(7) ユーリン、ハーピィ族と恋バナに興じる
ユーリンは、少しの仮眠をとった。すぐにでも行動したかったのが実情であるが、街の門がまだ開いていない。張り詰めた危機感が胸中をさわがせるのを努めて無視して、心と身体を休めて日が昇るのを待った。
街の賑わいが目覚めつつある頃、ユーリンはソーニア宅を出た。郊外の森に赴くためである。一刻も早く、彼女の協力を取り付けなければならない。これが現時点の最優先事項であるとユーリンは認識していたが、接触と説得――そのどちらもが難題でることも、また理解していた。初対面の印象からして、おそらく最悪の相性なのである。
「いくらなんでも、さすがにいきなり殺されることは、ない、はず」
樹木の茂る深い森の中であるが、いまユーリンが立っているこの場所だけが乱雑に拓かれていた。幹の細い小木は突風で圧し折られ、枝からむしり取られた葉や枝が無秩序に散らばっている。昨日、エリアンがウルリカからマンゴーを受け取り、束の間の逢瀬の時を過ごした場所である。
「……五分五分かなぁ。ボクの話、聞いてくれるかなぁ」
足元からなるべく汚れの少ない石を選んで拾い上げ、手に持つ衣服で石をつつみ、真上に向けて放り投げた。森を覆う樹木よりは高く、けれども見失うことのない程度の高さまで、投げる。やがて布は落ちてくる。ユーリンは拾い上げて、また真上にそれを投げた。
「祈らない。確率がいちばん高い方法を選ぶだけさ」
ユーリンはしばらく経ってから、同じ動作を飽きもせず繰り返す。
ときおり休息し、軽食と仮眠もとりながら、諦めもせず繰り返す。
やがて疲労感が、ユーリンの足腰の重しとなり始めた。こみ上げる徒労感を水筒の紅茶で押し流す。
「……ふぅ。だって、ハーピィ族の生活リズムなんて、知らないし……っ、!? ――!」
こぼした愚痴を声の根本から引きちぎるかのような強風が、一面に散らばる枝葉を巻き上げるようにユーリンを叩いた。砂埃のなかで、ユーリンは目を開き、見上げた。中天に輝く太陽。そして、天を貫くかのような勇ましい翼が、空をつつむように広がっている。
ユーリンの空色の瞳が、彼女の眼を捉えた。それを叱るように強風がユーリンの顔をひっかいた。ユーリンはしびれる頬をなでる。
「……あたた……どうも、ご指摘、感謝です。お誘いセンスが欠けている自覚はありますよ」
「ふざけたマネを。あの男は……?」
猛禽類の眼が、警戒心をあらわにして周囲を見回した。羽毛の先ほどのわずかな油断すらもない。ウルリカが関羽の所在を探していることが、ユーリンにはよくわかった。野生の本能であろう。いまこの周囲一帯において、ハーピィ族の戦士たるウルリカを害せる武力は関羽一個人のみである。己よりも強大な牙が潜み隠れていることを恐れるのは、当然の反応であった。
「ボクひとりですよ」
「……潔いな、不快害虫め。吹きすさぶ涼風の下で砂に還る覚悟か」
ウルリカもそう察しつつあったのだろう――この場に関羽はいないというユーリンの言葉を、受け入れた。ウルリカの脚の鉤爪が開かれ、白刃のような鋭い光を放つ。滞空したまま攻撃態勢をとった。未知の恐怖を排除できる好機は逃してはならない。野生の本能を打算が刺激した帰結である。
向けられる殺意の純度に肝を冷やしながら、ユーリンはウルリカの説得を始めた。
「ごめんなさいっ! 他に方法が無かった! どうしても貴女に会いたかった」
「質問がある。答える間は生かしておいてやる。……エリアンはどうした? なぜおまえがエリアンの服を持っている?」
「えーと、まず服の件から。家捜しして、借りました。だいぶ使用感のある一着だったんで、たぶん貴女も目にしたことがあるだろうなぁ、て期待したんですよ。当たりだったようですね。さっすがの視力……上空からでも見つけてくれた!」
「……は?」
まるで本当にそれを喜んでいるかのようなユーリンの声に、ウルリカは拍子抜けする。疑念を濃縮したような眼差しで、ユーリンをにらむ。しかしどう観察しても、本心からそう言っているかのようにしか見えない……そんなはずはない、この得体のしれない化物が、心にあるものをありのままで外に見せるはずがない――ウルリカの猜疑は、渦を巻いて粘度を増した。
「だってボクがふつうに呼びかけても応えてくれないでしょ? 状況を伝えるために、貴女にはいちばんわかりやすい合図だと思いまして。……エリアンくんはアーウィンの街で、ヒューマン族の治安組織に身柄を拘束されています」
「……どういうことだ?」
「社会的にちょっとまずい状況なんです。表向きは幼稚なケンカのくだらない人違いということになってますが、それだけに先の推移が予測しにくい……不吉を告げる羽音が聴こえるようだ。エリアンくんが隠しているモノが疑いの段階だから、まだ生かされているだけなのかもしれない。秘所が光の神の下にさらされれば、エリアンくんは殺されても不思議はない」
「まさか同胞どもにッ!? 同じ部族の連中に、殺される……?」
ウルリカは空を殴るように翼を叩いて、急降下した。ユーリンの至近で着地し、片言も聞き漏らすまいとの姿勢である。ユーリンはそれを嫌がるでも恐れるでもない、親愛を示すような距離感のまま、謹厳な面持ちで説明を続ける。
「事の推移次第ではその可能性が高まる。殺されるかのような状況を強いられる恐れが大で、エリアンくんの手に余る事態になりつつあるのは確かです。ボクはそれが非常に気にくわない。エリアンくんの窮地脱出に、ウルリカさんも協力してくれますよね」
「あたりまえだっ! 説明しろ」
「質問はおしまいです? ボクの話を聞いてくださると?」
「……ちっ。……気にくわない」
ウルリカは不快感に鉤爪を打ち鳴らした。
ユーリンは従容として謝意を示す。
「一方的に呼びつけたのはホントに謝罪しますよ。でもボクが知る限り、この状況で間違いなくエリアンくんの味方になってくれそうなのはウルリカさんだけなんです。ウルリカさんへの連絡方法がわからなかったんで、物理的な手段をとりました。いささかの失礼があったのは認めますよ」
「違う、方法じゃない。おまえの存在だ」
吐き捨てるようなウルリカの敵意の表明に、さしものユーリンも眉をひそめて口を結び、困ったかのような顔をつくる。
「……直截な物言いですね。ボク、嫌われるのはなれてないんで、最悪、みっともあさましく泣き晴らしますよ」
「おまえの涙にどれほどの真実がある?」
「うーん、やっぱ相性サイアク。そそるね」
「やめろ……その眼をやめろ!」
あくまで余裕ありげな態度を崩さないユーリンに対して、ウルリカは悲鳴をあげて翼を広げる。広がる翼が支えとなってウルリカの身体を宙に浮かせ、震える鉤爪をユーリンの眼前に突きつけた。
背骨すらもひと掻きで削り取りそうな磨き抜かれた鋭い足先に自身の空色の瞳が映るのを、ユーリンは興味深げに観察する。
「美しい爪ですね。触ってみても?」
「触れるな! ……ソレは地を這う獲物を見る眼だ。……予測はしても、共感はしない、自分が狩る側だと知っている、空の高みから狙う獲物を見下ろす眼だ! ……あたいを測るな、あたいを見下ろすな……あたいを、どうするつもりだ……!?」
ユーリンの頭上からユーリンの鼻先に足の鉤爪をつきつけ、いまにもその命を奪い取ろうとする姿勢のまま、ウルリカは怯えるように吠えた。
ユーリンはそれを赦すかのように、穏やかに語りかける。
「貴女相手に小細工なんてしませんよ。ボクは生命も時間も惜しいんで。……ヒューマン族内の価値観において、ボクのこの本性が善良でないのは認めます。でも今はエリアンくんの味方です。そしてハーピィ族からの評価は知りません、知りませんので、好きにしていいです。……あとは、まぁ、産まれ持った性質としか」
眠気と疲労の倦怠が煙るようなアクセントとなって、陽光の下で輝くような微笑みをユーリンは作り、ウルリカに応える。
露骨な嫌悪感を、もはやウルリカは隠さない。
「……春風に混じる腐臭のようだ。愚鈍なヒューマン族どもにはそれで事足りるんだろうな」
「諦めます。やっぱりボクたちに友好的なしっぽり関係はムリみたいですね。……エリアンくんを救うための暫定的な協力関係の構築を提案したい。ボクはエリアンくんを助ける、貴女もエリアンくんを助ける……それでいかがです?」
ユーリンの顔から剥落した何物もがユーリンの足元に落ちていないことに、ウルリカは驚いた。まるで仮面を外して脱ぎ捨てたかのようにユーリンの風貌が一瞬で変わったように感じたのである。しかし観察する限りにおいてユーリンの外見に変化はない。しかし表情だけが違う。打算と欲得を滴らせた肉食獣のような何かが、そこに立って、全てを見透かすような空色の瞳でウルリカを測っている。
ウルリカは納得した。これは嘘をついていない――偽りで他者を謀り卑劣な罠に陥れる必要のない生き物である。ウルリカは再び、地に舞い降りた。
「いいだろう。説明を聞いてやる。エリアンが幸せに生きていけるなら、あたいは何だってする」
「第一段階クリアですね。では、発生した事実を述べる前に、その前提を確認したい。貴女の立ち位置について、だ。返答次第じゃ悲しい修羅場です。……エリアンくんが何を隠し持っているか、貴女は知っていますか?」
「隠し……? ……あ、ひょっとして、アレか? ……エリアンが隠しているかは知らないが、エリアンが魔力結晶の欠片を持ち帰ったことは知っている。確かにアレは珍しいモノだな、あたいもあれだけの品質は見たことがない」
「どこから持ち帰った、と?」
「妙なコトを聞くんだな。おまえたち、この地のヒューマン族どもは『聖域』と呼んでいるだろう。翼で地を掘るような愚かな問いだが、他に何処がある?」
このウルリカの返答を聞いて、ユーリンは心底から安堵した。ウルリカは絶対にエリアンの味方である――確信はあったが、それが確証となった。ウルリカは魔力結晶の存在を知っていて、なおそれには全く関心を抱いていない。ただエリアンのみに全身から溢れる情念の全てを傾けている。聖女の遺産を巡る諍いがどういう展開を辿ろうとも、ウルリカの立ち位置を変えることは絶対に無いだろう。今後エリアンを取り巻く環境がどのように変遷しようとも、ウルリカだけは最後まで、損得を超越した純真な欲得に基づく動機だけで、エリアンのために死力を尽くすだろう。ウルリカはエリアンを害する可能性を眠らせているが、他者がエリアンを害することを絶対に容認しない。それがユーリンには再確認できた。
「ありませんね。……ウソをつかないために明かしておきますが、ボクは旅人で、当地の事情にはあまり詳しくない。ウルリカさんがマンゴーを収穫しているのも『聖域』ですよね?」
「そうだ。あたいはエリアンとソコで出会った。エリアンが死にかけているところを、あたいが拾い上げたんだ」
ウルリカはうっとりとした表情で、胸の前で翼を寄せる。何か抱えるような構えの、その記憶に刻まれた心地よさに身を小さく震わせている。
「この手でエリアンを包んだときのことは、よく覚えている。……爪が暖かくなった、翼に血が通うようだった、胸が痛いのに甘くとろけそうだった、エリアンを抱えて飛ぶ空の風は心地よかった、ずっとエリアンの側にいたいと思った、エリアンの、エリアンの全てを……包みこみたかった……そうしないことが、たまらなく苦しかった」
おそらくそれは、産んだ赤子を初めて抱きしめる母親の感情に近い。自らを継ぐ、生命の系譜の確かな導きを実感する幸福――ウルリカの本能が、エリアンこそが己の系譜を未来に結ぶ鍵であることを、ウルリカの深奥に座する心の聖域に告げたのであろう。
この者との、子を成したい――と。
それは神々に造られた複製品たる地上生命にとっての、根源的な欲求である。
己を複製せよ――増殖し、地を満たし、この創造界の支配権を確立せよ――神々の代理戦争の駒である被造物の、哀れにして唯一の存在意義である。
ユーリンは嫌悪感の蠢動を自覚したが、それを抑え込む理性は十分であった。ウルリカの惚気た告解に理解ある顔をした。
はっ、としてウルリカが頬を赤らめた。繁殖の欲は――どういう理由によるものか――社会性ある生命にとっては羞恥心の種となる。
「……殺す」
ウルリカは振り絞り、殺意に逃げ込むかのようにうなった。情欲の在り処を知られた――なれば知る者を亡き者に変えるしかない。ウルリカは、ユーリンを殺すことを、決めた。
風が止み、舞う枝葉が、静かに沈む。数秒後に、殺される――その直観が危機感を掻きむしるのを、ユーリンはどこか楽しげに受け止めた。
「告白します。ボクはウンチョーをずっと狙ってるんですが、どうしても結ばれない」
心の神殿を荒らす対価は、同じ次元でしか支払えない――ユーリンは決死の覚悟をもって、自身の心の奥底を開陳した。これが徒労に終わるなら、ウルリカを殺して、ここで自分も、死ぬ。捨身ではあるが、悲壮に暮れることもない。死ぬには悪くない理由だとさえ思った。そのくらい、ユーリンはウルリカを好ましく思っていた 。
「正直、フられっぱなしです。アテのない慕情は、ひたすらただただ、辛いんです」
「――!?」
ユーリンは唐突に恋バナを始めた。己の急所を晒して見せつけて脅し、ウルリカをなだめるためである。色恋とは程遠い、殺伐とした空気が流れる。
だからどうした――の一声とともに研ぎ澄ました鉤爪を血に染めることも、ウルリカには、できた。しかしウルリカはそれをしなかった。選んだのである。ウルリカはそうすることもできたが、しなかった。
色恋トークへの関心の度合いが、殺意の総量を上回ったためである。ヒューマン族の色欲事情について、ウルリカはかねてから関心があった。エリアンの気を惹くためであり、エリアンに喜んでもらうためだけの動機である。
「……おまえとあの男は番ではないのか?」
「そうあろうとはしてるんですけどね! なかなかどうして、意固地になられてボクの好意は全ツッパで突き返される日々、よよよ」
「そうなのか。意外だ。おまえも、あの男も、相互に気を通わせてていると思っていたが」
「ふふん。ボクもそこまでは進んでるんですよ。『交際』ていうんです、ヒューマン族では。番になるための様子見フェーズ。ボクとウンチョーは健全な交際関係の段階なんです……先に進めないのが悩みですが」
関羽がその場にいれば激烈な抗議の声で山を砕いたであろうが、不幸にして、また幸いにして、関羽はその場にはいなかった。アーウィンの衛士隊に捕縛されている。
「わからん。想い合う間柄であれば、それは番ではないのか?」
「そこらへんの段階があるんですよ。ヒューマン族は基本的に個体はすごく弱い。だから部族社会にとって最良の番を成して全体の調和を図る圧力があるんです」
「迂遠なことだな。想いがあれば添い遂げればよかろう」
「そう簡単にはいかないんですよ。ヒューマン族には法てもんがあって……これがけっこう不公正なんですよ。ヒューマン族の法では、強い者も弱い者も平等に扱うんです……理不尽です。『武力で劣る側は優る方には何しても無罪』て特約があるべきなんですが、ない……どこにもない……いいじゃないですか、ボクがウンチョーを手籠めにしても。どうせウンチョーが本気で抵抗したら成就しないんだし。……でも案外、ボクから強引に迫ったらすんなりという可能性もあるわけで、15%くらいイケると踏んでるんですけど……それすら法で封じられてる! 世は事もなし、希望はいずこにありや?」
現行法体系の思想について独自の倫理観に基づく不満を述べながら、ユーリンは地を踏みならして鼻息を荒くした。
不幸にして、また幸いにして、ハーピィ族のウルリカはヒューマン族の習俗倫理の知識がない。ユーリンの独断的な解釈を信じるしかなかった。
「法……つまり掟か。どの部族も煩わしいのは同じ、か、……いや、それより、交際というのはどういうものなんだ? 互いの狩りの技量をみせあったりするのだろうか……エリアンの望むものならあたいは何だって狩れる、いくらでもエリアンの食卓に並べてみせるんだが……」
「ヒューマン族の場合、庶民レベルなら散策がベースですね。街中など歩き回って、相手を疲弊させたり泥酔させたりして、前後不覚に陥らせたところを狙うんです。これで既成事実化! ここまでが一般的な定番路線ですね、異論は認めない」
「……許されるだろうか。そこまでなら、許されるだろうか。あたいも、エリアンと『交際』をしてもよいのか?」
「交際てのは、誰かの許しを請うもんじゃありませんよ。自分を貫くのが真実の交際です。想いさえあればあとは戦いです。世間と、相手と、己との! ……ていうか、ウルリカさんとエリアンくん、すでに交際関係じゃないんです? だいぶ恋人感ありましたよね」
「わからない。エリアンはあたいと会うことを、きっと嫌がってはいない……はず……そう思いたいだけなのかもしれないが……」
「は!?」
ユーリンは驚愕の中に苛立ちを混ぜて、ウルリカを叱責する。ウルリカは大人しくそれを拝聴する。
「ソコ、疑っちゃダメ! ……エリアンくん、めっちゃ幸せオーラでてましたよ。いちばんの大切な時間なんだと思います、ときどきウルリカさんに会うのが」
ウルリカの顔に希望の光が差し込み、口元を柔らかくした。たどたどしく悲観的な弁をつなげようと試みるのは、それを否定されることを望んでの乙女心である。
「そう、か? ……そうなのか!? ほんとうかっ!? ヒューマン族のおまえから見て、エリアンは、ほんとうに、あたいと会うのを……きらってはいないのか?」
「まず間違いなく親和的な感情があります」
「……その割には、エリアンはあたいを見ていない気がするが」
「貴女の視力が良すぎるだけでは?」
「……そういう意味じゃない」
「あはは、わかってますよ。でも、うーん、それは……エリアンくんがまだそこまで成熟してないからかな。友情と性愛の区別がないんですよ。そこがたまらなくエロ……いえ、かわいらしいところだと思いますが。まったく……エリアンくんの数年後が楽しみです」
「数年後? さすがに歳を取りすぎではないか。おまえのような初老にさしかかってしまうぞ」
「しょろ、う……ボク、初老? マジ、で……?」
初老――いずれ誰もがたどり着く評価ではあるが、ユーリンがその評価を受けるのは生まれて初めてのことである。愕然として落胆した。
そんなユーリンの反応をウルリカは心底から不思議に思ったらしい。
「違うのか? おまえは、雄としての魅力の頂は過ぎているだろう? 終わりを数える老齢ではないのか?」
「はじ、めて……言われた。そんな、こと……まだまだプリプリの、イケイケの絶頂期のつもり、だったのに」
「エリアンは今がいちばん魅力的だ、間違いなく。もっとも、たった数年後で衰えるとも思えんがな。おまえとは違って」
「えー? ぜったい、エリアンくんのベストは3年後ですよ。自分の性別を自覚し、内からこみ上げる欲望に身体を固くして、悶々と耐える日々……街ゆく薄汚い小娘を目で追い空想で衣服を剥ぎ取り、潤いを求めるほどに乾く情念……その絶頂期に、ボクは、衝撃を与えたいっ。狂おしくボクを求めるように、その煮えたぎった欲望を上書きしたい! ……ああ……良い! ほんとうに将来が楽しみだ」
「ありえん」
「……変質者」
「どの口が言うか」
「せめて言わせてくださいよ。ボクがこんな話をしたのは、貴女が初めてだ」
「……そうだな。あたいも、そうだ」
ウルリカはさみしげに認めた。この類の会話を、誰がと――特にヒューマン族と交わすことなど、ない。
ハーピィ族は、生殖のためにヒューマン族の男児を必要とする。生殖能力のまだない――生殖能力に芽生える直前の男児の臓器を喰らい、子種を得るのである。それがウルリカにとっての子孫を残す手順である。
ウルリカがエリアンの子孫を残すためには、エリアンを殺さなければならない。それが唯一の道である。そして、ウルリカはそれを拒絶している。しているが、望んでいる本能は健在である。我慢をしているのである。エリアンに対する献身の姿勢は、その代償行動とみるのが妥当であった。
未来がない――その一点の共通事項を足がかりとして、ユーリンとウルリカは心を通わせた。ここまでが、ユーリンにとっての下準備である。話題の流れを意識しつつも、望む帰結に向けてユーリンはウルリカを誘導した。
「 ……呪うよりもせめて嘲るほうがボクには似つかわしい。ま、何事にも楽しさはあるもんですよ。再確認できました。道化として生きていくのもいいかなぁ、て」
「……そうか。あたいは死んでもいいと思っている。エリアンのために死ねるならあたいはソレでいいんだ。今すぐにあたいが死ぬこと――それがエリアンにとって、いちばん、良い」
「同感。エリアンくんは絶望するでしょうが、それがエリアンくんにとってのベストです。ようやく気が合いましたね。あたながたハーピィ族は、ぜひとも滅ぶべきだとボクは思っています」
「容赦ないな」
ユーリンの宣告を、ウルリカは笑って受け流した。
その反応を予期していたかのように、ユーリンは呵責なき本心をつなげる。
「ボクはハーピィ族の存続に興味はない。ボクからの情け、欲しいです?」
「要らない。……なぜあの男は、おまえを選ばないんだ?」
「容赦ないですね」
ウルリカの問いを、ユーリンは受け入れた。
ウルリカも、それがわかっていた。
「あたいからの情けが欲しいのかい?」
「いいえ。……ま、順当に考えるなら、子孫を残せないからじゃないですか? 恋愛てそれが前提だと思うんですよ。どんな種族であれ……でしょ?」
「さてね。おまえに明かす意味はない」
「……現実を離れて虚妄の空想に沈むような連中なら、ボクはいくらでも溺れさせてやれる。でも、幻惑されても現実を見据え続けられる鋼の精神にはまるで手が出せない。生来の格差を痛感させられて、苦手なんです。なんていうか、ボク、退廃が好きなのかも。……何も残せない性分ですね。たぶん、そう、産まれたから」
「ただの自棄だろ。そもそも、おまえ、遺したいのか?」
「さてね……ああ、そうだ。ボクのコト……誰かに話たら、殺します」
今は殺さないという意味である。ウルリカは、それを真実として受け取った。
「もう忘れた。あたいはエリアンさえ無事なら、おまえたちヒューマン族に興味はない。お前が今すぐ死んでも、エリアンさえ幸せなら、それでいい。いや、むしろそうなってほしい、おまえはいずれ、早めに死ね」
自らは執行しない――ウルリカにとってユーリンを殺すことは容易であるが、それを執行することは、しない。その決意表明である。ユーリンは身悶えして歓喜した。
「ああっ! ……ああぁっ! だから貴女は信頼に値する! ……正直、どストライクなんだけどなぁ……ムリだよなぁ……これも片想いかぁ……ぁあぁ、ボク、フラれ慣れてるなぁ……もう、全部、ウンチョーのせいっ」
この会話で殺さなかったのだから、もう殺す理由はない。ユーリンはウルリカとの間に、心理的な安全基準の合意を押しつけたのである。
ウルリカとユーリンが互いの内面を語り合う機会は、もう二度と訪れないだろう。そして今、致命の刃を言葉で突きつけ合い、それでも物言わぬ骸に変えることはしなかった。だからウルリカはこれからもユーリンを手にかけることはしない――自らが一度定めたこの基準をウルリカが破ることは絶対にない。ユーリンにはその確信があり、この毎度の片想いを慣れた心で自嘲した。
「それであたいは何をすればいい? あたいは死んでもいい、エリアンを救う術を提示しろ。なぜエリアンが同族から追い詰められているんだ?」
「とりあえずウルリカさんに今すぐ死なれるのは困ります。エリアンくんを助ける上でいちばん頼りに……失敬、ウンチョーの次に頼りになるのは、貴女です。まずはボクの知る限りの事情をお伝えしますね」




