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スイーツ巡りのぶらり道中  作者: das
遥けき夏の霜妖魔 ~カシューナッツのカッサータ~
12/32

(11) 名誉

数十の山賊たちが、威勢を張り上げて集まってくる。松明を片手に凶刃を備え、殺気だった様相である。


「……おいッ! いたぞ!」「捕まえろ!」「殺すな、俺のモンだ」「……なんだあの男は」「知らねぇよ、やっちまえ」


関羽は赤竜偃月刀セキリュウエンゲツトウを、静かに構えた。右手で刃の根元を握り、左手を柄の尾に添え、腰を沈めて気合をためる。


関羽は、一閃を成した。灼色の流れ星が、夜を焦がす。


山を砕く――と工匠たるビーリ・バウルは保証した。

神域の武――と神々の戦争兵器たる赤炎竜アケロンは称賛した。

(ちから)の極致――と当代の英雄たる飛将リンゲンは羨望した。


そして、「……わぁ……ファンサが過ぎるぞ、元軍神!」――と、憧憬と陶酔を混濁した慕情をひたむきに捧げるユーリンが、夢心地に微睡(まどろ)むように口から(こと)()を漏らす。


関羽の地を穿つ一撃が放たれた。業火が奔り、地を穿つ。砕かれた大地が瓦礫となって空を舞い、遅れて土煙が立ちこめた。雲霞(うんか)を成す賊徒たちの進む足元が、破砕され、地を失い、赤炎薫る(ほむら)の崖となる。


「——っ!?」「な、なんだ!?」「う、わぁあぁあッ」「走るな、止まれ!」


山賊たちが驚いて、足を止めた。走る先——関羽と山賊の間に横一文字の堀のような深い窪みができたのである。事態を理解した山賊たちの顔に、徐々に怯懦の色が滲む。


闇が色濃く染める夜の山。神造兵器赤炎竜アケロンの息吹が赫々(あかあか)と地を照らす。熱風が大気を焦がし、地の焼ける音が静寂(しじま)を乱す。


(くすぶ)る狭間を前に関羽は傲然と立っている。

そして、呆然と硬直する山賊たちから、つい、と目を外し、関羽はユーリンに言った。


「……すまぬ、やりすぎた…… 逃げるぞ!」


「へ?」


言うやいなや、関羽はユーリンの返事も待たず、右手でユーリンの腰を抱える。次いで霜妖魔キタンを己の左肩に乗せて、赤竜偃月刀セキリュウエンゲツトウを軽々とつかんだまま、山賊たちに背を向けて駆けだした。


直後、砂と小石が(みぞれ)のように降り注ぎ、地を賑やかにする。

ぼとん、と拳ほどの大きさの石が地を叩くように落ちてきた。


関羽に抱えられたユーリンとキタンよりも、山賊たちが先に気づき、悲鳴を上げた。


「……岩だ」「落ちてくるぞ――!」「さがれェー!!」


関羽の一撃で中空高く吹き飛んだ大地の欠片が、あるべきところに帰ってくる。

あたり一面に大小さまざまな岩石が降り注ぎ、大地に穴を増やして、土に還った。


関羽は、己の投石攻撃から逃げ走って避難した。


「敵には背を向けぬが儂の矜持じゃが……己の攻撃から逃げるのは『のーかん』である」


「役得、2発目! ……ウンチョー、今夜は絶倫だね!?」


関羽に抱き抱えられたユーリンが、関羽の逞しい腕心地を堪能しながら茶化した。




石造りの教会の入り口前で息を整えた関羽は、改めてキタンに言った。


「後顧の憂い(じゃま)は絶ちもうした。……では、キタン殿、あとは御身にお委ね致す」


「キケッ!」


キタンは力強く応諾する。そして、関羽の腰の剣を指さした。


「カクコ!」


「お気づきか。これなるはカルロ氏の遺品である。ロセ殿より借り受けた、氏が生前に身に着けていたそうな。使ったことはないそうだが、山人の嗜みとして、手入れは欠かしておらぬとのこと」


関羽は腰に下げたカルロ氏の遺品である剣を、キタンに手渡す。受け取ったキタンは膝を落として、よろけかかった。ヒューマン族の振るう剣としては小ぶりな造りであるが、それでも小柄な霜妖魔の体躯と比べれば大きい。ほとんどキタンの背丈ほどもある刃渡りである。それでもキタンは、しかと力強くそれを抱えた。手足は長期間の拘束で衰弱し、マナも十分に回復していない。それでも、その精神だけは健在である。キタンの鈍い色の瞳には、闘志が色めき立っていた。


「……それと」


関羽が、もじもじと照れ臭そうにする。


「ロセ殿と……儂からも、渡したい物がある」


肩から革紐で下げた箱を開けた。氷長石で内側を覆った保冷性に優れる氷箱である。ほんのりと涼気が漂い、甘い香りが立ち込めた。


キタンがその香りに気づき、興奮をあらわにして氷箱に飛びつく。ユーリンも興味深げにのぞき込んだ。


霜のような薄い氷に覆われた箱の中に、油紙に包まれた細長いものが2つ横たわっている。ひとつは美しい長方形で、気品溢れる凛とした佇まいであった。残る一方は、横のそれを目指して途中で頓挫したらしい努力のうかがえるチグハグの四角形である。


キタンは、迷わず美しい様相の方の包みを手に取り、懐かしむように、その重みを握りしめる。


「……カクコ……コケ……」


「ぬぅ。やはり、わかるのか」


関羽は少し気落ちした口ぶりであるが、同時に満足げでもある。納得づくの、当然といった面持ちであり、いっそ誇らしげでもある。


「……ロセ殿は『今度は、作りたてを食べとくれ』と。今日は儂らの都合に巻き込んで、その機を失することになり、誠にすまぬ。勝手を言うが、それは()()のこととしてほしい」


キタンは慣れた手つきで油紙を丁寧にほどく。乳白色の(つや)があらわになった。白い肌理を彩るように、赤や黄、青や緑の賑やかな色合いが、まるで磨きあげられた大理石のような光沢模様を成している。キタンはしばし見惚れるようにそれを眺め、しんみりとした表情を浮かべた後、口に含んで、悶えた。噛み締めて、口の端を上げて、満面に喜びを広げる。


「……ところでさ、ウンチョー」


ユーリンがキタンにならって、残る一方の油紙をつまむ。


「キタンさんが食べてるあの美味しそうなのがロセさんのカッサータとして……ボクの手元のコレはなんだい?」


「……儂がこしらえたカッサータであるが? ……それなりであろ? ……さて、よーこ殿の教えである。お約束条項に従うは信奉者の嗜みよ……」


関羽は背筋を伸ばして居住まいを整え、高らかに言った。


「ご賞味いただいたのは、ロセ殿より直伝(つかまつ)った『カシューナッツのカッサータ』。牛の乳の変幻自在ぶりには毎度驚かされるところだが、此度の驚嘆は何よりもその口当たりよ。氷の如きキンキンの冷たさを舌で追ううちに無上の軽やかな甘味が広がり、乳飲み子の寝顔を思わせる柔らかな微笑みを約束する。滲み出る乾燥果実の酸味がもたらす清涼感もたまらない。土台として味わいを支えておるのはカシューナッツの風味だ。時として生クリームのまろやかさと合わさり、またあるときは愉快な舌触りとして口中に弾け、また噛みしめれば果実の香りを際立たせる役者ぶり。遥けき陽射しの注ぐ暑き夏にこそ相応しい一品である」


関羽は、なるべくなるだけ、誇らしげに高らかに言った。

聖女陽子が定めたと伝えられるスイーツマナーのひとつ『スイーツを()したなら、必ずそれの魅力を伝えなさい! なるべくなるだけ、誇らしげに高らかに』の教えに則したのである。


ユーリンはしばし目を閉じてカッサータのもたらす冷たい刺激を舌先で楽しんだ。聖女ヨーコの教えに曰く、『スイーツは全身全霊で楽しむこと、口と鼻と、もちろん指も目もよ! 身に備わる五感で喜びを受け止めなさい』に即して、ユーリンは五感をカッサータに(うず)める。フユッソ村で見た牛たちの姿が浮かんできた。毛艶のよい、地に根ざすようなたくましい四肢で牧草を食む牛たちの乳の香りがした。柔らかい香りだった。覚えのない懐かしさがこみあげた。甘い乳を口に含むという単純な悦楽がもたらす抗いがたい憧憬には、生物としての根源的な心地よさがある。夢中になるうち、何かの粒が舌にあたる。乾燥果実の酸味と華やかな刺激がのどを潤した。その後から這い上がる不可思議な味わいに、鼻の奥をいぶされる。未知の、初めての、記憶にないかぐわしさであるのに、その正体がユーリンにはわかった。


「……これが、カシューナッツ……カッサータ……」


破砕され、荒々しく角張ったカシューナッツの粒。霜妖魔キタンとの出会いの(つぼみ)にして、未来への種。奥歯で擦ればまろやかな味わいが拡散し、舌先で転がせばイタズラな刺激で楽しまされる。カシューナッツに甘みはない。それがために、よくわかる。氷によって冷やし固められた、口の中でとろけるカッサータにおける、異質の星。夜空に浮かぶ星々は、夜の闇とは異なる色合いであるがために、輝いて見える。冷たく広がるカッサータの中で、カシューナッツが輝いていた。


ユーリンは食べかけのカッサータを目で()でた。乳白色の艶に浮かぶ乳白色の星粒がささやく声を、聴いた気がした。心が満たされゆく充足感が、ユーリンをかりたてた。


「……はい、あーん」


と歯型のついたカッサータの残りを関羽の口元に寄せて、じゃれつく。


「そなたが食え。……よもや、口に合わぬか!?」


「ううん、すごく美味しいよ。だからさ、美味しいものは分け合わないと」


「儂はたっぷり食った。……いちばん形の良いものをそなたに包んだ……のじゃがなぁ……皿の上にあるうちはともかく、時が経つとロセ殿との違いがあからさまに……誠に不可思議……やはり面白いものだ。スイーツ道は、奥が深い」


間接キスの押しつけに失敗したユーリンであるが、特に気を悪くするでもなく、スイーツ道の奥深さに悩む関羽をみて愉快そうにしている。関羽が往きたい道を進むを支え、その傍らを歩むこと――それがユーリンにとっての道楽であり、ただひとつの、関羽に対してユーリンができることであった。


「 ……にしてもキミ、また氷洞に潜ったのかい? 溶かさずによくここまで持ってこれたね」


「それにはちと事情があってな。予期せぬ助力を得たのだ! ……そなたの異変を察した儂が例の氷洞前に駆けつけると――」


「助力? ……あー……わかった、ありがとう。……もしかして、もう仲良しになった?」


「……まだ些細(しさい)を明かしておらぬのだが?」


「だいたいわかるよ。キミ以外はボクの思惑どおりだ」


「儂の存在が否定されたように聴こえるんじゃが!?」


「キミがスゴイてことだよ。ボクの目論見を飛び越えたんだね」


ユーリンはカッサータを頬張りながら、心のなかで自嘲する。


――やっぱ嫉妬しちゃうな。いつもそうなんだもん


寂しさをこらえて、笑みを作った。




霜妖魔キタンは、守護の教会に再び足を踏み入れた。カルロ氏の遺品である剣を抱きしめるようにつかみ、関羽とユーリンを後ろに従え、力強い足音を鳴らす。


先刻の関羽による蹴り上げからようやく回復したらしいヴェスプが、憎しみを込めた目で関羽を迎え、ついで関羽の足元の霜妖魔キタンを睨んだ。


「テメェら、何しに来やがった?」


「ざんねん! そこは『外の連中に何をした!?』が正解さ。もしも次があったらもう少しカシラらしい言動を心がけましょう。まる」


関羽の後ろから顔を出して軽やかな無駄口を振る舞うユーリンに、ヴェスプは驚きを隠せない。


「オマエ……! いつの間に……」


「いつも何も『間も何も』ないけどね。……ボクとウンチョーはただの見届人だから、あんま鼻息荒くしないでよ、せっかくの場が濁る……て、うっわ、ジーノ、ひでぇ有様、まだ死んでねぇじゃん! ……ヴェスプ、お前、ちゃんとトドメさせよ、サボるなよ」


顔中をあざだらけにして血塗れで伏しているジーノの死骸のようなものがまだ呼吸を残していることに、ユーリンは不快感を示した。

関羽が怪訝に思ってユーリンに尋ねる。


「そなたがこういう手合いの名を覚えるのは珍しいな。この男、何をしたんじゃ?」

 

「ん?クチから吐いた精液でボクを汚した罪」


膿んだ矢傷の治療のために腕の骨を剥き身にして削る手術に際しても臆することのなかった関羽が、たまらずドン引きしてタジタジと後ずさった。


「……そなた……まさか……この男に……自らのモノを……」


「―――!? 違うからね!? ボクのじゃないからね!? こんな貞淑な正妻つかまえて何を不埒(ふらち)な想像したのさ!? てゆーかあり得る!? こんな股間でマラ呼吸してるような冴えないチンカス粘土みたいな相手に、ボクが……!? やだ……ヤダ……死ぬ。……ボク、死んで、身の潔白を天に訴える。夫に誤解されたので死んでザマァしましたて、地獄のアガレスに訴える」


「天を仰ぐか、地に堕ちるか―――せめて一貫できんのか? あとそなたを正妻としたことはない。……ん?……待て……貞淑(ていしゅく)?……貞淑?」


もしもユーリンの美点を挙げて連ねろと言われれば春秋左氏伝にも勝る字数をたちどころに書き上げる関羽であるが、『貞淑』と『節操』の字句だけはそこに収録する予定がない。


「そなたが、貞淑、とな? ……のぉ、それってまさか、儂の知ってる、あの貞淑のことか?」


「……それってまさか、『儂の前でだけは貞淑の仮面を脱ぎ捨てる』を匂わせたふだんは見せない姿を俺だけが知ってる系の、あの独占アピール? ……ウンチョーいつから俺様系に転向したのさ? ボクもアレンジしたほうがいい? 淫乱ワンコ型と倦怠ゴリラ型のどっちが好みだい?」


わざとらしくたわごとをわめいて場を濁しながら、ユーリンは油断なく周囲を観察した。違和感。……魔術師の男が姿を消している。ジーノが持ち去ったはずのエーテルナイフも、いまはその死骸もどきの手元にはない。


(聴こえてきた音から察するに、ウンチョーは結局ヤツはボコらなかったみたいだけど、さてはビビって逃げたかな。ナイフの価値にも気づいたな。そりゃ気づくよね。さてさてお口に合いますやら? このままあのトカゲ野郎に押しつけちゃうかな……ダメだ、ヤツにそんな器量はない。いずれ厄介事を引き連れてどうせボクのトコに戻って来るに決まってる)


ユーリンは思案した。魔術師の部屋でとっさに書き残した保険が逃亡への抑止力として作用するはずである。しばらくの足止めは期待できた。


ユーリンの懸念は一点に向けられている。


この局面においては、魔術師の半端な逃亡こそが厄介なのである。魔術師が確実に山賊王から逃亡してくれるならユーリンの目的とも合致するが、途中で山賊王の追っ手に捕縛され、ヴェスプよりも有能な頭目の監督の下で霜妖魔の家畜化に再度従事させられる展開こそが、最悪である。


(やはり今夜ココで殺すしかない。ウンチョーに事情を明かせば……)「ねぇ、ウンチョー、頼みたいことが———」


言いかけて、ユーリンの脳裡をよぎるものがあった。


———『予防のための殺しなどという軟弱行為は、この関雲長の趣味ではない』


昨日、フユッソ村にたどり着く直前の、森の河原での会話。霜妖魔キタンと初めて出会った時、ユーリンが霜妖魔という種族に対する偏見に基づいて、その霜妖魔をいますぐ殺すべしと提案したときの、関羽の返答である。


ユーリンの口元に、自嘲とも苦笑ともとれない含みが差した。

沈黙するユーリンに関羽が続きを促す。


「ふむ? 何にせよ、任せよ。……して?」


「ん。ごめん。なんでもない」


ユーリンの胸に、冬の終わりを告げる春の息吹のような暖かい風が吹いた。


(……キミに汚れ役は似合わない。『予防のための殺しなどという軟弱行為』は、まさに弱者たるボクの役目だ。『高潔の証』はキミが持て……ボクの領分は『悪意の企み』だ。ボクはキミの清らかさを護りたい)


ユーリンは内心で決意を固めた。


その態度から何かを感じだったらしい関羽が、念を押す。


「よいのか?」


「正妻の『内緒の内助』を信じたまえ」


「……何かを隠しておろう?」


「ん。尿道に石が残ってる感じ」


関羽がたまらず膝を寄せて股間を縮める様子を見て、ユーリンは笑った。


「あはは。ウンチョー、さては前世で経験済みなんだ? 予防医療に興味はおあり? ……ボク、試してみたいことがあるんだ。やっぱ定期的なお掃除って大事だと思う」


ユーリンの手と舌が卑猥な動作を始めようとするのを、関羽が額の脂汗を堪えながら制した。


「それにしても、そなたの荒れ様……よほどの苛立ちを堪えていたものと見えるな」


「そりゃあ、まあ、なんどか貞操が危ぶまれたし? あ、身体も触られたな、胸とか脚とか尻とか首とか」


平静を装ったあけすけな物言いのユーリンであったが、聖域たる髪をつかまれたことだけは明かなかった。


しかしユーリンの告白をうけ、関羽がのそりと身体の向きを変えて、暴の顔色を成す。


「やはり彼奴(きゃつ)(みなごろし)にして山の肥やしにして進ぜよう。多少の世直しにはなろうて」


「いいよ、そんなん。こんな連中をローストしてサンドイッチの具にされても、ボクが困る。……なにより、穴の開いた(かめ)に水をくむ趣味はないんだ……ボクは世直しには興味ない、キミを浪費したくない」


そして、静かに激昂する関羽には聞こえぬようにユーリンはぼそり、とつぶやいた。―――()るのはひとりでいい、と。


鼻の奥で蓄えた気炎をドラゴンの息吹のように吐きだして、関羽はユーリンの言を受け入れた。戦場における将としての判断力には絶対の自負を抱く関羽であるが、巷間における渡世の技においては、ユーリンのそれには遠く及ばないと自覚している。


「……左様か。そなたがそれでよしとするなら、やはり見逃すとしよう。感情任せの暴力なぞ下の下。男子の道に非ずであるな」


「どうどう。そゆこと。そうそう。よくできました」


関羽とユーリンのやりとりを眺めていたヴェスプが憤懣やる方ないという面持ちで、吠えかかった。


「……くっ……オマエ、小僧(ビホウ)……猫かぶって、サンザにやってくれたな……毒虫みてぇなヤツだ」


「えー、ボク、わりかし終始一貫してたと思うけどなぁ。あとサンザな目にあったのは誰がどう見てもボクとキタンさんで———」


「……あ!? 糜芳(ビホウ)とな!? 儂の前でその名を出すことが如何ような意味を持つか、分かっていような……? ギッタギタの……ペシャンコの饅頭にしてくれようぞ……」


関羽が感情任せの暴力に及ぼうとするのを、ユーリンが慌ててなだめすかした。


「待って、ウンチョー、ボクのイタズラだったんだ。なんかテキトーに()なヤツの名前てことで咄嗟に……暴力よくない! もう! ボクのウンチョーの名がすたるじゃん? ……ダメだ。何か甘いもの……アピ飴……は切らしてたんだった……どっかにスイーツ……ま、コレでいいか」


ユーリンはカッサータをくるんでいた油紙を取り出し、関羽にしゃぶらせた。


「む……む、むぅ……」


ちゅぱちゅぱと油紙に残るカッサータの爽やかな甘みを堪能するうち、関羽は落ち着きを取り戻した。どっしりとその場に腰を下ろしてあぐらを組み、何やら真剣な面持ちで考え込む。


「ぬぅ。やはり違う。同じ材料、同じ手順で、何故こうも違いが生じるのか。ロセ殿の手がけたカッサータと明らかに異なる。……スイーツ道はまことに奥が深いものよ」


「どうどう。落ち着いたね。……ねぇ、おしゃぶりしながら、ちょっと上目遣いでボクのほう見てくれない? ボク、キミの前に立つからさ。ご褒美、おかわり、ちょうだい」


「……キケー?」


話を進めさせてもらってもよろしいでしょうか? と聞こえるように、霜妖魔キタンが心細そうに呼びかけた。




「カルロ……? ……ああ、あのジジイか。そういえばセルヒオ(バカ)がすげぇ剣幕だったな。この際ついでにまとめて、とも思ったが……」


「……いや。もうよい。キタン殿の代理として口上を申し伝える。カルロ氏の仇討ちである、尋常に立ち会われよ」


「……っ!? う、ウソだろ……!?」


びくり、と怯えたようにヴェスプは身体を震わせる。(あだ)な暴を生業とする(ぞく)の身でも、武の優越によって評価を得た男である。相対する関羽との隔絶した格の差は理解できる。


「儂ではない。如何なる帰結となろうとも、儂は誓って手を出さぬ」


「本当か?」


「くどい。それでは誰も救われぬのだ。なればいっそ骸となって朽ちるを見届けるのみよ。……男が戦いを挑み、それに敗れれば、果てる。それは摂理であり、恥ではなく、罪でもない。ロセ殿にはありのままの悲報を届けよう。キタン殿の名誉のためにな。……罰は償いにはならぬ、ただ無念と名誉の応酬があるだけよ。その資格を持つのはキタン殿だけであり、儂がお前を斬っても何も生まぬ」


つまらない事実を告げるかのような淡々とした口調で、関羽はヴェスプに説いた。


関羽は数多の敗死した敵の怨念を背負いながら生き抜いて果てた戦人(いくさびと)であり、そもそも、殺めた敵味方の量だけをみれば、関羽のそれはそこらの賊徒の比ではない。ヴェスプたち賊徒の罪を道徳的な優位から責める気は毛頭なかった。


つまるところ、関羽はこの夜に敵対した賊徒たちにまったく何の関心もない。カルロ氏の無念を晴らす立場でなく、仇討ちを遂げた名誉を僅かな慰めとする苦悩も背負っていない。それはただの『(あだ)な殺し』であり、今生の関羽が固く戒めているものである。


霜妖魔キタンが鈍い色の瞳を涙に滲ませて、関羽に頭を下げた。


「……キー」


関羽の態度に感謝するように喉を鳴らし、霜妖魔キタンは引きずるような足取りで小さな身体を前に進めた。手に握りしめたカルロ氏の剣の重みが、か細い腕をきしませる。


「ちっ! コイツを殺して、それで終いだ。それでいいんだな」


屈強な体躯のヴェスプが興味なさげに片手で剣を下げて、それを迎えた。ヴェスプの視線はキタンに向けられているものの、その注意はキタンの後ろで腕を組んで屹立する関羽にいまだ向けられていることは明らかである。片足で踏み潰せそうなほどに矮小な霜妖魔が自分に剣を向けている――その事実にいかほどの脅威も感じていない様子であった。


ヴェスプの顔色が変わったのは、次の瞬間である。


「キケッ」


キタンの身体が横溢するマナの燐光に輝いた。それは刹那の閃光となって、大気をきらめかせる。

無数の砂粒のような氷の破片が鋭利な光を帯びて揺らめき、突風とともに、散った。


ヴェスプが咄嗟に剣を振るい、容赦なく顔面に飛来する(つぶて)を弾く。ヴェスプの両眼を狙った投氷攻撃であった。


「……完璧」


ユーリンがキタンの魔法制御の技巧に見惚れて、称賛を漏らす。

よどみのない流麗なマナ制御から繰り出される『氷魔法』と『大気魔法』の完全同時発動。

霜妖魔という種族としての天賦の才を土台として、外連味(けれんみ)のない正しい修練で育んだ技巧。

潤沢な体内マナを僅かたりとも無駄にこぼすことのない変換効率。

この季節に屋外で精製可能な最大にして、突風による射出で殺傷力をもたせられる最小サイズの氷を適切に見極める戦術眼。


これで死なせても一向に構わない――という容赦のない心胆が表れた挨拶代わりの先制攻撃であった。


「キー」


低く唸るようなキタンの声が響く。


コッチをミロ――そう伝え、ヴェスプの目を覚まさせる意図の攻撃であると、誰の目にもわかった。


ヴェスプの顔から油断の兆しが消え、口元が引き締まった。霜妖魔の剣が、自らに()()ことを理解したのである。




ユーリンは、胸の奥に芽生えた痛みに、気がつかないフリをした。

霜妖魔キタンの洗練された魔法技巧に魅了されたのも束の間、すぐに理解したのである。


(キタンさん、本当にスゴイ人だ。ボクにはまぶしすぎる)


(かたき)を討つのに、(かたき)をただ殺すことを目的としない。


(かたき)の油断を求めず、

(かたき)の不意をつかず、

(かたき)の真正面に立ち、

(かたき)の全力を求める。


(かたき)を討つことを、(かたき)をただ殺すこととしていない。


個人的な恨みを晴らすためではなく、故人の無念を晴らすために(かたき)を討とうとしている。

過去の汚辱の苦しみから逃れるためではなく、不名誉を(そそ)いだ未来に至るために(かたき)を討とうとしている。


霜妖魔キタンの、冬の曇り空のような色合いの小さな背中を(はる)けき遠くに眺めながら、ユーリンは苦味を覚えた。


(ちから)に恵まれた人が正しくあろうとしている。それは正しいことなんだけど、ボクには辛い。正しすぎる。居心地が悪い)


ユーリンは走ってその場から逃げ出すことはせず、ゆっくりと逃げ出すことを選んだ。


関羽に視線を送り、この場を委ねる意思を言葉もなく伝える。


(それじゃボクは野暮用を片付けてくるよ。ウンチョーには見届け役を任せる。ボクはこういう『名誉』からはほど遠い存在だ、この場に居合わせることはない……キタンさんをよろしく)


(ユーリンめ、何かをひとりで背負い込みおったか。されど男の顔をしておる。なれば信じて送り出そう。儂はただそなたの無事を願うのみ)


無言の目配せで、伝えあった。


そしてユーリンは、関羽以外の誰にも気取られることなく、ひっそりとその場から姿を消した。

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