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スイーツ巡りのぶらり道中  作者: das
ハーピィの娘 ~マンゴー大福~
36/36

(13) アーウィンの人々

まだ日差しに朝の柔らかさが残る時刻に、ユーリンはアーウィン市庁舎の扉を開いた。広間の中央に受け付け係の婦人がいる他は、周囲には開放的な空間が広がっている。 ユーリンは脇目も振らず直進し、受け付け係の婦人に曙光の輝きのような笑顔を浴びせた。


「おはようございます。昨日ぶりですね。息子さんのお加減はいかがです?」


「まぁ、ユーリンさん、今日も来てくれたのねっ!……うちのコったら、ろくすっぽ食事もとれないくせに『友だちと遊ぶんだー』って、聞かないんですよ。昨日も遅くまで帰ってこないし、そのくせ夜は――」


「……汗ばむ季節の風邪は長引きますからね、親御さんとしてはご心配でしょう。……ボクはこのまま中に入っても? 用向きは市長さんとの面会です……ところでヘアオイル、変えました? 金木犀ですね。……いえ、お似合いですよ。首元の橙のスカーフとよく合う香りですね。……あの、ボクは中に入っても? ……このまま進んでもよろしいです? ……進みますので、ではまた」


ユーリンは勝手知ったる様子で庁舎の奥に足を進めながら、ため息をついた。日に日に色気づく受け付け係の年増女にげんなりしたためである。よろよろと足を動かして歩み、途中すれ違う市の職員たちと気さくな挨拶を交わす。市庁舎への幾度かの訪問を繰り返すうちにすっかり顔なじみになった他人たちから注がれる好意的な視線を、ユーリンは恐縮するフリをしながらやり過ごした。


(……ったっ、ルっ! ……タルいわぁ……のほほんとしたボンクラがウジャウジャと……ボクのお愛想にも限りがあるよ……ソソる男か及第のメスでもいれば少しは気合入るんだけどね……どいつもこいつも、どっぷり肩までぬるま湯でございな連中ばかり……)


アーウィンで出会った人々のうち、エリアンとソーニア、そしてウルリカ――ユーリンの評価基準に照らし合わせればこれが絶品で、他の連中は箱詰めされたジャガイモ程度にしかみえない。凡庸な、ひとやま幾らの取るに足らない人々を、しかしユーリンは過たず記憶している。その顔と名前と交わした会話の全てを忘れることはない。


「キミが『人を忘れるな』ていうからさ、なんとなく守ってるけどさ、ホントに意味あるの、コレ」


「ある。……すでに覿面(てきめん)である。それにしても、誰も儂を見とらんのぉ。よもや、目に入らぬのか? 居ないと思われとらんか?」


「え、キミ、人から見られたいの? ボクには見せてくれないのに! ……か、勘違いしないでよね! 露出するなて言ってるんじゃないの、ただ、見せるならポイントを絞って陰影つけろて言ってんの! ……ボクは僧帽筋派だから、そこ、よろしく。普段着のチラリズムには、このごろは興奮しなくなってきたんだ。……倦怠期かな、これ」


「皆がそなたを見ておる。儂は遠景に過ぎぬ。それでよいのだ」


「……そろそろ嗜好を変えてみるか。……ウンチョー、そろそろ花嫁コス路線、試してみない? イメチェンしてみよう。真っ白ふわふわドレスのピチピチ姿、興味あるよね。採寸は任せて! まず下の毛を剃ろう、手伝うよ、カミソリを間違えるといけない、ボクが丹念に、けれども刺激的な風情の中で甘やかに剃ってあげるからさ」


無益で無意味な会話を関羽と続けながら、ユーリンの思考は別の時空を巡回していた。連日のアーウィン市長との会談の行く末についてである。


聖域を踏破したと主張するユーリンに対してアーウィンの行政が不信を以て遇したのは初日のみである。ユーリンの天性の求心力による魅了と聖域から持ち帰ったものとして提出した魔力結晶(マナノード)の欠片が、堅牢な警戒心の防壁を打ち砕いた。現在は市長との面会にも役所の受け付けを素通しである。しかし肝心のアーウィン行政の足取りは遅かった。聖域を攻略する手がかりを得た、ならばどうする? の結論が出ないのである。


(今日は『外部の有識者も交えて』とかなんとか言ってたな、あの市長(オッサン)。……いつまで『善後策を前向きに協議することを検討したい』してんだよ、ナメクジの交尾だってもっと躍動感あるぞ)


形式的には完璧な礼節を保ったまま、高貴な血統を有した貴公子のような面持ちで、ユーリンは用意された会議室に進んだ。そろそろ見慣れて見飽きたアーウィンの市長の姿の横に、ユーリンにとって多少の刺激をもたらす2人の人物がいた。


(サガモアさん……とすると、こちらは……)


今日召集される有識者の名前は事前に知らされていた。そのひとりがユーリンに名乗った。


「貴方がユーリンさんですね。聖域から帰還を遂げたという……私はバナンドと申します。スケルスの信徒として、街に幾ばくかのお手伝いをさせていただいております」


(お名前はかねがね? ……さてさて? オボコ娘の濡れ場より湿気たこの議場をギシらせる根性はあるかな)「ボクがユーリンです。スケルスの信徒たるバナンド司祭様ですね。本日はご足労いただきまして恐縮です。有意義な討議ができることを期待しております」


「もちろん協力させていただきますよ。聖女様の奇跡を究明する手がかりとなるでしょう」


バナンド司祭の名前には覚えがあった。アーウィンの街の福祉団体である『蜜果の会』を営む司祭であり、信頼に足る人物としてソーニアがその名前を挙げている。柔和な雰囲気の中に秘めた知的探究心の強さを感じさせる顔つきの年若い司祭であった。ユーリンにとっては初めての対面である。


(なんとも言えないな。まだ読めない。評価、保留。評判は良いらしいし、悪党ではないはずだけど……)


その場で随一の悪党である自分自身を棚に上げて、バナンド司祭を勝手に評した。


そして、もうひとり人物が――こちらは疑惑を隠そうともせず、猜疑をつきつけるような態度でユーリンに言った。


「先日、会ったな」


「お会いしましたよね。その節はどうも」


果実の街アーウィンにおいて最大規模の果樹園の荘主たるサガモア氏である。果樹園の門前で引き起こした騒擾について話題にすべきかと迷ったが、サガモア氏の関心がもはやそこには無いことを感じ取り、ユーリンはサガモア氏の評価を一段階高めた。


「……ふん。『聖域』からの帰還とはな。法螺話に私を煩わせないでもらいたいものだ」


「疑念を抱かれるのは当然のことと思います。しかしボクとしては『聖域』のさらなる探索のために、ぜひともアーウィンの皆様のご助力を得たいのです」


「無責任な部外者が勝手な言葉を並べるものだな。聖域を侵す災いを被るのは誰だと思っている」


「……そして聖域から益を見出すのもアーウィンの皆さまですね。害も利も、損も得も、必ず地に根ざして実るもの――風のように地を渡ることはできない。ボクの知見が良き未来に続くものであることを願うばかりです」


ユーリンとサガモアのやりとりにおいて唯一融和的な雰囲気であったのは、ユーリンの慈しむような笑顔だけである。


怯えて慌てた様子の中年男が2人の間に割って入る。


「あ、あのう……ユーリンさん、サガモアさんも。……まずはこれまでの経緯などを改めて確認したいのですが、そういうことで、ひとつ……」


(あ。いたんだ、市長(オッサン)……)「……そうですね。ボクも気が()いていました」


アーウィン市長の存在を失念しかかっていたユーリンは、場を仕切り直した。


「……状況を再確認しましょう」


ユーリンは懐から取り出したモノを机においた。高密度の神秘の気配が室内に漂う。エリアンが聖域から持ち帰り、今はユーリンによる聖域探索の成果と詐称している魔力結晶(マナノード)の欠片である。


「これが……!?」


たちまちバナンド司祭が色めき立った。援軍を得たとばかりにユーリンが解説する。


「前回の成果物で、次回の道しるべですよ。どうぞ手に取ってご確認ください」


自然(ネイチャー)魔力(マナ)……この純度! ……全く同じ……」


「そうです。聖域から漂う自然(ネイチャー)魔力(マナ)と完全に同質ですよね。聖域にある魔力結晶(マナノード)そのものなので、当然ですが」


血相を変えて魔力結晶(マナノード)の欠片を観察するバナンド司祭に対しても、サガモア氏は狷介な姿勢を崩さない。


「……偽造ではないのか?」


「そんな品質ではありません。これは現代の魔術師では、到底再現できない……ああっ、すごい……マナそのものに質量があるかのようだ。緩やかに、(とも)すように、溢れている……人による作為が感じられない。紛れもなく神造の品質です」


魔術とは畢竟、人による神の権能の模倣である。神による被造物たる生命は、まるで子が親を真似るようにその権能の模倣を試みてきた。人の成しうる限りの叡智の粋の成果こそが、神の権能の劣化複製たる魔術である。その人の手による魔術で神に比肩する品質を成せるのは、神の寵愛を授かった存在に限られる。


「これが聖域から持ち出されたものである――そこの事実認識に異論はないとみてよろしいでしょうか」


バナンド司祭の保証が決定打となった。サガモアも押し黙り眉を険しく固くしている。アーウィン市長は重圧にかき立てられるように額から汗を流し、関羽は静かに壁際に立っている。


沈黙を破ることが主演の証とばかりに、ユーリンがその務めを果たす。


「今後の運用や衰微の原因についての研究は複雑で難儀で長い道のりになるのでしょうね。しかしボクのリクエストはシンプルですよ。人手、お許し、報酬の3点です」


アーウィン市長に対してユーリンは語りかける。


「次の中規模な探索を担う人足を手配していただきたい。人選はお任せします。そして聖域の探索について、当地の行政からの公式の認可も……もちろん非公開で構いませんが」


あくまで聖域はアーウィンの街の所有であるとの立場を、ユーリンは一貫して崩さない。聖域が聖域たる所以(ゆえん)は、聖女がこの地に施した祝福の源であると伝えられるためである。聖域とアーウィンは不可分であり、聖域そのものには意思がない以上、聖域はアーウィンに住まう人々のものである。


良心の光に満ちたかのようなユーリンのまるで誠実そうな雰囲気が、聴取の心をほだす。ユーリンを信じて導かれることが、正しくあるべき道として示されているかのように思わされるのである。


その恍惚とした時間は、ユーリンの次の言葉が発されるまで続いた。


「最後にボクに対しての報酬。3000万ゴールドをそろえてもらいましょう」


「な、さんぜ……」


即物的な話題がアーウィン市長を現実に引き戻した。自身がこの舞台における聴衆ではなく、脇役とはいえ、演者のひとりであること思い出させられたのである。問題は、脚本が事前に提示されていないことであった。


「法外とは思いませんし、思わせませんよ。……ですが3000万で結構です。グラン金貨でいただきたい」


「しかし、聖域は街のごく近く……冒険者への依頼は、せいぜい50万程度が相場では――」


難渋を示すアーウィン市長に対してユーリンが次の言葉をつなぎかけたとき、サガモアが意外なことを口にした。


「全て真実であると仮定すれば、確かに商品としての価格は妥当であろうな」


経営者としての冷徹にして公正な評価である。ユーリンは驚きを美貌の裏に隠して淡々と応じた。


「ご賢察、恐れ入ります」


「しかし理由を明かしてもらおう」


「もちろん! しかしどの理由でしょうか」


「決まっている。この話を持ち込んだ理由だ。冒険者など盗人と同じだ。聖女の遺産を持ち去るつもりならば、我々の手配する人員など無いほうが都合が良いのではないか?」


予想された疑問であったため、ユーリンは奇譚なく滔々と回答する。ただしサガモアを試すような言葉運びを選んだのは、ユーリンの中でサガモアの評価が上向きに修正されたためである。


「ボクの手に余るから、ですよ」


「……筋は通っているな」


サガモアはひとまず納得した。ユーリンは上機嫌である。サガモアが同意を示したことに満足したためでなく、今の説明でサガモアが理解に至ったことに、上撰の茶葉の芳香のような心地よさを覚えたためである。いわばユーリンの趣味に基づく()()であった。


露骨に取り残された様相のアーウィン市長のためにユーリンは紳士的な態度で説明を補った。


「聖女ヨーコの魔力結晶(マナノード)など、運び出して持ち帰っても買い手がつかない……買えるとしたら国家だけ。国家相手に対等な価格交渉など望めない。ならば今ここでアーウィンの街からボクが持ち帰れる上限いっぱいの取り分をもらうほうが、よほど現実的なんですよ」


「なるほど。しかし3000万となると私の裁量だけでは、とても」


「ならばボクは去るだけです。それは返してください」


魔力結晶(マナノード)の欠片を受け取るために、ユーリンは手のひらを突きだした。市長は怯えたように反抗する。


「ッ! ……これは我が街のものだ……渡すことはできない」


アーウィン市長が突如として毅然とした民意の代表者ヅラを始めたことに、ユーリンは心の中だけで失笑した。役目のために難事に挑む姿勢だけを好意的に評価して。


「……おや? 『我が街のもの』とは。ではアーウィンの街が聖域をすでに制御しているということですね。ボクは用済みということになります」


ユーリンは、まるで幼子に微笑む貴公子のように穏やかな声音で、アーウィン市長に説いた。


「ボクは予定通りに街を去ってもよろしいのですが、本当によろしいのですか? 出立の用意はすでにできています」


「そ、それは……」


「いかがでしょう。司祭様の見解も伺いたく存じますが」


交渉は相手があってようやく成り立つ。交渉の懸け橋としての相手側の役目を、ユーリンはバナンドにまず求めた。


バナンドは言葉を選びながら、その役目を務める。


「貴方への報酬の有無や軽重について回答する知恵は私にはありません。しかしこれが聖域の産物であるという見立ては、私も同意します。聖女様がアーウィンに授けた祝福の正体に違いない……市長様。僭越ながら申し上げますと、我々は彼らに脅されているのですよ」


まるで脅されていることを喜ぶような口ぶりで、バナンドは解説する。


「今後の行く末としては、聖域の秘密をそこかしこで吹聴されることこそが、もっとも恐ろしい……証拠としてのコレを強引に持ち去り、そのまま街を出て行方をくらます――それも彼らには可能なんです」


視線が関羽に集まり、次にユーリンに戻った。前人未到とされる聖域の踏破を成した冒険者……ということになっている。いかにも武断的な選択肢を豊富に揃えているかのように見えるだろう。


まるで肯定するかのような笑顔で、ユーリンは否定した。


「まさか。そんなことはしたくありません」


「でしょうね。しかし意図ではなく能力の話です。あえてそれをまだ実行していないことに、彼らの誠意があると私は評価します。成否はさておきモノは押収を試みることができたとしても、情報にそれをするのは困難です。方法は限られており、限られたそれを避けるために彼らは手を尽くすでしょう」


「そうならないことを期待しまくりで、今ここにいますよ」


「……そのため、この交渉が成就しなかった際の費用は、おそらくもっと高額になる懸念があります」


ユーリンの代弁者としての完璧な務めをバナンドが果たした。同じことをユーリンが直接発言すれば脅迫であるが、バナンドが懸念を述べたのなら脅迫ではない。


(ソーニアさんの見立ては確かだね。コイツら、ちゃんと話が通じるじゃん!)


沸き立つユーリンに冷水を浴びせたのは、サガモアである。


「私は反対だ」


意外な展開に驚いたように見えるよう、ユーリンは意外そうな顔をした。まるで残念そうにサガモアに言う。


「……残念です。見解は一致していたのでは?」


「価値はあるだろう。しかし聖域を求める必要がないのだ」


「アーウィンにとっての悲願と伺っておりますが」


「否定はしない。しかし私は異なる立場だ」


ユーリンの予期した通りの反応をサガモアは示した。一貫して聖域に否定的な見解の持ち主であることは、ソーニアから聞かされている。前回の――エリアンの父が不帰の人となった聖域探索の失敗以降は、さらに頑な姿勢であるらしい。それ以前は長年の友好関係であったソーニアとも不和の仲になるほどの。


しかしサガモアが次に述べたその理由は、ユーリンの予想を凌駕した。


「そも神代の遺産にいつまでもすがり続けるべきではないのだ」


遥かな過去、神代の事績は今なお文明が到達し得ぬ高みにある。その遺産をより多く保全し、獲得することは、文明の進歩に直結するのが常識であった。しかしサガモアはその前提を否定した。


「諸君! ……我々には知恵があるのをお忘れか? 奇跡に依らぬ人の労苦を築き上げてこその進歩であろう? ……神代は、過去だ。未来ではない! 聖域など墓に等しい。敬意を抱いて背を向けるべきなのだ。墓石に暖を求めるような態度は今を生きる人の心を腐らせる……もっとも(たち)の悪い災いといっていい」


サガモアは聖域をただの過去であると言い放った。尊び敬う心こそ残せど、そこに埋まる益を掘り起こそうとは求めない。


ユーリンはサガモアを絶賛する想いだった。サガモアを抱擁しなかったのは衆目が理由である。いかめしい形状のサガモアの唇に接吻するのを控えるのが、ユーリンの精一杯の忍耐であった。


「サガモアさんは聖帝や聖女はお嫌いですか?」


「私の個人的な好悪は無関係だ。リスクを冒してまで過去の遺物を掘り返す必要はない……神々の遺したおこぼれを、いまさらありがたく拝受しろと? 私はその必要を認めない。神など不要だ」


背筋を走る喜びが甘い疼痛のような快感にかわるのを堪能しながら、ユーリンは平静を装う。


「ですが現実としてアーウィンは聖女の祝福に依存して成り立っている。それは否めないのでは?」


「そうだ。しかしそれは、そうあったから、今もそうしているだけだ。これからもそうであり続けるための労を払うよりも、自らの道を切り拓く艱難(かんなん)を選ぶべきだ。……私はそうしてきた。……少なくとも私だけは……私だけが……」


孤独のなかで現実と戦い続けた男だけが宿す、悲壮を抱いたあるがままの自負――その現実への取り組みの軌跡が、ユーリンには視えた。こみ上げるサガモアへの愛しさが、下腹部を熱くする。才気ある者にはすぐに惚れる。ユーリンの数多い悪癖のひとつである。


「……なるほど、つまり――」


そして、好意を抱くと相手をいじめようとする。これもユーリンのひねくれた性癖の発露であった。


「……もしかして、昔は()()だったんですか?」


ユーリンの奇妙な問いかけに、サガモアは敏感な反応を示した。言葉としては省かれた問いの主格が誰を指しているのか、サガモアはすぐに理解できてしまったのである。まさにその人物を失ったことが孤独の始まりであることをサガモア自身が痛感しているのだから。


「……まさか……お前……?」


「いいえ。そして忘れます」


まるで迂闊な疑問で不可侵の話題に触れてしまった非礼を詫びるかのような紳士的な声で、ユーリンは話題を打ち切った。サガモアはまだ何かを言いかけたが、結局、黙った。この話題を続けたくない気持ちは、もちろんサガモアのほうが大きいだろう。


ユーリンはゾクゾクとした快感に手足をしびれさせていた。瞬間的なサガモアの狼狽を垣間見たのである。堅実で有能な男がひた隠す心の弱み……それは性的な意味でのユーリンの大好物であった。


サガモアは実直な現実主義者に戻っている。


「……お前たちに余計なことをさせないことには価値がある。その点において私は報酬を支払うべきと考える。……市長、彼らの経験と成果を買い取り、あわせて、口外とこれ以上の探索の禁止を契約するのです」


「蔵から溢れる宝物よりも、腰袋に収まる金貨を――立場は違えど、想いを同じくしているようですね」


交渉は、相手があって成り立つものだ。ユーリンはいつにない充実感に満たされて市庁舎を去った。




市庁舎からの帰路の街中、関羽がぶっきらぼうな声で単調な感想を述べた。


「珍しいな」


「え? 嫉妬? ……だって、つい……このごろご無沙汰だったから……忙しかったし……」


ユーリンは関羽の腕を抱き寄せ、わざとらしく甘えた姿態をつくる。すれ違う人々が関羽に羨望の眼差しを向けた。当のユーリンは気にしない。関羽の太ましい腕の硬さを頬で味わいながら、媚態をつくるようにしなだれかかる。


「う、浮気じゃないよ!? キミだってヤレそうな(スケ)が街中にいたら目で追うだろ? それと同じで、いわば循環する本能的欲求の摩擦熱というか、捻転する欲望が一過性の心の亀裂から漏れ出た氾濫というか……」


ユーリンは意味不明な釈明を並べた。関羽は嘆息し、とりあえずユーリンを落ち着かせるために話題を戻した。


「……何の話をしておるか。そなたが報酬を求めたことだ」


「ああ、そっちね。……ふふん。なぜなら! お金が欲しいから! ……さ」


「塩を入れる理由を問われて『塩味(しおみ)が欲しい』と答えるようなものではないか」


「だって、でなきゃ受け取ってもらえないだろ? 出自が明らかで、しかも相応の名目じゃないと、ね」


「確かに困難の一部を解決し得ようが、ソーニア殿もエリアン坊も求めてはおらんであろ。そも生活のみに目を向ければ他の手段も――」


「エリアンくんを魔道大国(アムリテ)に留学させたい。……といっても、ボクじゃ責任は負えない。つまりただのボクのワガママだよ」


エリアンの今の生活とこれからの人生を激変させる構想を、ユーリンは白状した。手を空に伸ばして、天を掻くように指を握る。


「他人の人生をひっかきまわす……鳥が虫の巣穴をついばむように、外から一方的に、無責任なまま、ただそこにある確実な安寧を奪う……」


「欲が出てきたな」


「自分がイヤになるよ。だんだんとボクが薄れていく気がする……荒唐無稽な夢想ならここまで曖昧になることもないだろうに、残念ながらボクにはできてしまうんだ。……エリアンくんの人生くらいなら、ボクの気まぐれで動かせる」


弱音が懺悔となり、ユーリンは罪を自白する。

迷いが葛藤となり、ユーリンは弁解を並べる。


「ボクはエリアンくんが好きだからね。ボク好みの生き方をしてもらいたい……大樹はそれにふさわしい土壌に植えられるべきなんだ……不毛の地の狭い庭先でさみしく葉を茂らせるべぎじゃない。無理くり引っこ抜いてでも、豊穣の光の下に移って大輪の花を咲かせてほしい」


激励が欲しかった。

関羽に許してもらいたかった。

この構想が悪徳でないことを、誰かに保証してもらいたかった。


恥ずかしさがこみあげる。

女々しい――と自分でも思った。自らを否定的に語り、その語りを否定してもらうことで自らを間接的に肯定する――精神的な腐敗と堕落が透けて見えるカタチだけの自己放棄。誰かに拾ってもらうことを期待した自暴自棄。まるで女のようだ……ユーリンの舌の根元に苦味が満ちた。


「……天下を想い描いたのだな」


「は? 天下ァ?」


予想だにしない関羽の言葉に、ユーリンは意表をつかれた。


「そんな大袈裟なもんじゃないよ。こうだったらいいのにな、な妄想をムリない範囲でやってるだけだし」


「そなたは己の天下を、初めて外に広げたのだ」


見上げる関羽につられて、ユーリンも空を眺める。何の意味があるのか、わからない。空には何も見えなかった。


しかし関羽には何かが見えているらしい。蒼穹の天から何かを補充したかのように満足し、ユーリンを見つめる。


「天下はひとつではない。人はみな己の天下を有し、領分として差配している。世界を分け合うようにしてな」


それは、いつもユーリンを奮い立たせる、ユーリンが一番ほしい声だった。何を言われるか、ではなく、誰に言われるか――ユーリンにとってはそれだけが一大事であった。じんわりと胸の暖まりを感じながら、関羽の信頼に満ちた結論にユーリンは耳を傾ける。


「己をあえて狭く保つな。今までのそなたは、才を活かさぬことに才を費やしてきた……己を偽ることで、な。……らしく生きよ。儂は共におる」


その声を耳のなかで反芻しているのを気取られないためだけに、ユーリンは口先を動かした。


「何それ。白昼のプロポーズ?」


「儂の我儘(ワガママ)の確認だ」


「ふぅん。ま、伴侶の趣味に応えるのも正妻の役目でしょ……にしてもなんだかなぁ……合法的に無理やりエリアンくんに大金受け取らせてあわよくば一晩を買いたかっただけなのに、ややこしい話にされちゃった」


「そなた……」


「いや、しないよ? なるべく、しないよ? ……それは最後の手段だからね」


関羽の疑いをかわすために弁解し、関羽の興味が薄れたころ、ユーリンはこっそりと「……本当に最後の手段」とつぶやきを足した。


アーウィンの街並みは賑やかである。生活物資に不足のない、治安を乱す危険もない、豊穣に満たされた幸福な人々の姿が行き交っている。公園には樹木が生い茂り、木陰の下には腰を下ろして談笑する若い男女がいる。ユーリンは時折彼らの視線の無遠慮に集め、けれどもそれを気にすることもなく、関羽の腕を引いて歩き続ける。日に一度は無為の時間を作ること――ユーリンが関羽の旅に同道する際に約束した条件であった。


「ところでウンチョー……」


「応」


ユーリンの声の緊張を、関羽が聞き違えることはない。


「……いる? よね?」


「いる。されどわからぬ」


「そっか。じゃあマジモンだね。捕まえられそう?」


声だけで危機感を分かち合った。足取りや所作に違和感は表さない。関羽もユーリンも、気づいたことに気づかれるような不手際とは無縁である。


「否。まるで気配がない。しかし、いる。居処(いどころ)はとんと読めぬが」


「アーウィン市長の手配と思うかい?」


「そうであってしかるべきと思うが、残念ながらこれまで無かった。急な宗旨変えとは考えにくい」


ユーリンは関羽の腕を抱きしめたまま、無邪気そうに顔を左右にする。まるでデートの余興になりそうな催しを物色しているかのような天真爛漫さで、周囲の気配をさぐった。しかし収穫はない。ユーリンに向けられる視線はいくつもあるが、いずれもユーリンの外見のみに表面的な好意を抱いただけの無害なものだ。辿るべきは敵意である。ユーリンの容姿ではなく、実績と計画への憎悪を抱く陰性の熱情――それが、どこからか注がれていることを、ユーリンは感じ取っていた。


「……じゃ。ようやく連れたのかな。もしかして、これかな? エリアンくんが感じた気配て。まさかホントにいるとはね」


「……儂にはそなたがこれを感じとったことが驚きであるがな。そなたに問われねば、儂も確信に至らなんだぞ」


「ボク、視線には敏感なんだ。……けど、視線かな、これ……見てるようで、見えてないような……」


「意を向けられているのは確かであるが……む? ややや?」


「あるぇ? 消えた? よね?」


公園を横断して路地に差し掛かったころ、2人は同時にそれを確信してうなずいた。振り返るようなことはしないが、先刻まであったはずの監視の目が無くなったのである。


「然り。……見事なものだ。立ち去った余韻すらない。ここまで腕のよい間者は珍しい」


「逢瀬を覗き見する悪趣味を自覚したのかな?」


「……。監視がつくのは想定内のことだ。忘れてもよかろう」


「エリアンくんが無事なら何でもいいよ。アーウィンの街の手が聖域に届けばボクの勝ちだし」


「……して、アテはあるのか?」


聖域踏破の見込みを尋ねた。ユーリンが案内役として聖域を探検しなければならない。ハッタリでアーウィンの行政を巻き込みつつあるが、探検そのものは、ユーリンの実力で成し遂げる必要がある。


「できたよ……ウルリカさんに空から聖域を案内してもらった。……高くついた、ほんと、高くついた」


「……いいのぉ、空……儂も飛びたい……高くに」


関羽がエリアンの側に留まって護衛を務めている間に、ウルリカとユーリンは空から聖域の様子を事前探索していた。


「キミの体格積めるのは飛竜くらいだよ」


「ところで、ウルリカ殿はそなたに何の対価を求めたのだ?」


「シンプルだった。……『殴らせろ』て」


「よくぞそこまで嫌われたものだな。もはや見事でさえある」


「……お偉いさんたちと会うから顔は避けてもらったんだけど、アチコチ、ね。……いたた……でも支障はない。ちゃんと手加減してくれたからね。一撃で背骨を砕かれるかもて3%くらい覚悟してたんだけど、さすがにエリアンくんがかかってるから、そこまでじゃなかった……ほら。ほらほら、チラチラ」


誘惑するように胸元を服をめくって傷跡を見せつけようとしたが、関羽か無関心であることに安心し、ユーリンは話を戻した。


「上から眺めた限りじゃ様子はよくわからなかったけど、魔術の痕跡には触れた。まず聖域を作ったのは聖女ヨーコで間違いない。大規模な神代の『法魔法』だ。何かのルールを強制する空間になってる。たぶん『ヨーコノート』の使い方を縛ってるのと同じ魔法だ。……といえばその拘束力はわかるよね」


「ううむ、アレか。……しかし聖女殿の魔法で相違ないのか?」


「聖女ヨーコの法魔法を再現できるとしたら、それは聖帝くらいのもの。そして聖帝と聖女の事績は不可分だよ」


「忌憚なく申すと、儂は未だ疑っておる。如何なる事情あれど、聖女殿が不帰の地を成すだろうか……聖女殿のお知恵には儂は遥か及ばぬ。されどその為人(ひととなり)には僅かなりとも触れたつもりである……伝え聞く聖域の危険とやらは、聖女殿に似つかわしくない。立ち入りを禁ずる程度なれば他の手段を講じ得ようぞ」


「さてね。おおかた生理痛だったんじゃない? 女の性格なんてその程度で豹変するもんだし」


関羽が閉口したのをしっかり見届けてから、ユーリンは懐のエーテルナイフを指した。


「……なんにせよ、聖女ヨーコの法魔法がボクに発動したら、きっちり無効化できるよ」


「もしやそなた、ヨーコノートの束縛も、解呪できるのではないか? さすればそなたも読めるようになるであろう? なぜ試みぬのだ?」


「は? なんで? ボクが? わざわさ聖女ヨーコに? 向こうがボクを拒否ってんじゃん? ボクに? 聖女を追い求めろて? ……ねぇ、本気で言ってんの、それ。ボクに? やれて? ボクに聖女に媚びろて言ってんの!?」

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