初音 遊女から芸者へ転身し 吉原は火事に見舞われる
そんなある日、初音が三味線を弾きながら江戸小唄を歌っていた。
鼻歌ではあったが、花香は初音の小唄を聞いて驚いた。
「これは。。」
何といういい声と声量なのだろう。
初音の三味線の腕は知っていたが、この歌声を聴いて花香は彼女には遊女よりも芸者の才能があると考えを改めた。
この考えには初音の水揚げをどうしようと頭を悩ませていたお里も賛成した。
前回の一件で当面見合わせとは言ったものの、水面下では心当たりに声をかけていたのだが、相手がみんな勘弁して下さいと逃げていってまったく話にならなかった。
確かに五十両〔約五百万円〕もの大金を支払って頭突きを喰らって「はいおしまい」ではたまったものではない。
初音には頭突き少女というありがたく無い異名までついてしまい、正直行き詰まり状態だったからだ。
「私も初音に芸者の才能があるのならその方がいいと思うよ。うちのお抱え芸者として育成していくのも一興だしね。ま、正直なところ渡りに船なんだけどね」
「確かにそうでありんすな」
お里と花香は見合わせて苦笑いを浮かべた。
「初音にはわっちから言っておきなんす。本人も驚くでありんしょうが、今のままで遊女は難しいとわかっておりんしょうから引き受けてくれなんすよ」
初音が花香の部屋に呼び出されたのはそれから半刻後〔三十分後〕であった。
突然花香の部屋に呼び出されて初音は緊張していた。
まさかこの前の水揚げの時の一件で何かあったのだろうか。
見世の上客を一人失くす事をしてしまったのだ。
今になってお客さんがやはりタダでは済まさないと何か言ってきたんでは。。
そんな不安に駆られながら花香の部屋に入った。
「あの。。姐さんわっちが何か粗相でもしましたでしょうか?」
恐る恐る花香に問いかけると花香はそうじゃないと笑ったので初音はひと安心する。
「実は、さっき初音の歌を聞きなんして、あまりの声の良さに驚きなんした。それでお里さんと話したんでありんすが、初音は遊女よりも芸者になった方がようざんす」
聞かれてたのか! と頭から湯気が出るかと思うほど恥ずかしくなったが、それ以上に芸者にならないかという花香の言葉に驚いた。
「わっちが芸者に?」
それは初音にとっても意外な言葉であった。
「聴く者を魅了する歌声はそれだけで武器になりんす。初音にはその才能がありんす。無理になりたくもない遊女になるよりその方が初音にとっていいのではありんせんか?」
芸者という選択肢は初音の中にまったくなかったので、花香の言葉に戸惑いはあった。
だが、尊敬して慕っている花香がそう言うなら間違いはないだろう。
何より自分を認めてくれて、ここまで連れて来てくれた人なのだ。
それに正直を言ってしまえば水揚げが今だに怖くて出来ないのにも悩んでいた。
このままでは遊女としてやっていけないという事もわかっていた。
もし遊女がダメなら見世の清掃人夫として雇ってもらおうかななどと考えいた矢先、新しい道があるのなら進んでみよう。
そうと決めたら初音にもう迷いはなかった。
「わかりました。花香姐さんがそうおっしゃるのならわっちは芸者になります」
こうして初音は玉屋専属の三味線を弾きながら歌う半玉〔見習いの年少芸妓。おしゃくとも言う。京都の舞妓にあたる〕となった。
後に天性の歌声を披露して多くの人たちを魅了する事になる初音だが、この時はまだ駆け出しの半玉として歩き出したばかりであった。
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江戸城では桜が吉宗に呼び出されていた。
無断で吉原に出向いたのがすでに判明していたのだ。
大岡越前を含めた南町奉行所を動かしたのだから、当然と言えば当然であった。
無論、桜もバレる事は前提で動いたのだ。
まずは事件を解決してしまい、あとは言い訳して許してもらおうという調子のいい考えであった。
なんとか笑って誤魔化そうとする桜に吉宗は腕を組んで怒りの表情を崩さない。
さすがにまずいと悟り、「お義父様、すみませんでした」と桜は平伏して謝罪する。
「まったく、お前は徳川の姫としての役目を全うすると言っておきながら、その舌の根も乾かないうちにだな。。」
「あ、いえ。今回は本当に花香ちゃんが困っていたので、助けたい一心で。決して危険な事に首を突っ込んだわけではございません。この通り無事に戻りました」
「無事に戻ればいいと言うものではない。余に黙って行ったのが問題なのだ」
「でも、お義父様に言ったら言ったで反対されるでしょうし。。」
「内容にもよるわ。今回の件くらいならば如月と那月を付けて許可したものを」
「本当ですか? だったら言えば良かった。次はちゃんと報告しますので」
「次? また抜け出る事を考えているのか?」
「いえいえ、あくまでも仮の話ですよ。嫌ですわお義父様」
わざとらしく笑顔で手を振るしぐさをする桜に吉宗の怒りも萎んでしまった。
「はぐらかし方は上手くなったようだな」
その様子を近くで見ていた加納久通は苦笑する。
「上様も何だかんだ言って桜が無事戻って来たのを喜びになられているようだ」
元々、泉凪の道場に行ったり江戸城下に自由に行けるのは桜に与えられた特権であったのた。
街の様子や人々の暮らしを直に見て桜が感じた事や思った事を聞くのも政治のために重要だと吉宗は考えたからだ。
そして桜も吉宗の親心というものをわかっているつもりであった。
おちゃらけているのはこの通り大丈夫でしたから安心して下さいという心の現れで、内心は吉宗にあまり心配かけないようにしなくては。と思うのであった。
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一七二七年も年末に差し掛かった十二月。吉原に火事が起きた。
火元は吉原の中心に近い角町で火をつけたのは鶴亀楼という小見世の志摩太夫であった。
志摩の働く鶴亀楼の楼主は売り上げを伸ばすために紋日を他の見世よりも多く設定していた。
紋日とは吉原のメイン行事の一つで、この日は遊女の揚代や食事、宴会代、祝儀などを通常の倍払わなければならないという日である。
遊女は豪華な衣装を身に纏うので、遊廓内はいつもにまして華やかだった。
一年で最初の紋日にあたるのが一月二日。
それ以降は見世によって設定日が違うが、主に三月三日、五月五日、七月七日、八月十五日、九月九日といった日なのだが、鶴亀楼はこの紋日を年間で百日近く設定していて、終わったと思ったらまた紋日? というほどの日数であった。
この紋日は、遊女も馴染み客に来てもらおうと必死だった。
何しろ紋日に客が来なかった時は、倍に設定された金額を遊女が負担しなければならなかったからだ。
ちなみに玉屋はお里が楼主になってからこの紋日を年に十日ほどしか設置していない。
理由はお客だってそんなに紋日を何日も作られたら出費が重なって来られなくなってしまうからだ。
それならば紋日は最低限のみに設定して通常料金でリピートしてもらった方がいいという考えからであった。
この紋日に遊女の一日を買切る(仕舞)客もいた。
さらに仕舞をつけて当日来ない客は通とされ、遊女はお金をもらえるし見世にも出なくていいといういいことづくめで、現代で言う有給休暇のようなものだった。
裕福なひいき客の多い花香はこの仕舞により紋日にお客を相手にする事はほぼ無かった。
かつての朝霧も身請け先となった上州屋の大旦那が必ず紋日に仕舞してくれて身体を休める事が出来た。
それでいて売り上げは倍なのだから、他の遊女たちから羨望の眼差しで見られるのも当然であろう。
ただし、これは朝霧や花香のような吉原でも一、二を争うクラスの太夫であって、下級遊女にそんな夢みたいな事はまずあり得なかった。
逆に紋日に行くよと口約束だけして当日来ない客も居たので、遊女たちはそんな客には事前に手紙を書いて送ったり大変であったという。
話はそれたが、鶴亀楼の楼主はこの点で完全に経営に失敗していた。
お里の考えた通り、売り上げを伸ばすために紋日をやたら増やしたところで、お客の方はそんなに通えるお金が持つはずがなく、紋日を避ける客が続出して客足が遠のいていき、結果は逆に売り上げが減る状況となっていったのだ。
売り上げが思ったように上がらない楼主は、見せしめのため見世のお職であった志摩にでっちあげの理由をつけて折檻した。
後日、これを知った志摩は今まで苦労して一所懸命働いていた自分を含めた見世の遊女たちがあまりにも惨めで、人生そのものを否定されたような怒りと失望から放火に至ったと言う。
火は角町から江戸町二丁目に広がっていき、玉屋の付近もかなりの被害が出た。
玉屋は辛うじて被災を免れたものの、他の被災した見世の遊女や使用人たちの収容のために見世を解放したため、商売どころでは無くなってしまった。
放火は大罪である。
志摩は面番所の役人に捕えられたが、「ざまあみろ!」と大声で叫び声を上げながら連行されていった。
その時、一瞬だが花香と目が合った志摩は涙を流していたという。
それは悔しさからか、あんたのようになりたかったという感情からかは花香にはわからなかったが、その無念は胸に刻み込んだ。
「一歩違えてたらわっちとあんたは立場が逆だったかも知れんせん」
志摩はその後、南町奉行所に引き渡された。
通常であれば放火は火あぶりの刑であるが、大岡越前は志摩の置かれた境遇や見世の待遇の悪さから情状酌量し、江戸十里四方払とした。
そして劣悪な環境と遊女に対する仕打ちで放火の原因を作った鶴亀楼の楼主を捕らえて島流しとしたのだ。
吉原では数年おきに火事が起きており、歴史上二十七回。そのうち全焼の火事が十九回もあった。
そのほとんどが遊女による放火であった。
同じ遊郭でも京都の島原は過失による火事が一回起きたのみで放火は一切なかったという。
この火事は悪辣な環境で酷使されていた遊女たちの怒りの炎だったのかもしれない。