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スイーツ巡りのぶらり道中  作者: das
ハーピィの娘 ~マンゴー大福~
31/36

(8) 聖域を求める者

ウルリカとの、当初の想定以上には友好的な殺伐とした会談を終え、その協力を確たるものにしたユーリンは、すぐにアーウィンの街に戻った。次の重要人物と接触する。エリアンの衛兵隊から解放される前に会話する必要があった。


「『聖域』て、何ですか?」


「慌てん坊さんですね。お茶を淹れましょうか? お好きですよね」


ソーニアは落ち着いた様子で、ユーリンをなだめる。昨夜は家をユーリンに任せていたが、昼前には帰宅したとのことである。留守番役にもかかわらず無断外出していたユーリンを叱ることもなく、その帰宅を家主らしく悠然と迎え入れた。


ユーリンは居間のテーブルにつくなり開口一番、本題を切り出した。全ての震源地である『聖域』について。

ソーニアは焦点の定まらぬ瞳をユーリンに向けながら、静かに思案している。ユーリンは本題の問いそのものの解答を求めたのではなく、ソーニアとの関係を尋ねている――それを理解し、考えている顔である。


ユーリンは催促した。


「エリアンくんの生命がかかってますので」


「……昨晩は何かありましたか?」


「大切なカップを割ってしまいました。必ず弁償します」


「……街の外れに森が広がっています。その奥の果て――そこに『聖域』と呼ばれる場所があります。『聖域』についてはわからないことが多いです。不可侵の領域と街では定めています。でも、私の……いえ、エリアンの父の遺体がそこに眠っているはずです。エリアンはそのことを知りませんが。……それで昨晩は何があったんですか?」


ソーニアが核心のひとつを提示した。ユーリンへの痛撃である。これ以上のことを知りたければ、話せ――と言外にユーリンを脅していた。ユーリンに否応はない。


「……わかりました。白状します。合法的とは言い難い訪問者がありました。何かを求めて家探(やさが)ししている様子でしたが、お心あたりは?」


ソーニアは身体を強張らせた。当然の反応である。


「いいえ。ご覧のとおり貴重なものなどありません。かといって誰かが私に関心を寄せる理由も、まったく」


「じゃあ、エリアンくんしかありませんね」


「……息子と『聖域』が、どうつながるのですか?」


「それを把握したいのが、ボクの焦りの根っこです。聖域には何があるんです?」


「わかりません。『おぞましき災い朽ちる墓』との伝承もあるようですが、歴史を辿っても正体はわかりません。過去にも調査の試みは幾度もあったようですが、成果はなかったようです」


「お詳しいんですね」


「私も昔、『聖域』に足を進めようと思ったことがありますから」


ソーニアの意外な告白にユーリンは言葉を失う。懐かしむようにソーニアは続けた。


「サガモアさんは酷く反対しました……わたしたち、昔はとっても仲が良かったんですよ。でもそれが原因で、すっかり仲たがいしてしまいまして。……とにかくすごい剣幕でした。あの時のサガモアさんのお顔、私は今でもよく覚えています」


ユーリンが些細な事実関係を確認したのは、考える時間ほしさである。


「ということは、眼の御病気はその後に患ったんですね」


「エリアンには病気と説明しています。ですがこれは『聖域』の呪いだと私は思っています……本当に、良かった……呪われたのが、私で。……もしも、エリアンに向かっていたら、私は……」


腹部を抱えるように、ソーニアはうずくまった。時空をわたるその想像の恐ろしさに怯えさせられたのである。


励ましもならないことを、ユーリンは明かすしかない。


「エリアンくんはその『聖域』からの生還者です」


ソーニアは唖然として顔をあげた。


「……そんな……ありえません」


「事実です」


「不可能です」


「エリアンくんを問い詰めてみましょうか。ボク、尋問は得意ですよ」


「エリアンはまだ子供です。いったい何人の冒険者が……『聖域』で消息を、絶ったと……」


ユーリンはソーニアの言葉の微妙な揺れを嗅ぎ取り、ソーニアが明言しなかった過去のいきさつを察した。――エリアンの父は冒険者として『聖域』に立ち入り、帰らなかった。その身に浴びた何らかの魔術的な災いの余波が、エリアンを身ごもるソーニアにも降りかかり、視力を失わせた――それを語る意思はソーニアからは感じられないが、知られることを忌避する嫌悪感も見られない。ソーニアの生涯が暗転した契機をユーリンは理解しつつも、全てを心の中に押し込んだ。


「だからボクは焦っています。エリアンくんの将来を考えるのは、過去に目を向けてから、です。かつてのソーニアさんは、なぜ『聖域』に足を進めようと考えたんです? 生還がありえない程度には危険なんでしょう?」


「……(つち)です」


「ツチ……? 地面の、足元の、(つち)、ですよね」


土壌(どじょう)といったほうがいいですね。……アーウィンの街は終焉を迎えつつあります。それを避ける方策を探し求めていました。もしかしたら聖域に答えがあるかも、と」


「終焉て……こんなに栄えてる街はそうそうないですよ。地味豊かな土地、温暖な気候、信頼できる行政、それに聖女の祝福まで……」


「全ての土台にあるのが、聖女様の祝福とされる豊かな土壌です。それが終わりつつあるんですよ。この街は豊穣の祝福を手放しつつあります。果実の街を支える、その土壌から、少しずつ力が失われているんですよ」


「まさか……聖女の力は主神の一柱アマサオンの寵愛が源泉。これは時の流れで衰微するものではない。 豊穣の神の力が、時の流れに削られる? ……ありえないッ! 神々(やつら)はそんな、ちゃちなモンじゃない」


「私もそう信じたかった。でも違うんです。私にはわかります。収穫される果実が、年々、衰えていくことが。30年ほど昔かしら……私が幼いころにそれは始まりました。それから年々、悪くなる一方。回復の兆しはありません……それに、街の運営を担う方々の間では、とうに周知のことであったようです。……若いころ、私は自分の研究をまとめて訴え出て、調査と対策を求めたんです。でも、口外を禁じられただけ……『どうにもならないこと』と、前代の市長から」


ソーニアから滲み出る諦念の嘆きを、ユーリンは好ましく感じた。無力を嘆くことはユーリンの最も嫌う態度であるが、ソーニアの言葉の節々からは『尽くし尽くした』敗者のみが至る、意志の亡骸朽ちる成れの果ての境地がうかがえる。ユーリンはソーニアへの尊敬を密かに強くした。


「……思い上がりも甚だしいことですが、私はこの街を救いたかったんです。あの頃はそう考えました。これが、街でただひとり聖女様――陽子ノートを許された――私の使命だと。……お恥ずかしい。小娘の馬鹿げた増長ですね」


「市政を担う方々は、何も手だてを講じていないのですか?」


「もちろん、長年、手を尽くしておられます。それでもその結果が、今なんです。……しのびよる衰退を止められない。手がかりになりそうなのは、おそらく『聖域』だけ。

アーウィンの約束された豊穣は『聖域』から伝わるものです。……魔術の心得のある方は、『自然(ネイチャー)魔力(マナ)』の流れを感じられるそうですね」


「ここら一帯に充満してるんで、ちゃんと意識したことはありませんでした。が、それなら『聖域』の調査に関心が向かうのも納得です」


「豊穣をもたらす力の源流が『聖域』にはあるはず。それを究明できれば街の緩やかな滅びを避けられるかもしれない……アムリテの魔導書院から識者を呼んで調査にご協力いただいたり、冒険者ギルドから派遣された調査隊を向かわせたり、エルフの司祭様を招聘して自然の神(スケルス)の神術を試みたり、と。いろいろの取り組みがあったようです。私も生活の合間で文献をあたって、調べました……私がエリアンの父と出会ったのは、それが行き詰まったころです。そうして多くの人が赴き……誰も帰りませんでした。……それを、エリアンが?」


「安全な帰路ではなかったようですがね」


聖地で死に瀕しているところをウルリカに救助されて、エリアンは九死に一生を得た。命からがらの脱出である。聖域に足を踏み入れることが死に直結するというソーニアの見解と、ユーリンも同意見であった。


しかし現実として、ともかくエリアンは聖域から生還した――その事実が聖域を巡る歴史を知るソーニアに重くのしかかる。


「……恐ろしいことです」


「非常にマズイですね。危ないことしちゃダメだよ、とオトナに叱られて大人しくオシマイにはならない。……冒険譚を根掘り葉掘りされる程度で済むならただの武勇伝ですが、(わら)にもすがる思いの方々からは協力を求められるでしょう。ごくシンプルに言えば『聖域を案内しろ』ですね」


「ありえないっ! エリアンはまだ子供です! そんな危険なことに巻き込むなんて!」


「エリアンくんの自由意志でオコトワリが通りますかね。むろんエリアンくん1人でてことにはならないでしょうが……『聖域』を巡るこれまでの経緯を伺う限り、ちょっとやそっとの気合の入った準備でどうこうなるモンじゃないんでしょう、おそらく神代(パトリア)の魔術的な防御機構がある。まず2度目の生還はないです。エリアンくんはたまたま生命を落っことさなかっただけです。……けれど『そんじゃみんなでこの際、キッパリ諦めましょか』となりそうですかね、雰囲気的に……」


「……無理ですね」


「ですよね。……この街に、信頼できる方は、いますか? 欲得で行動を変えず、市政に多少なりとも意見できる、公正な意思を持つ方。エリアンくんの味方になってくれそうな有力者」


「2人います。司祭のバナンドさん……『蜜果の会』の理事も務めておられます。お優しく、正義感の強い方です。頼めばご協力をいただけると思います」


「もうおひとりは?」


「サガモアさん。大きな果樹園を経営しておられます。……多少の……いえ、やはりいろいろとわだかまりはありますが」


「……あー、うん……なるほどー。そうなるかー……。どうしよっかなー、根回ししてから……いや、ちゃんと会ってから考えるか……そうしよう」


あえてソーニアがこの文脈でサガモアの名を挙げたということは、ソーニアがサガモアの人間性に信頼を寄せていることを意味している。昨日、果樹園からの帰り道でサガモアと会った際の印象は、とても良好とは言えない。しかしそれはサガモアの一面に過ぎないのだろう。ユーリンの知らないサガモアの別の一面が、きっとある。旧知の仲というソーニアによる評価を是とするしかない。


「ところで、昨晩は訪問者がきたとのことですが、目的は――」


「謝罪しかできないのが心苦しい限りです。ごめんなさい、連中の目的は言えません」


「では、ユーリンさんはソレを知っている、と? なのに明かしてはくださらないんですか」


「知らないことが最大の護身です。ここまではアーウィンという街の事情の範疇(はんちゅう)ですが、ここから先はそれを超える話になります。いざとなれば全てを捨てる覚悟がいります」


魔力結晶(マナノード)にはさまざな性質のものがある。魔力を蓄積し携行できるもの、地脈の魔力を吸い上げるために設置するもの、術者の魔力を変性あるいは増幅するもの、自ら魔力を精製するもの――聖域のマナノードは、小さな欠片(かけら)となっても土の中でマナを放出していた。地脈から分断されても効力を失わず、物質として移動できることがすでに証明されている。つまり運搬可能な性質――強奪の対象となり得る、値段のつけようのない財宝である。奪い合いの争いが国家規模に発展する恐れもあった。そして、それがアーウィンの街にとっての福音となることは絶対にない。


「わかりました。その件についてはお(ゆだ)ねできると信じます。それで、私はどうするのが最善なのですか」


「徹底して『何も知らない』を通してください。エリアンくんにも帰ってきてから、言い聞かせます。……と、その前にいくつか野暮用を片付けてから。ボクは失礼しますね。次の予定があるので」


ユーリンの懐には魔力結晶(マナノード)の欠片がある。これをソーニアに伝えることはしない。この場の終焉を告げるかのように、ユーリンは席を立った。去り際にふと振り返って、ソーニアに聞いた。


「あ。個人的に大切な確認を。……司祭のバナンドさんて、どちらの神の信奉者です?」


自然の神(スケルス)の信徒と伺っております」


「よしよし。光の神(ルグス)でなければどこのどなたさんでも良いです。光の神(ルグス)とは多少の……いえ、マジでこみいったわだかまりがありましてね。先方がどう思ってるかは知りませんが、ボクは光の神(ルグス)を出禁にしてるんで」


今日は本当に忙しいな。体と心が――とユーリンは心の中でつぶやいた。




室内を漂うすえた臭いにあてられて、ユーリンは形の良い眉根をゆがめた。目的の人物はいまだ就寝している。昨晩は夜更けまで剛毅に酒杯をあおっていたことを、事前の聞き取り調査で把握していた。


アーウィンの街随一の果樹園を営むサガモア氏の荘園において守衛の職を務めるタレスの寝泊まりする集合住宅の一室に、昼下がりにこっそりとユーリンは忍び込んだ。足元に転がる汚れた着衣や生活ゴミをよけて歩き、蒸発する汗にも酒精を残すタレスに近寄った。間近に寝息が聞こえる。


ユーリンは空色の瞳の輝きに軽蔑の泥を混ぜたような眼差しでタレスを見下ろした。そして、職務に支障をきたすほど負傷したというタレスの手首を、容赦なく踏みつけた。痛みに苦しむ様子もなく、いまだタレスは目覚めない。


僅かに残っていた呵責の尾をユーリンは遠慮なく断ち切った。


「……やっぱりね。アチコチの酒場でツケを溜めてるて、聞きましたよ」


手ごろな衣類を紐代わりにして、眠りこけるタレスの身体を力強く縛りあげた。

手足の間接を雁字搦めにされたタレスがさすがに目を覚ます。緩慢にまぶたを動かし、口元をだらしなく開閉した後、自由の利かない身体に驚いて顔を左右に振って事態を説明できる原因を探した。


「二日酔いですね。お水、飲みます? 昨晩はずいぶんとお飲みになったご様子で。……何かの前祝(まえいわい)ですか? まとまったお金が入るご予定でも?」


水を汲んだカップをタレスの口元に寄せながら、声色だけは優しげにユーリンが言った。

タレスが怯えたような表情になったのを、まるで意外そうにユーリンは観察する。


「あー……いまさらだけど、ボクの自己紹介、いる? ボクの顔には覚えはあるよね」


「お前は、昨日の……果樹園にきた……」


「そそ。職務に支障をきたす大ケガしたて聞いたから、お見舞いにきたんだ。『係争中』の相手に接触しちゃダメて言われてるんで、こっそりと。……だから大声禁止ね。もしも人を呼ばれたら、なんとなんと! ……『口封じ』しかなくなっちゃうよ、嫌だよそんなの」


「何しに来やがった。お前らのせいで、俺は大怪我を――」


タレスの健康的な手首を捩じりあげて、ユーリンはタレスの言葉を遮った。


「女の匂いはしないね。なのに精液くさい。ズリセンこけるの? 手、負傷してんでしょ? それともまさか自分でしゃぶれるヒト? めっちゃ特殊技能じゃん! 見ててあげるから、やって見せて。……ていうかすごいな、酔いつぶれながら一人でシたのか。虚しさに潰されそうになったりしない? メンタル、強いね」


たたきつけられた下品な言葉に呆然とするタレスを見下ろしながら、ユーリンは淡々と用向きを告げる。


「昨夜は酒場でボトル4本あけて上機嫌だったそうじゃないか。傷病人を演じるにはツメが甘い。……狙いは示談金でしょ? ボクは善良じゃないからね、遊ぶ金ほしさで旅人からかっぱぐな、とは言わない。だけど相手をよく選ばないと。手段問わずならむしろ元気になっちゃう連中もいる……わかりやすい実例がココだよ、何でもアリなら受けて立つ。ボクは逃げるだけだ。そんで誰が喪主やんの?」


ユーリンの空色の瞳が、暗夜の雨雲のように不吉な影をつくった。部屋の床から拾い上げたタレスの剣をにぎる。殺意にとりつかれて我を失ったかのような無表情のまま、ユーリンはタレスの首筋を剣先で撫でた。突きつける刃物の切っ先を愛撫の指先のように柔らかく上下させる。悦ぶように滴り落ちた赤い雫を、ユーリンは愛し気に眺める。


次第に大きくなる身体の震えが、かえって刃先の鋭さをタレスに実感させた。まだ痛みはない。喉元から流れる血の筋が胸元まで届き、優しくくすぐった。


「ひっ……す、すまないっ……」


冷たい感触に急き立てられるように、タレスはわめいた。ユーリンの迫力に怯えて、慌ただしく釈明の弁を述べる。


「最初は、本当に痛かったんだ、折れたってくらい……何があったか他の連中に話してるうちに、アイツら、まるで俺がマヌケみたいに笑いやがって。そんで、わけわかんなくなっちまって。だんだんとまたムカついてきて、それで……つい……」


「つい、か……。じゃ、いいや。この件は」


「え?」


「おしまいにしましょう。……だって、そもそも誘ったのはボクでしたし。タレスさんは応えてくれただけでしょ」


ユーリンは微笑んだ。緊張から弛緩への落差を利用するのは、ユーリンが得意とする対話術である。心の動線を読むことはできても、それを誘導するには何かの力が要る。手っ取り早く力を作るための手段として、ユーリンはこの技術を愛用していた。


タレスの視線が自身の顔に注がれていることをユーリンは感じとりながら、呼吸を探る。タレスは怯えながらも、やはりユーリンに見惚れている。いつでも刈り取れる――空色に瞳に、空から獲物を見下ろす王者の光が宿った。


「本当にごめんなさい。ボクのツレが乱暴したのは事実です。何より……ボクの都合でタレスさんの気持ちを踏みにじりました。……それをちゃんと謝りたかった」


蠱惑的な唇をさみしげに、仰ぎ見るべき天空の色を宿す瞳を悲しげに、しなやかな手つきでタレスの手を握って、頬に寄せた。


「ボクの腰に手が伸びたのも、気が逸っただけですもんね。……せっかちさん。……昨夜はひとりにさせるつもりじゃなかった」


いつの間にか手足の拘束がほどかれていることにも、タレスは気づかなかった。己の手がユーリンの美しい頬に添えられていることを、夢心地のように眺めている。


ユーリンはわざとらしく、苛立ちで口をとがらせた。


「……もうっ」


「へ?」


「ボクが何のために忍び込んだと思ってるんです? 今度こそ二人きりですよ? ……まさかボクに恥をかかせて意趣返し、なんてしないですよね?」


いたずらな目つきで冗談めかして、ユーリンは笑った。

タレスはようやく自我を取り戻した。しかしその自我はユーリンに導かれるままに形を変えられている。タレス本人がそれを自覚することはない。


「……お、おいおいっ……いい、のか……? もう、会えないと、ばかり……」


「タレスさんのこと、悪くないなて思ってたんです。だからこうして、ここまで来た。……ご迷惑というなら帰りますけど」


あたかも悲しんでいるかのように顔を陰らせた。喜怒哀楽の明暗こそが自身の外見的な魅力を極彩色に増幅させることを、ユーリン自身はよく理解している。吸い寄せられるようにユーリンに伸ばされるタレスの腕をつかみ、気の逸りを叱るようにその勢いをかわした。


「……と、その前にボクの目を見てください! ボクとお話をしましょう……タレスさんのこと、もっと教えてください! ……ボクとお話をしましょう……大丈夫、ただお話をするだけですから! 痛いことはしませんよ」


睦言(むつごと)への(いざな)いのようにユーリンは顔を寄せて、タレスと見つめ合った。


こうしてユーリンはタレスに、みっちりとオテとオスワリを仕込んだ。教育を終えた時、ユーリンは鼻息を荒くした。その調教成果に満足したのである。


「ふふん。こんなもんでいいかな。……それじゃボクは帰ります。いずれ時間のあるときに、もっと仲良くなりましょう。とりあえず訴えについては取り下げ、『(いさか)いはあったが、負傷もなし。不幸な誤解が原因』てことで。雇用主のサガモアさん名義で訴えてるらしいけど、本人供述なら効果バツグンだから、今日このあとすぐに衛士隊にいくこと。それと、ボクと会ったことは『2人だけの永遠の秘密』でよろしいですね。……わかったら、オスワリ!」


「全て、ユーリン様の仰せの通りに致します」


ユーリンから命令されることにすっかり悦びを覚えたタレスは、喜々として床に膝をついた。オスワリのポーズである。ちゃんと教わった通りにできたことを誇りに思ったらしく、陶酔した顔をそれなりに引き絞り、お褒めの言葉を期待している。その物欲しげな顔はユーリンを十分に納得させる出来栄えであった。


「よしよし、いい子だ。……人探しの件も頼んだよ。人相特徴は伝えた通り、後頭部に負傷があればドンピシャ。見つけ次第、ボクに連絡だ。……わかったら、オテ!」


昨夜のソーニア宅への侵入者のひとりは、ユーリンの不意打ちで負傷している。相手に悟られないうちに、その顔も確認済みだ。街で偶然すれ違う可能性を期待しつつ、能動的な捜索の手を増やしたい。事件性を疑われやすい後頭部への負傷を隠ぺいするのは、苦労が多いことだろう。治療のための薬の買い付けや医療施設への来訪が手がかりになるかもしれない。


「承知いたしました。特に薬師や医院の近辺を中心に捜索いたします」


オスワリのポーズのまま、手を差し出してオテをするタレスの頭をユーリンは撫でた。


「よろしい。もしも見つけたら、ご褒美に新しい芸を教えてあげる。うれしいでしよ?」


「あっ、あのっ……!」


「ん? なに?」


「いっ、いま! ご褒美を……ユーリン様の、お情けをください!」


「コラッ! 言ったでしょ。いまボクたちは係争中の間柄なの! 軽はずみなことは許されない。不幸な誤解が片付いたら、その時ね。ご褒美も用意しておくよ。それまでガマンね、約束。マテできるね?」


マテを仕込み忘れた、とユーリンは気づいた。しかしタレスは、まだ教えられていないはずのマテをした。思ったより賢いな、とユーリンはすっかり調教の済んだタレスを見て驚いた。


くうん、と仔犬のように鳴き出しかねない表情で、タレスはマテを続けている。そのみじめな有様がユーリンの癖に刺さった。タレスという人物はあらゆる尺度においてユーリンの好みからは逸脱しているが、癖に刺さるシチュエーションでありさえすれば、多少のことには目をつむる。ユーリンは女に対する審査基準はやたらと厳しいが、非常に迷惑なことに、男には基本的におおらかであった。


「わかった。今日の分のご褒美だ。素直になれたからね。……ボクのことを夢の中で想ってもいい。許す。ただし出すな。ていうかもうボクでコクな! ……え、てことはこの部屋の臭い……ボクで? ……。……そこの路地にメスの野良犬がいたな? いいケツしてたろ、がまんできないときはアレ見て、しろ。……いいね?」


タレスの妄想界における肖像権をユーリンは主張し、その用法について厳しい戒めを設けた。

タレスは、行き場を失った野良犬のようにうなだれる。

(たぶら)かすのが趣味であるのに、実際に誑かされた人物には、ユーリンは一片の同情も寄せない。ユーリンを求める永遠の渇きの果てに干上がる様子を目の当たりにしても、躊躇なく見捨てる。


「そんな……俺はユーリン様一筋で……」


「ボクに逆らう気? へぇ、たかが犬でシコるくらいのこともできない程度の想いなの? それでよくボクにご褒美、求めたね。身の程知らず」


「……っ! ……がまん、致します。どうしてもがまんできないときは、あの犬をユーリン様と見立てて、この想いを募らせることを、お許しくださいっ……」


「……。……ま、いっか。当初の目的は果たしたし」


痩せこけたメス犬を「ユーリン! 俺のっ、ユーリン……様ぁっ……!」と呼びながら部屋にこもる臭気をタレスが濃くする様子を想像し、及第点の評価をユーリンは下した。




日は中天を過ぎて傾きつつある。アーウィンの街を歩きながら、ユーリンは自分の頬を叩いた。心の仮面が次第に剥がれつつあるのを自覚して、恐怖したのである。


(いけない。今日はむき出しにしっぱなしだ。隠してるモノを存分にみせつけて、興奮してる。……露出魔みたいな有様だ)


日頃、関羽の前では隠し続けている自身の本性をここぞとばかりに解放し、それを楽しみつつある自分がそこにいた。


心の仮面をつけ直すように、両手で顔を覆う。道ですれ違う人々が不思議そうにユーリンに視線を寄せるのを感じた。


(ウンチョーが側にいないと、自由すぎる……早く、会いたい……自分がイヤになる、助けて。しょーもないつまらない理屈で、ボクを叱って……)


関羽が傷害事件の容疑者として捕縛され、全く関係なエリアンが人違いで地元の治安組織に拘束され、聖女の遺産と思しきマナノードの手がかりを懐に隠し、国家規模の戦略資源の争奪から身をかわしつつ、ハーピィ族の習癖を警戒しながらハーピィ族に協力を求める――悠長に関羽の帰りを待つことが許されない状況が、ユーリンの行動を必要としている。そして、この程度の労力を負担に思わない自分に気づき、ユーリンは愕然としたのである。


心地よいとさえ感じていた。思うがままに走りまわり、他者を自分の都合で巻き込み利用し、その運命に干渉して彼らの未来をねじ曲げる――この一連の罪を、何の後ろめたさも覚えず犯すことができてしまう。


深海の底から立ち昇る澱のような黒ずみが心に滞留し、拭いがたい染みとなる。いちど付いたその汚れは、きっと永遠に落ちない不可逆なものだろう。徐々に侵食されて、やがて全てがそれに覆われる。


(ダメだっ……許されない。……気づくな。絶対にダメだ。……ボクはあくまで、エリアンくんのためだけに、手を尽くしてるだけなんだ。エリアンくんに向かう脅威を排除する、それだけがボクの狙いであるべきなんだ……そのために、そのために敵の意図を知らなければならないんだ)


自分の打算はないはずである。そう信じたい。ユーリンは敵の意図に思索の対象を移した。団結し、逃避するためには、敵を得るのが手っ取り早い。


(相手の……この際、敵でいい。敵はやはりアーウィンの上層部、市政を担う立場の連中だろうか。その狙いは当然、魔力結晶マナノードの奪取だろう。そのためには聖域から帰還したエリアンくんの情報と、魔力結晶マナノードの現物……この欠片が大きな鍵になる。どう立ち回るのがエリアンくんにとってのベストなのか、それを考えるのがボクの役目だ)


敵の正体はさておき、敵の意図は明白であるように思えた。


(志……野心あるなら、誰だって欲しいぞ。膨大な魔力資源を兼ねた権威の塊だ。用途なんていくらでもある。ぶっちゃけボクだって欲しいし! ……手元の欠片だけでも記念にもらえないかなー、なんてね!)


ユーリンの大望――建国。聖女の魔力結晶マナノードを掌中に収めることがもしも叶うのであれば、建国へ向けてのひとつ足掛かりになる。たとえソーニアの話にあったとおりに魔力結晶マナノードから魔術的な資源としての力が衰微しつつあるとしても、その価値はゆるぎない。世界中に信奉者のいる聖女陽子の魔力結晶マナノードともなれば、その歴史的な経緯だけで一国の支柱になりえる。建国の正統を主張する神話を構成するこの上ない材料である。


(ボクだって欲しい! だから敵の狙いは魔力結晶マナノードの接収もしくは奪取だろう。アーウィンが街として歴史的正当性に基づいて接収するか、どこか外部の勢力が強引に奪取するか。敵の正体がどっちにしたって、それはゆるぎない。はい、これ、かくてー)


――気づくな


どこかで声が聞こえた気がする。


(いいなぁ。その争奪戦、ボクも参加させてもらえないかなー、なんてね!聖女の 魔力結晶マナノード……そりゃ欲しいよ! できることなら、今すぐにでも、欲しい! ……今すぐ? いや、今すぐ……?)


――それに、気づくな


その声は、自分の声に似ているような気がした。


(……いや、今すぐには欲しくない。ていうか困る。()()困るんだ。……ボクは、今は、聖女のマナノードなんて欲しくない。持て余すだけだ。取ったところで守りきれないし、活用しきれないし、何より重たそうでぶらり旅(ハネムーン)に差し障る)


ユーリンは希望の糸口をつかんだように顔を輝かせる。安堵した。自分のとぼしい善性を信じ続ける論拠を確立できたのである。


(あー、よかった……よかった。……ボクは自分の欲でこの件に首突っ込んでるわけじゃないんだ。ボクの都合じゃない! 個人的な欲じゃない! だってボクにはそもそも関係ないもの。国家戦略資源なんて、持っても困るだけじゃん。……だから聖女の魔力結晶マナノードがどうなったって……)


どうなったって、かまわない。誰が聖女の魔力結晶マナノードを手中に収めようとも不都合はない――そう言いかけた自分の言葉を精査し、その苦味に驚いた。驚いたことに、驚いた。どこかで何かを見落としている……? ユーリンは慎重に思考の断片を並べなおす。


――その可能性を考えてはいけない


自分に似た声が、どこかで警鐘を鳴らしている。しかしユーリンは強気にそれを跳ねのけた。自分の善性を信じる勇気を振り絞った。つかんだ希望の糸口をにぎしめ、蛮勇を奮った。結論にたどり着くことを恐れながら、考えた――


(……困る。確かに、今はボクには必要ない。……だけど()()()()欲しい。だから魔力結晶マナノードを誰かに取られるのは、困るんだ。()()()()()()()()()、困るんだ。……取られさえしなければ、アーウィンの聖域でいつまで眠っていてもかまわない。ていうか、そうであってほしい。ボクが聖女の魔力結晶マナノードの価値を活用できるようになるまで、手つかずであってくれるのが、()()()()()()()()()()なんだ)


ユーリンは敵の意図について、別の想定にたどり着いた。自身の野心を鏡とすることで。


(奪わなくても、いいんだ。今、魔力結晶マナノードを奪う必要がなくても、手を伸ばす動機は成り立つ。そもそも敵がすでにそれ相応なら、もっと違うストレートな手段を選べるはず。だから、だから敵の正体は……)


聖女の魔力結晶マナノードの価値を十全に活用するためには、国家規模の権力が前提として必要である。その所有に個人が耐えられるはずがない。それを根拠に、敵の正体は国家や市政など公的な行政に相当する立場であり、敵の意図は魔力結晶マナノードの速やかな利活用にあると考えてきた。


しかし別の想定も成り立つ。ユーリン自身が、まさにそうであるように――。


野心ある個人。国家としての権力はまだ有さないが、いずれそれを手にする意志を強固に抱く者――その人物からすれば、魔力結晶マナノードを誰かにとられさえしなければよい。自らがそれを手にするのにふさわしい力を得た時まで、静かに眠らせておくのが最善なのである。そのためには……


(もしもボクが狂おしく、なりふりかまわず、手段問わず、慈悲もなく、たとえキミに蔑まれてでも、自分の国を創るとしたら……)


ユーリンがその仮定に思考の焦点をあてたのは、自分へのケジメをつけるためである。辿り着いた結論は、予感のとおりであった。


ユーリンは歩く足を別の道に向けた。人通りの少ない路地裏の道を選んで進む。奇妙に思考がさえていた。周囲の目を気にする余裕があった。呼吸が浅く、五感が鋭敏になっている。人の気配が辺りにはないことがわかった。


ユーリンは懐に手を入れる。魔力結晶マナノードの欠片と、一振りの小刀があった。ユーリンは小刀を取り出した。当代の名工たるビーリ・バウルが鍛えたエーテル鉱を素材とするナイフである。ユーリンは感情の欠落した眼差しでエーテルナイフの暗緑色の刀身を眺めた。そして、その切っ先を自らの左腕にあてがい、狙いをつけて、勢いよく押し込んだ。罪にふさわしい罰としての激痛を求めたのである。しかし血は噴き出ない。エーテルナイフの切っ先は、やわらかい肌に小さなくぼみをつくった程度で、とどまっている。


「たまにはボクの言うこと聞け。斬らせろよ」


自身の腕を引き裂くようにエーテルナイフの刀身を力を込めて動かした。やはり肌は斬れない。


「……役立たずめ」


自傷行為を試みるうちに、だんだんと頭が冷えてきた。激情のままに行動するユーリンであるが、沈着で思慮深い態度こそが基本姿勢である。自分自身とエーテルナイフへの八つ当たりが無意味であると理解し、エーテルナイフを収納して地べたに腰を降ろした。


(…… 一致しちゃった。敵と)


利害の一致。ユーリンにとっての真実のベストと、敵にとってのベストが、ピタリと重なるのである。聖域に眠る聖女の魔力結晶マナノードを、いずれ来たるふさわしい時までこのまま眠らせ続けるためには、証拠となる魔力結晶マナノードの欠片を押収して隠匿し、聖域を騒がすエリアンとソーニアに沈黙の眠りを強いること――これこそが自分()()にとっては、もっとも最善の結果であるという点において。


「仮定の話だ! これは、あくまで……! 敵の立場を想像してるだけなんだ。そう考えるヤツがいたとしたら、説明がつくていう話なんだ。ボクの考えじゃない、絶対に違う……違うはずなんだ!」


そうなることを望んでいるわけではない。

ただ、それが最も都合がよいと、考えつくことができてしまうだけである。

だから考えたのだ。それを望む誰かがいたとしたら? と。

決してユーリン自身がそれを望んでいるわけではないはずだった。


―― 考えることは、望むことではないのか? では魔力結晶マナノードの欠片を土に埋めて戻さなかった理由は、なんだ?


違う。隠蔽なんて考えていない。考えなかった。……いや考えた。明るみに出る可能性を少しでも減らしたかった。エリアンとソーニアを危険から遠ざけるためだ。痕跡を消すためではない。自分のためではない。考えはしたが、望まなかった。


―― 本当に望まなかったのか? ……『どこかにもっとたくさんあるはずだ、それを根こそぎ自分のものにしよう』とは


その内なる声が、ユーリンを打ちのめした。


「……ウンチョー、やっぱり、ボクに建国なんて無理だよ。……そう産まれ落ちてるんだ。……自分に耐えられない」


その考えに耐えることができてしまう自分の本性に、耐えられない。


ユーリンははっきりと自覚した。ユーリンにとってのベストな末路は、このアーウィンの街が滅ぶことである。聖域の伝承もろとも廃墟になることが、ユーリンにとってはいちばん都合がよい。打ち捨てられ、忘れ去られ、ユーリンが聖女の魔力結晶マナノードを必要とするときまで、誰からも関心を寄せられないこと――これがユーリンにとっての、ベストなのである。


荒れ狂う自己嫌悪が、心の自傷を繰り返す。


(もし今、エリアンくんが死んだら、ボクはちゃんと悲しめるのか? 嘆くフリではなく、ホンモノの哀悼を捧げることができるか? できる。絶対にできるはずだ。けど、もしも本当にそうなったら、ボクは右手に哀悼を捧げながら、きっと左手で……左手で、ボクは……魔力結晶マナノードの欠片を、そのまま持ち去るのではないか?)


その想像から逃げるように、ユーリンは立ち上がり、よろけながら歩き始めた。


「……ボクは、エリアンくんをもっと好きになろう。二度とエリアンくんの死がボクにとって好都合などと考えないために……待っててね、エリアンくん。ボクが助けるから。ボクはエリアンくんを助けるために、がんばってるだけなんだ」


それがあたかも本心であるかのように――本心であってほしいと願いを込めるように、ユーリンはつぶやいた。

誰かを好きになること――これはユーリンにとってのある種の防御本能であった。


好きでいることは、おそらくは善良なことであるはずだから。


「ボクは、ボクと同列の下衆(げす)からエリアンくんを守るんだ……それで合ってるよね、ウンチョー」


それを信じて、心の仮面をかぶり続けることを、ユーリンは選んだ。


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