「このパンはゲーライトさまが買ってくださったのよ。」
「さ、どうぞ。お入りになってゲーライトさま。」
ゲーライトはリラに勧められて、中に入る。
普段なら断るところだが、ゲーライトはワゴンのスープが気になって偵察のために中に入ることにした。
リラの勧めた上座のソファは、さすがに辞退して下座の2人掛け用に腰を下ろした。
一旦席を外すことをゲーライトに断りを入れて、リラは着替えのためにその場を離れた。
ゲーライトは不躾にならない程度に中を確認する。部屋自体は調度品等も一流品だ。
リラは簡単に身支度を整えて戻ると、自分も上座を避けちょうどゲーライトの真横の一人掛けのソファに腰掛けた。
ミーアがトレーでお茶を運んできて、リラとゲーライトの前に配膳した。
「トゥアキスで採れた茶葉です、男性には少し甘く感じるかもしれませんわ。」
リラがゲーライトの目の前で、先に口を付けた。
「よろしければ、召し上がってください。」
ゲーライトがカップを持ち上げて、一口飲んだ。
「まろやかな口当たりで、爽やかな香りですね。」
カップを静かにソーサーに戻す。
「お口にあいました?」
リラが微笑む。
「リラ王女殿下、私はブラオ王国の軍人ではありません。」
ゲーライトがグリュック王国の言語で話した。
「そうだったのね…」
アヴィといい、ゲーライトといい、グリュック王国の王太子といい、なぜかグリュック王国の人間が自分の周りには多い。
なぜだろうかと考えた。
まるで見張られているようだと思う。
「ゲーライトさまは、グリュック王国のアーベント王太子殿下の護衛でいらっしゃいましたか。」
「そのようなものです。ゲーライトとお呼びください。」
「リラ王女殿下、不躾な質問をお許しいただけますか?」
ゲーライトはあまりに噂と違うので、気になっていることを本人に聞くことにした。
「ゲーライトは、恩人ですもの。構わないわ。」
リラが花がほころぶように微笑む。
ゲーライトはリラの微笑を見て、先ほど前髪の隙間から垣間見えたレッドダイヤモンドのような色の瞳が忘れられず、前髪の奥を覗きたい衝動に駆られた。
ゲーライトは煩悩を払うため、居ずまいを正してティーカップに入っていた残りを飲み干した。
ティーカップの音を立てずにソーサに戻す。
ゲーライトは、気持ちを立て直してから質問をした。
「リラ王女殿下の良くない噂について伺っても?」
「噂は、本当でしょうか?」
リラの表情が一瞬こわばったが、すぐに口元だけ笑みを浮かべた。
(ゲーライトは私にちゃんと確認してくれるのね……)
(でも、ゲーライトの仕えている人がアーベント王太子なら、私から弁解なんてしない方がいいわね。ゲーライトの目で見て判断して報告してもらった方がいいわ。)
ゲーライトは短時間だがリラの人柄を見て、噂は嘘だろうと思った。
扉横のワゴンも確信の手助けとなった。
本人からの否定の言葉と、自分の主に助けを求めてくれることを期待しての質問でもあった。
「ゲーライトはどう思いますか?私は、肯定も否定もいたしません。」
思っていたのと違う答えに、ゲーライトはまさか噂は本当だったのかと揺らいだ。
「それは、肯定とみなしてよいのですか。」
ゲーライトはリラを見た。
前髪が揺れリラの瞳が一瞬だけ見えた。
リラは王女の目をしていた。
ゲーライトは息を呑んだ。
「お前は、アーベント王太子殿下の目であり耳であり足なのでしょう。」
「噂を集めて主人にそのまま報告するなど、井戸端会議が得意なメイドでもできること。」
「お前がアーベント王太子殿下の側近であるなら集めた噂は、自分の耳目を使ってそれが正しいのかを判断なさい。」
「私を調べるなどお前にとっては、くだらない仕事でしょうが、どんな仕事も手を抜くと、いざという時に主人を守れませんよ。」
「失礼いたしました。」
ゲーライトが立ち上がって頭を下げた。
ゲーライトはリラの言う通り、リラと直接話すまで噂をそのまま主に報告していたし、この仕事を軽視していた。
隣国の第二王子の婚約者など、なぜ自分が調べるのか納得もしていなかったせいもあり仕事がなおざりであった。
主は自分の目でよく見ろという思いで、自分にリラを見張らせたのかとゲーライトは推測した。
リラがゲーライトに笑顔で座るよう促す。
「それで、お前自身がわたくしを見て皆の言う噂通りの人物ならそうなのでしょう。」
ゲーライトは主の女性を見る目の確かさをここで身を持って知った。




