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スイーツ巡りのぶらり道中  作者: das
遥けき夏の霜妖魔 ~カシューナッツのカッサータ~
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(3) 氷


3人の村娘という格好の聴衆を得たユーリンの弁舌は、水を得た魚のように巧みだった。

関羽とユーリンの旅の表向きの目的をスイーツ巡礼と明かしつつ、旅の道中に見聞した各地の文化やエピソードを、虚実を織り交ぜ、吟遊詩人のように魅力たっぷりに語り聞かせた。のどかな田舎の村で生まれ育った村娘たちにとっては、極上の娯楽である。村娘たちは夢中になってそれに聞き入り、ときどき思い出したようにユーリンの容姿を眺めて、うっとりとした。


関羽はちびちびと酒を飲んでいた。青年期の身体に転生し、無尽蔵に酒を入れても痛むことのない内臓を得ているが、スイーツ趣味に目覚めた今は、生前末期の往年の浴びて溺れるような酒の飲み方をしない。


(ユーリンめ、なんだかんだで、楽しんでおるな。良いことだ)


村娘たちを愉しませる語りを紡いでいることにユーリンが心底からの喜びを覚えいることを、関羽は理解していた。

露悪的な言動とは裏腹に、ユーリンは徐々に変わりつつある。かつての、世界を憎悪して我が身すら省みず焼き尽くさんとする自滅的な生き方を改め、その生来の天分―――人を束ねる天下の器としての(かたち)を育みつつあった。


孫のような年齢のユーリンの成長を見守り支えることが、いまや関羽の最大の愉しみであり、殊更に明かすことはないが、これを自らの天命とみなしていた。

なお、スイーツは関羽の私人としての趣味である。軍事や武芸には、正直、飽き飽きしていた。生前は、そして生前の死後は、ひたすら天下為公(てんかいこう)のために()った関羽であるが、転生してからはバランスよく自らの人生を楽しむことを意識している。


血腥(ちなまぐさ)は食傷よ。甘味のみが儂の支えだ』『(こじ)らせ野郎が正直者になれたことを嬉しく思うよ。えらい子えらいコ』『儂が(こじ)らせなら、そなたは(ひね)くれであろ』とは、以前の2人の不毛な会話の一部である。(こじ)らせについてはそなたもたいがいぞ、とその時に関羽は言わなかったが、言う必要はなかった、と今は確信している。


関羽がユーリンの成長という極上の娯楽を観劇しながら酒を味わっていると、ユーリンの話の矛先が、関羽が関心を寄せるカッサータへと移った。


「……ところで、こちらのフユッソ村は『カッサータ』というスイーツが名物と伺っているのですが……」


「あー……カッサータですか……」「あれはねぇ」「今は無理って、お母さんも言ってた」


「そのあたりの事情を差し支えない範囲でお伺いしてもよろしいでしょうか」


「ロセさんが、ちょっとねぇ。それに氷洞(ひょうどう)のこともあるし」


「ロセさん?」


「ロセお婆ちゃん。カッサータを作れるの。ヨーコ様の御本(ごほん)は村長さんちにあるんだけど、カッサータのページを読めるのは、今はロセさんだけ。……なんだけど、この間、カルロさんにご不幸があって……」


村娘の言によると、陽子ノートのひとつであるカッサータの履修が現在許されているのは、村に住まうロセという老婆のみであるということだった。

以前のロセは明るく活発な性質で、齢をとって脚を弱くしてからも、生業である牧畜は夫のカルロや村の若い衆に委ね、得意とする料理に腕を振るって、このルベル亭の厨房を担って食堂を賑やかにしていたらしい。

カッサータは、ロセの得意とするスイーツであり、村の名物としてその名を高めていた。


ところが、ロセの夫であるカルロが不意に身罷(みまか)り、ロセはすっかり消沈して、塞ぎ込んでいるとのことであった。料理の腕を振るうこともなくなり、自宅にこもって日がな一日沈痛な面持ちで暮らしているということである。


(そういうことであるか。これは無理強いはできぬな)

村娘たちがユーリンに説明するのを脇から聞いて、関羽は事情を理解した。


村娘たちは、今は亡きカルロの思い出をしんみりとした表情で語る。


「カルロさんがいなくなって、わたしたちもさみしいんだけど、ロセさんの落ち込みようときたら……」「やさしいおじいちゃんだったの。すごくステキなご夫婦だったのよ」「カルロさん、いつもロセさんと仲良くしてて、牛のことも山のことも、すっごくたくさん知ってる人だった」


人生の大半を共にしたであろう善き良人(おっと)を喪うこと―――それが老婆ロセのあらゆる気力を失わせたことは、想像に難しくない。

関羽とユーリンは厳粛な面持ちで首肯して、その心痛を悼んだ。


そして、ユーリンはちらりと関羽に目線をやって、尋ねた。どうする? と関羽の意志を確認していることは、関羽にはすぐにわかった。


関羽は静かに頭を横に振って、意志を示す。

ユーリンは、空色の目に光を浮かべて、納得の了承を表した。


ロセから直接教えを請うことは断念しよう、という結論を暗黙のうちに交わしたのである。


関羽はヨーコノートのレシピ修得を旅の目的のひとつにしている。

村長に頼み込んで、村が保管しているというヨーコノートの写本を閲覧すれば、おそらく関羽はカッサータのレシピだけは会得できるであろう。

しかしそもそも、スイーツの製法を会得することは、関羽のスイーツ巡礼の根本の目的ではない。

古の聖女陽子がもたらしたスイーツ文化について、多く先達が紡いだ歴史と誇りに接し、それを体験して学ぶことを通して、転生後のこの世界の大いなる流れを感じ取り、以て己の血肉とする研鑽を遂げるために、関羽はスイーツ巡礼を志向しているのである。

甘味を口にするのは食道楽としての関羽の楽しみであるが、ヨーコノート履修資格者としての関羽の使命感は、ヨーコノートの先達たちと会って、直接その教えを請うことに向けられていた。何を考えどういう生き方でスイーツを作るのか、ヨーコノートに何を感じ、どのような影響を受けたのか……それこそが関羽の知りたいことなのである。

極端に言えば、カッサータそのものよりも、カッサータの履修を聖女ヨーコに認められたロセという人物に対する関心のほうが強い。

しかしその肝心のロセが喪に服して悲嘆に暮れているとあれば、無理強いはできない。

ただ単にレシピのみを記憶して、カッサータの探求は区切りとするしかない。


関羽とユーリンは無言のうちにそう結論を出したのである。このフユッソ村の名物としてのカッサータを当地で直接味わってみたいという未練はあるが、やむを得ないことであった。


「なるほど、それはおさみしい話ですね。事情はわかりました。ロセさんがお元気になるまでは、カッサータは作れないということですね」


「……うん、でも」「氷がないと」「氷を用意できるの、カルロさんだけだったし」「もう無理かも」


「氷? カッサータとは、氷を材料にするのですか?」


ユーリンは驚いた。

温度調整は料理の基本的な工程であるが、温めるのは容易でも、冷やすのは簡単ではない。まして氷を必要とするとなると、調理が可能となる環境が著しく制限される。ごく限られた条件下でなければ、とても氷など常備できない。


「それはハードルが高いですね。もしかして、カッサータて、そもそも冬の季節でなければ食べられないスイーツなんですか?」


「ううん、カッサータがいちばん美味しいのは、夏よ」「暑い日にロセさんのカッサータをいただくと、最高なのよね」「疲れが吹き飛んで、暑さもへっちゃらなる感じ」「むしろもっと暑くなっちゃえ、くらいあるわね」「あー、それわかるなー」


「ちょっと待ってください。ロセさん、夏に氷を調達できるんですか?」


まさか禁断の氷魔法? とユーリンの脳裏をよぎるものがあったが、村娘たちの言はそれを否定した。


「うん。でも、氷を準備してたのは、カルロさんなの」「山の中に、洞窟があって、氷がいっぱいあるんですって」「氷洞(ひょうどう)っていうらしいわ」「冬の間にできた氷がずっと溶けずに残ってて、真夏でも氷が採れるのよ」「不思議よねー」「中はすっごく冷たいって、カルロさんが言ってた」


「……へーえ、氷洞(ひょうどう)! それは珍しいですね、そうそうあるもんじゃない。カッサータはこのフユッソ村でしか作れないというのも、納得の道理です。亡くなったカルロさんが氷の採掘を担っていたとのことですが、後継の方はいらっしゃらないのですか? 場所がわからないとか?」


「場所はわかるんだけど。西の山の洞窟の奥」「でも霜妖魔の巣穴になってるらしいの」「絶対に入っちゃダメってお母さんに言われてる」「この間、森で霜妖魔を見たって、お父さんが言ってた」


霜妖魔。聞き覚えのある単語に、関羽とユーリンが同時に身じろぎした。

まさしく、今日、このフユッソ村に至るまでの道中の森の中で、霜妖魔と出会っている。何やら果実の種子らしい収穫物を巡って関羽と争い、商談による物々交換を経て、和解に至った間柄である。


「へぇ、霜妖魔。また珍しいことですね。()()()()()()()()()()()()()()んですが、やはり危険なんでしょうね。貴重な氷洞に住み着かれたとあっては、村の皆さんにとって穏やかじゃないですね」


ユーリンの空色の瞳に稲妻が走り、暗に関羽に警告を伝えた。

昼の霜妖魔のことは内密に―――と。


関羽としては、抗う理由もない。関羽は転生によってこの世界に生を得た身であり、肉体は20代の青年期のものであるが、この世界の知識や常識は齢()相応に欠落している。ユーリンほどの博識な知恵者が下した判断に、無闇矢鱈と異を唱えるようなことは、あんまりしない……つもりであった。

昼に出会った霜妖魔の命を奪わなかったことは今でも正しい判断だと関羽は思っているが、それがどの程度この世界の常識から逸脱しているのか、その度合いを関羽は測ることができないのである。関羽は頷いて、ユーリンの口止めに応諾した。

と同時に、腰に下げた巾着袋を指し示す。


関羽のその仕草を見て、ユーリンはにこりと笑った。


―――良い案だし、良いタイミングだね


関羽は、霜妖魔との争奪戦を演じた例の種子をテーブルに並べ、村娘たちに尋ねる。


「歓談を遮り申し訳ないが、ちと娘御たちに尋ねたい。森の中でこのようなものを得たのだが、これが如何なる物であるか、覚えはないだろうか」


「あらこれ、カシューナッツだわ。とっても美味しいのよ」「どこで見つけたの?」「カシューの樹は珍しいのに」


カシューナッツ。謎の果実の種子の名称が明らかになった。

関羽は拳を握り、手応えを味わう。食道楽家として、食材の知識を増やすことは、関羽の道楽である。しかし、カシューナッツの来歴を問われて、関羽は言葉に窮した。霜妖魔の存在を隠すために、咄嗟に無計画で安直な嘘を編んだ。


「う、うむ。実は森の中で、あー、出会った猿めが、落としていったのだ」


「えっ? ウソ」「猿?」「サルって、なーに?」「木の上で生活する動物らしいわよ、昔、村長さんに読んでもらった絵本で見たわ」「カシューナッツよりそのほうが珍しいわ」「猿ってわたし見たことないもの」「遠くの生き物じゃない?」「この辺にもいるの?」


村娘たちは意外な言葉を耳にして、不思議そうに顔を見合わせる。

しくじった、と関羽は焦った。ユーリンを見ると、張り付いた氷のような笑顔が音もなく冷ややかに殺気を放っている。


―――キミ、今夜はウソの練習ね、寝かさないよ


とユーリンの声の幻聴を、関羽は聴いた。


しかししょぼくれる関羽には気を向けず、村娘たちはカシューナッツについて思うことを気ままに語る。関羽の突飛な嘘に対する興味は、幸いにしてあまり無いようであった。というより、関羽に、興味が、ない。


「ロセさんの作るスイーツに入ってた。ヨーコ様の教えには無い、ロセさんの工夫なんだって。『カシューナッツのカッサータ』」「アレすっごく美味しいのよね」「トロトロでツブツブで楽しくて、いい香りがするの」「今まで食べた中でいちばん美味しいって、おじいちゃんが言ってた。天上の極楽だって」


「へぇ、噂のカッサータの材料になるんですね。しかも貴重なものだとは。ロセさんにお渡ししたいところですが……」


「あー、それ良いかも!」「最近カシューナッツが見つからない、てカルロさん言ってたもん」「カルロさんの通ってた樹が、少し前に枯れちゃったんだって」「カルロさんが子供の頃からあった古い樹だったんですって」「種を蒔いても、ぜんぜん根付かないらしいわ」「カルロさんも悲しそうだったわね」「まだこの辺にも元気なカシューの樹があるってわかったら、ロセさんも元気になるかも?」


「なるほど。ではロセさんにご報告に参じましょう。ご挨拶にも上がりたいですしね」


村娘たちの視線がユーリンから逸れた瞬間を見計らい、ユーリンは関羽に可憐なウインクを贈った。


―――ロセさんを訪問する名分はなんとかなりそうじゃん?


―――有り難い! 是非にお会いしたいと願っていた!


関羽とユーリンは目配せのうちに翌日の予定を決めた。今日はそろそろ陽の沈む頃合いである。

関羽の心は浮足立った。ロセと会見しても、ヨーコノートについて深く話し込むことはできないだろう。それでも直に会ってその身にまとう気風に触れる事はできるはずだ。戦場で見える豪の者とは一号撃ち合ううちにその鍛えた武勇を感じとって堪能することができるように、ヨーコノートの履修者としてそのスイーツ文化の歴史を紡いできた者とはただ会って話をするだけでも、関羽の中で食道楽家の料理人としての誇りが刺激されるのである。


関羽は、口に運ぶ酒の味わいに深みを感じながら、不意に奇妙なことに気がついた。


(はて? 考えてみればおかしなことだ。たしかにユーリンが『氷』という食材を正しく聴き取れておるようだ。ヨーコノートの履修資格者以外は、聖女の魔法によってその製法の断片すら認識はできぬはず。……であるのにこの村のカッサータについては、村娘たちも含めて、誰でも製法を理解できるように聖女の法魔法があえて緩和されているようだ。これは何か聖女殿の意図があってのことなのか? カッサータには氷が必要であるということを、あえて広く知らしめたいという狙いでもあるのだろうか。聖女陽子殿の考えは、やはりわからぬ)


関羽は考え込みながら、小皿の焼き菓子をつまんだ。




ユーリンと村娘の語り合いは、ユーリンの胡散臭い占いによって異様な盛りあがりを見せていた。

スイーツについて一通りの情報を村娘たちから吸い上げたユーリンは、何の魂胆あってのことなのか、「ボクは占いが得意なんだ。ちょっとみんなの運命を占わせてほしい」と関羽にとっても初耳の技能の保有を暴露し、村娘たちの将来を予想し始めたのだ。 無論、占いが特技であるというのは、()()()()嘘である。


ユーリンは嘘をつくときに、関羽にだけはそれとわかるように語調を変える。こと虚言にかけては、関羽の前世も含めて卓抜した技能を有するユーリンであるが、関羽に対してだけは決して偽りを伝えないという誓約がある。これは関羽がこの世界に転生直後に2人が出会った夜に交わした盟約の、その(きずな)の延長のような習わしであった。


「出た! んんー? これは、これは……なんと、なんと……」


わざとらしくもったいぶった言い回しで初心な村娘たちの気を惹くユーリンを関羽は冷めた目で見ていたが、特にそれを制することもしなかった。天禀と奇縁と怨憎によって類のない険しい半生を歩んできたユーリンであり、その人生経験の密度は相手をしている田舎の村娘たちとは比較にすらならないが、外見的にはユーリンと齢の近い娘たちとの気兼ねない無害な交流であり、特に(わざわい)をもたらすものでもないと予想した。


ユーリンは、村娘の1人の手を握り、慈しむように愛撫を交えながら、手の相をもっともらしく診断している。

そして天恵をつかんだかのように表情を明るくして、厳かに宣言した。相手の娘は、最初に森の中でユーリンと遭遇した娘である。


「これはこれは!『予定に難アリ!』だ。……もしかして、明日、外出の予定ある?」


「う、うん。そうよ。明日は西の山に羊の放牧に行くつもりなの」


「そうなのか。もしかして、他の運命の候補もあって、迷ったりしなかった?」


「そう、そうよ! お父さんからは北の山にしとけ、って言われたんだけど、なんとなく西の山のほうが天気が良さそうな気がして、お母さんもそのほうが良いって」


「間違いない! それだ! それで選択を間違えて、悪い占いが出たんだ。その予定は変えたほうがいいね。いいかい、絶対に『西の山には近づいちゃいけない』よ」


「そうなの? でも、どうして?」


「うーん、そこまではわからないな。もしかしたら西の山の天気が悪くなるんじゃないかな。それで足を滑らせてケガをしたりとか。とにかく何か悪いことが起きるみたいだよ」


「あっ、ありそう!」


「じゃあ、ボクとの約束だ。明日は西の山には近づかないこと。()()だよ。貴女にもしものことがあったら、ボクはとても悲しい想いをしてしまうからね。()()してほしい」


ユーリンは相手の娘の顔を覗き込むように空色の瞳を寄せて、ゆっくりと見つめた。娘の頬に花びらのような朱色が差し込む。


ユーリンが殊更に顔を見つめているのは、ユーリン自身の顔を娘によく見せつけるための口実であることを関羽は知っていたが、大きな害はないと信じて、黙っている。


娘はうっとりとユーリンの麗しい顔に見惚れながら、夢心地のように了承した。


「う、うん……はぁい、わかり……ました」


「うん。ありがとう。これで安心できる……」


その時、宿屋の入り口の扉が再び揺れた。今度は遠慮のない無造作な動きで、扉は入り口を開いた。


そこには、若い男が立っていた。先刻、関羽とユーリンを村長のいる村の役場まで案内した男である。


男の姿をみた村娘たちは、男に聞こえぬ声で囁いた。


「あ、あいつ」「やなヤツきた」「あいつ、村長さんの息子なの」「村長さんは良い人なのに」


「うん、『知ってる』」


ユーリンの『知ってる』に多義性が含まれていることを関羽は感じとり、内心で笑った。


「お! おまえら、ちゃんと宿屋に泊まったな。感心、感心」


ユーリンがまるで友好的であるかのような態度で、村長の息子に応える。


「先刻はご案内をありがとうございました。村長さんから滞在をご快諾いただけましたので、ボクたちはしばらくルベルさんの宿をとらせていただきます」


「……まだ信じたわけじゃない。前払いだぞ」


「……そうですね。このあとルベルさんとお話しておきますね」


じろり、と村長の゙息子は疑り深げにユーリンを見下ろすと、宿屋の奥、1階の食堂の゙厨房に入っていった。遠くから声が聞こえ、何やら宿屋の主人であるルベルと話し込んでいるらしいのが伝わってくる。


村娘たちは、露骨に不快そうに声のするほうを睨んでいたが、やがて諦めたように険しい視線を外し、ユーリンに向き直って謝罪を始めた。


「あいつ、セルヒオ。村長の息子で、いろいろと口うるさいの」「ユーリンさん、ごめんなさいね」「村のこと、嫌いにならないでください」


「あはは。そうなんですね。セルヒオさんにもお立場というものがあるのでしょう、きっと。たぶん。ひょっとすると」


「ただのダメなヤツよ」「自分では何もしないくせに、いろいろ口出ししてくるの」「村長さんも困ってるみたい」「街の方で変なヤツらとつるんでるってお父さんが言ってた」「あたし、アイツ、嫌い」「まさかアイツ次の村長やるのかな」「えー、あたし嫌だ、そうなったら村から出ちゃうかも」


村娘たちはここぞとばかりに、村長の息子であるセルヒオに対する遠慮のない雑言を述べた。


その剣幕にユーリンがたじたじと気圧されているのを、関羽は笑って眺めていた。生前齢60年近い生涯を送った関羽からすれば、この程度のことは、若者同士のささいな衝突である。たしかに、関羽も今時点のセルヒオのことは、ごく僅かな接点のみにおいてさえ、好ましく感じてはいない。しかし若者は無限に変じるものであることを関羽は知っていた。見ればセルヒオの゙年齢は生前の関羽が故郷を出奔した頃合いよりもなお若いくらいである。まだいくらでも将来の可能性のある身であった。


ややあって、宿屋の主人であるルベルが疲れた表情でやってきた。その後ろには村長の息子セルヒオが、一仕事を務めたと言わんばかりの顔で、周囲を威圧するように腕組みをしている。


宿屋の主人ルベルが、おずおずとユーリンに話しかけた。


「あの、ユーリンさん、申し訳ないんですが、宿の代金は、その、数日分は前払いということでお願いできないでしょうか。それとお食事のほうも、その都度払いということで……なんとか……」


「ええ、もちろんです。よくあることですし、旅人にご不安があるのは当然のことと思いますので、お気になさらず」


「そうですか。ご理解、ありがとうございます」


「他にも何か至らぬ点があれば遠慮なくご指摘ください。どうにも村の勝手を知らずもしかすると粗相があるやもしれませぬので、いつでもお叱りいただければと思います。ウンチョーもそれでいいよね」


ユーリンに話を振られた関羽も、即座に首肯する。


「無論」


関羽も()()()()()()()快諾した。

宿屋の主人ルベルは、安堵したように緊張を緩める。


「……恐縮です」


弱々しいルベルに対して、セルヒオが後ろから口を挟む。ルベルはげんなりとした表情を隠せない。


「ったく、ルベルさんも、しっかりしてくださいよ。以前、旅人なんかを信用して、踏み倒されたでしょう」


「はぁ……すみません。ですがせっかくスイーツ巡礼のためにはるばるお越しくださったお客様ですので、なるべく快適にお過ごしいただきたく……」


「それが甘いんですって。スイーツ巡礼者が全員善人とは限らないでしょう」


「その、私は、ヨーコ様を信奉しておりますので……いえ、すみません」


ルベルの表情は、また困憊(こんぱい)したものに戻ってしまった。


それでも言い足りない様子のセルヒオは、次は村娘たちに詰め寄った。


「おまえたち、何か余計なことを言ってないだろうな」


「さー?」「ふつうにお話してただけだし」「ユーリンさん、すっごくお話おもしろいのよ」「誰かさんと違ってね」


「よそ者をあまり信用するな。それも、こんな胡散臭い顔のヤツを」


ユーリンが己の笑顔の構造を検証するように、模範的な笑顔をつくった。


関羽は吹き出すのをがまんして、前かがみになる。


とはいえ、肉体的にはセルヒオと同年代でも、精神的には年長者である関羽としては、一言物申さずには居られない。


関羽はセルヒオに対して、威厳のある野太い声で言った。


「然り。我らは村に害意を持たぬが、悪心を潜ませた者も世間には数多くいよう。常に警戒を怠らぬが肝要よ。……されどそれでも世俗には善人のほうが多いと儂は信じる。悪人を厭うばかりに無闇矢鱈と敵意を招くのは、災禍(さいか)の種となることもあるのだ。お主の憂慮には筋があれど、あまり露骨にはせぬほうがおぬしの意図も成就に容易かろうて」


関羽の奇譚のない忠言に、セルヒオは怯んだ。身体に力を込める。形相が変わった。村娘たちの背が緊張する。

関羽は微笑のなかに余裕を混ぜ、いかつい目線をセルヒオに向けた。たまらずセルヒオの身がすくむ。


「ちっ」と舌打ちをしたセルヒオは踵を返して、宿屋の出口に向かった。攻撃的な態度とは裏腹に、その足取りは弱々しい。しかし、生前は荊州10万軍を束ねる軍事総司令を務めた関雲長が自然と放つ貫禄を目の当たりにして気絶をしなかったのは、上首尾とさえ評価できる。


(ふむ。(きも)は悪くないな。……励むが良い、青年よ)


関羽はセルヒオに対して、多少の評価を付け加えた。


やがてセルヒオが宿屋から出ていくと、緊張の一瞬が去ったことで、村娘たちの口が軽やかになる。


「おじさん、やるじゃん」「すごーい」「外の人から言ってもらうと、効くわね」「おじさん、見直したわ」「おじさん、ちょっとだけカッコよかたったわよ」


ユーリンは吹き出すのをがまんして、前かがみになる。

嬉しそうに、関羽に褒めた。


「面目躍如だね、ウンチョーおじさん」


「別におじさんでも構わんが……構わんが……」


老境とも言える齢で生前は大国魏を攻め、曹丞相を怯懦に陥らせた関羽である。『おじさん』の過程はすでに経験済みであるが、いまは一応20代の青年期の身体であるはずだった。


「じゃあ、ボクたちもそろそろ部屋に戻ります。旅の疲れが出たようだ、ゆっくり休ませていただきますよ。みなさんも、親御さんによろしくお伝えください」


村娘たちに帰宅を促し、ユーリンは立ち上がる。

村娘たちは名残惜しそうにユーリンの顔をたっぷりと鑑賞してから、帰路についた。


宿屋の主人ルベルに前払いの宿泊料と先般の酒代を支払い、関羽とユーリンは2階への階段を上った。

途中、関羽はぼそりとつぶやいた。


「おじさんで別に不服はないのだが、なんと申すか……娘からの一言は、効くものであるな」


「キミの人間認定を寿(ことほ)ぎたいよ。よかったじゃん、おじさん」


ユーリンはご満悦であった。




2部屋が用意されていた。宿屋の女将が清掃しただけあって、塵のひとつもない心地よい状態である。

関羽が選んだ一室に、ユーリンも当然という顔で関羽について入った。

「いっしょに寝ようよ」とユーリンがいたずらな顔でじゃれつくのを関羽は引き剥がしたが、部屋から出ていけとは言わなかった。明日の予定を確認しておきたいという理由があったためである。


「明日はロセ殿に面会を申し入れるということで、よいな」


「そうだね、まずはご挨拶だ。そのあとは、もっかい村長さんとこかな。ヨーコノートの写しの閲覧を断られることはなさそうな雰囲気だったし。……その後は他のスイーツ巡りだね。カッサータの他にも、いくつかヨーコ様から伝えられているレシピがあるらしいし」


「そうなるな。……してユーリンよ」


関羽は物言いたげにユーリンを見やった。

ユーリンはさみしげに、仕方ないという様子で口を開いた。


「うん。……あのコ、死ぬね」


こもとなげにユーリンは断定する。関羽は驚かない。


「確かか?」


「予定どおりだと、まず死ぬ。だから助けたかった」


先刻、ユーリンが占いと詐称して明日の予定を捻じ曲げさせた、1人の村娘のことである。明日は西の山に羊の放牧にいく予定とのことであったが、ユーリンの運命観はそれに不穏な結末を察知したのである。


「そなたが言うのであれば、そうなるのであろうな。壮健そうな娘に見えたが、やはり事故か事件か?」


「……さあ? 毎度だけど、理屈なんないからね。保証はできないけど、保証なんてしたくないな。だけどボクは()()()()()、あのコは明日、残念ながら、死ぬ。……ともあれこれで平気だよ。ボクと約束したら、もうその未来はなくなった。たぶん幸せな人生を続けられそう。少なくとも明日は死なない」


「明日以降は如何に?」


「はたしてね。 終生の担保なんてボクの管轄じゃないね。助けられる限りは、(たす)かる(たす)けをするけども、運命の果てを見通せるのはイカれたクソども……神とかいう傲慢な連中だけだよ。……ま、ヤツラのポンコツぶりからして、そんな権能はそもそもなさそうだけど」


ユーリンは神への悪口(あっこう)を吐き捨てた。ユーリンの心の奥に眠る世界への嫌悪感は、近頃はだいぶ鳴りを潜めているとはいえ、まだ払底はされていない。


『神罰なんてものが妄想家の戯言でないならば、ボクはどれほど神に感謝し、世界を愛して生きていけるだろう』と以前にユーリンは泣きながらに関羽に語ったことがあるが、以後もどれほどユーリンが神々に対する悪態を繰り返しても、またどれほどおぞましい悪党どもが不埒な行いで幅を利かせても、そこに神罰という制裁は訪れないのである。この世界の神々は、ただ世界を創造し、互いに嫉妬し、相争い、ただ神々の代理の駒のようにこの世界を都合よく使うのみであった。


関羽はユーリンに告げたことがある。『神が為さぬ故にこそ、そなたが為すのだ。人の世界に神の付け入る隙を許すな』。―――ユーリンがその言葉をどのように受け止め、今は何を想っているのか、関羽にはわからない。けれども関羽はユーリンのことを、転生後のこの世界における自身の器であると確信して、微塵も疑わなかった。


しかし目下のユーリンは、非力で未熟な少年である。(りょ)力にも魔法力にも乏しい。あらゆる努力を厭わず、天賦の頭脳と容姿を備え、人心の掌握という面においては生前の関羽が終生の敬愛を捧げた人物にさえ比肩し、時に人の死さえ予知する鋭敏に過ぎな運命観は神秘の域にも達している。

されど(ちから)という点においてのみ、生まれ持った資質が決定的に無い。この不浄はびこる世界の構造と相対し、人の世を束ねて牽引するためには、字義通りに力不足なのである。


関羽はユーリンの銀色の髪に手を当てて、頭を撫でた。関羽の精神年齢からすれば、孫のような齢のユーリンである。けれども関羽にはユーリンを教え導くほどの知恵はない。ただ側で支え、その成長を見守るばかりである。ただ関羽はユーリンの有り様を許すのであった。


関羽は、ユーリンに言った。ユーリンは空色の瞳を関羽に向ける。


「儂も神は好かん」


「……だよねぇ。……やっぱり?」


「うむ。思うにこの世界の神々は、力ある者の責務を放棄しておる。けしからん」


「……そっか」


それだけで、ユーリンは納得した。

やがてたっぷりと関羽を堪能したユーリンが、照れくさそうにはにかみながら言った。


「明日は髪を洗いたいな。湯浴みできるところがあるか、訊いてみるよ」


「なれば明日は忙しくなるな。……では、そなたは早々に部屋にもどれ」


「ボク、枕が変わると、独りで寝れない()()で……」


「いつも道中はそこらの石に頭を乗せて()()のように寝ているであろが!」


関羽の剣幕を笑いながら、ユーリンは楽しそうに退室する。


「じゃあね、ウンチョーおじさん」


「まだ申すか!」



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