初音 同い年の半玉に目の敵にされ 気が向かない勝負に応じる
吉原では火事で見世に被害が出ると仮宅での営業を許される。
一七二八年の元旦は慌ただしい引越し作業に追われて玉屋はまったくお正月をのんびり過ごす余裕などなかった。
普段であれば見世の遊女たちが一同に集まってお雑煮を食べ、お昼からは仲の町通りに繰り出しての挨拶周りなのだが、火事で焼けてしまった見世が数多く出てそれも中止となってしまったのだ。
玉屋は紗雪〔滝川ゆき〕のいる深川に仮宅を借りて営業を行う事となり、初音は紗雪とともに深川料亭に入ることとなった。
吉原に売られて以来、初音はかずさ屋の楼主に連れ出された以外では初めて吉原から外に出たのだ。
遣手のお清に紹介されて、初音は先輩でもあり吉原でも有名な芸者、紗雪〔滝川ゆき〕と初めて出会った。
「うわあ。。なんて綺麗な人なんだろう。花香姐さんとはまた違う魅力を感じる」
遊女とはまた違う魅力を持つ芸者に初音は胸が高鳴った。
そして紗雪の三味線の腕と歌声にも驚いた。
さすがに吉原一の芸者だと紗雪の虜になりそうな自分に何とか自制をかけた。
これは単なる憧れなのか恋心なのか初音は自分でもわからなかった。
「もしかしてわっちは綺麗な年上の女性が好きなのかな。。これってあまりいい事じゃないような気がする」
その様子を隣で見ていた若紫がにやにや笑ってる。
「何笑っているの?」
「今、紗雪さんに見惚れていなんしたな」
「そ、そんな事ない」
図星を突かれて初音は焦った。
「慌てて言い返すところが怪しいでありんす。別に悪い事ではありんせんよ。わっちも昔は朝霧姐さんを、今は花香姐さんを見ると胸がドキドキしなんすから」
「花香姐さんは綺麗な人だもんね」
「女好きを認めなんしたな」
「なんでや? 綺麗な人だねと言っただけじゃん」
「綺麗な人が好きなのは男も女も同じでありんすよ。別に悪い事でも恥ずかしい事でもありんせん。まあ堂々と言う事でもありんせんけどな」
「そんなものなのかな」
「吉原や大奥にはよくある事らしいでありんすよ。桜花姐さんから聞きなんした」
「桜花姐さんって桜さんだよね。あの人も綺麗だったな」
「初音ちゃん、気が多いでありんすな」
「えっ? いや、そういうわけじゃない。若紫ちゃんがそう言うから同意しただけで」
「なにを話しているんでありんすか。桜花姐さんが綺麗だとか何とか聞こえなんしたよ」
そこに紅梅も入って来て同い年の三人でわいわい話していたが、その会話は花香によって中断された。
「あんたたち、三味線の稽古の時間でありんすよ。こんな所で油売っている暇がありんすか?」
「花香姐さん! 失礼いたしんした」
花香に注意されて三人は慌てて三味線の稽古場へと向かった。
怒られはしたが、初音は楽しかった。
同い年の若紫と紅梅は仲良くしてくれるし、花香と紗雪のような吉原を代表するような人たちに囲まれてこれまでが嘘のような日々を過ごしている。
「恵まれるとはこういう事なんだ」
初音は初めて経験するいい出会いと恵まれた環境を噛みしめていた。
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初めての遊郭外での生活は驚く事が多かった。
働いている料亭は建物自体は玉屋の贅沢な造りには到底及ばない。
だが、食事はさすがに料亭と言える一流の料理が出てきた。
玉屋で新造になったときの料理の豪華さにも驚いたが、この深川料亭の食事はそれとは比較にならない豪勢なものであった。
「毎日こんな豪華な物を食べていて、玉屋に戻ったときに食事が物足りなく感じたらどうしよう」
そんな事を考えている自分が何とも不思議だった。
ほんの半年前まではかずさ屋で茶碗半分の飯だけで働かされ、ガリガリに痩せてダメだ、何だと侮蔑されていたのが今となっては遠い日の出来事のようである。
仮宅での営業は繁盛で、吉原のように形式張った堅苦しい雰囲気のない中での商売には連日のように客が押し寄せ、遊女たちは玉屋にいた時の倍の客を相手にしなければならなかった。
こんなに儲かるのであれば吉原に戻らずここで営業を続けたいところであるが、そうはお上が許さなかった。
吉原という塀に囲まれた中であるから幕府公認として認められているのである。
お里も売り上げが伸びてホクホクではあったが、その辺はちゃんと心得ていた。
花香にはその姿を一目見ようと多くの客が押し寄せた。
美人の上に気立のいい彼女は深川でも人気で、吉原一の太夫の名に相応しいと会った誰もがそう口にする。
一方の初音の歌と三味線も料亭で好評であった。
「素晴らしい。半玉とは思えない腕前だな」
来るお客にそう褒められるのが初音にとって何よりも嬉しく一層頑張ろうという気力になる。
初音は吉原に来てから初めてお客さんに楽しんでもらえて自分が役に立っているという実感を感じ、充実した日々を過ごしていた。
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この深川に来てから数日経つが、初音は初日から誰かに見られている気配を感じていた。
「紗雪姐さん、わっちの気のせいかもしれないけど、ここに来てから誰かにずっと見られているような気がするんです」
その言葉を聞いて紗雪は辺りを見まわした。
紗雪は元薩摩の忍びである。
すぐにその視線が誰だかを見抜いた。
「ひな鶴。そんなところで何を見ているの?」
紗雪に言われてひな鶴と呼ばれた少女は慌てて逃げだした。
ひな鶴は紗雪が所属する置屋の半玉で十四歳の少女である。
「まったく。。初音、ごめんなさいね。ひな鶴には後でよく話しておくわ」
「そのひな鶴という人はなんでわっちを見ていたんですか?」
「早い話が、吉原芸者に嫉妬しているのよ」
「はあ。。」
吉原芸者と言われて初音もピンと来なかった。
吉原の遊郭で内芸者として修行している初音は外から見れば吉原芸者という事になる。
対してこの深川で修行している芸者は深川芸者である。
吉原芸者は幕府公認のために芸者を名乗れるが、深川芸者や町芸者は非公認なので名乗れない。
両者が同じ座敷で居合わせた場合、常に吉原芸者が一番上座につき、吉原芸者は三味線を引いて歌を披露するだけだが、深川芸者や町芸者はお客さんにお酌をしなければならない。
ゆえに深川芸者を始めとする町芸者は紗雪のような人気実力ともに一番という芸者でなければ「酌婦」という位置付けであった。
「あの子はそれが気に入らないんでしょう。深川だろうと吉原だろうと同じ芸者。なのに吉原芸者だけが認められているのが許せないんでしょうね。だから吉原芸者の初音に嫉妬しているのよ」
そんな事を言われて初音も困ってしまう。
初音自身、吉原から外に出たのはかずさ屋に売られてから初めてなのだ。
吉原の外の人間からどう見られているかなど考えた事もないし、吉原から出られない事を思えばそんな事を考える必要すらなかったからだ。
「わっちは売られて来てから吉原の外に出たのはこれが初めてだから、そんな風に見られているなんて想像もしていなかった。芸者にもそんな格付けがあるなんて知らなかったし、それなのにそんな嫉妬されてもどう対応していいのかわからないです」
「気にしなくていいよ。私のいない時に何か言って来たら遠慮なく言って。叱っておくから」
そう紗雪に言われても、そんな告げ口みたいな事をしたくはないと初音は思っていた。
翌日、紗雪が三味線の手入れのために出かけた時であった。
初音が一人で三味線の練習をしていると、ひな鶴が突然部屋に入って来て目の前に立った。
しばらく互いに睨み合っていたが、先に口を開いたのは初音であった。
「わっちに何か用でもあるの?」
「吉原の芸者さんはいい身分でございますな。半玉でも紗雪姐さんと一緒にお座敷に出られるし、演奏だけしていればお客さんにお酌もしなくて済む。羨ましい限りですわ」
嫌味とも皮肉とも取れる言い方であった。
「あんたがどの程度の実力が知らんけど、この深川はわっちらのシマだ。あんたら吉原芸者の勝手にはさせないからな」
無視しようとしていた初音であったが、嫌味と皮肉の混じったひな鶴の言葉にカチンときた。
「何も勝手なんかしてないけど。紗雪姐さんの言ってた通り、困ったお子様だね」
「何だって?」
「わっちに言わせたらここで生まれて育ったあんたの方がよっぽども恵まれているよ。わっちら吉原にいる遊女や芸者はみんな親に売られてあちこちから来ているんだ。
帰る所もなければ一度入ったら年季が来るか身請けされない限り吉原から出られない籠の中の鳥だよ。帰る場所があって自由に動けるあんたにそんな事言われたく無いね」
初音の怒気を含んだ声にひな鶴はやや怯んだ。
実際には初音の言っているのは遊女の事で、芸者については玉屋では初音が初めての内芸者だったので、何も方針は決まっていない。
初音の立場ではお里が決めていくことに従うしかない。
ただ帰る場所がないという事と吉原から出られないのは本当であった。
「芸だってみんな生きるために習得しているんだ。一日も早く吉原から出るため。ただそれだけのためにだ。その後の人生に役に立つかなんて考える余裕なんてない。
今を生きるのが精一杯なんだよ。あんたにわかってくれなんて言わないけど、何も知らないで勝手な事言うならわっちに関わらないでくれ」
ひな鶴をキッと睨みつけて言うだけ言うと初音はその場を立ち去ろうとする。
だが、ひな鶴もここまで来たら後には引けなかった。
「ならばわっちと勝負しろ」
「勝負?」
「今夜の紗雪姐さんの座敷でわっちとあんたとで三味線と歌をお客さまに披露してどっちが上手だったかお客さまに決めてもらうんだ。もしわっちが負けたらあんたを認めてやる。
ただしわっちが勝ったときは今後は紗雪姐さんの座敷ではわっちが上座に座り、あんたは吉原に戻るまでずっと酌婦だ。いいな」
〔そんな勝手をお里さんが認めてくれないし、どっちが上座だのわっちにはどうでもいい事〕
そうは思っていてもひな鶴もこのままでは引込みがつかないであろう。
初音はどうしたものか考えていた。
「いいさ。その勝負受けてやる。楼主には怒らられるだろうけど、そこまで言われて逃げる訳にもいかないからね」
こうして初音とひな鶴はどちらが上か客に見定めてもらう勝負を行うこととなった。




