(2) フユッソ村到着
霜妖魔と別れてから、関羽とユーリンはしばらく歩いてフユッソ村にたどり着いた。
村の入り口で『フユッソ村』と書かれた簡素な立て看板を眺め、村の全体を遠景として見通すように目を細めながら、ユーリンは安堵の声を漏らした。
「いやぁ、運が良かったね! ラストワンマイルていつも迷子リスクが高いんだけど、今回はすんなりゴールだ。天の差配にマジ感謝」
「……のぉ、先刻のことだが、あの者たち……そなたと儂で態度が違いすぎんかったか?」
関羽が気落ちした様子で、肩を下げた。
またか、とユーリンは思いながらも、嫌そうな顔もせず関羽の背をなでて励ます。
関羽とユーリンは森の中を歩み進める途中、狩猟や山菜摘みのために森に踏み入ったフユッソ村の村民たちと不意に遭遇したのである。
これは重畳、と関羽は意気軒高に歩幅を大きくして彼らに声をかけることを試みたが、彼らからは震える声で峻厳な誰何の言葉を浴びせられるばかりで、関羽が身元を明かそうと声を発しても彼らをますます狂乱するように恐れさせるばかりであった。
とうとう山菜入りのカゴを抱えた若い村娘が地べたに座り込んで泣き出しそうになったとき、みかねたユーリンが颯爽と関羽のまえに立って人を惹きつける笑顔で礼儀正しく応接すると、たちまちのうちに彼らの信頼を勝ち取って歓迎を受けた。
そして、彼らの指し示した道に沿って進むことで、迷うことなくフユッソ村までたどり着いたのである。
「まーたそういうことを気にする。初対面でキミを恐れないのは特殊な訓練を積んだ人だけだよ。ヒューマン族の生理現象だと思って諦めな」
「悲しいのぉ。儂は熊か虎か」
「キミの魅力の裏返しさ。……にしても、のどかな村だね。牧畜が主体っぽいけど、平地には耕作地もめいっぱい確保してる、当然か。地味は悪くない土地柄と見えるけど、牧畜優先なレイアウトなのは、地形と降水と気候の都合かな。山の麓な影響が大きそうだね」
「視点がすっかり為政者であるな。けっこうなことだ」
「つっても、ご覧のとおり無官のガキが外野から勝手を言ってるだけだからね。……もしボクが変なこと言ってたら、ちゃんと教えてよ? 元都督?」
「儂ごときの見識なぞ、そなたはとうに超えていると思うがな。もし儂が思うことあらば、忌憚を挟まぬよ」
「うん、ありがとう。……それで、ただの道楽家のウンチョーくんにとっては、どんな所感だい?」
「うむ。ぜんぶ美味そうである」
「『多少すらの工夫すら』もないコメントをありがとう!」
「……牛はこれまでの道中の村でもみてきたか、この村の牛は、なんというか、表情がよい気がするのだ。よい肥育を受けているのであろう。耕作のための雄牛と、酪のための乳牛が分けられている。ほどよく耕作地を抱えられる立地であることが、酪農施策の選択肢を増やしているとみえる。牛の年齢にも偏りが無い、計画的に産ませておる証左だ。屠畜の算も信用できようぞ。……つまるところ、ぜんぶ美味そうであるのだな」
「ウンチョー……途中まで元為政者なさすがの有識者コメントだったのに、最後でぜんぶ台無しだよ。キミの前世のオマージュかい?」
「……さすがの軍神でもソレは泣くぞ?」
「ごめんてグンシン。でもほんとにそうだね、牛さんの顔がいい。いい村だね」
関羽とユーリンはフユッソ村に足を踏み入れた。
山間の盆地に開拓されたフユッソ村は、なだらこな起伏が多い。小さな丘を登ると、村の全景が見渡せた。
左右に広がる牧草地帯を、村の入り口から続く道を辿って進む。
短く刈られた牧草を、のんきな顔をした牛や羊が喰んでいる。
合間をぬうように、平地には麦や野菜を植えた畑が耕されてるが、村の奥、山に近いところは緩やかな傾斜になっており、もえぎ色の牧草が地肌を鮮やかに彩っているのが遠くに見えた。農耕ではなく牧畜を重視した生計を営んでいることがうかがえる。
村を通す一本道を歩きながら、いたずらな顔のユーリンが、隣でそわそわと浮足立つ関羽に声をかけた。
「さて。素直で実直だけがウリのウンチョーくんに質問です。『田舎の村に着いたらまずやるべきこと』は?」
「いい加減に覚えたぞ。『その地の長への挨拶』であるな」
「そそ。だいじだから何度でも確認するね。……ボクらのナリで無許可で村をうろつくと、騒動発生率が高すぎる。最初に仁義通さないと、ね」
「そうさな。……儂はともかくとしても、そなたが娘ッコ衆を騒がせることを鑑みればやむを得まいな。詐欺師か人攫いの嫌疑を被るのは甚だ疲れる」
「そうだよ。……ボクはさておき、ときたま裏社会の重鎮の風格をにじませるキミを連れて歩くのはリスクが大なんだ。まんべんない胡散臭さを行政の方には早期謝罪しておきたい。見た目はさておき、中身はさほど悪いヤツじゃない、て」
まばらに木造の住家が建っている。いずれも似たような外装で、むろん用途の判別はつかない。
はたして、と悩んでいるところに、ちょうど道外れの大きな木の下に腰をおろしている人影を、ユーリンが見つけた。
年頃は20代と思しき、若い男である。何かをするでもなく、地面に足を伸ばしてぼんやりと空を眺めて、身体を休めている。
「まさしく! ピッタリおあつらえなオニーさん、発見」
「声をかけてみるか。……儂、いってもいいかの?」
「大丈夫だよ。人里で遭遇する分には、キミはまさしく人間さ」
対人関係における自信を失っていても、またヒゲのない青年の身体に転生していても、本来の関羽は歴戦の大豪傑である。内心の怯えを微塵もにじませない野太く通る威厳のある声で、その若い男に尋ねた。
「そこな御仁、ちと尋ねる。この村の長役殿を訪ねたいが、いずこにおわすか?」
「……! んあ? 誰だテメェら。うちの村のモンじゃねぇよな」
突如声をかけられた若い男は、一瞬、身体をすくませたが、すぐに威勢を張り上げて関羽の声に応えた。
「然り! あいや、まずは名乗らせていただこう! 姓は関、名は羽、字は雲長。河東郡解県の―――」
「すとーっぷ、はい、やめやめ、ウンチョー、もはやはやくもさっそく胡散がだいぶ臭い感じだ。……ごっほん、はじめまして、ボクたちは『スイーツ巡礼』の旅の者です。訪問のご挨拶のために村長さんにお目通りを願いたいのですが、どちらにいらっしゃるか、ご存知ありませんか?」
戰場を彩る一騎打ちでも始めそうな勢いの関羽の口上をさえぎって、ユーリンが、ほとんどの人類の警戒心をまたたくまに氷解させる威力を誇る対人関係永久不敗の笑顔で、若い男に用向きを告げた。
あたかも自らの容姿の効能を自覚すらしていないかのような謙虚さを、いつものように表面的には完璧につくろって、老若男女性を問わずに籠絡する構えである。
『そなた、なぜまだ刺されておらんのじゃ?』『あっはっは。ボクのほうが刺す側だからね』とは2人の会話の定番の定番のひとつであった。
しかし、この若い男の反応は、ユーリンの自信と関羽の予想を若干以上、裏切った。
若い男はユーリンの言葉を聞くと、それをを噛み締めるように考える仕草をみせた。
そして猜疑心を隠さない顔つきで言った。
「スイーツ巡礼……そうか、久しぶりにみたな。……あんたら、ちゃんと金、持ってんの?」
「え? 金? ……ま、まぁ、旅の路銀として、それ相応は」
「ふーん。ま、金を落としてくれるんなら何でもいいさ。あー、ちゃんと宿をとってくれよ。季節が良いからって、そこらで野宿とかはカンベンしてくれ」
「……この村には宿屋があるのですね、それは嬉しいお話です。もちろん利用させていただきますよ」
「宿屋っていうか、何でも屋だな。アッチにみえる『ルベル亭』……雑貨屋兼酒場の2階が空き部屋になってて、たまに客を泊めてんだ。それと宿賃は前払いで頼む」
「……はぁ。承知しました」
ユーリンは困惑をこらえるように、硬直した微笑みを麗しい顔に貼り付けたまま応答した。
ユーリンと若者のやり取りを眺めて、関羽はこみ上げる笑いを堪えていた。
村の案内としては妥当な内容であるしても!いささか礼を失した若い男の物言いに対して、珍しくユーリンが感情を乱しているのが見て取れたためである。
———この若僧め、なかなかだな。ユーリンに腹を立てさせるとは、珍しいものをみたわい。とはいえ助け船がいるころ合いか。やはり助け舟といえばこの関雲長よな、水軍的に言って
関羽は2人の会話に割り込むように身体を挟み、胴間声を若い男に浴びせた。
「それは重畳。されどまずは村長殿から滞在のお許しを頂きたい。貴公にご案内を願えると期待してもよいかな」
「……っ!? ……うん、まぁ、いいよ。……こっちだ、着いてきな」
関羽の体躯の良さが尋常でないことに気づいた若い男はその迫力にうろたえたように言葉を詰まらせたが、その醜態をごまかすように足早く先導して歩き始めた。
関羽とユーリンは無言で顔を見合わせ、頷き合い、差し当たりのお礼を言った。
「わあ。わざわざのご案内、ありがとうございます!」(ウンチョー、ならずモン成分がポロリしちゃってる。はやくその汚いノしまって。ボク以外に見せちゃダメ)
「感謝いたす」(そなたも危ういではないか。得意のにやけヅラが不気味に硬直しておったぞ。儂の相対的女子ウケを保つために、いっそしばらくそれで暮らせ)
足早に歩く若い男の背を追いながら、関羽とユーリンはひそひそと益体もない悪態をついた。
やがて若い男の足が一軒の建物の前で止まった。
平坦で平凡な家屋であるが住居にしては狭く、玄関扉の横には『フユッソ村 役場』と書かれている。
若い男は振り返って、2人に言った。
「ここだよ、いまの時間ならココにいると思う」
「ご案内、感謝いたす」
「ありがとうございます」
関羽とユーリンは礼を若い男に述べて、顔を見合わせた。
さてどう挨拶するか、と思案する。
……うちに、若い男が先導して無造作に玄関扉を開けてしまった。
「入るよー」
気安い調子で、若い男は家屋に踏み入った。
中には壮年の男がいた。中肉中背ではあるが無駄な厚みはなく、目元には理知的な光があった。突然入ってきた若い男に驚く様子も見せず、鷹揚に応えた。
「うん? おお、客人かな?」
「そうだよ。スイーツ巡礼らしい。じゃ、俺はこれで」
用はすんだ、と言わんばかりに若い男は素っ気なく立ち去ろうとする。
あわててユーリンが形式的な礼を述べた。
「どうもご案内ありがとうございました。ご助言もしかと賜っておきます」
若い男は振り返りもせず、ぶらぶらとあてもなさそうな足取りで、去っていった。
残された関羽とユーリン、そして村長は互いに顔を見合わせる。
「こんにちは。突然押し入り失礼いたしました。ボクたちは旅の者です。この村に入るにあたってご挨拶に参った次第で……」
「あ、ああ。なるほど、そういうことでしたか。……息子が何か失礼をいたしましたかな」
不安そうに村長がユーリンに尋ねる。
ユーリンの頬がぴくり、とわずかに揺らいだが、ど根性で麗しい笑顔を保ったまま、ユーリンは朗らかに応えた。
「先刻の方は、ご子息様でしたか。それはつゆ知らず。ですが失礼など、とんでもないことです。ボクたちが村中で迷っていたところ、ご親切にこちらまでご案内をいただきました。改めて御礼申しあげます」
「さようですか。それは……」
村長は、ユーリンの言葉をあまり信じていない様子であった。
関羽としても村長の懸念が妥当であると感じている。
———村長の血縁なれば、素性を明かすが公正というものであろう。些細なことなれど、あの若僧、危ういところがあるのを否めんな。……っと、儂も他人のことを偉そうに評することはできんが
関羽は村長の息子の立ち振る舞いを評しつつ、自らの素行を省みることを心掛けた。
適切な対人関係の構築という点において、関羽は前世から課題を残しているのである。
一方の村長は、関羽の表情から万事をくみ取ったらしく、申し訳なさそうに謝罪をした。
「息子が失礼を致しました。後で叱っておきます」
「ボクたちが突然お声がけをしてご子息様を驚かせてしまったという事情を、どうぞ差し引いていただければと思います。……ところで、ボクたちの滞在についてですが、しばらくの逗留となりますが、お許しをいただけますでしょうか……」
「ええ、それはもちろんです。スイーツ巡礼のお客様を迎えるのは久しぶりですので、至らぬところもあるやもしれませんが、村の長として歓迎いたします。どうぞごゆるりとお過ごしください。村の中ではご自由になさって結構です」
「嬉しいお言葉をいただけましたこと、感謝いたします」
ユーリンは関羽に目線をやって、場を譲った。
「もう一つ長殿にご承諾願いたき儀がございます。儂は『陽子Note』を学んでいるのです。その一環としてこちらの村に伝わるスイーツのレシピも修得したいのですが、宜しいでしょうか」
「え!? スイーツ有資格者……の方、ですか? え、本当に……? いや、失礼……」
非常に意外で珍奇なものをみるような目で、村長は関羽の図体を観察した。
関羽としては、村長の視線を浴びて堂々と耐えるしか手立てがない。背後で腹を抱えるユーリンの笑声を黙殺して、勇ましい仁王立ちで村長の驚きを迎えた。
やがて、関羽のさしておもしろくもない顔には飽きたらしい村長が、取り繕ったように謹厳な面持ちをこしらえて、言葉を選ぶ努力をしながら回答した。
「それは、私どもではなくヨーコ様がご判断なさることですが、もしもご縁が成りましたら、それを私どもが妨げることはもちろんありません。いやはや、ヨーコ様の深淵なるお考えは、私どもでは計り知れませぬので、どうなることか」
「ホントそうですね、まったくです。聖女ヨーコはたいへん神秘的で深遠な御方ですので」
ユーリンが深々と頷き、村長が言外に秘めた想いを弁護した。
「なぜそなたの同意は然様にしみじみとしておるのだ? ……ともあれ長殿、御承諾のほど心より感謝いたす! これで儂のスイーツ道楽に新しい項を書き加えることができます!」
関羽は、ヒゲのないツルツルの顎を指で撫でながら、自信に満ちた不敵な笑みをこぼした。
まったく自身の適性を疑っていない関羽の態度に、村長はいよいよ不思議そうな顔を隠せない。
陽子Noteの履修有資格者であっても、対象のスイーツごとに修得の可否が都度判定される。
ほとんどの有資格者は、陽子Noteのごく一部のみの修得が許されるのが限度であった。
ところが関羽はこの世界に転生後、遭遇するすべてのスイーツについて、そのレシピ修得が許されてきたのである。
『キミ、前世で聖女ヨーコの弱みか何か握りしめて死んだのかい?』『おそらく陽子殿は儂より後の時代の御方だ。然るに、儂の武勇伝に惚れておったのであろう』『うっわ、恥っず、慢心だけでカンスイ氾濫しそうじゃない?』『……儂、前世はほんと凄かったんじゃが。じゃが』とは、少し以前の関羽とユーリンの会話である。
ともあれ、この関羽の顔に似合わないスイーツ適性を知らぬ善良な村長は、こみ上げる疑問が礼を失することがないように腹筋を努めさせるしかなかった。
人生の年輪を厚みとした面の皮で謹直な面持ちを支えて、村長は会話を続けた。
「この村にはいくつかのスイーツがヨーコ様より伝えられておりますが、いずれをお求めですかな」
「無論、全部! ……と言いたいところですが、とりわけ『カッサータ』なるものがいちばんの評判であると伺っております。絶対にこの機を逃さぬ決意です」
「それは……なんと……」
村長はうろたえて言い淀み、顔に暗い陰りをつくった。
「間が悪いと申しますか、大変に申し訳のないことです。いまカッサータは作れない事情があるのです」
「な、なんと!? まさか、そのような、ことが……」
衝撃を受けた関羽は、江陵失落の報を受けた時と概ね同じような顔をして、膝から崩れ落ちて地に手をついて伏した。
村長宅を辞した関羽とユーリンは、フユッソ村の中央の宿屋『ルベル亭』を訪れた。
宿屋の1階は食事処兼雑貨屋となっている。広間に円形の食卓が並び、壁際の棚には雑貨が無造作に陳列されていた。
宿泊施設は2階に設えられており、2人分の滞在を申し入れると、宿屋の女将は部屋の清掃のために上機嫌で階段を駆け上っていった。
太陽が山稜にさしかかるにはまだ時間があり、広間には関羽とユーリンの2人のみが客として食卓の椅子に座っていた。
「あー、手が痛い。まったく痛い。たぶん5本くらい折れてるよ。というわけで、キミの誠意をみせてもらおう。償いの夜はさぞかし楽しかろうじゃん? この宿屋、壁の厚みは大丈夫かな」
ユーリンは手をプラプラとさせて、ことさらに苦痛を訴えるようなことを関羽に言った。
言われている関羽はセミの抜け殻のように空疎な表情のまま椅子に乗せられ、口を開けて天を仰いでいる。
耳に入ったユーリンの言葉が、口から蒸気となって抜け出ているのが見て取れた。
「お、おお。なんという……ことだ……。いまの儂ほどに哀れな人間がほかにいようか? いや、おるまいて……ああ、なんという悲劇だ……」
「聞いてるかい、ウンチョーくん? 元気を出すのはムリにしても、出しちゃいけないモノが口から出てるよ。キミ、生命マナがマジで漏れてる、そのまま飲まず食わずで40日間くらい放っておくとマジで逝くからやめときなって」
先刻の村長宅にて、関羽は衝撃を受けた。
目当てのカッサータが食べられない———その驚愕の事実を知った関羽は消沈してしょぼくれ、村長宅の床にめり込むように伏してしまったのである。
どうしたものかと困り果てる村長に謝罪をしつつ、ユーリンは左右の足を交互に出して関羽を蹴とばし、巨体を引きずり、ときおりすれ違う村人のいぶかしむ視線を笑顔でかわして、どうにかして関羽を連れて宿屋まで辿り着いたところであった。
「もはや希望もなし。かくなる上は酒浸りの老後生活でも始めようかのぉ」
「ジジづくりのワカがヤケクソやってもガキっぽさが増すだけだよ。ていうかこの村にはほかにもスイーツあるんだし、順番に堪能してまわろうよ。せっかくはるばる来たんだしさ」
「いやじゃ。『カッサータ』がいちばん気になるんじゃ。ぜったいに食べたいんじゃ」
「駄々こねジジイ風に言っても、かわいくならないね。やっぱキミ、軍神くらいしかとり得ないんじゃない? まぁ軍神は自称にしてもさ」
「軍神なんていやじゃ。むさくるしいし、危ないし、疲れるし、女子には避けられるし。……儂、甘神になりたい」
「……ほんとにキミ、前世の死後は祭られてたの? 塩粒ほどの畏敬のカケラも見つからないんだけど」
「畏敬? ありまくりじゃったらしいぞ。死後のこと故、詳細は知らぬが、転生の身を自覚した今は、なんとなくそのへんも知れるのだ」
「……まずいな。ぜんぶキミの妄想ってことにすると、きれいに辻褄があってしまう。……すげぇやべぇ誇大妄想症の男が世界に1人増えることになるけど、この世界にはお仲間はいっぱいいるからさみしくないよ。とびきりクソなこの世界に転生できてよかったね!」
「そうさな。この世界の有り様には未だ驚くことも多いが、スイーツなる文化のあるこの地で第二の生を得たことは、深く感謝しておる」
「ボクにも会えたしね!」
「うむ。それも大きな理由のひとつだ」
関羽は僅かな照れもなく堂々と断言し、精悍な眼差しをユーリンに向けた。
のろけじゃれ合いを仕掛けた側のユーリンが反射的に赤面し、テーブルに顔を伏せ、呻くように関羽をたしなめた。
「……!? ちょっ! ……ウンチョー……まだ日の明るいうちに、そんな……」
「暮れたとしても、塩粒ほども何もないであろうが……」
吐息をもらしながら、関羽は呆れた。
そこに、フユッソ村唯一の宿屋兼酒場である『ルベル亭』の主人が、テーブルに寄ってきて、関羽に声をかけた。
「やぁ、いらっしゃい。お客さん、旅の人だって? しばらく泊まってくれるんだろう? 歓迎するよ」
「うむ、しばし当地に滞在するゆえ、この宿の世話になる予定である」
「うれしいねぇ、旅のお客さんは久しぶりなんだ。いま女房が部屋を掃除してるから、終わるまでここで休憩しててくれるかい。もちろん食事をとってくれてもいい。まだ早い時間だが何か作るよ」
「これはありがたい。では何か軽い物と、当地の酒を頂戴したい。連れ合いはまだ腹に空きがない故に、儂の分だけ、手間のかからぬものでよい」
「あいよっ。じゃあ焼き菓子盛り合わせと乳酒でいいかな。すぐ持ってくるよ」
主人が去って、残された関羽は考えた。
いまの主人との会話において、妙な視線の強さを感じたためである。
ユーリンに囁いた。
(よもや……素性を怪しまれておるのでは)
(ほほう、察したかい。キミの人間的な成長を感じるね。そのとおりだよ。ここの主人さんの視線の裏には、疑うような鋭さがある。陰険でチクチクして痛々しいよ)
(儂、何か非礼をなしたか?)
(キミの挙動にいまのところ非合法を匂わせるものはない。たぶんお役目だろうね。こういう小さな村の宿屋とか酒場とかは、治安のための監視も兼ねてるんだ。ボクらの様子に狼藉者の疑いがみられたら、あの人の良さそうな村長さんにご注進する係なんだろう)
(まずい、まずいぞ。無用に警戒されては、儂のスイーツ道楽に差し障るではないか)
(キミさえ大人しくしてれば何もないと思うけどね)
(そなたが騒擾を起こしてからでは、いかんともしがたいではないか)
主人が盆に酒器と小皿を乗せて戻ってくると、関羽はさっそうと起立して、言った。
「あいや、主どの、まずは名乗らせていただこう。姓は関、名は羽、字は雲長。スイーツをこよなく愛する者である。主殿、ご安心めされい」
いきなりの関羽の脈絡のない口上を浴びて面食らった顔を隠せない主人をみて、ユーリンは、アチャーと頭を抱えた。
しかし瞬時に、そういうノリで通したほうが簡単だ、と判断した。
人の感情の流動に乗ることにかけては、ユーリンは天下一品の船乗りである。
「ボクはユーリン。ウンチョーのお世話係の付き添い役です。飼い主みたいなもんとご認識くださいですね」
椅子に腰を下ろしたまま落ち着き払った態度で、人をとろけさせる笑顔をこしらえて、ユーリンも強引に自己紹介を済ませた。
主人が応答に窮している間に、ユーリンは畳み込む。
「彼、こんなザマをしていますが、不相応にもヨーコノートの有資格者なんです。彼のスイーツ修行の旅ということで、聖カイロリン帝の事跡に倣った道中を辿っています。こちらのフユッソ村には聖女ヨーコから直伝されたスイーツがあると、森の向こうの村でウワサを耳にしまして、今日ようやく森を抜けてこちらの村にお伺いできた次第です」
言外に「自分たちがこの村に仇なす因縁を持たない立場」であることをほのめかし、ユーリンは天凛の声音を歌のように響かせながら店主に友好を訴えた。
店主はユーリンの声に聞き惚れたように身体を硬直させたが、そのユーリンの麗しく整った顔が自分に向けられていることに気がつくと、あわてて息を吹き返したようにドキマギとした緊張を目元に表した。
ユーリンの人心篭絡の術が、容赦なく振るわれている———その光景を幾度も目の当たりにしてきた関羽は白け切った顔をすっかり隠さないようになってきていたが、当のユーリンは外野(関羽)の反応を無視して、もてあそばれる哀れな店主にトドメをさしにかかった。
「はじめて訪問させていただきましたが、のどかでステキな村ですね。宿屋も居心地が良さそうで、うれしいです」
ユーリンは、いたって無難な美辞の脇に、美貌の源泉があふれこぼれ出たかのように爛漫な笑みを添えた。
言葉が平凡であることは、ユーリンの顔により意識を向けさせるための演出である———そのカラクリを知っているのは、この場では関羽ただ1人である。
関羽は以前にユーリンのこの対人技巧の構造について「美酒を愉しむには飯が平凡である方が良い。それと同じ道理であるな?」と膝をうって理解を示したことがあるが、ユーリンは呆れむくれな不満顔をつくってそっぽを向き、以後半日は関羽の呼びかけに応えなかったのである。
関羽はそんなことを思い出したが、すぐに心を無にして、主人が運んできた酒器に口をつけた。
心労は身体に毒であることを、転生後のこれまでの経緯でさんざん痛感させられてきたのである。
ユーリンは誰にはばかることもなく、店主の心の情緒の琴線を無遠慮に鷲掴みにしかかった。
いたって自然な動作で立ち上がり、店主に顔を寄せる。
それは、ユーリンの顔を真正面から仔細に堪能でき、かつ息遣いを感じさせられる距離である。
思わず手で触れたくさせるように誘導し、けれども触れてもよい雰囲気はつくらない———そこに生じる相手の自覚なき葛藤をユーリンはほしいままに操縦し、その混乱をもってユーリンの望むところに相手の心を誘導するのである。
店主はもはや声も出ない。
ユーリンの透き通るような空色の瞳の中に、まるで心気を吸い上げられてしまったかのように呆然としている。
「ボクたちは、しばらくこちらの宿をお借りします。だからご挨拶をさせてください。ボクの名前はユーリンです。店主さんのお名前もお伺いしたいのですが、ボクに許されるでしょうか?」
「あ、あぁ、お、おれは、ルベル……ってんだ」
「ルベルさん、ルベルさんですね。よかった! お名前を知れて。ボクはルベルさんのお名前を忘れません。だからルベルさんにもボクの名前を覚えておいていただきたいのですが、お願いをしても?」
「……あ、ああ。ユ、ユーリン……さん。覚えておくよ、忘れない。ゆっくり泊まっていって、くだ、さい……?」
「そうです。覚えてくれましたね! これでボクたちはお友達ですね」
実際に、永遠に忘れない―――卓越した知性を有するユーリンであるが、こと人を記憶することにかけては、無尽蔵とも思える容量を有している。
関羽は酒を味わいながら、内心でつぶやいた。
(店の名前が『ルベル亭-雑貨販売飲食宿泊可』なのであるから、店主の名は察しがついておったであろ)
そんな関羽の呆れきった顔に気づくこともなく、ユーリンの不意打ちで情緒を無茶苦茶にされた主人は、ふらふらとおぼろな足取りで店の奥に帰っていった。
関羽は、孫のイタズラをたしなめる老爺のような表情をユーリンに向けた。
「そなた……」
「浮気じゃないよ? ただのご挨拶だよ?」
「儂の前世の一般的な挨拶とは、趣が違いすぎるんじゃが?」
「多少の腹いせ感は否定しないよ。もともと宿があるなら普通に泊まるつもりだったしね」
「先刻の若僧か。世間知らずの跳ね返りではないか。気にすることでもないと思うが」
「もちろん気にしてないさ。ただすっきりしておきたい気分だったからね。店主さ……ルベルさんで遊んじゃった。悪いことしたな」
「……のぉ。疑問なんじゃが、無闇と人を籠絡することが、なにゆえそなたにとっては心地よいのだ? 心労のほうが多かろうに」
「んー? だって、何かが自分の思い通りになったら、なんとなく気持ちよくない? 射掛けた矢でも、駆る馬でも、人の心でも……それがどんなもんでも自分の思い通りに動くと、気持ちがいいでしょ?」
「……そなた、なぜまだ刺されておらんのだ?」
「刺される、て……なんで? ボク、ボクに惚れたヤツにそんな自由を許したこと、ないよ?」
「そなた……」
「ていうか、ボクを刺せる人には最初から深入りしないもん。相性が悪い人のことね。……だから勝てるところで勝ちまくるのが当面のボクの指針さ。とにかくお友達を増やさないと」
すっかり元気になったユーリンを、関羽はまったく白け切った表情で眺めていたが、やがてぼそりと言った。
「あの主……儂のことはもはや忘れておろうな」
「うん。そうしたかった」
悪びれる様子のないユーリンだった。
テーブルを囲って、のんびりと関羽は酒を楽しんだ。口端をだらしなく弛ませ、酒精が登って身体を温める感触を味わいながら、ときおり焼き菓子をつまんだ。焼き菓子をかじるときだけ、真剣な眼差しに戻る。
「うーむ」
「どったの?」
「ふむ、さてはバターが良いのだな。平凡な材料、単純な工程、されどこの芳醇な味わい……口の中でほどける度に立ち込める馥郁たる薫り……抜群の鮮度の乳を使っておる証だ。見事な仕上がりである。『陽子Note』そのものではなさそうだが、それを源流としておるのは疑いないな」
小皿に盛られた焼き菓子をまじまじと眺めて、しんみりと関羽はそれを絶賛した。小麦とバターに甘みをつけて焼き上げただけのシンプルなものであるが、食道楽家たる関羽の鋭敏な舌は、その凡庸な焼き菓子の魅力を的確にとらえて見逃さない。
興味を惹かれたユーリンも小皿に白く細い指を伸ばして、ご相伴に勝手にあずかる。
「ふーん、そうなの? どれどれ……うーん、確かに美味しい? 気がする……なぁ……?」
「この違いがわからぬとは。嘆かわしいことだ。……これまでの道中でも感じたことだが、ヨーコ殿が遺したスイーツのレシピは、やはりその地の産物や文化習俗に根ざすように配慮されている。件のカッサータについて『法魔法:使途塞縛』とやらの妖術で調理を認める地域を制限しているのは、質の落ちた亜流を許さぬためか、それとも何か他の狙いがあってのことなのか……こうなってくると、ほかの菓子も気になってくるところだが……」
焼き菓子をねっとり堪能と堪能する関羽はちらちとユーリンを伺った。雨の日に通りかかった優しい少女に庇護を求める棄てられた子犬のような目である。うるうると眼を潤ませた。人里離れた山中で遭遇すれば人外の獣の嫌疑を受ける風体を誇る関羽にとっての、精いっぱいの懇願の姿勢である。
「キミが幸せならボクは何も言うまいて」
「そ、それでは」
「いいよ。すぐに注文しなよ。幸いにして路銀に余裕はある」
「したり! そう来なくてはな!」
「キミが幸せならボクは何も言うまいて……と、お客さんだね」
宿屋の扉が、少し開いた。そして、恐る恐るという様子で、中をうかがうようにゆっくりと動く。扉の端から、人の顔が覗いた。髪型からそれが女性であると察せられる。
「いた! あ、あれ! あの人……」
「どれどれ……わっ、すっごい……」
「きゃー」
3人の村娘である。そのうちの1人に、ユーリンは覚えがあった。
扉をほうに顔を向けて、声をかける。
「こんにちは。森の中でお会いしましたね。ご案内をありがとうございました。おかげさまで、こうして無事にたどり着けました」
「きゃー、覚えられてた!」
「いいなー」「ずるーい」
1人の村娘が頬に手を当てて恥じらい入り、それを囲って2人の村娘が囃し立てている。
キャイキャイと黄色い声をあげて盛りあがる村娘の様子を見て、関羽は理解した。森の中で遭遇してフユッソ村の所在を尋ねた折に、この村娘は、ユーリンの外面だけは完璧な容姿を目の当たりにして魅了され、ユーリンを鑑賞するために、旅人が宿泊するこのルベル亭を訪れたのである。友人を誘ってきたのは、単身でユーリンと相対する勇気がなかったためであろう。
関羽がたどり着ける程度の結論をユーリンが誤るはずもなく、ユーリンは全ての事情を理解している。しかし全くそれを表すこともなく、邪気の欠片も示すことなく、美貌の無害な貴公子然を装って、村娘たちを食卓に誘った。
「よろしければお話しませんか? この村のことなど、ぜひお伺いしたく思うのですが」
「えっ! ウソ!」「キャー、どうする? どうする?」「いく? いっちゃう?」「えーどうしよう」「いこう、いこうよ」「で、でも……」
「……ご迷惑でしょうか?」
ユーリンは、あたかも本当に申し訳なさそうに思っているかのように、少し不安そうな陰りを麗顔に作った。喜怒哀楽の適度な明暗が、自身の外見的な魅力を否応なしに増幅させることを、熟知しているのである。
村娘たちの意思力は一撃で撃沈され、まるで操られたように静かになって、関羽とユーリンのテーブルに歩み寄ってきた。
ユーリンはご満悦である。
関羽は気が気でない。
―――よくぞこうも的確に火に油をくべおって。赤唐辛子に山椒を和えるようなものぞ
関羽は麻辣な気持ちを抑えつつ、ユーリンに警告した。
(そなた、あんな年端もゆかぬ小娘を毒牙にかけようなどと……)
(嫉妬かい? ……ていうかああいう娘っ子たちは熟女趣味のキミの範疇外だし……ひょっとしてボクの浮気を心配してるのかい?)
(ええい、茶化すな。女性嫌いのそなたが、どういう意図だ?)
(別に女が嫌いてわけじゃないんだけどさ、面倒くさいだけで。……キミについての誤解をといておかないと、後の災いになるだろう? ちゃんとヒューマン族アピールしておかないと、そのうち討伐対象にされちゃうよ?)
(その過程でそなたが新しい厄介の火種を作ることを懸念しておるのだ。娘を狙われた父親は怖いぞ?)
(そのときは母親を味方につけて盾にするさ。あと情報収集しておきたい、『カッサータが作れない』事情についてね。キミも気になるだろう?)
(なるほど、そういうことか!)
関羽は合点して、顔を明るくした。
しかしすぐに暗くした。
(……儂、席、外そうか?)
(まったくキミというヤツは。だいじょうぶ。彼奴らはもうキミなんて見てないよ)
(……儂、席、外したい)
村娘たちは勝手知ったる様子で他のテーブルから椅子を移動させ、夢心地といった面持ちでユーリンを囲むように、されど関羽からは自然とやや距離をとるような位置取りで、テーブルについた。