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花香と初音の物語  作者: 葉月麗雄
波乱編
6/22

那月 初音の窮地を救うべく 老中屋敷での攻防を展開する

屋根裏から楼主と禿が屋敷の中を歩いていくのを付けていくと、目的と思われる部屋に入っていく。

那月はその様子を天井裏から観察する。


「秀久様、連れて参りました」


「おお、兵衛門。待っておったぞ」


兵衛門が秀久様と呼んだのは老中松平忠輝の三男である秀久であった。

秀久は父親に無断で女の子を買収していたのだ。

彼は幼女好みという特異な趣味の持ち主であった。

大人の遊女には興味がなく、もっぱら禿か新造といった十二歳から十四歳くらいの幼女をかずさ屋から買っていたのだ。


「まずはお約束の物を」


「わかっておる」


秀久がそう言って懐から取り出した包みを開いて見せると三百両はあろうかという小判が出てきた。

玉屋の妓夫たちの推測通り、かずさ屋は裏で大名屋敷に十五歳以下の幼女を売り飛ばしていた。

初音もその売り飛ばされる娘の一人に入っていたのだ。

人身売買は家老職と言えども御法度である。


「これはどうも。おい、連れて来い」


兵衛門の掛け声に付き添いの妓夫たちが禿を部屋に連れて入った


「ほほう。なかなか愛いういやつじゃのう」


「これは初音と申しまして、なかなかの上品じょうほんでございます。私どもは秀久様のお気に召す女子を見繕っておりますので」


「今回も用が済んだらわかっておろうな」


「もちろんでございます。足抜けの罪を着せて折檻の途中で誤って殺してしまい、やむなく投げ込み寺行きとなったとすれば奉行所も口出しは出来ませんからな」


初音はおぞましさに震えていた。

仮にもご老中の子息が人身売買で女の子を買い、自分の好きにしているとは。

しかも用が済めば口封じのために殺される。

これに比べたら吉原の遊女の方がまだマシであった。

そして最初に初音を買った女衒の言った通り、初音はやはり太夫になれるだけの素質を備え持っていたのだ。

今さらではあったが、それを知って初音は愕然とする。



「やっぱりあの子が初音ちゃんだったのか」


天井裏から那月が禿の女の子が初音である事を確認した。


「桜さんがこちらに来るまでは早くても半刻〔三十分〕はかかる。いざとなれば私が助けるしかない」


大岡越前に動いてもらうかは桜が判断するだろうが、仮に動いてくれるとしても奉行所の役人がここにかけつけるまでにも同じくらいの時間がかかるだろう。

この深川は吉原からも南町奉行所からもほぼ同じ距離であった。


「危ないと思ったら私が助けに入って時間を稼ぐしかない」


那月は臨戦体制に入る。


「おい、兵衛門。気が利かぬのう。早く部屋を出て行かぬか」


「これは、お気がお早い事でございますな。では、ごゆっくりお過ごし下さい。用が済んだらお呼び頂ければお迎えに上がります」


兵衛門はそう言って屋敷から吉原へと戻っていった。


二人きりになったところで秀久は立ち上がっていきなり初音の右腕を掴んだ。


「嫌! 離して!」


「観念するんだな。お前のような生きていても役に立たない人間が人の役に立てるんだ」


「わっちはそんなに生きる価値もない人間ですか? 生きる権利すら与えられないのですか?」


そんな事はないと花香に言われた言葉が初音の中で生きる道標になっていた。

環境さえ良ければきっと、わっちも一人前になれる。

やっとそう思えて来たのに、ここで命を落とす事になるとは。。


「お前は俺に買われた奴隷の身分だ。奴隷に生きる権利などない。恨むのなら貧しい農家に生まれ、親に売られるしかなかった己の境遇に恨むんだな」


初音は悔しくて涙が出て来た。


〔同じ貧しい農家に生まれた花香太夫とあっちのなにがそんなに違うの? 花香太夫は人間の格じゃないって言ってたのに。。〕


「あんたの周りにはロクな人間がいなんせん」


花香の言葉を思い出して自分は出会いに恵まれなかった。

初音はそう思った。


〔花香太夫は売られた見世も楼主や姐さんにも恵まれていた。わっちは千早姐さん以外は全てがダメだった。その差なんだね〕


初音は貧しい農家に生まれた事を呪った事など一度もない。

もし呪うとすれば、ロクな人間のいない見世に売られた自分の境遇であった。



「そこまでよ」


突然聞こえた声に秀久は刀を手にする。


「何奴?」


天井裏から那月が飛び降りて初音の前に立つ。


「初音ちゃんね。私は御庭番よ。あなたを助けに来たんだ」


「私を助けに来てくれたの」


初音はまた涙が出てきた。

誰も助けてくれないし、誰からも必要とされていないと思っていた自分を助けてくれる人がいてくれた事が信じられないのと嬉しいのとで、感情が追いつかない状態であった。


「御庭番だと?」


秀久は一瞬青ざめた。御庭番は将軍直下の隠密である。

という事はこの一件は吉宗の耳にも届いているのではと考えたからだ。

だが、見たところ一人で乗り込んで来たと判断すると開き直った。


「御庭番とて、一人でその小娘を助けながらではまともに戦えまい。ここから出られると思うな。であえ、であえい!」


秀久の声に屋敷の家臣たちが一斉にかけつけて来る。


「こやつは屋敷に忍び込んだ狼藉者。斬り捨てて禿を奪い返すのだ」


二十人はいるであろう家臣たちが一斉に刀を抜いて那月に迫って来る。


「桜さんたちが来るまで何がなんでも初音ちゃんを守る」


那月は匕首を手に持ち向かってくる家臣に投げつける。

白洲での取り調べがあるために殺すわけにはいかず、匕首を腕や足に突き刺して一時的に動けなくさせた。

とは言え、匕首にも限りがあるし一人で二十人を超えるであろう相手に初音を守りながら戦うのは厳しかった。


その時、天井裏からもう一人の影が降り立った。

予想外の助っ人、如月である。


「那月、大丈夫か?」


「如月くん! どうしてここに?」


「左近さんから連絡を受けて来たんだ。なぜ俺に声をかけなかった」


「だって如月くんは凛音とあんな事やこんな事をしていて忙しいだろうと思ったからさ」


「アホかお前は! 余計な事に気を回しすぎなんだよ」


そんな掛け合いをしながらも初音を守り向かってくる家臣たちを一人、また一人と峰打ちで倒していく如月はさすがに元薩摩藩の山くぐり衆であった。


「もうすぐ桜さんがここに来る。お奉行〔大岡越前〕も同心たちを引き連れてこっちに向かっているそうだ。俺たちはとにかく初音ちゃんを助けながら松平秀久を逃さないようにしよう」


「了解」




その頃、桜も松平屋敷に向かって馬を走らせていた。

吉原から深川までは現代の距離でおよそ五キロ。

馬ならば半刻〔三十分〕かからずに行けると玉屋のお里が手配してくれたのだ。


桜は左近に責任はすべて自分が持つと大岡越前に奉行所の出動要請を依頼するよう指示を出し、左近も馬で南町奉行所に向かう。

左近の知らせを受けて大岡越前は、桜が奉行所に動くように判断したなら緊急性が高いのであろうとすぐに同心たちを総動員した。


「何かの間違い」で桜や御庭番が動くはずがない。

桜たちが動いて奉行所に出動要請をして来たならそれなりの証拠や物証が上がっているのであろう。

老中屋敷に奉行所が乗り込むからには確実な証拠が必要だが、最後は連れ込まれた禿の女の子が証人だという報告が決め手となったのだ。



松平忠輝の屋敷の前で馬を止めた桜は二人の門番に「止まれ、何者だ」と遮られるが、三つ葉葵の御門を見せると門番は「ひっ!」っと悲鳴声を上げた。


「私は上様の娘、徳川桜。至急吟味したき事があるゆえ、ここを開けよ。忠輝殿には私から説明する」


「はい。ただいま」


三つ葉葵の威力は抜群で、門番は青ざめた顔をしながら桜の指示に従い門を開けた。


「間もなく南町奉行所の同心もここにやって来る。門はこのまま開けておけ」


桜の言葉に二人の門番は中で何が起こっているんだと疑問にに思っていたが、片方の門番がかずさ屋が連れてくる幼女の事を思い出した。


「おい、もしかしてかずさ屋の連れて来ている幼女が関連しているんじゃないのか」


それを聞いてもう一人の門番もなるほどと納得した。


「年に何人もの幼女が連れて来られておかしいとは思っていたんだが、俺たちは旦那様に申し上げられる立場でもない。何もなかったら打首か切腹ものだからな」


門番たちは奉行所の同心が来るいうのを聞いて、自分たちの予想〔幼女買収〕が当たっているのだろうと感じていた。

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