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スイーツ巡りのぶらり道中  作者: das
遥けき夏の霜妖魔 ~カシューナッツのカッサータ~
17/32

(16) 氷の巨木

雪の息吹は、夏の陽射しにかき消された。霜妖魔キタンを中心に渦巻いていた冬模様なりを潜め、陽気な夏の暖かさが戻ってくる。


体温を取り戻した山賊たちが、殺意を込めて霜妖魔を取り囲んだ。


「テメェだけは殺す」「ナメたマネしてくれたなぁ」「許さねぇぞ、クソチビが」


迫る山賊たちを前にして霜妖魔は思案した。


ここから逃げおおせることは容易である。

得意の影魔法と、ほんの少しの太陽魔法――その組み合わせで逃げ出せる。

しかし、我が身の保全にもはや執着はない。

それより重要なのは、自分の役目を全うすることである。


自分の役目――それは今は亡き友カルロの代理である。


故に霜妖魔は決断した。

カルロならば、ここからは逃げない。

我が身を護るために村娘を見捨てることは、絶対にしない。

友として、友のそれを保証できた。

だから、せめてその代役を務めよう。


老婆ロセが悲しそうな顔をしている。

友達と呼んでくれたことが嬉しかった。


「ココ……カキ…………」


だから謝りたかったが、どう謝ればよいのか、わからない。


間違い続けて、見失い、手に残せたものもなく、あたら損ねるばかりであった。

せめてカルロの仇は討った――が、とても誇れるものではない。

もとより喪ったのは、自分の過ちが遠因なのであるから。


己の才を鼻にかける意識が、あった。


容易に習得できること、誰にでもできることを習得することを、あえて避けた。

難事であるほどに熱中した。太陽魔法の習得は不可能であると否定されるほどに、研鑽の意欲がわいた。


幼子すら扱える氷魔法には、関心が無かった。

適正ありとされた肉体魔法にも、惹かれなかった。

できて当たり前のことを順当に成し遂げることに、己の才を費やしたくなかった。

生来の得手不得手に束縛されたくなかった。


――愚者の吝嗇(りんしょく)


その結果が、積み上げ続けた過ちの成果が、これであるならば、末路くらいは順当に受け入れよう。


ヒューマン族のなかでもひときわ下等な連中が、浅ましい感情を垂れ流して己に凄んでいる。

同等である。愚かさの度合いでいえば、己と大差ないではないか。似つかわしい。この程度の連中の手にかかるのも悪くない。


素晴らしい個体も居るし、そうでもない個体もいる。ヒューマン族との交流は楽しかった。それだけは間違っていない。

例えば、向こうの木立の茂みからこちらを覗き見しているウンチョウとユーリン。見事な才、生来の資質を見極め伸ばした完成された個の品質。己が至らなかった輝きを宿す者たち。

例えば、ロセ。カルロの細君。貴女が作ってくれた料理を、何度もカルロから譲ってもらった。いつか礼を伝えたいと願っていた。その機会はあったのに、その時にそれをしなかった。最期まで己の愚かさを悔やむ。


疲れた。疲れることに、疲れた。

だからいっそ、ありがたくすら感じられる。


自分の役目――それは今は亡き友カルロの代理である。


故に霜妖魔は決断した。

カルロの代理として死ぬ機会など、もう得られないだろう――これを逃すことは、今度こそしない、と


霜妖魔キタンは目をつむって死を従容(しょうよう)として受け入れ……己の身を包む異様な冷気に驚き、鈍い色の瞳を開き、


――弟子の愚かさに驚かされル


仮借なき厳冬の氷に覆い尽くされた。




夏の炎天の下――フユッソ村に冬が訪れた。


深々と雪が注ぐ。

土が白く染まる。

水が風に()てる。

風が絶えて黙す。


老齢の霜妖魔が、冬を従えて現れた。

『氷魔法:豪雪』――術者の周囲の天地気象を厳冬に変える氷魔法系統最高位の大魔術である。


その場の誰も動くことができなかった。

老齢の霜妖魔を中心とした見渡す四方は、瞬く間に雪で覆われた。


山賊たちも、フユッソ村の人々も、畑も家屋も家畜の羊たちも、離れて隠れていた関羽とユーリンも含めて、一切が白く包まれた。


「なんだァ、テメェ……新顔……だよな……」


山賊が辛うじて声を発したのは、その場の主導権を手放したくない一念からであろう。寒さに震える手足を押し留めるように、叫ぶ。


「こっ、この娘がどうなっても――!」


――我にその義理はなイ。ヒューマン族の(はら)が減るのは善きことであル。諸共(もろとも)()()てるがよイ


ヒューマン族の言葉である。どこから聞こえてくるかも分からない、不気味に反響する声がした。


同時に、地が――雪が、隆起する。あたかも雪に埋没した冷たい氷の断片を集めて押し固めたように、雪の内側から澄明な氷の柱が伸びた。氷の柱は次第に太くなり、樹木のように横から枝分かれし、大輪の氷の華を広げる。それは、紅蓮のごとき文様を象った、大きな雪の結晶――氷の彫像であった。村の大半の空を覆うように氷の枝が伸び、その先に氷の花が咲いている。根元には霜妖魔キタンがいた。足を氷で覆われて、氷の巨木に埋め込まれている。


――ヒューマン族どもの侮りを招くことハ、我が種族の(あまねく)くをいずれ祟ル


氷の巨木の枝の先で、不吉の(しるし)のように、軋む音を天空に渡らせた。

上空から雪が舞い落ちる。

散る氷の花弁が、地をえぐる。


――侮りに甘んじるよりモ、憎み恐れられるが安寧をもたらス


「……落ちてくるよ!」


老婆ロセの警句が、皆を駆けさせた。

氷の巨木の崩落から逃れるように、四散して逃げる。




老齢の霜妖魔は、その場から姿を消した。

霜妖魔キタンのみが、氷の巨木にくくりつけられて、残された。

うなだれて、鈍い色の瞳をぼんやりと這わせている。


氷の落下は、徐々に激しさを増す。

薪木や皿のような大きさの氷が頭上から墜落し、地に穴をあける。

逃げ惑うヒューマン族の向こうに、呑気に草を食む牛や羊の姿があった。


――キタンさんにお願いがあります。これから村を襲う山賊たちから村を護ってください。……カルロさんの、代わりに


キタンは、弾かれたように覚醒した。


護る。カルロの代理として。

カルロならばどうするか。家畜を護る。

カルロならば巧みに牛や羊を手ぶりや口笛で誘導して避難させるだろう。

しかしそれはカルロが培った老練な牧畜技術によるものだ。

真似はできない。

ならばどうするか。

決まっている――カルロにはできない方法で、カルロがやるであろうことを成し遂げる。


エクロ師が成した氷の巨木――膨大な氷マナを注いだ質量魔法。地表や大気の冷気を効率的に吸収し、氷マナと結合させて実体を成すと、樹木様の形状をとる。美しく荘厳な冬の象徴のごとき魔法である。


エクロ師は本気である。ヒューマン族や残された家畜たちを、あえて殺すつもりはないが、殺してもかまわない――その意志の元でこの魔法を使った。その心情が、今のキタンにはよく理解できた。無関心の凝固による消極的殺意。相手の死を望まずとも、殺意は形を成せるのだ。命を奪うのに相手に関心を抱く必要はない。それであるがために、エクロ師は決してキタンに手は貸さない。エクロ師にとって重要なのは、霜妖魔を侮るヒューマン族の肝を冷やし脅すことで、同胞の安寧を護ることである。そのためには犠牲があったほうがむしろ良い。エクロ師は、そう決意している。


霜妖魔キタンは、この瞬間にすべきことを悟った。冬神ムルカルンに、祈り、念じ、全霊を捧げる覚悟を固めた。――崩落する氷の巨木を、保冷する。


青白く光るマナの底に、キタンは意識を沈めた。




頭上から注ぐ氷の断片を避けつつ、関羽とユーリンは村長宅に戻った。屋根板が氷に傷ついて窪んでいるが、貫通はしていない。


「今のところは平気そうだね。とりあえずお茶を淹れよう」


「であるな。儂もいただこう」


セルヒオの部屋に押しかけて、勝手に茶を淹れて、楽しんだ。日に1度は2人きりの無為の時間を設けること———ユーリンが関羽の旅路への同道を承諾した際の約束の1つであった。寝台の上のセルヒオが邪魔であるが、ここの部屋の主でもあるため、不平は言わない。


「キタンさんが仕損じたら、ボクたち心中だね」


「左様。だが信じて待とう」


「もちろん」


唐突に死の予告を突きつけられたセルヒオは、もちろん慌てて声を荒げる。


「……はぁ!? なんだよ、それ。外はいったいどうなってんだよ!?」


「信じて、待て。ボクはキタンさんを信じてる。お前はどうする、セルヒオ? 逃げるんなら靴下くらいは履かせてやるよ」


「……あー、もう! わかったよ! なんでかなんかで死にかけてるらしいけど、それでも逃げずに待ってりゃいいんだろ!? いいさ、どうせ昨日も死にかけた身だ、この際だ! お前を信じてやるよ!」


「……いいよ、お前。つくづく、良い。末期(まつご)かもしれないから言っておくけど、お前、ボクに協力しろ」


「はぁ!? 協力? ……霜妖魔と仲良くしろってんなら、引き受けただろ。やってやるよ」


「それはそうとして、別件でね――お。決まったかな」


莫大な氷マナの波濤を感じ取り、ユーリンは窓の外を睨んだ。青白い輝きが外界を染める。


「これがキタンさんの、本来の……」


霜妖魔の女王ネージュのそれには及ばないが、天地を揺るがす大魔道のそれに比肩する水準の密度である。エクロの氷マナよりも粗が目立つが、積雪の重みを思わせるような厚みあるマナであった。


風の音渡りの旅路すらも停滞させるような、冬の景色であった。

白銀の光沢が上空から降り注ぐ。見上げれば、エクロの氷の巨木を密封するように、壮麗な氷の石碑が建立していた。


ユーリンが我が事を寿ぐようにはしゃぎ、関羽がしみじみと言った。


「誠にこの世界は不可思議に満ちている。儂の60年余りの知識なぞ、如何に儚く狭い了見であったことか……」


関羽は茶をすすり、これもまた道楽、と感じた。




再び村長宅の外に出た関羽とユーリンは、キタンの氷魔法の成果を見上げる。氷漬けにされた氷の巨木を遠大な風景のように(すが)めた。崩落する氷の断片は、もうどこにも無かった。炎天の只中においても、いささかも揺らぐことない壮麗な氷の建立である。


「……ウンチョー、おパシリ依頼だ。キタンさんを保護して連れてきてくれる? どうも気絶してるらしい。慎重に抱えて、帰りはなるべくなるたけゆっくりそろそろと歩いてきてね」


注文の意図を(ただ)すことなく、関羽は遠くに見える氷の巨木に向かって駆けた。ユーリンは手を振ってそれを見送り、くるりと踵を返して、村長宅の庭の一角に礼をした。薄く雪の積もった地の上に、霜妖魔エクロが姿を現す。


「……エクロさんとしては、見込み通りてことですかね? 手厚いご助力に感謝します」


『氷魔法:豪雪』による天候操作でキタンの氷マナの大規模展開を支援しつつ、氷の巨木を樹立して不快な山賊連中を脅して追い払ったことを、ユーリンはエクロに感謝した。


――ヒューマン族を助けたわけではなイ。勘違いするナ。不出来な弟子の教育にきただけダ。躾の途中であったことを思い返し、弟子の教育に程よいと見た迄のこト


「……はぁい」


エクロの言葉の愛撫を楽しむような態度でユーリンは応じた。しかし嬌声じみた声音とは裏腹に、空色の瞳は真剣そのものである。続くエクロの詰問こそが、本題であり、それを予期していたためである。


――心して答えヨ。陛下の命に反してソレは鞘から抜かれタ……弁解はあるカ?


エクロの指先は、ユーリンの懐を示した。ユーリンの愛刀であるエーテルナイフのことである。

どきり、と起こる緊張に身を任せるようにユーリンは身体を縮め、けれど臆することなく断言した。


「ボクは抜いてません! ネージュ女王陛下の命は『山中において、お前が之を鞘から抜くことを禁ずる』とのこと。ボクは女王陛下の命に従って、指一本触れずにいました! 本当です。ボクが触れたのは、奪われたコレを取り戻すために、鞘に収めた時だけです。ボクは誓って、コレを鞘から抜いていません」


霜妖魔の女王に対する敬意を損ねることがないように細心の意を払った釈明を述べた。目いっぱいの誠意を盾にした屁理屈である。

エクロの表情はユーリンからはわからなかったが、あまり気分を害した様子はなさそうに見えた。


――そのまま陛下にお伝えすル。我は裁可に従うのみ


「女王陛下におかれましてはさぞご懸念を抱かれましたであろうこと、まことにお詫びのしようもありません。ボクの未熟のために意図せず賊徒どもにコレを弄ばれる不首尾となりましたこと、恥じ入るばかりです」


――仕向けたであろウ?


エクロはユーリンの芝居には付き合わなかった。


――之を賊徒の手にあえて委ねて鞘から抜かセ、婉曲に我を呼びつけタ。あのヒューマン族を治癒させるたメ……申し開きはあるカ?


万事休す――といった面持ちで、ユーリンは苦しそうに首肯する。


「……全てご認識のとおりです。エクロさんを利用しました。これについて、お怒りを逸らすつもりはありません。お叱りは受けますが、ボクにも都合があるので、命だけは残してください」


――お前の命は陛下が下賜したもの……我に生殺与奪の権はなイ。我は陛下のご裁可に従う限リ。


「……エクロさんの優しさに甘えっぱなしになっちゃいました。貴方という冬の恵みをもたらした冬神ムルカルンに感謝を」


――我からの問いがあル。あの男……ウンチョウを……なぜ今あえて遠ざけタ?


エクロの表情が変わったことに、ユーリンは気がついた。これまでになく慎重にして、疑念に溢れた目である。

なぜエクロがそれを疑問に思うのか、ユーリンは不思議に感じた。そして、率直に回答する。


「え? ……だって、いまからボクの首をとる流れになった時、エクロさん、気まずいでしょ? ウンチョーは絶対猛然反対だから、その場合――」


ユーリンはうっとりと妄想に耽り「きゃー、やめて、2人とも! ボクのために争わないで! ……いい、この流れすごくいい!……いや、良いけど良くない。けど、いい」とつぶやきながら、


「ま。そうことです。霜妖魔の国との約束は、ボク個人が結びました。だから何としても、ボクだけでこの話をしたかった。それだけです。どうせ昨日死にかけた身ですから」


あっけらかんと、言い切った。

エクロは言葉のつなぎを失って、


――……。約定に命を賭すのがお前の本分カ?


「いいえ。まったく」


ユーリンはきっぱりと断言した。

意外な返答にエクロが目を見張り、続きを促した。


「……ボクは嘘つきです。ただボクは欲しいものがある……はずです。それを得るためには、貴方たちとの約束だけは守り通すほうが良い……と思いました。それはボクの命より重い……ような気がするんです。だから殉じます。ボクのような非力な人間が大望を成就するには、せめて命くらいは酷使しないと、とても追いつかないんですよ」


――陛下の御前で語ったことは、偽りカ?


「いいえ。すべて偽りなくボクの本心です。でも本心が真実とは限らないでしょう? だからボクは常に最善に賭けるんです。……うまく伝わると良いのですが……ここで貴方に殺されるのもあり得ることと覚悟しています。ですが、死ぬ気はない。これも本心です」


――要領を得ぬが、偽りではなさそうだナ


「こればかりはお願いするしかないんですが、『お願いです、信じてください』としか言えませんね」


――理解し難イ。恥も外聞もなく己の命を惜しみつつ、躊躇いなく己の命を雑に位置づけル。その矛盾のどちらもが本心だと言うのカ


「そゆことです。それがボクです、ユーリンです。自己紹介が遅れましたね。ウンチョーからは『天下一品の捻くれ』とよく褒められます」


――理解はせぬ。が、信ずることを選んでも良イ


そこへ、関羽がキタンを抱えて戻ってきた。関羽の腕の中で、キタンはぐったりとしている。いよいよ体内マナを消尽し、限界を迎えて昏睡したのである。


「おお、エクロ殿。……キタン殿の様態、如何に処すればよかろうか」


――不甲斐なイ。生来の天分を発揮した反動に耐えられぬとハ……怠惰の極致であル……才を惜しむ余りに放蕩を許しすぎタ。後進の育成とは難事であル


「それは確かに。儂もそれがなぁ、ダメであったんだよなぁ。……しかし、キタン殿は見事にやり遂げましたぞ!この暑き陽光の下において、かくも巨大な楼閣のごとき氷塊! 魏公自慢の銅雀台すらも足元に及ぶまい……うっ……魏公から見物を誘う書簡(しょかん)が執拗に届けられたことを思い出したわい。……されどキタン殿は満足げなご様子。男の顔をしておる」


――放精のようなものダ。未熟者には刺激が強イ


関羽の呵々大笑につられてエクロも笑った。2人の忌憚ない会話をみて、ユーリンが口をすぼめて()ねる。


「であれば、このまま寝かせておくのが重畳ですかな」


――まず水気を摂らせてやりたイ。季節の果汁があれば、飲ませても良イ


「なればちと拝借して参ります。厨房の棚にそれらしい器のあったのに目をつけておったのです。……エクロ殿もいかがか?」


――頂戴すル。我が冷やして進ぜよウ


「『きんきん』にお頼み申すぞ!」


――我の好みに合わせル


和気あいあいと談笑する関羽とエクロの様子を、ユーリンはただ呆然と見守っていたが、とうとう堪りかねて口を挟んだ。


「はーあ!? ボクが命がけでエクロさんと打ち解けたというのに、ウンチョーはいつの間に!? ……ずるくない?」


――打ち解けたつもりはない


「ふむ? エクロ殿とは昨日お会いしたぞ? ……儂、そなたにも伝えたと思ったが。……では取って参る」


かねてより目星をつけていたジュースの備蓄を接収するため、関羽はキタンを抱えたまま村長宅に押し入っていった。


その背を見送りるユーリンは、「まったく、キミというヤツは、まったくまったく」とつぶやきながら、寂しそうにエクロに打ち明けた。


「結局ね、スゴイ人と仲良くなるのは、ボクなんかより、ウンチョーのほうが、ずっと早いんですよ。ボクは箸にも匙にもかからないコッパみたいなのには一方的に好かれるんですが、本当にスゴイ人に認められるのは、いつもいつも、まずウンチョーなんです。きっと何よりウンチョー自身がスゴイヤツだから……」


――それは違う。昨日会った時、我はウンチョウを殺すつもりでいタ


エクロの物騒な告白に、ユーリンは耳を疑った。


――お前の(くだん)の刃物が抜かれたのを知って、様子を見に赴いタ。そこであのヒューマン族が血にまみれて附しているのを見つけタ。思案するうちに、ウンチョウが来た。アレは尋常ならざる者であると一目で理解させられタ。私は死を覚悟しつつも、如何にこの男を討ち取るか、そればかりを必死に考えた。この男は、我が霜妖魔の王国すらも滅ぼせる器であると……断じて王国への道を歩ませてはならぬと直感しタ。無謀であろうとモ、相討ちに持ち込む術を我は懸命に探っタ


思い返すようなエクロの口ぶりからでさえ、その折の悲壮な決意の残り香が漂ってくる。さしものユーリンもその声音に響き合うように冷や汗を流した。


しかし、続くエクロの語りは野花芽吹く春先のように暖かいものであった。


――肝を冷やす我を見て、ウンチョウは懇願したのダ。この若者の傷口を凍らせて止血して欲しい、ト。殺気を充溢させる我に対して、地に膝をついて、頭を垂れタ。その所作の堂々たる迷いのなさに、我は思わず見惚れタ。……その時に気づいた、コレがお前の言っていた、お前の友であるのか、ト。私はウンチョウをひとまず敵とは見なさぬことにしタ。わかるカ? 私はお前に賭けたのダ、ユーリン


エクロが氷の巨木を見上げた。夏の陽射しに枯れ落ちつつあった氷の樹は、いまや燦々たる太陽の光を浴びて輝く氷碑(ひょうひ)となっている。いつかは溶けるにしても、あたり構わず落氷することはない。人間(じんかん)のわだかまりのように、緩やかに地に流れ還るのだろう。


――お前が(ひら)いた道である。私もウンチョウも後に続いたに過ぎぬのダ


「ボクも後に続いただけなんですよ。拓いたのは……」


ユーリンはキタンを想い、また、その場には居ない―――永久に不在となった、ひとりの老人を偲んだ。




アピの実とクワパナのミックスジュースを口に注がれ、霜妖魔キタンはゆっくりとそれを飲み込む。意識のないまま、本能に導かれるように、貪婪(どんらん)に喉を鳴らし続けた。ユーリンの握る杯の底が見えるころ、重いまぶたを上げて、関羽の腕の中でキタンは目を覚ました。鈍い色の瞳がさまよい、関羽とユーリン、そして霜妖魔エクロを見た。


「……キ……キケ……」


――叱責は後ダ。まずは身体を癒やセ


エクロの足元から直方体の氷が伸び、結晶を重ね合わせるように膨張して人型の氷となった。氷の巨人は腕の関節を軋ませながらキタンを抱え込み、さらに氷で全身を包んだ。キタンは氷の巨人もろともに、氷漬けになった。キタンが何かを言いたそうに口を開きかけていたが、その形のまま身動きできなくなっていた。


――我らには此れが癒しになル


「あ。そう……なん……ですね……」


ユーリンはキタンの『タスケテ』という声を聴いた気がしたが、エクロの主張する治癒効果を強引に信じることにした。


遠巻きに氷の巨木を眺めていたフユッソ住民たちが、徐々に戻ってきた。住民たちに怪我はなく、家屋や牧場施設の破損だけに被害はとどまったようである。


混乱の中で山賊たちは逃げ去ったが、あえてそれを追う者はいない。もはや誰も関心を持っていなかった。村人たちは興奮冷めやらぬ様子で事態の把握に努めている。村の端に植えられた氷の巨木の氷碑を指さして眺め、善後策を協議している様子であった。


エクロは忌々しそうにそれを眺め、ぶっきらぼうに告げた。


――我らは去ル


「もうお帰りで? 祝賀会の開催を焚きつけますよ。任せてください、ボクそういうの得意です」


――(たが)えるナ。我ら霜妖魔とヒューマン族は相容れヌ


「対立するところもあるでしょう。……が、結べるところもあるはずです。いっとうマシなシチュエーションで握手できると良いですね」


――我は種を護る立場ダ。狡猾なヒューマン族に軽々と靡くことは許されなイ


「ええ。もちろん。完璧なデモンストレーションでした。少なくともこの村の住人は、決して霜妖魔を侮ることはありません。あの氷の巨木が溶け切るまでは……溶け切った後も語り草、間違いなしです。……折を見て村の代表がお訪ねすることになりますが、凍らせる前か後に、話を聞いてやっちゃくれませんかね。見どころはありそうなヤツなんで」


――冬は夏に劣らヌ。氷は太陽に屈さヌ。我らが冬神ムルカルンの神威を知レ。(おご)れるヒューマン族どもよ、忘れるナ……それが虚栄の繁茂であることを……いずれ世界は冬に覆われル。必ずダ


「必ず冬は来ますよ。そして、また夏も。飽きもせず繰り返すのが、ボクは好きです」


――やはり相容れぬナ


「でもエクロさん、夏、好きでしょ? アピの実の旬ですからね」


――……。何故そう思ウ?


「氷洞前でお会いしたとき、お口元に赤い果汁がちょっと付いてました。セルヒオの世話しながら、つまみ食いしてたんでしょ? あの辺りは良い感じに(みの)ってましたから――」


それが、その日のユーリンの最後の言葉となった。


「エクロ殿。後は儂がしかと仕置きを付けておきます。何卒、今日のところはそのくらいでご寛恕願いたく……」


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