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花香と初音の物語  作者: 葉月麗雄
最終章
22/22

最終回 初音 新天地で芸者として活躍する

一七三四年三月末、初音は玉屋での最後の演奏を披露した。

初音贔屓のお客さんで埋まる中、この日はひな鶴も飛び入り参加して、五年ぶりに二人で演目を披露した。

初音の三味線と歌にひな鶴の舞踊。

五年前ぶりであっても二人の息はぴったりで、これから先の活躍を期待させるに十分な演舞であった。


「これからのこの二人の活躍を皆さまもご期待下さい」


司会役を買って出たのは初音と苦楽を共にした玉屋の太夫、若紫と紅梅の二人であった。

最後の演奏を大盛況で終えて拍手喝采の中、初音は集まってくれた観客の前で最後の挨拶をおこなった。


「皆さま、これまで私のような半人前の演奏をお聴き下さり本当にありがとうございます。吉原での演奏は本日を持ちまして最後となりますが、今後は深川に舞台を移して一層精進したいと思います。どうぞ初音の行く末をお見守り下さい」


客席に向かって深々とお辞儀をする初音を少し離れた場所で見ていたお里が隣にいる遣手婆のお清に話しかける。


「初音の演奏を見届けて、これで私もひと仕事終える事にするよ。みんなの助けを借りながらどうにか見世を継続させる事が出来た。お清、あとは任せたよ」


「私の力で楼主が務まるかはわかりませんが、お里さんの作り上げたこの見世を貶めるような事だけは絶対にしません。どうか見守っていて下さい」


次の楼主として指名されたお清は吉原一の見世を背負って立つ責任をひしひしと感じながらも、その目は強く前を見据えていた。



そして翌日、初音が玉屋を去る日が来た。

大門には玉屋の若紫、紅梅をはじめとする遊女一同が初音を見送りに来てくれた。


「お里さん、長い間お世話になりました」


「達者でな。あんたなら必ず深川でも成功するよ」


お里とお清に挨拶したあと、一番仲の良かった若紫、紅梅の二人にも別れの言葉をかける。


「若紫ちゃん、紅梅ちゃん。仲良くしてくれてありがとう。二人がいてくれて助かったよ」


「初音ちゃん、元気で頑張るんでありんすよ」


「たまにはここに来ておくんなし」


かずさ屋では奴隷扱いされていた初音にとって若紫と紅梅は同じ歳で初めて仲良くしてくれた友達であり、遊女と芸者に道は分かれても共に稽古して苦労してきた仲間でもあった。


三人は互いに抱きしめ合いながら別れを惜しんでいたが、いつまでもこうしていられない。


「それじゃ、みんな。。」


最後の別れの言葉は廓語くるわごで言おう。

そう決めていた初音は初めて廓語を使った。


「おさらばえ!」


初めて初音の廓語を聞いて一同きょとんとしたが、最後は笑って初音を送り出した。


「いってしまったな」


「不思議な子だったですね。場を明るくする雰囲気を持っていて、放って置けない危うさのような感じもある。きっと深川でも芸者として成功しますよ」


お清の言葉にお里も「ああ、そうだな」と相槌をうつ。


「次は私の番だな。この吉原ともお別れさ。嬉しい事も悔しい事も私の半生はここに詰まっていた。自分の意見をみんなに押し付けていたかもしれないけど、みんなよくついてきてくれたよ」


「お里さん。。ありがとうございました」


この五日後、お里は八歳で吉原に来てから実に三十五年ぶりに大門をくぐり抜け、外の世界へ出る事となった。

向かった先は元玉屋の太夫朝霧の長屋であった。


「お里さん、いらっしゃい」


「あやめ、お世話になるよ」


お里はあやめと同じ長屋に住み、隣同士で一緒に料理をしたり、あやめの寺子屋を手伝ったりして吉原時代の日々売り上げとの睨み合いをするようなストレスのない楽しい毎日を過ごしていた。

後年あやめが桜の声がけで江戸城に行く事になってからは寺小屋を引き継いで子供たちの面倒を見ながら余生を過ごした。


⭐︎⭐︎⭐︎


一年後。

二十一歳になった初音は吉原を出た後、辰巳芸者〔深川芸者〕として活躍していた。

紗雪と音葉は丸山遊郭〔長崎〕から来た芸者という触れ書きで女性名をそのまま芸名としていたが、初音は辰巳芸者の慣わしに従って花奴はなやっこという男名に変えた。

花奴は尊敬する花香の名前を貰って付けたものだ。


ひな鶴も一人前の芸者として鶴吉という芸名で花奴とともに活躍している。

鶴吉は立方たちかた、花奴は地方ちかたとして二人で組み、花鶴姉妹とお客さんから名付けられて深川では有名な芸者となっていた。


芸者の料金は紗雪レベルで線香一本あたり金二朱〔約一万二千円〕であった。

暮れ六つ〔夕方六時〕から引け四つ〔午前零時〕まで演奏した場合、線香一本が約半刻〔三十分〕として六本分で三分〔約七万五千円〕が相場であった。


花鶴姉妹は紗雪と音葉の二人組に次ぐ、線香一本金一朱の六本分で一分二朱〔約三万七千円〕を一日に稼ぎだす売れっ子芸者になっていた。


かつて在籍していた玉屋にも呼ばれれば喜んで行っている。

花香の後を継いで太夫となり、見世の看板として活躍している若紫と紅梅の二人とも行けば必ず三人で仕事の合間の時間を使って近況報告をしたり、互いの健闘を讃え励まし合った。


鶴吉は花奴が玉屋に呼ばれて若紫、紅梅と三人でいる時には気を利かせて玉屋の新造や禿たちに三味線や踊りを教えている。。フリをしてお清の用意してくれた喜の字屋の料理に舌鼓を打っていた。


花奴と鶴吉の二人は辰巳芸者の名前と実力を江戸中に広く知らしめた功労者としてその後も長く第一線で活躍する一方、後進の指導も積極的に行い、数多くの芸者を育て上げていった。



エピローグ


浅草には水茶屋がいくつも点在する。

寺や神社の近くにあり、縁台を置き茶汲女〔茶屋娘〕に茶を出させたが、江戸中期になると美人の茶屋娘を置いて客を呼ぶ茶屋が増えて茶屋娘を目当てに通う客も出てきた。

花奴も茶屋娘が目当ての一人だ。


花奴は今さら可愛い、美人の女性好きを隠すこともないだろうと大っぴらに可愛い子好きを公言するようになっていた。

こんな調子だからいいお相手〔男性〕は当然まだ出来ていない。


「こんにちは。おすずちゃん」


「花奴さんに鶴吉さん。いらっしゃい」


「お団子と上がり頂けるかな」


「お茶ですね。今だにお茶って言葉が嫌なんですか?」


「そういう訳じゃないんだけど、昔からの癖で注文する時は上がりって言ってしまうんだよ」


おすずはこの水茶屋の看板娘で歳は十六。

可愛くて愛嬌があり、浅草ではちょっとした有名人であった。


「いかん。。可愛い」


「花奴の女好きは昔から全然変わってへんな」


「うるさい、可愛いものは可愛いんだ」


大人になって深川芸者独特の羽織を着て歩く花奴はすっかり粋な芸者となっていた。

鶴吉と二人でいる時はつい気が緩んで可愛い町娘を見かけるとじっと見てしまうのだ。


「鶴吉、私はちょいと寄り道していくから先に帰っていてくれ。また夜の仕事の時にな」


「まさか、また女の子じゃないだろうな?」


「三味線の手入れを頼んでいたから取りに行くだけだ。いくら私でもそんな年がら年中女の子に会いにはいかないわ」


そして三味線を受け取った帰り道に日本橋を通り過ぎ、深川へと戻ろうとすると前から子供連れの女性が歩いて来た。

それは普通の町人とは思えないほど容姿端麗な女性で、花奴はひと目見てそれが誰だかわかった。


「花香姐さん」


子供と手を繋いで歩く八重を見て花奴は声を掛けようか迷っていると、それに気がついた八重の方から近づいて来た。

初音は初めて吉原の角町で花香と出会った時の事を思い出していた。


あの時は高鳴る胸の鼓動を抑えて自分から話しかけに行った。

そこから自分の人生が変わったのだ。

吉原を去っても結婚しても変わらない、むしろあの時よりも年輪を重ねた色香が感じられて花奴は昔と同じように胸が高鳴る。


そして今度は八重の方から花奴に話しかけた。


「初音。いや、今は花奴だったね。随分と立派になった。元気そうで何よりよ」


「花香姐さんもお元気そうで、幸せそうで良かったです」


「今は本名の八重で呼んでくれて構わないよ」


「や、八重さん。。いや、あまりにも不慣れ過ぎて出てきません」


「私も花奴の本名しずってすぐには出てこないからね」


二人が楽しそうに談笑しているのを八重の子供が不思議そうに見ている。


「お母さんこの人誰?」


子供に聞かれて八重はこう答えた。


「この人はね、お母さんの妹よ」



ー 花香と初音の物語 完 ー

最後までお読み下さりありがとうございました。

初音という一人の女の子が遊女の最高位太夫である花香と出会って人生が劇的に変化していくサクセスストーリーを吉原の遊郭を舞台にして書いてみました。


実際の遊郭と遊女はこんな綺麗事の世界ではありません。

梅毒や結核もありましたし、当然ながら妊娠もありました。

労働環境も劣悪で、無事に年季を終えても借金が残り結局は遊女を続けるしかない女性も沢山いました。


それ以上に年季を迎える前に梅毒や結核で命を落としたり、過酷な環境に耐えかねて抜け出して捕まり折檻を受けて命を落とす人も多くいました。


この物語はそういった裏や闇の部分はあえて書きませんでした。

玉屋は現代でいう優良企業で、あくまでも架空の見世で、楼主であるお里も人情味のある人物として書いています。


花香もハッピーエンドにするかバッドエンドにするか悩みました。

しかし花香をバッドエンドにしてしまうと、初音のラストも後味の悪いものになってしまうと思いやめました。


私が最初から最後まで殺人シーンが一切ない人情物の物語を書いたのはこれが初めてですね(^-^;


さて、さくらの剣シリーズも残すは第三部のみ。

まだ時代設定とキャラ設定をしながら、とりあえず第一話と第二話の大まかな部分のみ執筆中といったところです。

来年の春くらいまでには発表にこぎつければと思ってますので、気長にお待ち下さい。


※芸者の金額は幕末の記録から調べました。

実際にはこの売り上げから所属している置屋に七割取られるので、芸者の取り分は三割だったそうです。


また午後六時から午前零時までの六時間で線香六本と言うのは筆者の予想ですが、三十分演奏したら三十分休憩を挟んでいたのではと考えています。

六時間演奏しっぱなしはさすがに無理ですからね。

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