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スイーツ巡りのぶらり道中  作者: das
遥けき夏の霜妖魔 ~カシューナッツのカッサータ~
13/32

(12) 満月嘆

旧エロヒムの守護の教会跡地の裏を、ユーリンはひとりで歩いていた。目当ての人物は、すぐに見つかった。黒く広がる夜の山野に身を寄せるように、魔術師の男が立っている。

まるで旧友にそうするかのように、ユーリンは魔術師に声をかけた。


「待たせたかな?」


「お前か。小僧……」


焦燥を噛み殺したような顔で、魔術師は憎しみを込めた声でユーリンを迎える。

ユーリンが部屋に残した書き置きに従わされる形で魔術師の男は逃亡の足を留めたと見える。足元に簡易な旅道具の荷が転がっていた。


ユーリンはあどけない顔で、あたかも純真な喜びのような声で、まるで嬉しそうに、言った。


「律儀だね。誰からもわからない手紙に応えてくれるなんて」


戯言(ざれごと)はいい。……返せ!」


「うん。ボクたち気が合いそうだね!」


ユーリンは、魔術師の足元の荷を指した。エーテルナイフがそこにあることを、ユーリンは気配で察知していた。


ユーリンのにこやかな敵意など歯牙にもかけぬ様子で、魔術師は足元の荷から、それを取り出す。暗緑色の剥き身の刀身が、闇の中に淡く光る。その光景を、魔術師はまじまじと顔を寄せて観察し、義務的な調子でユーリンに尋ねた。


「これは、お前の所有か?」


「一応ね。そう認識されてるらしいから、そう認識してくれて、いいよ」


「お前は僅かなりとも魔術の心得があるようだな。説明の義務を果たす意思を示してしてもらおう」


「あっのさぁ……『返せ』て言ったんだけど、伝わらなかった?」


魔術師の脅すような口調に、ユーリンはいささかの怯えも見せない。夜に似つかわしくない空色の瞳が、魔術師を迎えうつ。


ユーリンは後ろ手にもっていたカバンを、魔術師の前に掲げて、見せた。舞台道具としてここに来る途中で拾った、中身は(から)の薄汚れたカバンである。ユーリンは空のカバンを、まるで重たそうに腕を震わせながら、これ見よがしに叩く。


「ボクも返すからさ、ボクのを返してよ」


「……コレは目的もなく所持することが許されるような代物ではない。些細(しさい)はわからぬが、これは神代(パトリア)聖遺物(せいいぶつ)の疑いがある」


魔術師の視線は、未だ手元にエーテルナイフに注がれている。目には妖しい情熱の光が(とも)っていた。これまでの自身の成果をまとめた研究資料よりも、エーテルナイフの放つ特異なマナ模様に興味を注いでいる。


(んー。僅かなりとも魔術の心得があるなら、気づくよね。マズイな。えーと、陰険理屈馬鹿(アムリテ)の出身者に効きそうな言葉は……)「……んなわけないよ。何かとやかましげでふしぎな魔法がかけられてるけど、ただの土産(みやげ)ものだよ。父さんの形見なんだ。商いで『メギスス』て国に行ったときに2000ゴールドで買ったんだって」


「メギスス……メギススだと……?」


その名称が意外であるらしく、魔術師はあからさまに驚いた様子でユーリンを睨んだ。再度、疑り深げに手元を見つめる。


「まさか、そんな……あのような連中が……これを? いやだからこそか……なにか姑息で浅ましい手管(てくだ)を講じ、高尚であるべき魔術の秘奥を貶めるような真似を……」


「そのへんの事情は知らないよ。ソレ、欲しいなら、したら? メギスス旅行。……どうせしばらく無職でしょ? 自分探しとかにいいんじゃない? 知らないけどさ」


魔法王国メギスス――魔道大国アムリテから分離独立した新興国である。魔術の秘匿をよしとせず、民生の向上に活用することを是とした国家思想で知られている。数多の錬金術の大家を抱え、先進的な魔道具の開発に定評があった。聖帝カイロリンの精神的な直系を自負する魔道大国アムリテとしては、心情穏やかな存在ではないだろう。

祖国アムリテにさしたる愛着もなさそうな男でさえ、露骨な嫌悪感を示した。


「あの魔道の秘奥を解さぬうつけ者どもが……まがい物をもっともらしく仕上げる小細工か? いや、しかし……この異様なマナは、さすがに……」


「形見なんだ、ソレ。たいした値打ちもんじゃないけどさ、ボクにとっては大切なんだよ。返してくれないかい?」


「これが土産物などと……にわかには信じられん」


「へぇ? そんなにメギススて、すごい国なんだね! そんなふしぎなオモチャをお土産価格で買えちゃうなんて。……きっと、とても発展してるんだね」


ユーリンの言葉が明白に魔術師の癇に(さわ)ったらしく、夜の静けさに震えが走った。魔術師のマナの蠢動が見て取れる。

ユーリンは、手元のカバンを撫でて、魔術師の殺意をなだめた。


「ま。お互いにさ。無益なケンカはやめようよ。……別にあんな山賊連中に義理通す立場じゃないでしょ? ボクたち気が合いそうだね!」


「よかろう。まず(かばん)の中身を(あらた)めさせてもらおうか」


「はい、ストップ! 動かないで。……燃やすよ? ボク、出すと決めたら速さだけは自信があるんだ」


ユーリンの手元に、瞬時に炎がともる。『炎魔法:火球』——ユーリンが行使可能な唯一の攻撃魔法であり、あらゆる魔法のなかでもっとも初歩的な位置づけとされる。その淡い炎のゆらめきが、魔術師を脅すように、カバンを舐める。

魔術師の舌打ちが響く。


「生意気を言える立場か?」


「ごめんて。ボクは弱い。だからお前が怖いんだ。近寄らないで欲しい。……代わりに、読んでみるね。えーと、どれどれ……『推移的思索の末に深淵の踏破を可能たらしめる要素として、物質の変成に対する術者の認識は常に混沌マナを通じた結果に依存するという原則は否定できない』『混沌マナがもたらす変異の性質が不可逆的な性質を持つことは一般的な通念であるが、部分的未来を選択的に棄却するための予言術との併用可能性に今こそ目を向ける必要がある』……なんか難しそうだね。読み方、合ってる?」


ユーリンは空っぽのカバンをのぞき込み、ありもしない架空の文書を読み上げた。燃やす前に目を通した数枚の紙面に記されていた文言を、記憶を頼りに(そら)んじたのである。

魔術師が軽く安堵の息を漏らした。


「……確かに、私の研究資料のようだな。……それで? どう受け渡す?」


「ボクがカバンを置いてソッチに歩く。後ろ手に火球で狙ったままね。3歩の距離まできたら、そのナイフを投げて渡してよ。そしたらボクは火球を消すからさ。あとはすれ違って、お互い知らんぷり。ゆくりなくどっかの街で再会しても、ハジメマシテから始めよう。もしかしたらお友達になれるかもね!」


「ナイフを受け取った後でお前が約束を守る保証がないな」


「無いけどさ、この場ではとりあえずお前のほうが強いじゃん。ボクが命をかけてまでわざわざコレを燃やす理由はないよ。強奪する動機もない。ケツを拭くにも痛そうな紙だし。ボク、そのへんのケアにはうるさいよ」


魔術師の研究資料がすでに灰になっていることなどおくびにも出さず、あたかも真摯そうな迫真顔でユーリンは断言する。

魔術師の考え込むような表情をみて、さらにユーリンは促した。


「お前の方も、博打をしてまでボクを殺す理由はないだろ? 火球がカバンに当たらないかもしれないけど、かもしれなくないほうのリスクとってまで、土産物(ソレ)、欲しい?」


「……わかった。いいだろう。なるほど、メギススか。よほど腕のよい魔道具師が腕を振るったようだな。珍しさは否めんが、どうやら私の探究に寄与する性質ではなさそうだ」


諦念を含んだ声で魔術師が納得を示す。しかしユーリンは、魔術師の表情の裏に潜んだ殺意を看破した。


(……あ。コイツ、やっぱボクを殺す気だ。やっぱ土産話なんて信じないよね。するとやっぱこうなるか。……けどそれでいい、強さは欲の母体だ。強欲になってもらおう)「うんうん、そうそう。やっぱボクたち、()()()()()ね!」


新たな友情の兆しを発見した少女のように明るく、まるで和解の成就を寿ぐように、ユーリンはうれしそうな声を出した。


そして、あたかも大切な中身を保全するためであるかのように、丁重に空のカバンを足元に置いて、ユーリンは魔術師に向けて歩み始めた。『炎魔法:火球』をいつでも射出できるように、球体状の火炎を左手に蓄えながら、それを後ろ手にかざして地に置かれたカバンを狙う。


魔術師は油断なく、けれども焦ることなく、ユーリンの歩みを眺めている。先刻の屋内の戦いから、2人の力の差は歴然であった。初級魔法の行使が限界の、物理的な膂力(りょりょく)にも優れないユーリンを相手に、魔術師が戦闘で劣後することはない。近寄るユーリンを警戒しつつも、恐れることなく3歩の距離まで歩み寄ることを許した。


魔術師は悠然とエーテルナイフを山なりに放り投げ、ユーリンに渡す。


「ほら。……消せ」

「はい。……どうも」


エーテルナイフがユーリンの手に戻り、鈍い暗緑色の輝きを夜闇に漏らした。それを握るユーリンの右手に、熱が伝わる。いたく機嫌を損ねていることが、熱の内にこもる振動から伝わってきた。


ユーリンは後ろ手に構えた『火球』を解除する。とぼしく儚いマナが散って、夜の闇がわずかに濃くなった。

魔術師はその様子を観察している。たしかにユーリンの左手から炎マナが消失したことを確認すると、無言でユーリンとすれ違い、地に置かれたカバンに向けて足を進めた。


過ぎ去る魔術師を横目で見て、ユーリンは機を探った。


(ざんねん。感情に振り回されるクセに直感には従えない典型的な小者……エーテルナイフの奪取を優先して研究資料をかなぐり捨てられてたら、ボクの勝ち筋はなかった。……けど、まだだ……ボクの手にコレがあっても、まだお前にも勝ち筋はあるからな? 本当に大切なものから護るんだぞ?)


歩く魔術師が地の小石を踏んで、微かに足を乱した。


ユーリンが、再び手に『炎魔法:火球』を灯す。それが合図となった。


「!? ……チッ!」


機先をとられた魔術師が慌てて振り返り、火球とカバンの間に身を置いて立ちはだかる。同時に、ユーリンとは比べ物にならないほどの多量のマナがあふれかえり、高等魔術を発動した。精霊召喚——四大元素のマナを核として、それらが司る現象そのものを実体化させて使役する魔法である。


ユーリンのマナは乏しいが、その制御の精密さだけは卓越している。身に宿るごくわずかなマナを動員して魔術の行使に至るための修練によって獲得した、濁りのない努力による技巧である。瞬時に発動させた火球を速やかに射出し、魔術師の頭を越えて山なりに弧を描くように、放った。狙いは魔術師の背後のカバンである。


魔術師の精霊魔法が実を結ぶ。マナ制御の稚拙を多量のマナで強引に補った粗雑な(ちから)が、精霊体として魔術師の背後に顕現した。地に置かれたカバンを守るための位置取りで、『水の精霊』が質量をあらわにする。


それをユーリンが『ヘタクソ』と罵らなかったのは、すでに次の行動に移っていたためであった。


(ざんねん。大切なものはそもそもソレじゃない。そして、ということは、つまり身の護りは……やっぱコイツ馬鹿)


ユーリンは地を蹴って、腰の剣を抜いて、跳躍した。魔術師の脳天を狙い、渾身の振り下ろし攻撃である。

魔術師がほくそ笑むのを、ユーリンは間近にみた。同時に、硬質の衝撃がユーリンの腕をしびれさせる。魔術師は、己の腕を上げて、ユーリンの剣を受け止めた。腕を覆う大地マナが誇らしげに光る。


『大地魔法:石の皮膚』——術者の皮膚を岩のごとき硬度で覆う護身魔法。魔術の領域においては、基礎のたしなみのひとつである。


魔術師が勝ち誇る顔を、ユーリンは相手にしなかった。跳ね返された剣を未練なく手放し、両手の自由を得て着地する。機敏な仕草でユーリンが上体を起こしたとき、すでに右手には、暗緑色のエーテルナイフが握られていた。


尋常ならざる不吉を覚えた魔術師が身じろぎを試みるが、全身を覆う『石の皮膚』が妨げとなって、手足の自由が利かない。『石の皮膚』に保護された魔術師の()()()な胸部を、ユーリンは(あやま)たずに狙った。


「……なに!?」


「さよなら」


薄紫色の光が拡散し、暗緑色の刀身が鮮やかな血をすする。

超魔法(メタマジック):解呪』——エーテルナイフが吸収しているマナのひとつである。神代到達者であるグラン帝国の大魔道コウン・ハクソクの秘奥を、この横着なエーテルナイフは無遠慮にも内包していた。炎に炙られた包丁が冷えたカッサータを切り分けるよりも容易く、エーテルナイフは『石の皮膚』を霧散させた。


魔術師は、胸から溢れる鮮血を見やることもなく、エーテルナイフの放った薄紫色の光をただひたすらに見つめ、追い求めてつかむように手を伸ばす。その指先が重心を失い、魔術師は地に堕ちた。『水の精霊』もただの元素たる水に(かえ)って形をなくす。


ユーリンは、地に沈む魔術師の顔を見下ろす。すでに魔術師の耳には届かないことを知っていたが、意外なほど優し気な声が出せた。


「バジリスクの毒牙(マナ)は使わない。お前を殺すのはフユッソ村を護りたいというボクの都合だ。ソレを少しも悪いとは思わないけど、多めに哀れんではいるんだよ。バジリスクの毒牙は大天使さえもが伏してのたうちまわる苦痛らしいからね。ま、あえてお前を痛めつける恨みはないけどさ、あえてお前を生かして護る理由もない。……山賊団に身を寄せてたんだから、ココで死ぬくらいは正当な報いの範疇だろ?」


動かぬ魔術師の身体を引きずり、人目につかぬところまで運ぶ。衣服を焼くために火球を落とした。拡がる炎を眺めながら、ユーリンは考えた。


(わざわざ山賊王がココを調べなおすとは思わないけどね。逃亡したように装えればボクにとってのベストだ。……埋めるか? いや、いずれ獣が喰い荒らすだろう。……にしても、それにしても……)


「あー ……やっぱ、研究資料、燃やしたの、もったいなかったなー! ……バーカ、ウンチョーのバーカ、遅刻魔!」


いまさらになって欲深さが再燃し、ユーリンはとってもムラムラした。




酒器の散らばる広間の中央で、ヴェスプは霜妖魔と向き合った。


霜妖魔はふらつく剣を支えるように腰を落として構える。

対するヴェスプは大剣を軽々と片手で握った。


霜妖魔の背丈は、ヴェスプの腰元程しかない。

生物としての膂力(りょりょく)の差は明白である。


けれども焦りの色が濃いのは、霜妖魔をはるか頭上から見下ろすヴェスプの方であった。

霜妖魔が放った魔法――氷の(つぶて)を射出する突風攻撃がもたらした心理的な動揺が、未だ収まらない。


霜妖魔を捕らえ、品種改良の末に家畜化する――その基本指針への抑えがたい疑念が内心を揺るがせた。


(……なんだ!? コイツ……いまのは大気魔法……だよな?)


攻撃をとっさに剣で防いだとはいえ、その殺傷能力の高さはヴェスプの背筋に氷柱の雫を垂らした。安直な侵略で容易に捕縛できると見込んでいた霜妖魔からの痛撃である。


(これを、捕まえる? こんな連中を……? )


霜妖魔が氷魔法を得意とすることは当然に想定していても、せいぜいが水を凍らせるのが関の山であるとタカをくくっていた。その前提が覆された。


ヴェスプ個人の戦闘能力であれば、たとえいくらかの魔法による抵抗をうけても、霜妖魔に劣ることはないだろう。しかしヴェスプの手勢として与えられた大多数の凡庸な山賊たちでは、手に余る。優れた武芸もなく、良心の呵責を欠落させた弱者への非道のみが取柄の連中が、ただ漫然と徒党を組んだ程度で捕縛できるようなものではない。


(イヤ、ムリだろ。手におえねぇ! こんなン聞いてねぇぞ!)


ヴェスプの内心は千々に乱れた。山賊王の司令を成就させることの困難さを理解したためだ。――このまま霜妖魔の家畜化計画を推進してそれを成功させるのは不可能である。


「クソが……どうしろってんだ!?」


ヴェスプは広間の壁際に控えている大男を睨んだ。関羽と名乗るこの男は、ヴェスプと魔術師ガスパロを文字どおりに蹴散らすほどに強い。山賊王ニーチェを彷彿(ほうふつ)とさせるほどの武勇である。それが今は何の因果か、ヴェスプに霜妖魔との一騎打ちを強要し、監督している。この戦いに手は出さないとのことであるが、油断はできない。しかし今のヴェスプは、その言葉を信じるしかない。


(やってられるか! まずこの霜妖魔をぶっ殺す。そんで……その後は……逃げるしかない)


関羽から逃げるのではない。山賊王から逃げるのである。そう決心した。ヴェスプが生き残るためには、山賊王の追求から逃れるしかない。関羽と名乗る男が言った、いかなる結果でも手出しをしない、という約束を守る可能性は、山賊王ニーチェがヴェスプの失態に寛容を示す可能性よりも遥かに高いように思われた。


ヴェスプは心の整理をつけて、眼下の霜妖魔を改めて観察する。体躯は小さく、ヴェスプの腰ほどの背丈しかない。手足は細く、握る剣をその重さで震わせている。ヴェスプは剣を当てずとも、ただ腕力の差を活かした殴打だけでも容易く生命を奪えるだろう。そう目算を立てた。


霜妖魔の姿が陽炎(かげろう)のように揺らいだ。小柄な身体の輪郭が滲み、背後の風景と混じわるように曖昧になる。


『影魔法:陽炎』――周囲の光の反射を阻害することで術者の視認性を低下させる。近接戦闘において威力を発揮する補助魔法であった。


「見えてんだよッ!」


霜妖魔の脚が駆けていることをヴェスプか認識したのは、数瞬、遅れてのことであったが、足を踏み出して手に握る大剣を大振りに旋回させ、霜妖魔を追う。


その時、切っ先でおぼろに揺らぐ霜妖魔の姿をとらえようと凝視するヴェスプの眼を、痛烈な光がつぶした。


「——なッ!?」


暴力的な閃光がヴェスプの視界を幻惑し、身体を硬直させる。


『太陽魔法:目眩ましの光』――太陽魔法においては初級相当と位置づけられる簡易な魔法である。


「ちイッ」


たまらずまぶたを下ろし、ヴェスプは後方に飛び退いて霜妖魔との距離をとった。視界の回復までの時間を稼がなければならない。音を頼りに霜妖魔の位置をさぐりつつ、足早に後退を試みた――ところ、ヴェスプの腰が重心を失って、背が抜け落ちるように頭部から転倒した。床に後頭部を打ちつけた痛みにヴェスプはうめく。


「……ぁっ……がっ……!?」


ようやく視界を回復させつつあったヴェスプが足を乗せたのは、先刻まで霜妖魔が立っていた地点であった。真冬の夜の雨が地のくぼみにたまって翌朝に膜を張るように、そこには艷やかな光沢の薄い氷が精製されている。


冷たい、硬い、溶ける、と並び、『滑る』――は、氷の性質のひとつである。摩擦を封じられた地に足を置くことは、いかに屈強な生物でも危険をともなう。種族として物理的な(ちから)に劣る霜妖魔が、大きな氷を精製できない季節であっても、強靭な敵と戦うための工夫であった。


遠くからそれを観ていた関羽が「見事」と称賛のつぶやきを溢れさせるのと同時に、足を滑らせて仰向けに転んだヴェスプの巨体を、飛びかかる霜妖魔の剣が貫いた。胸部に深々と差し込まれた小ぶりの剣を、ヴェスプは信じがたいものを見る目で睨み、口から吐血し、苦鳴をもらした。それでもなお右手に握りしめる大ぶりの剣を振るおうと試みる。剣はわずかに起き上がったが、やがて支えを失い、床に転がり横たわった。ヴェスプが最後に見たものは、霜妖魔の鈍い色の瞳が放つ憎悪の輝きであった。




霜妖魔キタンは身じろぎしない。放心し、ヴェスプの腹部に馬乗りになったまま、カルロ氏の遺品である剣を握りしめている。まるでそれがカルロ氏の命をつなぐ綱であるかのように、固く、満身の力を込めて縋りつくように。


全てを見届けていた関羽が、大音声で区切りをつけた。


「天よ、耳を傾けよ! カルロ氏の(かたき)は、キタン殿がしかと討った! (もっ)てカルロ氏とキタン殿の名誉は回復されたのだ! この関雲長がしかと見届け申した! 」


天に告げる関羽の宣言にキタンは大粒の涙をこぼし、結ぶ指先をほどいて、小さな手を剣から離した。


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