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スイーツ巡りのぶらり道中  作者: das
遥けき夏の霜妖魔 ~カシューナッツのカッサータ~
8/27

(7) 山中の混乱

霜妖魔エクロと別れからも、ユーリンは氷洞を歩き続ける。踏みしめる雪の感触が徐々にはかなくなり、寒さも少しずつ薄らいできた。


(あー……何ていうか、楽しかったな。霜妖魔の国か……想像もしなかった。そんなことを記録する文献もないし、もしかして、世界の秘密? ワクワクが止まらないね。てかネージュ女王陛下、あれ、ほぼ天使じゃん? やっぱ冬神ムルカルン系列だよね、生きた神の遺産か……すごい御方と会えたもんだ……てか天使に『生きる』て概念あるのかな。存在することを定められて創造された場合、それは生命の定義に照らしてみると……)


とめどなく湧き上がる感動を消化するため、ユーリンは闊達(かったつ)な思索にふけった。それは、ある種の゙油断となって、ユーリンの失態を招いた。


氷マナの調和発光を背に残し、ユーリンは薄暗い氷洞を黙々と歩いた。遠方から差し込む日光を目印として、無防備かつ無警戒に足を進める。


躍り出るように氷洞を後にしたユーリンを迎えたのは、降りそそぐ暖かな陽光と、生い茂る木々の香りと……見知らぬ男たちであった。


ユーリンは、瞬時に、現実に返った。


(!? ……しまった!)


男たちは、全部で10人いた。そのうちの1人が、氷洞から出てきたユーリンに気づき、友好的ではない態度で不躾な言葉を投げつける。


「んあ!? 誰だおまえ」


「……そっちこそ、どちらさんです?」


ユーリンは男たちを手早く観察する。男たちには、血なまぐさ事を生業とする特有の剣呑な風情が漂っていた。目には周囲を威嚇するかのような険しさがあり、使い込まれた剣を腰から下げている。顔や腕のあちこちに戦いによる傷跡があり、農耕や牧畜ではない荒々しい仕事に従事していることがうかがえた。フユッソ村の住人でないことは明らかである。


そんな男たちの装いよりもユーリンの目を引いたのは、彼らが荷物のように縛りあげて担いでいるものであった。


(キタンさん!?)


氷洞の入り口でユーリンの帰還を待っているはずの霜妖魔キタンは、手足を縄で拘束され、捕縛されていた。大柄な男が、肩から吊り上げるようにして、担いでいる。縄がキタンの肌に食い込み、痛々しく血が滲んでいだ。


灼熱の怒りが、ユーリンの理性を焼き尽くした。男たちの素性や目的はわからないが、断固たる敵であるとユーリンは認定する。


(コイツら)


そして、激情にかられるほどに冷静さを増すのが、ユーリンの特異な体質である。氷洞の空気よりも冷ややかな黒い感情が、ユーリンを突き動かした。天使の肢体よりも均衡に優れるユーリンの笑みが、その完璧な造形を顕にして、太陽の輝きに照らされる。


「やあ、お兄さんたち。ボク()()に、どういう要件?」


ざわめきが起こった。ユーリンが氷洞から突然あらわれたこと対する戸惑いが収まり、男たちの関心が、ユーリンの卓越した美貌へと移ったのである。惚れ惚れと品定めする男たちの目線が全身を舐めまわす。


ユーリンは、肌に悪寒を走らせた。衣服を剥ぎ取られたユーリンの肢体を男たちが一様に想像していることを、その目線の裏の劣情の汚泥から察したのである。


(きっも……ナメクジでも這わせたほうがまだマシだな)


内心の毒づきは、ユーリンの外見的な完成度を僅かたりとも損ねない。輝くような銀髪を豊かになびかせ、透き通るような空色の瞳が流麗な目鼻立ちを柔らかく包み、蠱惑的な口元からは天禀の声音を奏でるユーリンからは、幻想的な超常の魅力が溢れ出ている。その天恵の甘露をすする芋虫ように、男たちはユーリンを鑑賞した。


「おいおい、とんだ上玉だな」「すっげぇ拾いもんが出てきたな」「たまんねぇな、こりゃ」「楽しくなってきやがった」


男たちの並べる低品質な言葉を、ユーリンは笑顔のまま無感動に黙殺する。下衆な囃し立てにはにべもくれず、キタンを吊るし持つ大柄な男に、言った。


「……その人、ボクの大切な友達なんだけど、何してくれてんの?」


男たちが黙り、沈黙が訪れる。


静かになるなら大変結構―――男たちの反応を無視して、ユーリンは拘束されているキタンの状態を観察した。手足には擦過傷、顔には殴打跡、唇は切れて血が滲み、痛々しい様相である。口元を荒縄で結ばれ、言葉を発することはできない。弱々しい目の光が、辛うじてユーリンと交錯した。


(……無理な太陽魔法の消耗さえなければ、こんな連中なんかに……)


ユーリンは歯噛みした。キタンはヒューマン族の゙魔術師と比べても一流の水準であるが、ロセ宅で行使した太陽魔法の反動で体内マナの消耗が甚だしい。氷魔法も炎天下では攻撃魔法としては威力が乏しく、せいぜいが林檎1つを凍らせる程度のことしかできない。影魔法による姿身の隠蔽も、発動前に相手に視認されていては、効力の限界がある。昨日関羽に捕まえられたことも、所詮はカシューナッツの奪い合いの延長でしかなく、深刻な敵意があったわけではない。本来であれば、ただの荒くれ者に捕らえられるようなキタンではないのである。

キタンの声なき無念の怨嗟を、ユーリンは音もなく、聞きとった。


(……必ず。少し待っていてください)


ユーリンは無言のうちに、キタンに力強く誓約した。しかし前途は多難である。


ユーリンの腰には、申し訳程度の武装―――剣がある。たゆまぬ鍛錬によって剣技の技巧には長じるユーリンであるが、多勢を相手に圧倒することはできない。絶対的な体躯に劣るため、身に備えられる武力の限りがあるのである。神秘殺しのエーテルナイフは懐に健在であるが、眼前の男たちからは、雪の一粒ほどの神秘すら感じられないため、ただの小型の刃物でしかない。ユーリン自身の魔法は、荒事を生業とする者に正面から通用する水準ではない。


絶対的な危機に違いなかった。……しかし、


(うーん。迫力がない。あのネージュ女王陛下と比べると、何ていうか、しょぼいな、コイツら。てか比べるのも失礼だな)


ユーリンは、これを自身の窮地とは感じていなかった。背中に吹き付ける氷洞からの冷気を、涼しげに受け止める余裕すらある。……隙をついて自分だけ氷洞に逃げ込むことはできたが、ヒューマン族同士の下等な騒乱を霜妖魔の国に持ち込む無礼は赦されないであろう。女王の貫禄を思い返し、もしもそれをすれば確実な死を与えられることをユーリンは直感した。


(死地は氷洞(コッチ)。生きるには、前だな)


もとよりキタンを見捨てる選択肢はない。キタンを救出するために、ユーリンは男たちと向き合った。


覚悟を決めたユーリンを、男たちの哄笑が迎えた。


「ぶはははは、なんだよ、そりゃ!」「トモダチってなんだよ!? すっげぇオモシロイな」「霜妖魔と仲良しってか? ずいぶんカワイイねぇ、ますます惚れちゃうよ」「そんじゃオレたちともお友だちになろうぜェ」


(よかった。やはりボクを前にしたら、誰でも()が出る。すぐにボクが殺されることはなさそうだな。 なら活路は十分だ。……まったくむくれて膨れた魔羅には知能を下げる呪いでもかかってんじゃないか? ……てかもっと違う生殖(複製)手段を講じろよ、やっぱ、神、趣味、悪すぎ、何考えたら、さきっちょから種汁垂らす発想になるんだよ、無駄だろその機能、てか図柄がグロい、マジ、神、クソ……にしても、霜妖魔を捕らえるなんて、いったいどういうつもりなんだか……西の山に感じていた嫌な予感てのは、コレで間違いないんだろうけど、ほんと、なんなの、コイツら……)


忙しく思考するユーリンに対し、男のひとりが脅すように前に出て、凄んだ。


「予定にゃなかったが、オマエも収穫だな。一緒にきてもらおうか。オレたちと楽しくしようぜ、たっぷり可愛いがってやるよ。……逆らうなよ? 傷がつく」


「……人違いかな? ボクたち初対面だよね?ボク、人の顔と名前を忘れたことはないつもりなんだ。それとも性別違いってこと? ……ボク、男だよ。間違われたことはあんま無いんだけどさ、間違えることを咎めはしないよ、肉食えてないボクが悪い。けどさ、いずれは名だたる大豪傑だよ、今のうちにサインとかしようか?」


ユーリンの放言に、男たちが腹を抱えて笑い出した。笑いと好感は紙一重である。この印象が残る限り、男たちの突発的な暴力がユーリンに向かうリスクは低くなる。心理的な安全圏を確保したユーリンは、次いで、本題に切り込んだ。


「……さて。事情は聞かせてもらえるよね。……セルヒオさん?」


ユーリンは、生い茂る低木の陰に向けて呼びかけた。氷洞のものではない、冷ややかな空気が漂う。


やがて、低木の裏から、セルヒオが姿を現した。ゆっくりと歩み寄りながら、バツの悪そうな表情で、ユーリンに応える。


「どうして、わかった?」


「こんな()()()()に生まれたからね、ボクは視線には敏感なんだ。見逃すこともできたけど、それよか仲良くなってちゃんとお話をしてもらうには、いまさらながら良い機会かなぁ、て。……偶然ココに居合わせたわけじゃないでしょ? てか何で隠れてんの? 馬鹿なの?」


セルヒオは荒くれ男たちの一群として合流すると、ユーリンに凄んだ男の隣に立って、言った。


「……悪いな、悪いようにするぜ。ヴェスプさん、コイツを殺してくれ、いろいろ知りすぎだ。村でベラベラと言いふらされると困る。ココで死体が見つかれば、霜妖魔のせいにできるだろ」


「―――っ! セルヒオさん、アナタというヒトは……」


ユーリンの声に緊張が漲った。しかし、それは自分の身に迫る危機を恐れてのことではなかった。


「……ほんと、馬鹿……」


哀れみを含んだ声で、ユーリンは嘆いた。


ユーリンとセルヒオのやりとりを見ていたヴェスプというリーダー格の男は、困ったように頬をかいた。隣に立つセルヒオと、正面のユーリンを見比べている。


「あー、セルヒオ、オマエ、頭悪いな」


それは、仕方なく何かを諦めたような語調であった。


ユーリンは、たまらずセルヒオから目を背けた。


次の瞬間、ヴェスプの携えた剣が抜き放たれ、そのままセルヒオの身体を走る。


「……なっ!?」


鮮血が、大地を赤黒く染めた。生臭い鉄の匂いが、大気に満ちる。


その場で唯一、この顛末を予期していなかったセルヒオが、驚愕の顔で地に伏した。


ヴェスプは、セルヒオの背を見下ろしながら、理屈をあえて探すように言った。


「まー、あれだ、どっちが儲かるか、って話だな。オマエの村での外聞を守るためにコイツを殺すよりも、その、なんだ、オマエを黙らせてコイツを売ったほうが高い値がつくんだよ」


ヴェスプと呼ばれた男は、ユーリンの髪を乱暴に掴む。

ユーリンの顔が、怒りに染まった。


(……髪に! 触るな! ボクの、大切な髪にッ! 触っていいのは、1人だけだ……! )


ユーリンが怒鳴り声を上げなかったのは、一応、セルヒオを哀れむ気持ちが直前まで胸中にあったためである。


ヴェスプはつかみ上げたユーリンの顔を、まじまじと鑑賞し、ほくそ笑んだ。


「見ろよ、このツラ。どっちでもイケるだろ」


ユーリンの麗顔を仲間に晒し、改めて収穫物の値嵩(ねがさ)を誇った。

そして、価値なきモノを見下すように、瀕死のセルヒオに言い聞かせる。


「オマエは用済みだ。霜妖魔の()()もわかった。フユッソ村の()()も把握できた。もうそろそろいい加減に、オマエの役割ねェんだよ。村で俺たちのことベラベラと言いふらされても愉快じゃねぇしな。ココらでサヨナラってヤツだな」


「……うら……ぎる、の……か」


セルヒオは顔を土に埋めながら、懸命に首の向きを変えて、ヴェスプを睨む。死にゆく流血の中で、敵愾心をむき出しにした。

セルヒオの根性の座りようをユーリンは意外に思ったが、すべては手遅れであった。


ヴェスプは呆れ果てたようにセルヒオの顔を足で踏み、吐き捨てる。


「馬鹿かテメェは。(かしら)の賭場で負け分を払えなかった時にオマエは死んでんだよ。オレの役目は『取り立て』だ。……まさかツレだと思ってたのか。バカにも程がある」


そしてセルヒオからはすっかり関心を失ったようで、ヴェスプは徒党の男たちに高らかに呼びかけた。


「今日は引き上げるぞ。霜妖魔が一匹と、極上の売り物が1つ。下見にしては惚れ惚れする獲物だな。……マジで惚れそうだぜ、オレのモノになるなら長生きできるぞ」


ヴェスプの腕力は体格相応に強靭であり、腕をつかまれたユーリンは痛みを覚えた。しかし、弱みを見せることはユーリンの誇りが許さない。冬の訪れを告げる冷風のような澄まし顔で、ヴェスプに応えた。


「趣味じゃないね。根っからの貫禄が足りてないよ。……振るえて凍えるような男ぶりを見せてほしいところだけど、今のところはただの下衆だね」


「いい度胸だ。売り物じゃなけりゃ立場を教えてやるところだが……連れていけ、歩かせろ。縛って余計な傷をつけるな。……コイツは極上の値がつくぞ」


ヴェスプは傍らの男たちに指示を出しながら、見惚れたようにユーリンの美貌を鑑賞する。


「オマエならいつでも歓迎だ。まぁ、オマエの気が変わったら、相手してやるよ」


「あらうれしい。ボクは茶葉にはうるさいよ。歓迎会では上撰を選りすぐって()れてよね」


「あっはっは。おお、おお。いれるよ、間違いなく()()()さ。お許しも出たことだし、さあ歩こうか。……逃げない限りは優しくしてやるよ。逃げたら殺すことになる、逃げるなよ? したらオレは悲しくて、泣く……」


「……は? ホントつまらない。氷柱(つらら)くらい降らせてみたら?」


「あ? ツララ? 何のことだ?」


「……そう? なんでもないよ。さ、行こうか。……で、どこまで?」


ユーリンはヴェスプを刺激しない程度に軽口の応酬を交わし、毅然とした態度で、男たちの誘導に従う。


(さて。なんだろね、こいつら。『霜妖魔の巣穴の場所』だって? どこかの国の友好使節団にはみえないし、はたして霜妖魔に何の用件かな。……ていうか『巣穴』だって? コイツら霜妖魔をナメすぎだろ、絶対碌な魂胆じゃないな。……キタンさん、しばし時間をください、必ず、助けます)


ヴェスプの仲間の荒くれ男たちがユーリンを取り囲み、逃げ道をふさぐ。そのむさ苦しい人波の隙間から、ユーリンは地に伏す瀕死のセルヒオを一瞥した。


(そんじゃセルヒオさん、サヨナラだ。事情はまだわからないけど、たぶん自業自得じゃないかな、知らないけど、偏見だけど、興味ないけど。……少なくともボクが貴方を助ける義理は、さっき完全(かんっぜんっ)に消えたからね。ホントにサヨナラ、安らかに)


ユーリンは心の中で最小限の弔慰をセルヒオに捧げた。

その時、懐に収納されたエーテルナイフが、その存在を訴えるかのように肌に当たる感触を強めた。

たちまちユーリンの脳裡に光がともる。


(……ああ、そうか。そういう筋があるのか……頭が悪いのは確定としても、運は良いのか、悪いのか。てかコイツのためにボクもスレスレだな、ほんとムカつく。……ヤダなぁ)


虫の息のセルヒオを遠目に眺めながら、ユーリンは、率直に「めんどうくさい」と思った。しばし葛藤の逡巡があり、迷い悩んだが、結局ユーリンは、いつもの習性で、関羽に褒めてもらえそうな行動を選ぶことにした。私的な()()()()()、という魂胆も、ある。


ユーリンは歩きながら、男たちの監視の視線の隙をついて、腰に下げた剣鞘の角度を変えた。数歩行進するうちに、ユーリンの剣鞘の先が横を歩む男の足に当たる。当てられた男も、それに気がついた。


「あぁ? ……て、ヴェスプさん、コイツ、こんなガタイとツラでイッチョマエに剣、持ってます」


(ガタイはともかく、ツラは関係ないだろ!)


ユーリンはストレスの高まりを我慢しながら平静な表情を保つ。


ヴェスプは驚いたようにユーリンの全身を眺め、ユーリンが形式的には武装していることを初めて理解したように驚いた顔をした。


「……マジかよ。かわいいねぇ、よく似合ってんじゃん。……取り上げろ」


ユーリンは大人しく武装解除の指示に応じる。ユーリンが剣鞘を結わえる腰紐をほどく仕草に色気を連想したらしい男が吹いた口笛がユーリンに悪寒を走らせたが、それ以上に、男たちの愚鈍さにユーリンは苛立ちを覚えた。


(ほら、いかがわしい鼻息吹く前に、やることがあるだろ? 脳グそを鼻から垂らしてないで、やることをちゃんとやれよ? 種汁のくっさい毒をアタマにまわしてる場合じゃないだろ、悪党やるなら、せめて、ちゃんと、やれ)


ユーリンの期待には、少し遅れてヴェスプが応えた。


「……っと、それと、コイツの手持ちを調べろ。 危ないモンは腰のソレだけか? 隠し持ってるかもしれん。……待て、揉めるな……ったく、オマエ、やれ」


男たちの間で誰がユーリンの身体を検める役割を担当するかで若干の混乱が生じかけたのを、ヴェスプは一言で収め、手近な男を指名した。指名された男は、喜悦顔でユーリンの身体をまさぐるように撫で回し、ようやく、ユーリンの目当てのモノにたどり着く。


「お。コイツ、こんなん持ってましたぜ」


それは、ユーリンの()刀であるエーテルナイフであった。ヴェスプはそれを受け取り、木製の()()()()()放って刃身を検めた。


ユーリンがほくそ笑んだことには、誰も気がつかない。


(……抜いたね)


霜妖魔エクロが返却際にかけた『呪符魔法』のマナが漂ったことを、ユーリンだけが察知した。

妖しく静かに暗緑色の輝きを放つエーテルナイフを、珍しげにヴェスプは眺める。


「ほう。見事なモンじゃねぇか。売れば多少は値がつくかもな」


「……つかないんじゃないかな。そこらの石を削っただけの飾りものだよ。父さんの形見なんだ。リンゴくらいは切れると思う。凍ってなければね」


まだ故郷で健在であるはずの父を、ユーリンは真顔で死人にした。


「……一応さ、ボクはあなたたちのことまだ詳しく知らないからさ、人の道として形式的な忠告はするんだけどさ、悪いこと言わないからさ……やめときなって」


「こんな物騒なモンはお()ちゃんには似合わねぇよ。俺が預かってやるから安心しな」


『お嬢ちゃん』呼ばわりがユーリンの神経を激しく逆なでしたが、表にはしなかった。つい先刻の、霜妖魔の女王との謁見が、ユーリンの心の器を強靭に鍛えあげていた。


「あ、そ。そんじゃ、預かってね。あー、せいせいした。……あー、ぜんぜん思ってないけど、一応言っておくよ。『ケガしないように』ね」


「あはははは。任せとけって。もっとでっかいエモノでなれてるからよ」


ユーリンは男たちの股間をあからさまに睥睨し、吐き捨てた。


「へぇ、そんなに大きそうには見えないけど? 緊張してる? 肩の力抜きなよ。アピ飴なめる? ……と、ごめんね、友達に全部渡しちゃったんだった」




すべての武装を没収されたユーリンは、しばらく沈黙して男たちの誘導に従って歩いた。ときおり振り返って、最後尾をあるく男が担ぐ霜妖魔キタンの身を案じる。キタンは衰弱していたが、鈍い瞳に宿る怒りの色合いは、わずかも衰えていない。


(……こらえてください。もうしばらく様子を見ましょう。この連中の゙意図が、やはり気になる。……そろそろ、いこうかな)


ユーリンは、ヴェスプの背に向けて、声を放った。


「お兄さん、ヒマ?」


「あ!?」


「ヒマならボクとおしゃべりしない? ボク、おクチで楽しませるの得意なんだよ」


ユーリンの微妙な言い回しに、ヴェスプは下卑た笑いを漏らす。


「ほーお、そりゃいいな。さっそく今夜試してやるよ」


「夜までなんて待てないよ。ヒマなのは今でしょ。……なんで霜妖魔の王国の場所について、セルヒオさんから教えてもらったの? ファンなの? もしそうならボクたち仲良くなれるよ」


ユーリンの表面的には朗らかな問いかけに対して、ヴェスプは考え込むような顔になる。


「……そういやオマエ、アレをトモダチとか言ってたな。……王国? ……正気か? 霜妖魔相手に何言ってやがんだ?」


「ふーん、どうもソリが合わなさそうだね。どうせ不快だろうから聞きたくないけど、お兄さんたち、冒険者ギルドのヒト? 霜妖魔の駆除でも依頼されたのかな?」


「ぶっはははははは。そーだよ、そんな感じだ。オレたちゃマットウなお仕事にお勤めチューだよ。安心したかい?」


「へぇ、じゃあただのならずモンね。よかった。冒険者ギルドとケンカなんて損なだけだしね。……つまりボクの敵はお兄さんたちだけなんだ? 楽勝じゃん。で、こんなとこに何しに来たの? 慰安旅行?」


ユーリンの大言を聞き流し、ヴェスプは余裕ありげな態度を崩さない。そして、とっておきの札を切るように、告げた。


「オレたちだけ? ははは、オレたちゃリスティン峠のモンだ。ニーチェ様の傘下つったら、伝わるかい? 世間知らずのお()ちゃんよ。オレたちゃニーチェ様の命令で、なんつうか、とっても良いコトしてるんだ」


「……ニーチェ。……山賊王が慈善事業に手を出したとはね。コンサルタントとか募集してない? ボク、やってもいいよ? 人の道とか知らないでしょ、教えてあげるよ」


さしもユーリンでも、内心に焦燥が芽生えるのを抑えられなかった。


(これは……思ったより手ごわいかもしれないね……)


リスティン峠をねぐらとする大規模山賊団———その頭目であるニーチェは、山賊王の異名で知られている。賊徒としての短絡的な略奪狼藉のみに終始せず、違法な経済活動の運営にも長じ、規律の乱れた行政機関に賄賂を通して勢力を拡大する、地域の裏社会における頂点にある人物である。

その山賊王ニーチェの傘下が、何故このようなひなびた田舎山を訪問したというのか———その理由が、捕らえられた霜妖魔キタンと関連することは明らかであった。


ヴェスプはユーリンの軽口を暇つぶしという調子で楽し気に受け止めて、応える。


「あいにくと間に合ってる。ニーチェ様に助言なんて必要ねぇさ。それに霜妖魔の退治なんてつまらねぇことは、あの方はやらねぇのよ。……まったくとんでもねぇな。セルヒオが漏らした田舎バナシから、こんなことを思いつくなんて……」


「へぇ、気になるな、それ。なんだかボクをさらうのは()()()みたいな雰囲気だったし、ボク、嫉妬しちゃうよ。ボク、このテのシチュエーションでメインデッシュになれないことって、滅多にないんだよね」


「安心しな。霜妖魔に用があるのはニーチェ様の都合だ。オレたちゃオマエに心底惚(ぞっこん)だよ。つまらねぇお(つか)いが、たまらねぇピクニックになりやがった。マジでオマエには感謝しきりだ。これからよろしくな。カラダを大事にしろよ」


ヴェスプはユーリンの肩に手を回し、まるで大切なものを抱き寄せるように身を寄せる。そして、ユーリンの豊かな銀髪を、ことさらに堪能するように、嗅いだ。


(……だから、髪を……髪に! 髪に触れるな……!)


ユーリンの堪忍袋の緒が切れた。

しばらく様子を見つつ事情を探るつもりであったが、ユーリンはその予定をためらいなく放り棄てる。

さしあたりヴェスプが嫌がりそうな言葉を並べ立てた。


「山賊王の趣味は高尚なんだね。ボクは霜妖魔と友達だけど、()()()()気にはならないけどな。きっとよっぽどなんだね。あー、もしかして、樹の股でも興奮できる? 山道とか辛いでしょ、溜めすぎは良くないよ。カラダを大事にしな、て伝えてくれる? たまには左手を使ってみると具合がいいよ。……参考になった?」


「……もういい、黙ってな。おしゃぶりが欲しいなら貸してやるよ。いつも大事に持ち歩いてんだ」


「あらー、使い方、ご存知なの? ちゃんと剥けてる? 被ってたら使えないらしいじゃん? あいにくとボクは知らない事情だけどさ」


「……そんなに試したいのか」


ヴェスプの顔色に赤みが差したのを確認し、ユーリンはわずかに満足した。


(ぶっははは! だいぶ頭がフットーしてるね。最初に余裕ぶった態度とっちゃったもんだから、手下の目の手前、それを貫かなきゃいけないか。けれどもうちょっとだ、崩れろ、下衆が)


ユーリンの沸騰はいまだ収まる兆しがない。

思慮深く後先を考えているようで、その実、情動で行動してしまうユーリンの習癖が、この場における限界ギリギリまで己を突き進ませた。


「お試しは要らないよ。皮かむりのツラじゃないか、ヘボそうだ。……ねぇ、マジメなハナシ……それ、金も暴力もなしで、使ったことある? あはは、だったら新品同様だね、羨ましいよ。意外とピュアなんだね、お兄さん」


「……黙れ。そんなん、意味が、ねぇ」


「は? 意味がない? モテないからそう考えることにしたんじゃない? 劣等感から目を逸らすために、それを無価値ということにして、自尊心を護ってんじゃない? モテないうえにがまんしなきゃいけないなんて、三下はみじめだねぇ。大物ぶっても顔にはハエがたかって———」


ヴェスプの呼吸が止まる。

握りしめた拳が、ユーリンの顔を打ち付けた。

頬を伝わる重い衝撃が、ユーリンの上半身をしびれさせる。


ヴェスプの呻くような声が、喉から這い出てきた。


「……殺すぞ」


ユーリンを殴りつけたヴェスプの目が据わっているのを目の当たりにして、ユーリンはつじつま合わせをいまさら考え始めた。


(……えーと、どうしようかな……。……うーん。……よし、崩せた! 狙い通り! ……内心は凌辱されたハシタメのように千々でズタズタなザマのくせに、ボクを金に換えるためには衝動的にはなれない。足りない脳がますます窮屈になっちゃうよ。……なんつうか、まるで怖くないな、コイツら。あのネージュ女王陛下と比べりゃ木っ端みたいなもんだ。……と、いけないイケない。それでもボクよりは(ちから)が上な連中なんだ、負け筋はゼロじゃない、油断せずにいこう。とりあえず……)


「……っ! つぅ……ごめんなさい! 殺さないでくださいっ」


ユーリンは空色の瞳に涙を滲ませて、命乞いをした。天凛の声音を悲痛な色調に整えて、聴く者の胸を揺さぶるような音量で痛ましく響かせる。まるで、山を覆う木々さえもが嘆き哀れんでいるかのような沈黙が訪れる。


ヴェスプは決まずそうに顔を背けて、歩き出した。売り物に傷をつけるな、という指示をしておきながら自らその禁を破った失態を恥じる思いと、怒り向け先を見失った困惑が、そうさせたのである。

ユーリンを囲うの手下の男たちも、互いに目を背けて言葉を発することがない。それとわからぬように、ユーリンとヴェスプを交互に見やるばかりであった。


当のユーリンは1人で、満足げに勝手に納得していた。


(……いいさ、いいさ。これでいい。……さあ、こい。ボクの気を惹く好機をつくってやったぞ、クソドモ。憂さ晴らしにおちょくってやるよ……てことにしよう。なんとかなるし)




静寂のなかを歩き続けて、幾らかの時が経ったのち、小休止が設けられた。ヴェスプは手下から離れて、独りで煙草をふかしている。


ユーリンを囲う監視はいまだ解かれることはなく、霜妖魔キタンを縛る縄目が緩まることもない。

しかし、手下の男たちの間に微妙な距離感が漂っていることを、ユーリンは的確に見抜いていた。


殴られた傷跡が痛むかのような様子で、ユーリンはうなだれて痛ましげな顔を作り、座り込んだ。


(さーて、釣れるかな)


すぐにユーリンの期待に応える人影が寄ってきた。ヴェスプの手下の男が、ユーリンに声をかけてきたのである。先ほどユーリンの身体を検めた男であった。


「よぉ、大丈夫かい。ひどく殴られたが」


「ううぅっ……痛い……です……」


「ヴェスプさんは加減しねぇからな。アレで売りモンダメにしちまうこともあるんだ。オマエさんはまだ運がいい方だ。歯向かいたくなる気持ちもあるだろうが、損なだけだ、やめとけ」


クスり、とユーリンは笑みをこぼした。

沈痛を堪えた微笑み―――喜怒哀楽の適度な明暗こそが、自身の外見的な魅力を増幅させる特効薬であることを、ユーリンは知悉していた。


気安い調子で声をかけてきたはずの男が、たじろぐ。今さらながらに、眼前のユーリンの妖艶な美貌に気圧されたのである。徒党を組んで遠巻きに囃し立てることはできても、一個人としてユーリンに相対するには、男の自尊心は力不足を否めなかった。


ユーリンは、自身の独擅場に男を吊り上げたことを察知した。

男が内心に隠す不安を癒すように、ユーリンは表情を制御して、徐々に明るみを口元に足した。男の緊張の高まりを、まるで手のひらに乗せた虫けらの挙措のように敏感にユーリンは看取する。


「おもしろいことを言うんですね。ボクのこの状況をみて、運が良いだなんて」


「……あ、あぁ、……その……すまない。……だが本当にヴェスプさんを怒らせるな。あれ以上キレたら、おれらにゃどうにもできん」


「そうですね。……あの、実は……」


ユーリンは、まるで秘密を打ち明けるためにやむを得ずというていで、麗顔を男に寄せる。自身の空色の瞳を、男が十分に至近から鑑賞できるように、見つめた。


「……怖かったんです。突然、こんなことになってしまって……ボク、どうしたらいいか……」


「……ま、まぁ、そうだよな。その、なんだ、おれが言うことでもないかもしれないが、死ぬことはない。大人しくしていれば、それだけは間違いない。安心してくれ」


(なんだそれ知るかボケ死ねなんだ安心てカスが)「そう……なんですか。……よかった。ちょっと元気がでました」


あたかも安堵したかのように、ユーリンは目元を緩ませる。空色の瞳の輝きを、溢れる涙が波打たせた。


あらゆる生命が澄み渡る天空の異変を目の当たりにすれば不安を抱くように、男は自然の摂理に従順に、胸中に恐慌を広げた。衰弱していた罪悪感が鎌首をもたげて、男の臓腑をのたうち回る。その事実から目を背けるように男は息を止めて生唾を嚥下し、しどろもどろになって、やっとのことで口を開いた。


「そ、そそ、そりゃあ……よかっ……た……?」


「うっ、っ、……ありがとう、優しいお兄さん……ボク、さっきは強がってみせたけど、とっても不安で……」


ユーリンは力なくうなだれるフリをして頭部の角度を変え、硬直する男の胸元に頬を添えた。互いのぬくもりが、伝わる。


(……キッモ……ゲロ吐きそう……よし、どうあってもコイツは、殺そう……許さない……絶対……ボクにこんなコトさせるなんて……殺す、コイツ、殺す……)「あの、お兄さん……名前、教えてくださりませんか?」


ユーリンの重みを胸で堪能して痺れるような快感に震えていた男は、すぐには応えられなかった。


「……っ ……」


(……臭い……殺す、殺す、コイツは、絶対……)「ボクはユーリンといいます。内緒にしてくださいね。まだヴェスプさんにも教えてないので、ボクたちだけの秘密ですね」


「……ゆ、ユー……ゆ……」


「ユーリンです。ちゃんと覚えてくださいね。……それとも、ボクの名前なんて、興味ないです?」


「……っ! まさか! そんなことは、ない!」


「よかった」


ユーリンの声音が彩りを鮮やかにして、響く。まるで、よかった、と本当に思っているかのような言い方であった。表情に柔らかな日差しのような朱がさし、春の到来を待ちわびる萌木を慈しむような暖かみが満ちたかのように見える角度を計算し、ユーリンは無邪気そうに男と喜びを分かち合う。


ユーリンの不安を打ち消したことを己の功績と錯覚させられた男は、やや自信を取り戻して、おずおずと口を開く。


「おれは、ジーノってんだが……」


まるで己の名前が廉価であることを恥じるかのような言いぶりで、ジーノは名を明かした。ユーリンはそんな男の言葉を大切そうに受けとる。


(……()けたね、(こころ)。……もともと鍵なんてかかってないようなもんだったけど。古びた納戸を蹴倒すよりもチョロいな)「ジーノ……ジーノさんですね。お名前を知れて嬉しいです。これでボクたちは、少しの間だけですけど、友達ですね……と、アイタタタ。あ、足が」


「お、おい、大丈夫か!?」


「痛みはありますが、なんとか……あと、どれくらい歩くんですか?」


「もうすぐだ。夕暮れ前には、着く」


「山賊王の本拠……じゃないですよね」


「ああ、違う。向かってるのは、何ていうか、霜妖魔のゴタゴタのための゙一時拠点だ。そのうち引き払うっていうから、たいした規模じゃない」


『一時拠点』、『引き払う』―――ユーリンはその単語に感じる不穏な気配を嗅ぎ取った。しかし、すぐにそれを追及はしない。


「霜妖魔のゴタゴタ……? そういえば、なんで霜妖魔を捕まえるんです? 駆除ならわかるんですけど」


「あー、それな。……なんでも、霜妖魔から氷をしぼりとるらしい。氷は貴重だからな、使い方次第じゃ良い金になるらしいんだ。そのための準備だよ」


「……氷が貴重なのはそのとおりとしても、わざわざ霜妖魔から? それに、そんなに儲かりますかね。牛や羊とは違いますよ、家畜みたいにはいかないでしょう」


「家畜に()()んだよ、これから」


「……不可能では? 従順とはほど遠い種族です」


「ああ、だから、それを変える……らしい。霜妖魔に『混沌魔法:変異』をかけまくって、いろいろ試して、大人しく従うヤツらを残して交配させて、数を増やす。『品種改良』っつってたな。……ったく、気の長ぇハナシだ」


ユーリンの背筋を、氷のマナのような冷気が伝う。山賊王ニーチェの計画は、霜妖魔という種族の尊厳を根底から踏みにじる着想であった。


(なんという……ことを……)


確かに霜妖魔はヒューマン族とは相容れないことが多い。冷気に適合し、永劫の冬の到来を望む霜妖魔と、雪と氷の世界では生きる術をもたないヒューマン族とでは、生存のための譲れない対立が永久凍土のように硬くそびえ立つだろう。それでも春夏秋冬を巡る現在の創造界の気候に置いて、2種族は今を生きている。ならば共存の道筋が必ずある、とユーリンは確信したばかりである。


(それを……改良……『改良』だって? ……つきぬけた傲慢……不遜……気に食わない……)


それは、霜妖魔の女王との対面を成し遂げたことによって得た純白の新雪のごとく煌めくユーリンの誇りに、汚泥の(サカヅキ)を傾けるような言葉であった。


一方で、ユーリンの為政者の卵としての器量は、その山賊王の構想を拒絶しなかった。その自覚がユーリンの良心を一層、苛む。


(……ちくしょう……っ! ……それは……それは、だけど『アリ』だ、山賊王……他種族を生活のために利用するなんて当然だ。ヒューマン族を飼育穴で家畜にして食料にするヤツらもいる、ヒューマン族だって豚を食って牛の乳を搾り羊の毛を剥いでいる―――食って食われては、いわば摂理だ、どうして霜妖魔だけをこの輪廻の外側に安住させる……冬神の創造界への降臨を遠のけるために氷のマナは聖帝によって枯渇させられている、けれど霜妖魔だけは生来から氷魔法を扱える、その強力な特権を霜妖魔という種族の内に(とざ)したままにするのは、進歩への怠惰だ……強引にその道をこじ開けるのは……『アリ』だ。倫理? ボクだって肉は、食う、なるべくだけど……今さらなんだ? 霜妖魔を家畜化したとして、何が悪い? その理由を明瞭に言語化できるか? ……けれど、ボクは……ボクだったら……て何を考えてるんだ、ボクはそんなことはしない。だって、()()()()()んだもん。けど……何ていうか、『やられた』な……ちくしょう)


雪が冬山の岩肌に深々(しんしん)とつもるように、ユーリンのそびえ立つ知性の一角に思索の澱がたまる。その苦々しさから目を背けるように、ユーリンは口を開いた。


「………………まったくですね。屍霊術系統の魔法を、ずいぶんと、大胆な使い方しますね」


ジーノは、この話題そのものには関心がなさそうである。ユーリンの会話相手として不足のない振る舞いを心がけようとして、心理的な従属を虚勢で糊塗する曖昧な態度に終始した。


「ま、ニーチェ様は手広くやってく御方だからな。まっとうなヤツらがやらないコトこそ儲かるって信条だ。ビジネスだよ。おれらはそのおこぼれをもらえりゃいい……そのおかげでこんな田舎まで来ちまったわけだ」


「へーえ。とすると、ボクはそうとう運が悪いんですね。セルヒオさんにそそのかされてうかうかと氷洞見学に来たら、ご覧の有様ですよ。……そういえば、まさかセルヒオさんはぜんぶ知ってたんですか? だとしたらずいぶん酷いヒトです、ボクにはあんなに優しかったのに、騙してこんな目にあわせるなんて……」


話題の円滑な推移だけを目的に多少の虚偽を言葉にすることは、ユーリンの良心に僅かな痛みすらも与えなかった。


「あー、違うチガウ、セルヒオは知らねぇよ。アイツには、氷洞に巣食う霜妖魔を駆除して、氷を自由に採掘できるようにして、ニーチェ様の販路で売りさばけるようにする、その途中で村を一枚噛ませるって筋書きで、そこからコツコツ借金の返済をするプランで説明していた」


「あきれた夢物語ですね。氷そのものなんて、売り物になるわけがない。重いうえに、運ぶうちに溶けるようなモノを、この一帯の悪路でどうさばくつもりやら」


「馬鹿だろ? アイツ。お気の毒ってヤツだ。まんまと得意げに洗いざらい全部しゃべってくれた。おかげでずいぶんとやりやすくなったよ」


ユーリンは、怒りをセルヒオに向けた。


(……そういうことか、気づけ、セルヒオの低能ヤロウ。なぜ気づかない。表向きの、氷洞から採掘するという筋書きにしてもだ、商売にする気なんだぞ、なら狙いは明白だろ、山賊王の氷商売とフユッソ村とは根本的に相容れないんだよ)


山賊王の()()行動を図れずにこの連中に協力したセルヒオの愚鈍さに腹を立てた。


(山賊王は、フユッソ村を霜妖魔の()()にするつもりか。間違いなく、武力で。本拠地のアテがあるから、こんな半端な山の中に一時拠点を設けたんだ。つまり村攻めための出城として。……氷を売るにしても、霜妖魔を家畜にするにしても、氷を金に換えるにはフユッソ村は絶好の立地じゃないか。逃すわけないだろ。……自分の地元に金のなる木があります、なんて明かしたら地元ごと接収されるに決まってるだろ……それくらいすぐにわかれよ、馬鹿。……ったく、まだ死ぬなよ? 今後、たっぷり償わせてやるからな)


ユーリンは感情の奔流を押し留めて、冷静さを取り戻した。


(あらかた知りたいことは知れた。……課題は、『ボクたちの身柄』でも『霜妖魔の尊厳』でもなく、『フユッソ村の自治』を護ることだな。……うっわ、これ、ゲロめんどくさっ! ……けどなぁ……これくらいやれないと、建国なんて夢物語だしね……やるよ、ウンチョー、やればいいんでしょ、正妻の根性みせてやるよ、さぁいよいよもってボクに惚れ直せ……やるよ、やるってば!)


ユーリンはエア関羽に約束し、頷いた。

そして、ふと思い出す。


(……あ、ウンチョーのこと……すっかり忘れてた)


慌てて空を見上げる。澄み渡る空は、ユーリンの瞳と同じ色で染まっていた。

そこには何も―――たなびく一筋の゙雲すらも、なかった。


ユーリンは豊かな銀髪をつまみ、悩ましげに指先で踊らせてから、数本をちぎって風に乗せた。

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