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リラは昨日の使用人の不敬に加えて、昨夜の王子の突撃訪問に神経が高ぶって、まんじりともせず朝を迎えた。
起き上がって気分転換に窓の外を見る。
昼時で木々や建物の影が短くなって見える。
(シュタットでまたパンを買ってこなくちゃ…)
ミーアに持参したドレスの装飾品を取り外して、売れそうなものを選別する作業を言い付ける。
ランドリーメイドのクリンゲルから買い取った地味な服を着てボンネットを目深にかぶって客室を出た。
できれば客室メイドと顔を合わせたくないので、リラは周りを警戒しながら、ランドリーメイドの使用人棟まで行く。
リラは、少し親しくなったアヴィに身分を明かして協力させることも考えたが、あの商人はトゥアキスにあまりいい印象をもっていなかこともあり、どうすべきか迷っていた。
城外へ出る門までの道中に庭園の横を通ることになる。
春も終わりに差し掛かり木々も青々としてきていた。
芝生もきれいに刈られて、薄緑色が光りに当たって眩しい。
庭園に差し掛かりリラの足が止まる。
ガゼボにノアール王子とローザを見つけた。
仲睦まじい二人の姿が目に入る。
美しく整えられた庭園の中に真っ白なガゼボが佇まい、仲睦まじい美しい二人の姿を目にする。
白いテーブルの上には色とりどりのフルーツが器に盛り付けてあり、宝石のようなスイーツもテーブルに並んでいる。
側に控えているメイドや護衛が温かい目で二人を見守っている。
ローザが筆談してそれをノアール王子に見せる。
それを見たノアール王子が微笑みながらローザの頭に手を乗せる。
ノアール王子がコーラルピンクの柔らかい髪をクシャリとして、二人が笑い合う。
ローザの声は聞こえないが、離れたところで見ていると笑い声が聞こえるように錯覚する。
リラは仲の良い二人のやり取り見て、ノアール王子と浜辺を散歩したことを思い出した。
今の自分の境遇が思いやられてどんどん惨めな気持ちになってきた。
(お母さまが知ったら悲しむわね……)
(お母さまの付けていた影が帰国しててよかった。)
(ノアール王子とうまくやっていけるって思ったのに……)
鼻がツンとして涙が滲み出る。
ガゼボにいる二人が涙で霞んで見えた。
「おねえさん、何してるの?」
後ろから声を掛けられた。
あの商人の声だと思ったリラは、すぐに手の甲で涙を拭った。
「こんにちは、アヴィ。」
笑顔で振り返る。
アヴィの目がリラをじっと観察する。
前髪が長めと言っても、じっと見つめられると当然瞳の色に気付かれる。
リラは前回会った時、アヴィにこの瞳の色について問われたことを思い出した。
「なに?」
アヴィがあまり長く見つめてくるのを不思議に思い、リラは首を傾げて尋ねた。
アヴィが、不意にリラの涙の跡を指の背で軽く触れた。
アヴィの指が急に目元に近付いたので、とっさのことにリラは目を強くつぶって身構えた。
王妃の教育係に受けた体罰の記憶と重なり、叩かれると思い癖で身構えてしまっていた。
アヴィが身構えたリラを見て目を見張った。
「ごめん、まつげが付いてたから。」
「あ、取ってくれたんだね。ありがとう。」
リラはぎこちなく笑う。
アヴィがいつもの軽い調子に戻って喋る。
「おねえさん、今日はここで何してるの?」
「ほら、あそこにノアール王子殿下もいるし、あんまりこんなところでじっとしてると、警戒されて護衛の人に捕まっちゃうよ。」
昨日のことが思い出され顔が怖ばる。
(今のノアール王子なら有り得るわ。)
「まさかおねえさん、王子のこと狙ってるの?」
(狙うもなにも婚約者だったわよ…)
「暗殺者とか?」
(狙うって…そっち!?)
「失礼ね!」
思ったより大きな声が出た。
「しっ…」
アヴィが笑いをこらえながらリラの後ろに回って、リラの肩を軽く押して誘導する。
「違うならここから離れて、向こうに行こう。」
リラはアヴィの後ろに付いて行く。
アヴィはランドリーメイドが住まう使用人棟の前を通り過ぎる。
このまま城外に出る気らしい。
洗濯メイドが大きな声をで噂話に花を咲かせている。
「ローザさまは、本当にお優しい方でね。」
リラの足が止まる。
メイドの一人が盥に水を張って、シーツを洗いながらお喋りをしている。
「ローザさまが私のこの手を見てね、保湿クリームをノアール王子に頼んでくださってね。」
メイドが水仕事で乾燥した手を見せながら喋る。
別のメイドが自分の手を他のメイドに見せる。
「それで食堂にハンドクリームが積んであったんだね〜。さっそく使わせてもらったよ。」
もう一人メイドが盥にシーツを入れて持ってきた。
「この間なんて、料理長と一緒にお菓子を作って使用人に配ってくださったとか。」
「あんなにお美しいのに気が利いて下々のあたしらにも優しいなんてね。」
「さすが、王子殿下の命を救った方だよ。」
座るのちょうど良い大きめの石や、丸太の上に腰掛けてシーツなどを洗いながら喋っている。
「そう言えば、隣国の王女さんはもう帰られるんだろう?」
「さすがに、ローザさまがいらっしゃるのだからもう用無しだろう、そのうち帰るだろう。」
メイドの一人が小さい声で話しだした。
「ああ、なんでも嘘つきなんだろう。」
「王子殿下の命を救ったのが自分だと触れ回っていたらしいからね。」
「ノアール王子も鉱山のことがあるから、下手に断れないんだろう?」
「王女さんもそれがわかっているから、いつまでも居座っているんだろう。」
「政略結婚なんて、愛はいらないからね〜、国としても鉱山さえ手に入ればいいわけだしねぇ。」
「そういや、昨日食堂の近くの廊下で用を足されたとか。」
「そりゃあまた大変じゃないか、なかなかこっちの文化になれないんだねぇ。」
「後始末が大変だったらしいよ。」
「私の方も昨日、客室メイドから聞いたんだが王女が城で出される食事に文句を言って皿をひっくり返したり、客室メイドを折檻しているらしくて、そのせいでメイドが隣国の王女の世話を怖がっているってさ。」
リラは足が竦んだ。
(この噂をみんな信じているの?一番最後に聞いた噂なんて事実無根じゃない。)
アヴィが後ろをついて来ないリラに振り返って声を掛けた。
「おねえさん、こっちにおいでよ。どうしたの足が止まってるよ?」
リラは、靴紐を結びなおす振りをして座り込んだ。
「あ、ちょっと靴の紐が…ごめんね、すぐ追いつくから。」
リラはランドリーメイドの噂話に耳を澄ませる。
怖いもの見たさみたいな心境になっていた。
「王女さんなんて威張り散らしてそうだもんね〜、そりゃあノアール王子も気立ての良い美しい娘に惹かれるよ。」
リラがしゃがみ込んでいたのでアヴィが戻ってきた。
「あーあ。お喋りなランドリーメイドだな。」
アヴィがリラの顔色に注視する。
「なに、顔色が悪いけどおねえさんランドリーメイドが話す噂が気になる?」
リラが靴紐を結び終わった振りをして立ち上がった。
(アヴィはなにか知ってるの…?)
「アヴィもいろいろ噂を聞くんでしょう?」
「そりゃあね、商人は情報が命ですからね。ただ、ぼくは噂を鵜呑みになんてしないよ、自分の目で確認する質なんだよ。」
立ち上がったリラにニヤリと笑った。
(この商人は、私が廊下で用を足したという噂や客室メイドを折檻しているなんて噂を耳に入っているのかしら。)
(噂の信ぴょう性を探るために、私に近付いてくるの?)
「わたくし、用事を思い出したからここで失礼するわね。」
真っ青な顔をしたリラをアヴィは心配して覗き込む。
リラはなにかを思いつめたようにその場から走り去った。




