ひな鶴 初音との共演を依頼し 互いに友情を深める
幕府から認められた仮宅の営業期間は最大で三百日。
お里はこの営業期間を最大限に活かして商売をしていたが、深川での営業も半年が過ぎていた。
期限も残り百日足らずとなり、玉屋も吉原に戻る準備に取り掛かり始めていた。
お里や花香に連れられて初音も見世を見にいったが、ほぼ火事の前の状態に戻っていた。
もっとも玉屋は被害もほとんどなく、他の見世の遊女や奉公人たちの宿代わりになっていたのだから、当然と言えば当然だが。
見世に戻ってみて初音はやっぱり落ち着くなと思った。
そんな自分が根っから吉原の人間になってしまったんだなと実感するのだった。
「最近、初音がちょくちょくお里さんに呼ばれてどこかに出かけているんだけど、何かあったんですか?」
ひな鶴に聞かれて紗雪は知らなかったのかと半分は驚きの表情で、半分は寂しげな雰囲気でひな鶴に答える。
「ひな鶴は知らなかったのね。初音は幕府から認められている仮宅での営業期間が終われば吉原に戻ってしまう。もう吉原から出られないでしょう」
「えっ?」
ひな鶴は初音が吉原に戻ってしまうと聞いて驚いた。
「いつ戻ってしまうんですか?」
「幕府から認められている営業日は三百日だから目一杯までいるとしてもあと三ヶ月じゃないかしら」
数えてみると紗雪の言う通りあと三ヶ月であった。
目一杯というのは期限より前に戻る可能性もあるという事だ。
どんなに遅くとも年内には吉原に戻ってしまうのだ。
そうなればもう初音には会えなくなる。
「せっかく友達になれたのに。。」
そう聞いたひな鶴は最後に初音との思い出に何か二人でやりたいと考えていた。
「最後の思い出に初音と共演をしたいんですけど、紗雪姐さん協力してもらえますか?」
「ええ。喜んで」
この二人が組むとは面白い事になりそうだ。
薩摩山くぐりとの戦いを最後に歩き巫女から完全に足を洗い、芸者として再出発していた紗雪にとって、妹分たちが協力しあって切磋琢磨していく姿を見届けるのは嬉しいものだった。
「初音、いつ吉原に戻っちゃうんだ?」
「お里さんはお上に定められた三百日を目一杯利用するって言ってたからあと三ヶ月は居るよ」
「何でもっと早く言ってくれなかった?」
「てっきり紗雪姐さんから聞いていると思ってたから。。ごめんね」
少し沈黙があり初音はひな鶴が怒っているのかと思い、何か話しかけなきゃと思って口を開こうとすると、ひな鶴が先に話しかける。
「最後に一つお願いがあるんだけど、いいかな?」
ひな鶴が少し恥ずかしそうにしているのを見て何だろうと初音は次の言葉を待った。
「私と一緒に共演してくれないか。初音と組んでお客さんの前で芸を披露したいんだ」
意外な依頼に初音は驚いたが、ひな鶴と組んで芸を披露するというのは面白そうだと思った。
「いいよ、やろう」
その日からひな鶴の舞踊の特訓が始まった。
初音の三味線に合わせて舞踊を踊る立方と地方の共演である。
二人で三味線を引いても良かったのだが、三味線と歌では初音が一段階上をいっている。
今のひな鶴が三ヶ月の特訓で初音に合わせるのは難しい。
だが、初音がひな鶴に合わせてしまったのでは初音の三味線の魅力も落ちてしまう。
ひな鶴が舞踊を踊る事で初音の三味線と歌を最大限に活かす方を選択したのだ。
舞踊に関しては紗雪よりも音葉の方が専門なので、ひな鶴は音葉が置屋に来た日には付きっきりで指導を受けた。
元薩摩藩山くぐりで、潜入調査の一環で芸者をやるために必死で身につけた芸が今こうして生活の糧となっている。
音葉も不思議な感覚であった。
そして稽古が終わって初音はひな鶴と夕食を共にする。
思えばひな鶴と食事をしながらゆっくり話すのは初めてであった。
「ひな鶴はなんで芸者になろうと思ったんだ?」
「うちはお母さんが芸者だったんだ。だから子供の頃から芸者になるって決めてたというより、それしか考えられなかったからだね」
ひな鶴の母は深川で名の通った芸者であったらしいが、客の一人と駆け落ちしてそのまま江戸から上方〔関西〕へ逃げてしまったそうだ。
父親については母からまったく聞かされていない。
おそらくは行きずりの客との間に生まれた子だったのであろう。
女手一つでひな鶴を育ててくれていた母であったが、色恋には勝てず子供より相手の男を取った。
一人残されたひな鶴はその後、この深川の置屋に預けられて育ったと言う。
「ひな鶴も苦労してきたんだね」
「どうだろう? この界隈には私と同じような子が何人もいるから取り立てて私が苦労したとは思わないけどな。初音の方がよほど苦労したんじゃないか?」
「わっちも田舎の農村じゃ口減らしのために女の子を売るなんて当たり前だったから、それが普通だと思っていた。苦労したというなら花香姐さんの方がもっと苦労しているんじゃないかな」
二人とも自分が特別に苦労したとは思っていない。
それぞれの境遇からそうなってしまっただけだと考えていた。
「花香太夫の昔の事、知っているの?」
「いや、聞いた事ないけど。でも太夫にまで上り詰める人はわっちらなんかとは比べ物にならないほどの苦労をしていると思うよ」
「私は遊女の世界を知らないけど、芸者にも先輩からのいじめや嫌がらせがたくさんあるからな」
「芸者の世界にもやっぱりいじめや嫌がらせがあるんだ」
「あるある。特に可愛くて人気のある若手芸者は先輩の標的にされる。私はまだ半玉だし今のところはそんな目にあった事はないけど、私くらい若くて可愛いいとこれから先が心配だな」
「お前、自分で言うか」
「冗談よ。だいたい初音に何とも思われてない時点で私は可愛くないって事なんでしょ」
「なんでそうなるんだ」
どうやら初音はすっかり可愛い女の子好きの印象がついてしまっているらしい。
「私よりも初音はどうだったの?」
「わっちは前の見世ではしょっちゅうだったな。遊女の世界は上下関係も厳しいけど、身分が上のものが常に正義っていう不公平もあるからね。玉屋に来てあらためて小見世と大見世の違いがわかったよ。大見世は本当に実力の世界。出身も歳も関係ない。実力があれば上にいけるんだ」
「なるほど、実力第一か。わかりやすくていいと思うな。芸者は一生出来る商売だから何十年もやっていれば歳をとっていく。そうなるとさっき言ったように年配の芸者よりも若くて可愛い子が座敷に呼ばれるようになる。
実力よりも若さと顔でお客さんを奪われちゃうわけだから妬みや僻みがあるのも当然っちゃ当然なんだよ。紗雪姐さんみたいに美人な上に実力も人気もある人はやっぱり凄いよ。それでいて嫌がらせをしたとか受けたって話は聞かないからね」
「紗雪姐さんといい、花香姐さんといい。頂点にいる人って本当に美貌と才能に加えて性格も良くて全てを持ち合わせていて羨ましいよね。わっちもあんな風になれたらいいな」
同じ境遇にあって頂点まで上り詰めた花香や紗雪〔紗雪と音葉が元薩摩藩の忍びという事を二人は知らない〕は二人にとっては憧れであり、目標でもあった。
そんな話をした事もあって、初音とひな鶴はこれまで以上に友情が深まっていった。
そして初音が吉原に戻る十日前となったこの日の夜、初音とひな鶴による演目が披露される事となった。
「本日は将来を期待されている二人の半玉による演目を一夜限りでご披露します。どうぞお楽しみ下さい」
紗雪と音葉だけでなく、花香たち玉屋の遊女も客たちに呼び声をかける。
特に花香と紗雪の呼びかけ効果は絶大で仮宅に用意された舞台の三十席はすべて埋まり、立ち見も出るほどであった。
満席のお客さんから盛大な拍手で迎えられた半玉の二人は初めて自分たちだけの舞台に緊張しながらも楽しんでいた。
立方として舞踊を舞うひな鶴と地方として歌と三味線を演奏する初音。
初音の三味線に合わせて舞い踊るひな鶴。
二人の息はぴったりであった。
さすがに将来を期待される半玉たちだと客席からも拍手が巻き起こる。
演目は大成功であった。
踊り切ったひな鶴と歌と三味線をやり切った初音はにこやかな顔で見合わせる。
「やったな、ひな鶴」
「今までで一番緊張したけど、一番楽しかったよ」
二人の半玉は舞台の上で満員のお客さんから拍手喝采を浴びた。
初めての経験は心地よさと達成感で溢れていた。
またこんな経験がしたい。
初音もひな鶴もそう思った一夜であった。
一七二八年十一月の末、初音は玉屋の面々とともに吉原に戻る事となった。
「初音、色々とすまなかった。吉原に戻っても元気でな」
「ひな鶴もね。またいつか二人で演目をやる時が来るよ」
ひな鶴が初音は吉原から出られないんじゃ? と聞こうとすると、花香がそれを悟ったかのように口を開く。
「大丈夫。初音は年季がくれば吉原から出られるでありんすよ」
「その年季っていつなんですか?」
ひな鶴の問いに花香も初音もええと? と考え込んでしまった。
そう言ったものの遊女と違い芸者の年季を二人とも知らなかったからだ。
「お里さん、どうなんでありんすか?」
花香がお里に確認すると初音の場合は例外だと前置きして答える。
「初音はうちの見世が買った訳ではないから借金は稽古代くらい。早ければ二十歳前には出られるよ」
お里がそう言うと初音は「本当ですか?」と驚く。
「ああ。でも芸者というのは遊女と違い、一生出来る仕事だよ。年季が来てその先うちで続けるか、外に出てやってみるかはその時が来たらあんたが自分で決めるといい」
「お里さん本当に優しいんですね。どうするかはまだ迷っていますけど、その時が来るまで玉屋で頑張って働きます。必ず売り上げに貢献してみせますので、見ていて下さい」
「そうしてもらわないと、何しろ水揚げの時に上客一人失っちまったからね。年にして三百両は落としてくれたいいお客さんだったんだけどね」
お里は冗談で言ったつもりであったが、それを言われると初音はぐうの音も出ない。
「す。。すびばせん(すみません)」
そのやり取りに周りから笑いが溢れる。
こうして三百日間お世話になった深川と料亭に別れを告げて玉屋一行は吉原へと戻って行った。
「行ってしまったな。。」
唯一同じ年で良き話し相手でもあった初音がいなくなって寂しそうにうつむくひな鶴。
初音とひな鶴が苦楽を共にする盟友となるのはもう少し先の事であった。




