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花香と初音の物語  作者: 葉月麗雄
波乱編
7/22

初音 地獄(かずさ屋)から抜け出し 希望の地(玉屋)へ移籍する

「ええい。たかが二人に何を手こずっておる」


秀久の怒号が飛ぶが、如月と那月はすでに十二人もの家臣たちを動けなくしていた。


そこに桜がかけつけ、新たな侵入者に残った家臣たちが斬りかかったが、桜の剣が一閃される。


焔乃舞ほむらのまい


左手から繰り出された桜流抜刀術は今だ衰えることなく、鋭い斬撃が斬りかかって来る秀久の家臣を次々と打ち倒していく。


秀久の家臣は全員動けなくなり、その場にうずくまる者たちで溢れ返った。


「如月、那月。待たせたな」


その声に二人はホッと胸を撫で下ろした。


「桜さん、助かりました」


那月の言葉に桜は一瞬だけ微笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情で秀久を睨みつける。


「松平秀久、お前の人身売買はすでに明白。そこにいる初音ちゃんが何よりの証人。もう逃げられないよ。覚悟するんだね」


「お前は何者だ?」


「元御庭番。今は吉宗公の養女、徳川桜」


その名を聞いて秀久は怖気おじけついた。

かつて最強の御庭番として活躍した桜の名前は大名たちの間でも知れ渡っていたからである。


「お前が徳川桜。。もはやこれまでか」


秀久は刀を抜いて桜に斬りかかるが、四十過ぎの肥えた体では桜に敵うはずもない。

桜は面倒くさそうな表情を浮かべながら左手で刀を一閃させる。


真空斬しんくうざん


身体を斬らないギリギリのところで剣が振り下ろされると秀久の着物と袴がぱらりと切れ落ちた。


「ひっ!」


着物を切られてふんどし姿になった秀久はその場にへたり込む。


「斬るわけにはいかないからそれだけで勘弁してやる。あとは奉行所での沙汰を待つんだね」


観念した秀久はその場にへたり込んだまま茫然としていた。



「初音ちゃんだね。無事で良かった。もう大丈夫よ」


桜の言葉にようやく初音に安堵の表情が浮かんだ。


「助けて頂いてありがとうございます」


「他ならぬ花香ちゃんの頼みだからね」


「花香太夫がわっちを助けてくれたんですか?」


初音の問いに桜はにこりと微笑む。


「詳しい話は玉屋に戻ってから。さ、ここを出よう。こんなところに長居は無用でしょ」


桜が初音に声をかけたのとほぼ同時に大岡越前率いる南町奉行所の同心たちが一斉に屋敷に突入した。

そして秀久の父でこの屋敷の主である松平忠輝が姿を現した。


「これは桜姫。何の騒ぎかと思って来てみたのですが、奉行所の役人から話を聞いて驚いております。私のまったく預かり知らぬ事とは申せ、息子が馬鹿な事をしでかして面目次第もございません。この上はいかなる処罰も受ける所存でございます」


忠輝はそう言って平伏して桜に謝罪する。


「忠輝殿、お顔をあげて下さい。あなたの長年の功績がこのような事で失われてしまうのは私とて本意ではありません。この件は上様にご報告して酌量の采配をして頂くつもりです。追って沙汰があるまでお待ち下さい」


「多大なご配慮、感謝致します」


桜が目配せすると那月と如月が忠輝に一礼し、三人は初音と共に屋敷から立ち去って行った。



その後、松平秀久は切腹を命じられた。

だが、父親である忠輝の功績に免じて表向きは病死という形で一件は落着した。

これにより松平忠輝はお家お取り潰しも切腹も免れる事となり、松平家が今後も幕府の要職につける道が残された。


かずさ屋にも奉行所の手がまわり、楼主兵衛門は捕縛後、磔獄門はりつけごくもん

見世はお取り潰しとなり見世の遊女たちは解放された。

だが、解放されたからといって自由になれるわけではない。


幼少の頃に吉原に売られてから遊女以外の仕事をやったことのない女性たちが吉原から出たところでやれる仕事などなかった。

大半の女性たちはまた吉原に戻るか品川などの岡場所で遊女を続ける事になる。



こうして、初音は晴れて玉屋で働く事となった。

二、三百両は出してかずさ屋から買い取るつもりだったお里は無料ただで引き取れて満足顔だった。

だが、この時にひと悶着あった。


元かずさ屋の新造であった小町が初音が玉屋に認められたと聞いて、自ら玉屋に売り込みに来たのだ。

お里や花香たち玉屋の遊女が揃う中ですまし顔で振る舞う小町。

堂々としているというより世間知らずだなとお里は見ていた。


「初音がここで認められたのでありんすなら、かずさ屋で新造を務めていなんしたわっちも玉屋さんで雇って欲しいでござりんす。初音よりもたくさんのぬしさんたちを相手に稼げる自信があるでごさりんすよ」


まるで初音を小馬鹿にしたような態度に初音はあからさまに嫌そうな顔をする。

お里はそれを冷ややかな目で見ていた。


「初音はかずさ屋ではろくにぬしさんのお相手もした事がないんでありんす。わっちは新造として姐さんたちのぬしさんの廻しを何度も務めておりんした。即戦力としてならわっちの方が使えるでありんす」


「あんたがかずさ屋でどの程度の評価だったから知らないけれど、はっきり言って初音よりも上だとは思えないね」


お里の言葉に小町は少しムッとした表情で続ける。


「わっちは武家出身でありんす。農民出身の田舎者よりもよっぽどぬしさんの受けがいいでありんす。初音程度で認められるならわっちも認められなければおかしいでありんす」


小町の自分勝手な言い分を聴きながらお里がキセルに火をつけて燻らせる。

それを見た途端に周りにいた遊女たちが全員青ざめた表情でお里から距離を置く。


「久しぶりにお里さんのアレが見れなんすな」


花香と遣手のお清だけが楽しそうな表情をしていて初音は何が起こるのだろうと首を傾げていた。


次の瞬間、火鉢をキセルでカン! と叩く音がした。勢いよく叩きつけるような音である。


「黙って聞いてりゃガキが舐めた口きくんじゃないよ!」


突然豹変したお里に小町は凍りついた。


「武家の出が何だって? ここにいる遊女たちは花香から末端の禿に至るまで私も含めて全員農民出身だよ。それで吉原一の売り上げを上げてるんだ。お前に初音以上の稼ぎが出来るなら見せてもらおうじゃないか。


私はね、口先だけでかい事をいう奴が一番信用出来ないんだよ。かずさ屋がお前程度を上品にして新造に上げたのは兵衛門がその程度だったからさ。同じ事がこの玉屋で通用すると思うな」


お里のあまりの煙幕に小町は後退りしながら半べそをかいていた。


「初音はお前の妹分だろう。本来なら自分がダメでもせめて初音だけでもと嘆願するのが姐ってもんなんだよ。それを田舎者だの見下してあわよくば自分だけここで雇ってもらおうとする小根の腐った奴に客商売なんぞやらせられるか」


小町はわなわなと震え出した。

かずさ屋時代は武家出身というだけでちやほやされて叱られた事などほとんどなかったので、叱られる事に免疫が出来てない甘ったれであった。


「今すぐ出ていけ! 二度とそのツラを私の前に見せるな。次にその薄汚いツラを私の前に見せたら見世の妓夫たちに簀巻きにさせて隅田川に投げ込むからな、覚悟しておけ」


小町は妓夫たちに手を掴まれて見世の外へ追い出された。

あまりの恐ろしさに小町は「いやあ」と泣きながら走り去っていった。


「お里さんが啖呵を切るのは久しぶりに見たでありんすな」


花香が面白そうにそう言ったのでお里は「よしておくれよ」とようやく落ち着いた。


初音は嬉しかった。

かずさ屋にいた時は常に立ち位置が上の者の言い分だけが通っていた。

もしここがかずさ屋であれば小町の言い分が全て通って初音は見世から追い出されていたかも知れない。


お里は初音と小町を農民や武家といった身分で見る事もしなかった。

初音は初めての事にこれまでのもやもやが晴れたような気分になったのだ。


「お里さん、ありがとうございます」


初音が礼を言うとお里は腕を組んで鼻息を荒くした。


「あんたにお礼を言われるような事はしちゃいないよ。あのバカ娘があまりにも頭が弱いから少しばかり懲らしめてやっただけさ。それより、あんた。あんな小娘に馬鹿にされて悔しいと思うならここで心機一転頑張りな。あいつ多分遊女を続けるとすれば夜鷹にでもなっているだろうから、その時は笑ってやればいい」


「は。。はあ」


さすがの初音も夜鷹になった小町を見て笑う気は起きないなと思った。


「でも、追い出しちまったのは少しもったいなかったかな。あんな奴でも厠の清掃人夫くらいで使ってやってもよかったかも。まあ、仕方ないか」


その後、小町は羅生門河岸らしょうもんかしの切見世に拾われて、線香一本百文〔線香一本が燃え尽きる時間の利用でおよそ三千円〕の時間単位で売られる格安遊女に成り下がった。

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