表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スイーツ巡りのぶらり道中  作者: das
遥けき夏の霜妖魔 ~カシューナッツのカッサータ~
15/32

(14) 友として

ユーリンは山賊たちと談笑していた。床に散らばっていた酒器や肴をあつめて勝手気ままな宴会を催し、山賊たちには酒を勧め、ときおり華やかな笑顔を振りまきながらその場を盛りあげている。こと人の心に親和的感情を抱かせる点において、可憐と端麗を中性的にあわせた容姿に明敏な頭脳と透徹な観察眼から成る会話術を備えたユーリンは、無類の芸術家であった。山賊たちはすっかりと心をユーリンに許し、そのことをむしろ幸福であるとさえ感じ始めていた。


その場にキタンの姿はない。関羽が、中身のたっぷり残った酒器を右手に、2つの杯を左手につまみ、キタンを伴ってその場をそれとなく離れたのである。無遠慮に談笑する山賊とユーリンの賑やかな声の届かぬところで、2人きりで夜風に当たっている。


ユーリンは胸を疼かせる痛みを無視して、あたかも山賊たちの語る身の上話に興味津々といった面持ちで付き合っている。酒の周りが勢いを増し、山賊たちの口が粉雪のように軽くなり始めたころ、ユーリンは目当ての獲物を刈り取りにかかった。それは足の折れた子犬を捕らえるよりも容易な狩猟であった。


「うん、うん。それは辛い過去ですね。するとみなさんやむを得ず山賊の仲間入りをしたわけで。……ところで、山賊王の勢力についてなんですが」(敵の金で敵を歓待して敵の心をほだしておく。何の損もない。ボクは手を尽くし尽くすよ)


「……うっ。ぐすっ……そう、そうなんだ……」「俺たちだって、好きでこんなことやってるわけじゃ」「……俺たちのナワバリは、知られてるよりも結構広くって」


「もちろん信じますよ。みなさんの目をみればわかります。だからボクのことも信じてください。……ところで、山賊王が手掛けている商会の活動についてなんですが」(霜妖魔の家畜化、か。同意も称賛もしないけど、驚嘆は認めるよ。お前が本気だったら、それはヒューマン族の未来を少しだけ開いたかも知れない。山賊王ニーチェ)


「ユーリンさん、わかってくれますか」「アナタだけだ。俺にそんなことを言ってくれたのは」「……あちこちの街にある。全部は知らないが、いくつかは知ってるよ」


神妙そうに、あたかも同情的な顔つきで、山賊たちを悲劇の被害者であるかのように扱い慰め励ましつつ、ユーリンは巧みに自身の印象を彼らの心象に刻み付けていった。いつの間にか感極まった山賊たちが「ユーリン様に会えて本当に救われました」「生きてて良かった」などと信仰じみたことを口走り始めたころ、関羽が戻ってきた。傍らにキタンの姿はない。それを見たユーリンがその場で泣き崩れなかったのは、すでに心が凍てついて涙の泉が氷結していたためである。


(マズイ。そろそろ限界かも。いっかい泣かせてほしい)


ユーリンの精神を弱音の響きが震わせたとき、関羽がそこに割り込んできた。


「儂も混ぜてもらおうか。甘味もよいが酒もよい。当地の酒はどのような風味かな」


関羽の登場に山賊たちは恐れおののいた。ヴェスプと魔術師の2人を一蹴した比類なき豪傑と食卓を囲むことに、緊張を隠せない様子である。顔色に影が混じり、空の皿や欠けた酒器がさぞ興味深いものであるかのように目線があちこちをさまよった。


そんな山賊たちの怯えた態度をみて、関羽は鷹揚に笑った。それは大将軍の貫禄であった。


「その方ら、なかなかに勇敢であったな。儂の武を前に逃げ去らぬとは。弓矢の筋も悪くない。……ひとつ、儂の杯に注ぐことを許そう」


関羽は杯を前に差し出し、酒を注ぐことを彼らに促した。傲岸な態度ではあったが、それに似合う風格がある。そびえたつ山脈を見上げるような顔つきで、山賊たちはしばし関羽を呆然と見つめていたが、やがて互いに手柄を競い合うように関羽の杯に酒を注いだ。関羽それを一息で飲み干す。それを繰り返すうちに、山賊たちは関羽に率直な畏敬の念を抱き始めたと見えて、恭しく尊敬の入り混じった調子で場に談笑の流れができた。その中心には、無論、関羽が収まっている。


(ウンチョー、ありがと)


ユーリンはそっとその場を去って、少しの間、涙を夜風に乾かしてから、戻ってきた。山賊たちが関羽のことを「ウンチョウ兄貴」と呼んでいる声が聞こえてきたことに、ユーリンは苦笑を禁じえなかった。


その時、広間の隅でゴミに埋もれるような姿勢で伏していたジーノが、動いた。呻き声がこぼれる。ヴェスプによる懲罰で全身がひどく負傷しており、長らく意識昏睡の状態であった。あえて誰も介錯はしなかったが、あえて誰も手当を試みようとはしなかったのである。ユーリンは疲れ切った足取りで、声だけは明るく寿ぐように、義務も義理もないという顔でジーノに歩み寄った。


(お。しぶといな。いまだに死んでないのか)「ジーノさん! 意識が! ……ちょっと()てみますね」


「……ユーリン……ぶじか……」


殴打によって膨れた(まぶた)の向こうから、ジーノの弱々しい目がユーリンの姿を追った。


「あのね。それはコッチのセリフですよ」


ユーリンは薄っぺらい微笑みを偽善の慈愛で染色しながら、いたわるようにジーノに応えた。


「おれ、は、いい……はやく、……にげろ……。おれは、おまえの、ためなら……」


「……えーと」


ジーノの情熱的な言葉に対してこみ上げる嫌悪感を覚え、いっそトドメを刺すか、とユーリンは真剣に考えた。が、やめた。一線を越えてすでに篭絡済みの駒は、それはそれで用途があると判断したためである。ジーノに生きていて欲しいとは思っていないが、生きていることに不都合もない。なにより、なにもかも、面倒くさい。そんな疲労100%の打算だけでユーリンが結論を出して表情を倦怠で和ませたところ、まるでそれに安堵したかのようにジーノは再び意識を失った。


元気に酒盛りを続ける山賊たちに、ユーリンは投げやりに呼びかけた。


「うん。よし……ヴェスプがぜんぶ悪い! そうですよね、皆さん!?」


「もちろん! その通りです!」「ヴェスプが全部やったんだ!」「あの横暴ヤロウ、いつかぶっ殺してやろうと思ってたんだ」「気がみじけぇ上にドケチなクズ野郎だったぜ」


山賊たちが酒の肴にヴェスプへの悪口を並べ始めたのを聞き流し、ユーリンはジーノの手当を始めた。


(ま、いいさ。ついさっきまで「さん」付けで呼んでたヴェスプの死体の側で酒盛りできる連中に、倫理観なんて期待してない……っと言っても、ボクもウンチョーも、けっこうかなり、たいがいだし。……今夜、まともな心の持ち主は、キタンさんだけだったな)


そこらのボロ布でジーノの身体の傷口を縛り、折れた腕の骨に当て木を添えるなどの形式的な措置をジーノに施しながら、ぼそりと「別にそのまま死んでもよかったのに」と唇からは漏れない声で、言った。


(あっ……)


ユーリンが自身の言葉の反動を自覚したのは、まさに死んでは困る人物の姿を思い浮かべたためである。


(要る。忘れるところだった。……気づけたのはジーノ《コイツ》のおかげか。ま、手柄ひとつで罪一等減免ね)


ユーリンは少しだけ真剣になってジーノに手当て施す。そして、今宵の余滴をこぼさず収穫して持ち帰る算段をつけた。




夜が明けて太陽の登るころ、ユーリンと関羽は早々に出立の用意を整えた。今日到着するという山賊の援軍たちとの鉢合わせを避けるためである。関羽はロセから借りた氷箱を大切にかかえ、ユーリンは昨夜拾ったカバンに何やらの膨らみある荷物を詰め込んで肩にかけて携えた。


山賊たちは整列し、旧エロヒムの守護の教会跡地の入り口でそれを見送る姿勢である。朝の陽射しが、やたら背筋のピンと伸びた山賊の立ち姿に美しい影を添える。


4人の山賊が、声をそろえて唱和する。


「ユーリン様! ウンチョウ兄貴! どうぞお気をつけてお帰りください!」


ユーリンはタジタジと、関羽はすっかり困惑した顔である。

ユーリンが朝日を背にして、彼らに応えた。


「あはは……皆さんも、お気をつけてお帰りを。今日到着する何十人かのお仲間さんたちがきたら、うまく霜妖魔の強さを伝えて、ヴェスプに全部の責任をかぶせて、みんなで本拠に帰ってくださいね。手はず通りに頼みます。ついでにジーノさんも持って行ってくださいな」


「ユーリン様にお仕えさせていただける喜びをかみしめながら、仰せのとおりに致します」


「……そう……うん……ありがとう……またいつかお会いしましょうね……」(あっるぇ? なんか思ってたのと違うんだけど)


ヒソヒソと関羽に耳打ちしながら、ユーリンは戸惑いながらも彼らの熱狂的な忠誠心を受け止めた。それが山賊たちにとっては極上の褒美となったようで、感動に震えるように、さらに続けた。


「いつでも呼んでください。ウンチョウ兄貴の指示とあらば、いつでもこのチンケな命を捧げまさぁ!」


チンケな命を貢ぎ物のように差し出された関羽も、返答に苦慮した。


「……捧げられても困る。悪事は控え、自他ともに命を粗末にせぬよう心がけよ」(ちとやりすぎだ。そなたの接待が効きすぎたのだ)


「へい! 命に代えても、必ずや!」「いつかきっと、俺たちの(かしら)になってください!」「一緒に山賊やりましょう」


「……儂の話、聞いてたぁ?」




来た山道を歩き、帰る。旅慣れた2人の足運びに危ういところはない。退屈になると、関羽を茶化して遊ぶのがユーリンの嗜みである。


「ウンチョー、やっぱ男()()モテるね。特にアウトロー連中の(へき)にぶっささる率が高すぎない? はやくも崇拝されてんじゃん」


「そんな『はーれむ』は要らぬ! 女子(おなご)がいいんじゃ。今生は『ばきばきのもてらいふ』したいんじゃ。『ばきもて』の軽はずみな恋とかしてみたいんじゃ!」


「断言するけど、絶対アイツらキミのフィギュアつくるよ、間違いない ……何に使うかは知らないけど!」


「うっぷ。曹公が絵師に儂の姿絵を描かせておったのを思い出したわい。アレ、どこに飾ったんじゃろうな。……ところで、そなたのその荷はいったい?」


関羽の悲嘆の叫びに笑いつつ、ユーリンは本当に聞きたかったことを話題にした。


「これはね、もちろん悪い物さ。キミの想像の中で最悪のもの。……ところで、キタンさんは?」


「まさか持ってきたのか!? 何に使うんじゃそんなもの。……キタン殿は、一足先に帰る、と」


簡単な回答であった。山道を踏みしめるユーリンの足が重くなる。


「……そう。悲しいな」


「そうであるか?」


「失恋はいつだって辛いじゃん!?」


憤慨するユーリンに、関羽は意外そうに声を漏らす。


「……ん?」


「え?」


関羽の反応に心底から驚きを示すユーリンを見て、ふー、と関羽は眉根をよせて困ったようにため息をついた。


「別にそなたに腹を立ててはおらん様子であったぞ。はじめは当然意外に思いはしたようだが『敵とこそ交流を深めその意図を探るべし』とそなたの狙いを説明したら、至極納得の様子であった。むしろ区切りをつけることができてよかった、という感じであるな。もう戦いを望むことはあるまい。……心優しき者ほど武才を伸ばすべきと思うが、こればかりはのぉ」


友の仇を討って気落ちするキタンの性格は、戦いには不向きである。どれほどの才を備えていようとも、適性がない。関羽はそれを深く惜しんだ。


一方のユーリンは、ヘナヘナとへたり込んだ。空色の瞳で、空を見つめている。心の空を覆う雨雲が去り、重々しく構えていた雨具が行場を失って、つい気が抜けたのである。


関羽が精神的な年長者として、迷える少年を導いた。


「そなたは考えすぎなのだ。もっと(おのれ)を明かしてもよいのだぞ。そこに信あらば清濁は存外に受け入れられるものだ。どちらもそなたなのだから」


「……む。じゃあさ、なんでキタンさん、昨晩ひとりで帰っちゃったの?」


「エクロ殿から依頼があったのだ。曰く『馬鹿弟子に入念な教育を施ス、捕縛して連行願いたイ』とな。キタン殿を捕縛するわけにもいかぬ故、エクロ殿の言葉をそのまま伝えたところ、青ざめて走って帰っていったのだ。せめて日の出を待っては如何と止めはしたのだが、霜妖魔の身なれば、ややもすると陽射しのない夜のほうが身体に楽が利くのやもしれぬ。そなたに告げずに帰ったのは、そなたの調略を妨げてはならぬという配慮であろ」


「……もう……キミは、キミは、キミわァ……そういうことはっ! 早く言ってよッ!」


「そなた儂になんも説明させてくれんかったじゃろ?」


関羽は拗ねるように言ったが、その表情には保護者としての慈愛が含まれていた。……適性がありすぎる故に、本来は才を支えるべき心の随伴が疎かになる場合もある、ならばそれを補うのも儂の役目である、と。




山道を歩き続け、太陽が中天に差し掛かる前に、2人は氷洞前まで戻ってきた。そこで当然いったん足を止めるつもりであったのだが、否応なしに足を止めざるをえなかった。大地の隙間から冷たい息吹を吐く氷洞の入り口の前に、暑い日差しをものともしない壮麗な氷の彫像ができあがっていたためである。樹木に負けじと天高くそびえたつ氷の彫像の中腹に見覚えのある姿があり、その根元にもやはり見覚えのある姿があった。氷の彫像の中腹に埋め込まれたキタンを、エクロがその足元から見上げている。エクロの傍らには、ヒューマン族相当の大きさの氷の巨人が建っており、エクロに手をかざして日陰を供するように陽光を遮っていた。


あっけにとられる関羽とユーリンの姿を認めたエクロが、傍らの氷の巨人の喉笛を奏でて事情を説明した。


――虐げているのではなイ。身体を冷やシ、癒しているのダ


「エクロさん、はじめて再会できましたね。気が早いようですが、また次の再会をお約束しても?」(……へい、グンシン。キミの見立てを言って)


「エクロ殿。此度のご助力、誠に感謝に致す。改めて重ね重ねの礼を述べたい」(……あえて何も言うまい。あの氷は美味に非ず)


関羽の目には、高く(はりつけ)にされた氷漬けのキタンが「タスケテ」と必死に訴えているように見えたのである。気がつかなかったフリをしたわけではないが、関羽はそのことには触れず、まずエクロに謝辞を述べた。


――ヒューマン族を助けた訳ではなイ。弟子の(しつけ)の一貫であル


ユーリンがうっとりとしながら「あのツンがたまらないの。ツンが」と言っているのを無視して、関羽はエクロに嘆願した。


「エクロ殿……キタン殿と話を致したく、お弟子殿のご教育についてしばしの猶予を願えぬだろうか」


エクロはちらりと氷の巨人に埋もれるキタンを眺め、指を一振してその身柄を自由にした。キタンを拘束していた部分の氷のみが溶けて、蒸発したのである。


地に降りたキタンは小さな手足をバタつかせて歩き、関羽とユーリンの前までくると、困ったような顔をして、霜妖魔の言葉で語った。


「……カキカ……コー」


それが感謝の意であることが、キタンの眼差しのぬくもりから伝わってくる。ユーリンがキタンを抱きしめるために飛び掛からなかったのは、エクロの操る氷の巨人から低い笛のような声が響いたためである。


――どうしタ。氷の像を出セ。お前のマナならバこれしきの暑さに術式が屈することは無いはずダ。ヒューマン族の言葉で語ればよかろウ。お前はヒューマン族の言葉を知っていル


キタンは気まずそうに、エクロを振り返る。


「……キケッ! キッコー……」


――マナの質量は十分、精密制御も及第、術式は教えタ……後は氷の像を出すだけダ


「……ケー……」


――出せぬカ。たかがこれしきの陽光に膝を折り、氷を出すことができぬカ。……才は磨かねば無意味ダ。太陽魔法なぞに傾倒し遊蕩した帰結がその(ザマ)であル


あえて関羽とユーリンにもわかるようにヒューマン族の言葉を紡ぎながらキタンを叱りつけるエクロに、ユーリンは違和感を覚えた。何か明確な意図があってのことである。ユーリンはエクロの企図する一連の演出が、キタンのためのものであることを疑わなかった。ならば自分たちがこの舞台に出演することも期待されている——ユーリンは咄嗟に判断し、その役目を務めた。


「お言葉ですがエクロさん! キタンさんの魔法の(ちから)は誰もが認めるところ。それに研鑽に余念がないことも明らかで……」


――適性に目を背ケ、本来成せる結果を得られヌ。怠惰の(そし)りは免れなイ。霜妖魔が、それだけの魔術の才を持ちながラ、肝心の氷魔法の鍛錬が足りなイ。お前の適性は第一に氷魔法、第二に肉体魔法、ついで大気、影、混沌であル。太陽では、断じて、なイ


ユーリンの見解を一部首肯しつつも、エクロの言葉は緩まることがない。厳しい眼差しは、師弟の会話に割り込んだユーリンにではなく、終始キタンに向けられたままであった。


――才ある者には義務があル。凡庸な到達点で満足するのは許されなイ。恵まれた才には(はる)けき道を踏破(とうは)する義務があるのダ


「……キッ! キーキケ! キーキッキ!」


――それもよイ。余人の及ばぬ難事に挑むのも才ある者の役目であル、太陽魔法の会得に至ったその奇才と努力を我は否定せヌ。……だが師として、明らかにせねばならヌ。お前が何を選び、何を()()()()()()()()


エクロの厳かな言い様に、一同は固唾をのんだ。


エクロの先導に付き従い、少し歩く。キタンはエクロの指導に不満げな態度を隠していなかったが、歩くうちに、やがて顔色から精彩が失われていった。エクロの歩く道程を嫌うというより、恐れている。


「キタン殿?」「キタンさん?」


「……キー」


関羽とユーリンの呼びかけにもキタンは満足な反応を示さない。心ここにあらずと言った様子で、重い足を引きずるように師エクロの進む道のりを(いと)いながら、観念しつつも、付き従っている。


やがてエクロの足が止まった。木々が開け、柔らかな土が狭く広がっている。


――此処であっタ


エクロのその奇妙な時制の言葉は、関羽とユーリンに対するものである。2人は同時に理解した——ヴェスプに斬られたカルロ氏が流血の中で絶命したのはこの地点である、と。キタンは沈痛な面持ちで、柔らかな土の上に今は無い虚影を見つめている。


エクロの指先からマナが飛び、屍霊術系統の影魔法が発動したことをユーリンは察した。土に横たわる姿が(あらわ)わになった。上体を氷に覆われた瀕死のセルヒオである。袈裟懸けに切り裂かれた痛々しい傷跡が破れた服の隙間から生々しく覗いていたが、呼吸は途絶えていない。顔に血の気が薄いのは、出血と上体を覆う氷のためである。傷口を容赦なく氷が固めていた。


ユーリンはセルヒオが嫌いであったが、生きていることに対してはほっと胸をなでおろした。


「お。セルヒオじゃん。生きてんじゃん」


――まだ死なせてはおらヌ。だが傷を氷で塞ぎ、流血を止めただけダ


「よく一晩、()ちましたね」


――ヒューマン族の苦鳴など、知ったことではなイ


「……そっちじゃなくて……エクロさん、コイツへの生命マナの供給、大変だったでしょ」


――お前の尺度で測るナ。この程度で体内マナを消尽することはなイ


ユーリンの背骨を緊張がざわつかせた。大魔道——魔術師の最高位に位置することを表す、尺度。その称号を認められるのは、大国においても指を折って数えられる程度しかない。霜妖魔エクロの魔術の力量は、明白にそれに並ぶ水準であることを再確認したのである。


ユーリンはそして同時に、エクロの意図を理解してしまった。——これは全てキタンのためである。そのために生命マナの逐次供給などという迂遠な手管(てくだ)を講じて、セルヒオをここまで存命させてきたのである。


(本当にお優しくて弟子想いのお方なんだな)「すみません。御礼はまた改めて、必ず」


ユーリンとエクロは視線を交わしたが、エクロは応えなかった。ユーリンは役目を終えたことを悟った。


――では、始めル


セルヒオの上体を覆う氷が蒸発し、傷口が暖かさを取り戻す。同時に命を奪う出血が再び始まった。横たわるセルヒオの周囲に、朱色の溜まりが広がる。薄い膜を張るように伸びたその鮮血こそが、いま散りつつあるセルヒオの命そのものであった。


キタンの口から、悲鳴のようなものが漏れた。うずくまり、手で頭を抱えている。

関羽も理解し、ユーリンに耳打ちする。


(こ、これは、まさか)


(うん、再現だね。見てて。いや、見守ってあげて)


小さな身体で震えるキタンをユーリンは決して見ないまま、心の中で見守る。

しかし、恐慌におののくキタンに対して、師エクロは告げる。


――キタンよ、お前が()()()()()()()のは、この未来ダ


「キ、キィ」


――目を背けるナ


叱責と同時に、エクロのマナが膨張した。萌黄色の暖かい発光——魔術の素養のあるユーリンはもとより、関羽の目にもそれとわかる濃度である。


『肉体魔法:再生』——生命の身体組織を修復する変成術系統の魔法。負傷による重症から死の気配を退け、治癒を著しく促進する効果がある。

セルヒオの傷痕が瞬く間にセルヒオ自身の皮膚でふさがり、肌色に赤みが回復する。呼吸が深く強いものになり、顔には生気がよみがえってきた。


その奇跡のような光景に、戦塵にまみれた前世を送った関羽は驚愕を隠せない。


(魔法というのは、ここまで自在であるのか? 戦の在り方が根本から違う。儂の常識が通用せぬ)


(いや、そこまで都合がよいものじゃない。回復できる人数も限られてるし、そもそもこの魔法では、自分自身か、長らく共に過ごしてマナを同調させられるようになった親しい人間か、そのどちらかしか本来は治癒できないんだ。肉体魔法は当然軍事利用もされているけど、軍属魔術師はふだんから戦闘部隊員につきそって日々マナの同調に勤しんでいる。他人の身体を『再生』するには、本来はそれだけの下準備がいるはずなんだ。初対面のセルヒオの体内マナに瞬時に同調できるエクロさんのマナ制御がすごいんだよ。道ですれ違う他人の声真似を瞬時にやるようなもんさ、並の魔術師じゃコレはできない。霜妖魔の王国イチて、女王陛下も仰せだった)


ヴェスプに負わされたセルヒオの傷は、いまや完全に治癒しつつあった。

しかし、セルヒオの回復を喜ぶ者は、その場にはいなかった。セルヒオの人徳の多寡(たか)に課題があるためではなく、むせび泣くキタンの痛ましい声が胸を突いてやまないためである。


それでもエクロは敢然とキタンに言った。


――お前はコレができなかっタ。()()()()を生まれ持ちながラ、できない己で(よし)とする()()()()のダ


カルロ氏と長く交流を続けたキタンである。カルロ氏のマナに同調し、変成術系統の魔法を施すことは、できたはずであった。

肉体魔法を修得してさえいれば、傷を負ったカルロ氏をその場で『再生』して治癒できたはずであった。

肉体魔法の修得を志してさえいれば、たちまち会得できていたはずであった。


しかし、キタンはそれをしないことを選んだ。適性ある氷魔法や肉体魔法ではなく、太陽魔法の鍛錬を選んだ。

だから、あの時に()()()()()()


目下のセルヒオの救命は、キタンが選ばなかった過去そのものであった。

選んでさえいれば、できたはずの過去であった。


それは、ただの冷酷な事実であった。




エクロは、去っていった。残された関羽とユーリンは、泣き崩れるキタンの側にあった。ただあるだけであった。静かに、厳粛に、ただその胸の痛みに寄り添うことしかできない。


いまキタンを(さいな)んでいるのは、憎悪ではない。自身のこれまでの生き方こそがカルロ氏を失った根本的な原因であることを理解したための、心を深くえぐり()じるような悔恨である。


関羽が、無言のうちにユーリンに伝えた。


――儂に委ねてほしい


それはユーリンに対して、この場から外れることを求めていた。

ユーリンは頷いた。キタンにいま必要なのは、共に哀しみ嘆きながら支える友である。悔恨の苦い味わいを、関羽はよく知っている。

ユーリンには、それはできない。ユーリンには悔いるほどの選択肢が、初めから無かった。自身の選択を後悔できるのは、才や身分、あるいは(ちから)に恵まれた者の特権である。ひたすらに世界を憎み、非力な身を呪い続けるしかなかったユーリンの半生においては、それはある種の贅沢ですらあり、羨ましささえも覚える。選択の間違いを後悔できるほどの豊かさが、あればよいな、と思っていた。


――うん、よろしくね。ボクは自分にできることを、するよ


ユーリンでは、いまのキタンを支えることはできない。キタンの苦悩は、ユーリンの器量の外側にあった。


ユーリンはエクロに続いて、その場を去った。進む先にはエクロの姿があり、行き先はエクロの進む先であった。


氷洞前まで、エクロは無言を貫いた。氷の巨人は相変わらずエクロの頭上で陽光を遮るように腕を伸ばし、付かず離れずで付き従っている。巨人の喉元の風車様の笛は、からからとむなしくまわり、無声の風を通している。


――我の措置に不満を抱クか?


とエクロが氷の巨人に奏でさせたのは、その身を氷洞の奥へと進めんとするその時であった。


ユーリンは安心した。


「いいえ。あなたと出会えた幸運のために、ボクは初めて冬神ムルカルンに感謝を捧げます。ですが誰かがお礼を言わねばならぬと思いまして」


あなたを慰めに来ました――と言える雰囲気ではない。

しかし、エクロが饒舌に心の内を吐露したのは、ユーリンの意図が通じたためであろう。


滔々と、自らに語りかけるようにエクロは述べる。


――アレは、悲しみを取り違えていル


――後悔には、分析が欠かせヌ。『如何にすれば異なる結末にたどり着けたのカ』……才ある者はその問いに解答を出さねばならヌ。不本意な結末を招いた己の未熟と向き合わねばならヌ。そこから目を背け続ける限り、救いはなイ。


――アレはただ失態の帳消しを願って行動しタ。失態の埋め合わせは必要だが、それで十分ではなイ。我はアレの師であル。ならば導かねばならなイ


奪われた。だから奪う。

奪われたものは、取り返せない。だが奪うことで同じ痛みを与えることはできる。

それは、心の救済に必要なことかもしれない。

しかし――しかしそもそも、奪われたこと自体が誤りである。

エクロはその冷酷な事実から目を背けるキタンを、師として、(たしなめ)めたのである。


――お前の友人は、今頃、アレとそういう話をしているはずダ。だから、こうしタ


ユーリンもうなずいた。さみしく、けれど信頼に満ちた顔で。

力ある者が犯した過誤――ありえたはず別の結末。関羽の奥底に沈む悔恨のざらつきを、ユーリンはよく知っていた。同じ苦しみを抱える者同士のみが分かち合える視線がある。そこにあつかましく相乗りする資格は、ユーリンには、ない。


――友人が支えを失っているならバ、支えるものだ。お前もアレの友人だろウ


「もちろん。そしてもちろんエクロさんの」


――我には()()()十分ダ。未熟者を助けてやレ。……感謝していル


そうして、エクロは氷洞の奥に去っていった。

残された氷の巨人が陽光に照らされて蒸発するのを、ユーリンはじっと見つめていた。




キタンの慟哭が静まりつつある頃合い、関羽はキタンの横にあぐらをかいて地に座った。それまで言葉を発することなく、ただ沈黙を以てキタンの苦悩に寄り添っていた関羽であるが、重い口をようやく開いた。それは、顔を伏していたキタンの視線を集めるのに十分なほどに意外な切り出しから始まった。


「……キタン殿。己の才の重さに悩んだことは、おありか?」


内容は簡潔であるが、意図がわからない。キタンは不思議そうな顔で関羽を見上げる。鈍い色の瞳に眠る高い知性を確かめるように、関羽はキタンと目を合わせた。

関羽はキタンを信じている。己の言葉が届く、と。そして、それを決して間違えて受け取ることはない、と。


関羽の話し方がゆっくりとしていたのは、関羽自身が心の整理をつけながら言葉を編み出したためである。


「己が秀でていることを受け入れるのは、存外に辛い。……身近な者、親しき者、尊敬に値する者たちが、己に劣後することを前提とした生き方を選ばねばならぬ。アレは(こた)える。その恐怖から逃れるために、身を慎むこともあるだろう……そんな才人たちを多く儂は見てきた。あるがままの才のままに、己の身を天下にさらすのは、この上ない孤独なのだ。声望を背負いて無人の野を往く……哀しみと言ってよい。……その点、儂は幸運だった。己の(うつわ)となる人物と良縁をもてたのだ。その器のうちに収まる限りにおいて、儂は安息のままに才を振るえた。その実として、儂が護っているようで、儂が護られていたのであるな。……それを悟ったのは、全てを失ってからであったが」


流浪の身から、3カ国が入り乱れる騒乱の地荊州(けいしゅう)において軍事都督総司令を務めるまでに登りつめた関羽である。当代の武人としては最高位の重責を担う立場であった。呉と丁々発止の小競り合いを繰り返しながら、広大な中原を領土とする魏を相手に正規軍を瓦解に至らしめ、希代の梟雄をして遷都を講じさせるほどの猛進撃を演じた、敗軍の将――それが関羽の前世であった。

関羽の口の中に、幻ではない苦味が満ちる。それをキタンに気取らせぬのは、男としての惨めな誇りであった。


(うつわ)のうちにある間と、それを這い出た後……まるで世が違って見えた。今にして思えば、それが儂の限界であったのであろうな。揺り籠から抜け出した赤子のままに、儂は才を振るった。赤子の才であり、童子(わらし)の成果であり、道化の栄達であった。そこで儂は選択を誤り、全てを失った。儂の身一つで償えることではない。幾度この身を呪い、億万の罰を望んだことか、計り知れぬ」


関羽の敗北を以て、すべての夢は潰えた。その失地を回復する術は、ない。

歴戦の軍人としての関羽の戦略眼は、自身の失態が漢中王の未来を永久に閉ざしたであろうことを悟らせていた。

関羽は全てを失い、全てを失わせたのである。


関羽の語る関羽の過去には、具体性が欠けている。それはキタンにとっては、問題ではなかった。関羽の前世など知る由もないキタンであるが、肝心なところは否応なしに瞭然であった。すなわち、後悔の歯車が容赦なく骨身をきしませる痛みの正体を、関羽は自身の心の奥底を野ざらしにすることで、キタンに代わって白日の下に照照(しょうしょう)たるものとして示そうとしているのである。関羽の言葉に耳を傾けるうちに、キタンの内側でのたうちまわっていた自己嫌悪の大蛇がとぐろを巻いて落ち着いてきた。受け入れるでもなく、反発するでもなく、ただそこにある言葉に寄り添うことで、心の(わだち)としてそれをなぞることができた。


「今もその想いは抱えている。手放せぬ。一度身を滅ぼし、努めて道楽に逃げ耽る今になっても、儂の中に眠っている。……ときおり声が響く――あの時、こうしておれば、と。なまじ選べたばかりに、未練が残る。儂が選ばなかった方を儂が選びさえしていれば、悲願は成就したはずである、と」


「……キー、キッ?」


キタンは霜妖魔の言葉で、関羽に尋ねた。ヒューマン族とはまったく異なる言語体系であるが、関羽にはキタンの問いが理解できた。

悲しみを陽光で薄めたような淡い表情で、関羽が答える。


「手放さぬよ。この(くる)しみは、生きた証である。儂自身も、儂を知り儂が知るあまたの者たちも、みなで残した、たったひとつのものなのだ。故に儂は永久にこの(にが)みを噛みしめ、そして、問い続ける。――『今は如何に処すべきか』と。この仮初(かりそめ)の命が続く限りな」


関羽は、自身の手をみた。瑞々しい艶のある皮膚であった。死後、青年期の肉体でこの創造界(エレバス)に転生した関羽には、まだ、命がある。義の軍神関雲長は敗死した。しかし、まだ続いている。続けることが許されている。


「過去は変えられぬ。しかし今はやがて過去になる。儂らにできるのは、全ての過去を引きずりながら、選び続ける今を……未練がましく続けることだけなのだろう」


「……ケケキ?」


関羽は、力強くうなずいた。


「背負うてみせる! もしも儂に優れたるものがあるとすれば、それはこの足が(すく)むほどの(にが)みを背負うて進むために天が与えたのであろう。儂は幸運である……不可思議な因果の下であっても、まだ進むことを許されているのであるから。……と、すまぬすまぬ。つい儂のことばかりを話してしまった。知ってもらいたかったのだ、儂のことを……身勝手な立場で物を申した。無礼をお許し願いたい」


関羽は照れ臭そうに頭を下げ、キタンは笑った。


「キケ! キッキー」


「……ふむ、ついでに明かすとな、見てのとおり『おにゅー』の器も決めた。一筋縄では行かぬ難物であるが、儂のような道楽者にはふさわしかろ。敗れ散って身を知ったのだ、やはり儂は器あってこそだ。今生(こんじょう)のこの器、これもなかなかの逸品である! ……あるのだが、もう少し真っ直ぐになってはくれぬかと悩むことしばしばでもあるが……(ひね)くれるにも限度と程度があろう……ま、この期に及んではそれも一興であるが……しかしせめて節操くらいは……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ