憧れの花香(ひと)と出会い 一筋の光を見る 後編
「わっちにはそうは思えんでありんすがね」
「え?」
「話を聞いている限り、あんたの周囲にはロクな人間がいなんせん。居る場所が合っていないんでありんす。今の見世に居ては上がるのは無理でありんしょうね。うちの見世に来なんし。わっちが面倒見てあんたを一流の遊女にしてみせなんす」
「わっちは太夫になれるんですか?」
「それはあんた次第。太夫になるにはありとあらゆる知識を身につけんといかんせん。人の二倍、三倍努力する覚悟があんたにありんすか?」
初音は努力する覚悟はあったが、問題は自分自身にその資格があるかであった。
なにせかずさ屋では散々太夫になれるのはごく一部だけで、お前とは人間の器や格が違うと言われ続けていたのだから。
「わっちは貧しい農民の子で太夫になるような人間の格がないって言われ続けました。。それでも努力すれば太夫になれるんですか?」
「人間の格とは生まれた時の身分の事でありんすかね? それならわっちも貧しい農民の出身でありんす。大名や公方様のご身分〔ここでは徳川御三家を指しています〕に生まれた人には到底敵いんせん。
でも、わっちらは武士ではありんせん。遊女でありんす。ここは女が自分の実力で上にのし上がっていける世界でありんす。それが辛いと思うか、これも人生と思うかは人それぞれだと思いんすが、どの道抜けられないのならこの世界で上に行くしかないんではござりんせんか?
それには自分を認めてくれる楼主と見世にいるというのが最低条件でありんす。言っては失礼でありんすが、かずさ屋のように初音を認めようとしない見世にいては、いくら初音に才能があっても上には行けんでありんす」
初音は花香が自分と同じ貧しい農民の出身と聞いて驚きを隠せなかった。
〔こんな綺麗な人がわっちと同じ農民だったなんて。。〕
「初音、あんた顔立ちはようござんすから、あとはいい見世でいい教育を受けていけばきっと吉原を代表するような遊女になれるでありんすよ。自身を持ちなんし」
「わっちが顔立ちがいい?」
そんな事言われたのは初めてであった。
他の人に言われたのであれば冗談であろうと気にも留めなかったが、花香に言われたのだ。
それは初音にとって百万の言葉よりも重みがあった。
遊女の世界は表向きこそ華やかだが、その裏は過酷を極まる。
二千人以上いると言われる吉原の遊女で太夫になれるのは僅か二、三十人ほどである。
玉屋は朝霧、紅玉、そして今の花香とこの数年でいずれも吉原一と呼ばれる太夫を歳出しているが、それはいい楼主の下で働ける事といい職場環境にいい姐さんがいる事なんだと初音は知った。
無論それだけではないだろうが、かずさ屋しか知らなかった初音にとって新しい道しるべを発見したような気分であった。
「話を聞いて頂いてありがとうございました。おかげで少し元気が出ました」
初音は花香にお礼を言って玉屋を去った。
しかし、見世に帰った初音を待っていたのは兵衛門の折檻であった。
「この馬鹿野郎! 線香の買い物ひとつにどれだけ時間掛かってるんだ」
「玉屋の花香太夫にお声掛けされて、玉屋に寄ってたんです」
「そんな勝手が許されると思っているのか。お前は言ってみりゃ奴隷の身分なんだ。勝手に寄り道なんざ百年早え」
初音は縄で吊し上げられ、竹刀で身体中を叩かれた。
一刻〔一時間〕ほど痛めつけられたところで、兵衛門が妓夫に声をかける。
「おい、あまり痛めつけるなよ。そいつは大事な売り物だからな」
兵衛門のひと言で折檻がぱたりと止まった。
「へへ。そうでやしたね。あまり傷物にしてしまうとお客様のお怒りを買いますからな。適度でやめときますわ」
初音はこの時、売り物というのが見世の遊女としての事だと思っていた。
〔とりあえずこれ以上叩かれないのなら助かった〕
その頃、玉屋では花香がお里と初音について話をしていた。
「わっちはまずい事をしたでござりんす。初音をあのまま帰したらおそらくかずさ屋の事でありんす。理由も聞かずに折檻しているでありんしょう」
花香は自分が見世まで送って行ってやるべきだったと後悔していた。
「まあ、かずさ屋の事だからろくな扱いはしないだろうけど、そこまで面倒見てやる必要もうちにはないからね」
「お里さん。そこで相談なんでありんすが、初音をうちの見世で買い取る事は出来んせんか?」
「おや、花香は随分あの娘が気に入ったようだね。見込みがあるなら買い取ってもいいけど、単に気の毒という同情だったらやめときな。うちも商売な以上、見込みのない娘を大金はたいて買う訳にはいかないからね」
「わかっておりんす。初音の才能は実際見てみんと何とも言えなんすが、顔立ちは間違いなく売れっ子になると見込んでおりんす。お里さんにご迷惑はおかけいたしんせん。わっちが代金を払いいたしんす」
「いいのかい? あんたの年季が延びることになるよ」
「どの道ここから抜けられない運命なら少しばかり年季が延びても変わらないでありんすよ」
「わかった。あんたがそこまで言うなら何か見込みがあるんだろうよ。買い取りは見世でやる。売れっ子になればそれで良し。ただし見込みがなかった時はあんたに買い取ってもらうという事でどうだい?」
「ようござんす。お里さん、よろしゅうお頼みなんす」
人助け? 同情? それとも初音に何か才能のようなものが見えたのであろうか。
花香は自分でも不思議な気分になっていた。
翌日、花香はお里と二人でかずさ屋を訪れた。
「これは、玉屋の楼主と花香太夫ともあろうお方がお二人揃ってうちのような小見世に何の用でございますか?」
かずさ屋兵衛門の半分嫌味混じりの言葉を無視するように花香とお里は互いに目配せすると単刀直入に用件を伝える。
「おたくの初音をうちの見世に売ってもらいたい」
お里がそう言うと兵衛門は目を光らせる。
「お里さん、これでも初音はうちの出世頭の一人でしてねえ。いくら玉屋さんと言えどもお売りする訳にはいかねえんですよ」
「おや、そうかい。それにしては扱いが雑に見えるのは私の気のせいかい」
お里はちらりと姿が見えた初音が明らかに折檻を受けたと思われる身体のふらつきと元気の無さを見て皮肉を言う。
「あれは少しばかり悪さをしたんで折檻したんでさ。まあ内輪の事はこれ以上話す訳にいきませんのでご勘弁を。とにかく初音はお売りできません。お引き取り願いますか」
いくら玉屋の楼主と太夫と言えども先方の見世から断られたらそれ以上はどうにもならない。
お里と花香はその場は引き上げる事にした。
「お里さん、どう思いなんした?」
「怪しいね。あれは何か裏があると思うよ」
「お里さんもそう感じたでありんすか。わっちも初音の話を最初に聞いた時、女衒が上品と評価していたのを下品に品定めされたと言うのがどうにも腑に落ちんでありんした。かずさ屋には何か裏がありんすね」
花香は女衒の目利きの鋭さを知っている。
普通に考えて女衒が上品と見定めたら、大抵は上品に分別される。
長年の経験やカンから女の子を見る目が卓越している彼らの目利きが外れるとは考えにくい。
そうなるとかずさ屋に何か裏があってわざと初音を下品にした可能性が高い。
「で、どうするんだい?」
「わっちに考えがありんす。お里さん、力を貸しておくんなし」
「わかった。見世の連中を自由に使っていいよ。あんたのやりたいようにやりな」
一方で兵衛門はお里と花香の前では笑顔であったが、二人がいなくなると途端に怪訝な表情に変わった。
「玉屋のお里と花香に出てこられたら厄介だ。早めに手筈を整えておくか」
兵衛門は見世の妓夫に目配せする。
「玉屋にちょいと土産を届けてやんな」
そして、かずさ屋は予定より早く計画を進めるべく動き出した。