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昭和 久美子と達彦

 小さなころから「兄妹が沢山いていいですね」と言われて育った。

でもよかったと思ったことはない。


 戦時中は兄妹が多いのが当たり前、大家族が多かったと聞くが、私の育った11人兄弟というのはその中でも多い部類だろう。

 実家は何代も続く商家で、上の姉や兄は子守つけてもらったり綺麗な着物を着せてもらったり、お嬢ちゃん、お坊ちゃんとして育てられたらしい。けれど11人兄弟の末っ子の私はそんなことをしてもらった記憶がない。

 第一、久美子と言うこの名だって、幼くして死んだ姉の一人の名前の、漢字一文字替えただけで、読みはそっくり同じだ。両親は新しい名前を考えるのすら面倒くさくなったという。

「死んだ久実子はそれはそれは可愛い子だった」

と小さい頃何度も聴かされたが、それがなんだという反発心しか起こらなかった。


 私は母が50歳近くになってから生まれた。大寒の最中で、母は寒さと無理がたたり肺炎に罹患し、高熱が続いた中での出産だったそうだ。

 子供は11人も居るから赤ん坊よりまず母親を助けろ、という事で、生まれた赤ん坊の私はほったらかしにされた。寒い畳の上、兄や姉たちがみんな使った、年季の入ったささくれだった籠に入れられ、ヒンヒン泣くままに捨て置かれ、たまに気が付いた大人が冷たい牛乳を飲ませたり、汚れきったおしめを替えたり。

 そうして母の肺炎回復の目途が立ち、家族がホッとした時に初めて、赤ん坊の私は存在を思い出された。

「おやまだこの赤ちゃんは生きてるじゃないか」と生命力の強さに驚嘆したらしい。

 その時の母の高熱と汗で畳下の床下が腐り、寝室の真ん中がガッツリと陥没していた。また成長の節目ごと、出産直後に捨て置かれた話をされいい気分はしなかった。

 昭和11年、私が生まれて一か月後、東京市では2・26事件というものが起こり、とても恐ろしい事態になったらしい。


 物心ついた時11人兄弟の上の兄や姉たちはとっくに成人し、嫁に行ったり兵隊になったりで家を離れていた。たまに家を知らないおじちゃんやおばちゃんが訪れて、

「久美子ちゃん大きくなったなあ」

 と頭を撫で、御土産にキャラメルや氷砂糖を少し分けてくれた。今思えばそれが、一番上のお兄さんとお姉さんだったろう。たまにそういう事がある以外、私は余り可愛がられずに放置気味に育った。

 商売をしていた両親は忙しく、主に真ん中の姉が私の相手をしていた。勝気で口が達者で我儘なその姉は、おとなしくいつもついてくる末っ子の私を玩具代わりにしていた。

 大正の裕福な時代に生まれた彼女は、自分の着物を引っ張り出しては私を人形に見立て着せ替えごっこをし、日本人形よろしく鋏で髪を切ろうと、私の耳たぶをちょっきんと一緒に切ってしまったこともある。

 4歳くらいだった私は何も言わなかったので誰も気づかず、夜にお着換えをする際、肩に垂れた血でようやく発覚した。姉は母からきつく叱られたが、意固地なので

「久美子が動いたのが悪い」

と絶対にごめんなさいを言わなかったそうだ。

 すぐ上の兄2人も内気な私をよくからかって遊んだ。母からお遣い物の小さなお饅頭を兄妹全員もらった時もそうだ。私が皮を先に食べあんこの部分を大事に残して置いたら、兄2人が

「なんだ久実子、あんこ嫌いか。ならしょうがないな」

と、小さな掌に大事にとっておいた、つやつや光る黒い宝石のような餡をさっとかすめ取り、走って行って離れたところで分け合って食べた。薄い底の皮だけ残された私はわんわん泣いた。この時も母や上の兄がきつく叱ったが、犯人である直近の兄たち2人は反省する素振りもなかった。


 だが、私とずっと年の離れた、上から三番目の達彦兄はいつも優しかった。すぐ誰かの背中に隠れる引っ込み思案の末の妹、私を何くれと可愛がり、きちんと姉や兄を叱ってくれた。髪と一緒に私の耳たぶまで切ってしまった、勝気ですぐ開き直る良子姉には、特に厳しく叱ってくれた。このままでは良子はとんでもない我儘娘になってしまうといつも言っていた。

「綺麗な顔が台無しだ。早く髪が伸びるといいね、久実子ちゃん」

と、私には優しく耳に膏薬を塗ってくれたので、我儘な上に美人の良子姉には激しく嫉妬された。


 忙しい両親、自分の生活に手いっぱいの上の兄・姉達、放任されて悪戯一杯の下の兄たちの中、達彦兄だけが私を大事に扱ってくれた。

 市内で一番頭がよく陸上の選抜選手に抜擢されるほど運動神経抜群だった彼は、地元の学校に進学するより軍人への道を選んだ。超難関である江田島の海軍士官学校に合格し、町をあげてのお祝いの中、万歳の声に送られて汽車で旅立って行った。

 

 私は相変わらず言いたいこともろくに言えない少女として育った。言いたいことがあるならはっきり言え、気持ち悪いと勝気な良子姉はよく激高したが、私はどうしても逃げて人の背中に隠れてしまうのだ。少しでも傷つかないように過ごすための、11人の末っ子なりの考えだったのかもしれない。


 ある夏のお盆の時期、一度、江田島の海軍学校から達彦兄が帰ってきた。肩幅の広い長身をすらりと真っ白い士官候補生の制服で包んだ兄は、小さなバッグ一つで帰省し、汽車から降りた。立派な帽子をかぶり、ピンと胸を張って長い脚をさっさっと伸ばして歩いて来た。 達彦兄は、いっぺんで私の憧れになった。

「久美子ちゃん、元気だったか? 相変わらずちっちゃくて可愛いなあ」

そう頭をなでると、途中の東京で買ったんだ、と可愛らしい蝶模様の散った塗りの櫛と、おそろいの小さな手鏡をくれた。

「それで髪をすいて、綺麗な髪が早く伸びるようにお祈りするんだよ」

 田舎のこと、汽車の本数が極めて少ないので、達彦兄はお墓参りをすると一泊して、翌日すぐに江田島に戻って行った。東京行きの汽車が通る大きな停車場まで、家族でお見送りに行ったが、おちびの私には達彦兄の姿はよく見えなかった。父が肩車してくれて、ようやく車内で家族に向かって敬礼をする白い制服の兄の姿が見えた。


 それから何年も経った昭和19年。私が庭にいるとき、不意に達彦兄が帰ってきた。

 私は伸ばした髪を2本のお下げに編み、お腹が空いて庭の杏を採ろうと木に登っていた。いつもなら上の兄たちが採って私におすそ分けしてくれるのだが(もちろん叱られるのは兄たちだ)国民学校が終わるなり友だちの家に行くと走って行ったまま帰って来ない。仕方なく見よう見まねで自分で採ろうと木に登り始め、若い枝に脚をかけた時だった。まだ柔らかいその枝が折れて、私は真っ逆さまに落ちた。地面に叩きつけられるその瞬間、飛び込んできた男の人が間一髪で抱きとめた。

「おいおい、ちょっと見ないうちに随分お転婆になったなあ、久美子ちゃん」

 海軍士官の制服を着た達彦兄だった。学校を卒業し士官候補生から立派な士官様になった兄は、連絡も入れず急に汽車で帰って来たのだ。そして木から落ちる私を助けてくれた。

 あまり脅かすなよ、こんな冒険をする子だったのか久美子ちゃんは、と笑った。

 びっくりして目を白黒している私を抱っこしたまま、兄は母家に入らずすたすた歩いて門を出た。

 私を抱っこしたまま歩いた兄は、家の近くを流れる最上川の土手に来た。ごうごうと流れる川のすぐ脇には奥羽山脈に連なる里山が広がり、夏の濃い緑を青い空に映えさせ水面に写していた。

 ああこの景色だよ。この山と川の流れだよ。達彦兄はそう言って、私を土手の草の上にそっと降ろした。そしてリュックを開けると小さな紙包みを二つ出して手に載せてくれた。


「早く開けてお食べ。兄さん達や良子には内緒だぞ」


 開けて見ると羊羹とミルクキャラメルだった。

「兄さんのいる海軍にはね、兵隊さんのためにお菓子やごちそうを作って持ってきてくれる船がいて、とびきりの美味しいものを補給してくれるんだ。兄さんのお土産だよ。久美子ちゃんはたんと食べなさい」

 達彦兄は、おさげ髪を揺らしながら大急ぎで羊羹を口に運ぶ私を微笑みながら見て、学校の事や家の事、兄弟の事を聞いた。そして言われるままにキャラメルをポケットに入れた私をもう一度抱っこし、家に向かった。私は小学生になっていたが、当時は小柄で痩せこけていたので5歳くらいにしか見えなかった。


「大きな船に乗って、旅に出ることが決まったんだよ、達兄さんは」

 帰る道々兄はそう言って、親のいう事をよく聞いて達者で暮らすんだよと言ってくれた。そして兄は以前のように一泊して実家を出たまま、戻ってこなかった。


 戦争が終わった後は、戦争中より食べ物も着る物も無くなった。闇屋があちこちに店を出していたが、物があるぶん威張って言い値で商売をするのだ。私達は飢え死にしないように生きるのが精いっぱいだった。

 私は高校在学中に父が死んだので、直上の兄2人を大学に行かせるために進学せずに働きだした。成績もよく文学を学びたいと思っていたので正直残念だったが、当時田舎の大学を出ても女の就職先は少なかった。収まりどころは学校の教師くらいしかなかったので、人見知りで大勢を前にすると気分が悪くなる私には縁がなかったのだとあきらめた。勝気な良子姉が洋裁で店を構えていたので、そこで働くことにした。

 昭和36年、私は大きな織物屋の一人息子と結婚した。男の子と女の子、二人の子供達が生まれ、あまり実家に足を運ばなくなり、いつしか達彦兄の事を忘れてた。

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